第26話
ジェラールの成長は日々目まぐるしい。
舌ったらずだったしゃべり方も日に日になれを潜め、言葉で感情を表現することも出来るようになって来ていた。
私が来てから兄ちゃんが姿を現すまで2ヶ月、兄ちゃんが姿を現してからゆうに3ヶ月はたっていただろうと思う。日本なら今頃は夏であろう。
この世界でも夏の日本と同じような気候であるようだ。毎日毎日茹だるような暑さは私の体力を消耗させていた。
「ジェラ、暑いねぇ。アイス食べたい」
「あついねぇ。あいしゅたべたいねぇ」
ジェラールの体の成長も目まぐるしい。三歳児であるはずなのに、小学生くらいの大きさはあるように思える。不思議と日に日に成長していく姿を私は見ていることしか出来なかった。
あぁ、それにしても暑い。日本の夏もうだるような暑さだが、ここの夏も相当なものだ。
「よしっ、アイスを作ろう。ジェラも手伝ってくれる?」
「うん。ジェラもてちゅだう」
ジェラにかつらを被せ、部屋を出る。出掛けにチェスもついてこようとしたが、手でせいした。
「調理場にチェスは入れないの。チェスの分も作ってくるからお留守番してて」
キッキッと不満げに喚いていたが、自分の分もあるのだと分かったのか急に大人しくなった。
実を言えば、ジェラールを調理場に連れて行くのは初めてだ。調理場には、子供にとって危険なものが溢れている。今日、ジェラールの入室を許可したのは、時間帯が食事時を過ぎているからだ。各人が入り乱れるように動いている食事時は、とてもとても入室させられないが、その忙しさが一段落ついた今なら、調理場は閑散としている。みんな思い思いの休憩をとっている時間だ。
「ジェラ、調理場のものを勝手に触ったらダメだからね。いい? 約束だよ」
人がいないとはいえ、好奇心で出来ている子供にとって調理場は魅惑の場所なのだ。たなを開けて包丁を出してきたら、シャレにならない。
「やくそく。ジェラ、いい子だからやくそくまもる」
純粋な瞳がキラキラと輝いて、私の瞳を貫く。
「うん。いい子ね」
頭を撫でるのを待っているジェラールの希望を応えてやる。目を細めて喜ぶジェラールを見ていると、こちらまで温かい気持ちになる。
「おや、今日は珍しいお客さんだね」
調理場に入ると、ノアンさんが一人お茶を飲んでいるところだった。
「ノアンさんだよ。挨拶してごらん」
「こんにちは。ジェラはジェラだよ」
調理場の人々はジェラールの存在を知っているが、実際に見たことはない。ノアンさんは、私が連れている子どもはジェラールしかいないと知っているので、自己紹介しなくとも分かってはいるだろう。
「こんにちは。ジェラ。今日はどうしたんだい?」
「きょうはね、あかりとアイシュちゅくるの」
スとツの滑舌が悪くて、それがなんとも可愛らしい。その想いはノアンさんも同じようで、孫を見ているようなとろけるような笑顔を浮かべていた。
「ジェラもおてちゅだいしゅるんだよ」
「そう。偉いのねぇ」
褒められたのが嬉しいのか、恥かしいのか、私の足にしがみついて顔を隠してしまった。私以外の人に褒められることに慣れていないので、照れ臭いのだろう。だが、ノアンさんには興味があるのかちらちらと窺っている。
ノアンさんに頭を下げると、ジェラールを足にくっつけたまま、私の持ち場に引き摺って行く。ずりずり引き摺られるのが楽しいのか、キャッキャと高い声を上げていた。
「ジェラ、降りないとお手伝い出来ないよ?」
「おりる。おてつだいしゅる」
パッと素早く離れたジェラールは私の耳がおかしくなりそうなほど大きな声を上げた。
「よし、じゃあやりますか。初めに手をきれいに洗ってください」
ジェラールを抱き上げると、自ら手をごしごしと洗った。背の高ささえもう少しあれば、一人でなんでも出来てしまうだろう。
「では、始めましょう。ボールに卵を割って黄身と白身に分けまーす」
生クリーム(もどき)と砂糖を用意して、それぞれボールに入れてひたすら角が立つまで泡立てる地道な作業。
明日、腕が筋肉痛になるのは確定でしょう。
ジェラールも微力ながら一生懸命にかき混ぜている。時折何処かに飛んでいく生クリームを私は見なかったことにする。
「まあ、あかり。地道な作業してんだね。ハンドミキサーならあるんだよ」
私の頭の中で、この世界は中世ヨーロッパと位置付けている為、そんな画期的な機械はないもんだと思いこんでいた。
あるなら、早く行ってよノアンさん。
私とジェラールのこれまでの努力を水の泡にしたノアンさんの一言に、打ちひしがれている私にジェラールはキョトンとした目を向けた。
「そのハンドミキサーをお借り出来ますか?」
気を取り直してハンドミキサーで泡だてていくと、早いことなんのって、今までの行為が嘘のような速さに少しだけ涙が出そうになった。
「全部を混ぜ合わせたらべらで切るように混ぜる」
ジェラールの手に添えて共同作業。ジェラールは一人でやりたくて私の手を迷惑そうにしている。そんなジェラールの気持ちをくんで一人でやらせてみる。案外うまくやってしまうもんだ。
ジェラールの手によって混ぜられたそれを容器にいれて冷凍庫にいれた。
「これで、しばらくたったらアイスクリームになるからね」
「あいしゅいちゅたべられる?」
「うーん。どれくらいで固まるかなぁ。夕食の後のデザートにしようか?」
「でざーと?」
「そう、デザート」
すぐに食べられると思っていたジェラールは不服な表情を浮かべていたが、夕食のデザートとして自ら作ったアイスクリームを食せると聞くと、パッと明るい表情を浮かべた。まだまだ単純なお年頃です。
調理場を片づけながら、ジェラールに問い掛けた。
「これから兄ちゃんとこに飲み物届けに行くけど、ジェラも行く?」
「にいちゃんとこいく」
この暑い中、兄ちゃんは訓練に勤しんでいた。毎日毎日飽きることなく続けられる訓練で、兄ちゃんの体は逞しく進化をつづけている。剣の腕もめきめき磨き、生半可な相手では太刀打ちできないのだと聞く。
兄ちゃんと一緒に訓練をしているだろう(巻き込まれているであろう)兵たちの分もと大きな水筒を何個かとちょっとしたおやつを持って調理場を後にした。ノアンさんが名残惜しそうにジェラールに手を振っている姿を見て、またジェラールを連れて来ようと思うのだった。
兄ちゃんがいる訓練場には、沢山の人がいるが、今現在立っていられているのはほんの数名程度だった。後の大部分は地面にのしている状態である。
「差し入れ持って来ましたよぉ」
声をかけると、地面にのしていたはずの人々が我先にと近付いてくる。その勢いに恐れをなしたジェラールは私の後ろに怯えたように隠れてしまった。
そんな様子を兄ちゃんが呆れ顔で眺めていた。
「いつも悪いな、灯里。今日はジェラも一緒か?」
ジェラールに視線を巡らせ、そう言うとかくれんぼしているジェラールを覗き込んだ。兄ちゃんだと分かるとジェラールもひょっこりと出て来て、両手を上げてだっこをねだった。
ここには毎日差し入れを届けるようにしている。
「あかり殿。いつもありがとうございます。こんな方が嫁に来てくれたらなっていつも話しているんですよ」
一兵士がそんなことを言ってくれて、それが社交辞令だと分かっている私は笑顔でお礼を述べた。
「ダメよ。あかりはジェラのおよめさんになるのっ」
社交辞令だと分かっていないお方が一人いた。その真剣な叫びにその場がどっと沸いたのは言うまでもない。