第25話
「めっ」
頬を膨らませ、頑なに頭を縦に振ろうとしないジェラールに私はどうしようかと、途方に暮れていた。
「どうしてダメなの? ジェラはリオが好きでしょ?」
ジェラールの気持ちが落ち着いて、普段と変わらない状態へと落ち着いたところを見計らって、リオとの結婚の話をしたのだ。ところが、駄目の一点張りなのだ。
「どうしてかなぁ。ジェラにお祝いして貰えないと悲しいな……」
「あーり、かなしらめ。リオとけこらめっ。あーりはジェラのっ」(あかり、悲しいダメ。リオと結婚ダメっ。あかりはジェラのっ)
ジェラールは私をリオに取られると思ったのだろう。確かにリオの嫁になるということは、取られると言うことになり得るのかもしれない。
「リオと結婚しても、ジェラといつも一緒にいるよ。大丈夫だよ?」
「らーめっ。ジェラ、あーりとけこしゅるのっ」(ダーメっ。ジェラ、あかりと結婚するのっ)
「本当? じゃあ、ジェラのお嫁さんにして貰おうかな。でも、まだジェラは結婚できる年じゃないから、大人になったらね?」
こんなラブリーな存在にプロポーズされて、断れるわけもない。この時の私は軽い気持ちでそう言った。大人になったらそんな約束も忘れてしまうだろうと、思ったからにすぎない。
「やくしょく。あーり、ジェラのっ。だれちょもけこしゅるめっよ。わかた?」(約束。あかり、ジェラのっ。誰とも結婚するダメよ。分かった?)
今は私を中心に回っているジェラールであるが、もう二、三年すれば視野が広がって私から巣立っていくのだろう。いわば私はそれまでの繋ぎに過ぎないだろう。
「うん。約束するよ」
ジェラールが本当に私とリオの結婚を認めてくれるまで、結婚はしない。ジェラールには祝福してもらいたい。
リオならきっと分かってくれるだろう。
ジェラールと部屋に戻り、夕食を作るために再び部屋を出た。
前までは、私が料理の支度をしている時間はジェラールを一人にしなければならなかったが、今はメイヤがいてくれるから助かっている。
「あかりっ。おめでとう。坊っちゃんと婚約したんだってね。私は嬉しいよ」
調理場に入った途端にノアンさんに抱き締められた。豊富な胸を押し付けられてもがいているところを、他の調理師に助けられた。
「ありがとうございます。ノアンさん」
「幸せになるんだよ。きっと二人なら幸せになれるさ」
ノアンさんの胸からは解放されたが、今度は女性にしては大きくて肉付きのいい手で、バシバシと背中を叩かれる。
「はっはい。ありがとうございます」
興奮したノアンさんには周囲を気配ることができないようで、仲間の調理師たちが、またかと言いたげに渇いた笑いを浮かべている。
どうにかノアンさんの攻撃から逃がれて、持ち場に避難した。嬉しく思ってくれるのはありがたいが、度がすぎている。恐らく私の背中には手形が浮かび上がっているかもしれない。
夕食の支度がもう終わるというタイミングで、リオが姿を現し、私と同じノアンさんの洗礼を受けていた。
近頃は夕食を供にするメンバーが増えたおかげで一人で運ばなくてもよくなった。頼んだわけではないが、それを見越してリオが手伝いにきてくれるのだ。
私よりも激しい洗礼を潜り抜けたリオと連れ立って廊下を歩く。
あちこちから祝福の声がかけられ、それらが私の心を温かくしてくれた。
「あのね、リオ。ジェラが反対しているの、私たちの結婚。私が結婚するのはジェラなんだって。ふふっ、可愛いよね。嬉しいけど、そういう気持ちって視野が広がれば、自然と他に向くでしょ? だから……」
「そうですね。ジェラールが祝福してくれるまで待ちましょう」
リオはどこまでも優しく、あまりに優しすぎて、私は我が儘になってしまいそうだ。
「ありがとう。リオ」
「いいえ。愛しい人の願いを聞き入れるのは男の本望ですから」
にこりと微笑んだリオを私の方こそ愛おしいと思うのだ。
正直、結婚は今すぐじゃなくてもいい。二十歳になったばかりの私には、結婚はまだ遠い先の話だと思っていたから。
誰かと添い遂げる覚悟も恐らく出来ていない。今の私では、早いと何かが告げている気がした。
「あ、兄ちゃんっ」
前を歩く兄ちゃんの背中に声をかけると、振り返って右手を上げた。
「持つぞ、灯里」
「ありがとう。兄ちゃんは訓練に参加してきたの?」
「ああ、軽くな」
兄ちゃんが近付いてくると、ほんのりと汗の匂いがした。その匂いは全く不快ではなく、私にとっては兄ちゃんそのもので、懐かしくもあり落ち着くものなのだ。
幼い頃の夏休みには、大汗をかきながら兄ちゃんとくっ付いて昼寝をしていた。兄ちゃんの汗の匂いが私を安心させ、すぐに眠りにつくことが出来た。そういえば私は、夜も兄ちゃんが傍にいてくれなければ寝れない子供だった。
「ジェラがね、結婚に反対だって」
「ああ、ジェラはあかりが大好きだからな。取られると思ったんだろう。それでどうするんだ?」
「うん。ジェラが納得してくれるまでは、結婚はしない」
兄ちゃんと私の会話をリオは涼しげな表情で見ていた。
「リオはそれでいいのか?」
「はい。別に構いません。あかりが私の傍にいてくれるのであれば、形にこだわるつもりはありませんので」
「灯里の我が儘に付き合ってくれて悪いな。ありがとな、リオ。ジェラにとって灯里は初めて心を許した存在だから特別なんだろう。ジェラの気持ちも分からなくもないしな。昔は灯里も俺のお嫁さんになると言ってくれていたのになぁ」
遠い目で空を見つめる兄ちゃんは、幼い頃の私を思い出しているのだろう。
幼い頃の私にとって、兄ちゃんは絶対だった。大好きで大好きでいつも後を付いて回って。年齢差があるので、鬱陶しかっただろうに、兄ちゃんはいつでも私の相手をしてくれた。同年代の友達と全力で遊びたかっただろうに、兄ちゃんの一番は私だった。
「そうだよねぇ。兄ちゃんが私の兄ちゃんじゃなかったら、結婚してたんだろうけどねぇ。残念だったね」
「全くだ。血の繋がらない兄弟だった、なんてことになったら、俺は間違いなく灯里を嫁に貰う」
「兄ちゃん、それ本気じゃないよね?」
「本気だが、それが何か?」
イヤ、本気過ぎてちょっと怖かったというか……。リオが少し不穏な雰囲気を醸し出していますし。
「リオ、私たちは正真正銘血の繋がった兄弟だから何の問題もないし、兄ちゃんのこれはある意味冗談みたいなものだから本気にしないで」
「良かったです。光殿がライバルですと、なかなか手強そうですから。安心しました」
「何だリオ、俺に勝てないなら娘は嫁にやらないぞっ」
「娘じゃないでしょがっ」
「いいか、灯里。父さんと母さんがいない今、俺にとって灯里は妹であり、娘でもあるんだ。半端な男に嫁にはやらないぞ、俺は」
「いくら手強そうでも、光殿に負けるつもりはありませんので」
「泣かせたら承知しないぞ。灯里を悲しい目にあわせたら、その命ないと思え」
その言葉は、私とリオの結婚が決まってから何度となく口にされた言葉だ。
「はい。肝に銘じておきます」
男二人の会話についていけなくなった私は、もう勝手にやってと他に意識を向けた。周囲の視線がリオと兄ちゃんに向けられている。兄ちゃんの声がでかいというのも一因としてあるが、この二人人目を惹く容姿をしているからなぁ。
この二人を置いて、こっそり足早にその場を後にした。




