第24話
部屋に入った途端にジェラールが激しい頭突きをお見舞いした。
「あぁりおちょい。ジェラ、さみしい、ヤッ」
兄ちゃんやメイヤがいてくれても、私を必要としてくれているジェラールに母性本能をくすぐられる。
ジェラールは実質的には私の子ではないけれど、もう目に入れても痛くないと思えるほど愛しい存在だ。
「ごめんね、ジェラ。待たせちゃったね」
小さな体を腕の中に包み込み、ぐずぐずと鼻を啜るジェラールの頭を撫でて落ち着かせた。
しばらく続けていたら、泣き疲れたのかジェラールは寝てしまった。
ジェラールをベッドに寝かしてから、テーブルに集まる面々にお茶を振る舞った。
ここには、私の他にリオ、兄ちゃん、エロイ、メイヤ、そして私の頭の上にチェスがいた。チェスは私の頭をベッドにして昼寝をするつもりなのか、すぐに目を閉じた。
初めはジェラールと私だけで、暗闇に支配されていた空間も、今では明るさと笑い声で溢れていた。
私がフッと微笑めば、リオが私にいち早く反応した。
「あかり。何が可笑しいのですか?」
「うん。私が初めてこの部屋に入ったとき、ジェラをお化けだと思ったんだよね。光が差さない暗闇で一人佇んでた。その頃を思い出すと、ジェラも人間らしくなったなって」
本当に最近のジェラールは目覚ましい進歩を遂げた。痩せこけていた体は、よく食べるようになり年相応の体型にまでになってきた。人形のように表情がなかったのが嘘のように今ではコロコロと表情を変える。言葉を発することが出来なかったのが嘘のように今では一日中その声を聞くことができる。
「あかりがこの世界に来てくれたお陰です」
「そんな……、でもそうだとしたら嬉しいな」
俯いてそう呟くと、隣に座っていた兄ちゃんが頭をくしゃくしゃと掻き混ぜた。これは兄ちゃんが私を褒めるときにする仕草だ。言葉がなくても、その大きな手の温もりが私を労っていた。
「兄ちゃんは近衛兵に入るの?」
気恥ずかしさから話題を変えることにした。
「うーん、入るかどうかは分からないけど、訓練に出てみようと思ってるよ。俺に一番合ってるかもしれないが、剣を扱ったことがないからなぁ」
「光殿は体術では近衛兵には負けないっ。きっと剣術だってすぐに会得されるさ」
勢い込んで発言したのは、兄ちゃんを崇拝しているエロイだった。
まあ、いいんだけど。興奮するのはいいんだけどね、微妙に唾飛んでんだよね。勘弁して。
「兄ちゃんはどう思ってんの?」
「あぁ、俺が近衛に入ったら守るのは当然王だろう? 俺としてはあかりを守りたいが、自分で守る相手は決められないんだろう?」
「基本的に近衛兵は王族を守る為に存在するものですから、それは難しいかもしれませんね。国王かエロイの周囲を守ることになるかと」
私みたいななんの肩書きもない人間に専属の兵がつくことはない。命を狙われるほどの要人ではないのだから。
「なんだつまんねぇな。せっかくならあかりの傍でできる仕事がしたいぜ」
国王を守る仕事をあっさりとつまらないと言い切る兄ちゃんに呆れた溜め息をついた。
「光殿、突然ですが私はあかりを妃に迎えたいのです」
「なにっ。あかり、結婚するのか? こんな可愛いらしいんだ、男どもは放っておかないとは思ったが、こんなに早く嫁に出すことになるとは……」
兄ちゃんがテーブルに大袈裟に嘆き、突っ伏した。
一般的に言うシスコンの類に入る兄ちゃんが大袈裟に振る舞うだろうことは分かっている。
そして、
「よしっ、世界一幸せにしないと承知しないぞっ」
こうと決めたら潔いということを。
頭を突然がばりとあげ、どすが効いた声でリオを脅す。
「はい。世界一幸せにします」
兄ちゃんの想いを真摯に受けとめるリオに満足したように鼻を鳴らした。
「ふんっ。ならいい」
「ありがとう。兄ちゃん」
「それで光殿、話を戻しますが、私個人があなたを雇いたいのです。あかりとジェラールの護衛として。いかがでしょうか?」
リオと兄ちゃんを交互に窺った。
「それは、俺が軍には所属せずに一個人としてリオと契約するということか?」
「はい」
「気に入った。その話乗った。だが、お前と契約するのは今じゃない。まだ俺は人を守れるほど剣の扱いが達者じゃない。軍の訓練に参加してもいいか? お前たちが結婚するまでにこの国一の腕前になってやる。契約するのはそん時だ」
「軍の訓練に参加するのは、兵の刺激になりますので問題ありませんし、契約についても光殿の希望どおりで構いません」
方向性を見いだした兄ちゃんは満足気に微笑んだ。私としても、兄ちゃんが守ってくれるなら何も怖いことはない。
未来がとても明るいもののように思えた。
ぼんやりと私を見ていたジェラールは、突然泣き出した。
ジェラールが寝起きで泣きだすことはあまりない。よほど嫌な夢でも見たのだろう。
真っ赤な顔をして、大粒の涙を流すジェラールを抱き上げ、ポンポンと背中を叩いた。ヒックヒックとしゃくり上げ、私の腕をしっかりと掴んだ。爪が腕に食い込み痛みを感じたが、ジェラールを落ち着かせるほうが最優先だ。
「二人でお散歩に行こうか?」
泣きじゃくりながらも私の声はしっかり耳に入るらしく、こくりと頷いた。
メイヤにかつらを被せてもらいジェラールを抱っこしたまま庭園へと向かった。
最近のジェラールの周りでは変化が目まぐるしかった。あまりに急に色んなことが変わっていくので、小さな体では対応しきれなかったのかもしれない。私も最近は兄ちゃんのことなんかがあって、ジェラールをよく見てあげられなかった。
私がもっとしっかりしていれば、と自分を強く責めた。
「ジェラは今の生活嫌い? 私がいて兄ちゃんがいて、リオやエロイが遊びに来てくれる生活。イヤ?」
ぷるぷると振り子人形のように頭を振る。
今の生活がジェラールのストレスになるなら、考えものだ。そうではない、と言ってくれてホッとしている。
「良かった。ちょっと安心した」
私がジェラールくらいの歳の頃のことなど、断片的にしか思い出せない。幼稚園に入ったばかりで、初めて知らない子たちの中にぽいと入れられて呆気に取られていた。それでも、しばらくすればその世界は私の日常になった。ジェラールも今のこの生活が日常になる時が来るだろうと思った。
「ジェラ、楽しいことはこれから一杯あるよ。私と一緒に色んなことをしようね。お勉強もするけどね」
「たのしこと? いっぱい? べんきょもたのし?」
「楽しいこと一杯だよ。勉強はそうだな、楽しい時もあるし大変な時もあるよ。だけど、きっと将来役に立つよ」
「あぁりもいっしょ?」
「うん、そうだよ。一緒に色んなことするよ」
「じゃあ、しゅる」
ジェラールの涙は消え、好奇心に溢れた瞳はキラキラと輝いていた。
子育てなんてしたことのない私だけど、親にはない、恐らく同じ目線に立って考えることが出来ると思うのだ。ジェラールの気持ちを考えながら、どんな風に成長していくか、これからが楽しみだ。
とんでもない男に成長したら困るので、色んな人に子育てのコツだけは教えて貰っておいた方がいいかもしれない。その上で、自分なりの子育て法を考えていこう。
きっといい男に育ってくれると、期待しすぎず期待しよう。