第17話
苦しそうに荒い寝息を立てるジェラールを覗き込み、おでこに乗せた濡れタオルをそっと取った。
桶にはった水に浸し、ギュッと絞ると額の上に再び乗せた。
「あかり殿ですな? わしは宮廷医師のラクールですじゃ」
そう言って、ジェラールの急な病に慌てている私を宥めるように、優しく微笑んだ。まるでケンタッキーの店前で客を出迎えているあの白髪のおじいさんのような風貌をしていた。
「風邪ですな。心配は無用じゃよ。薬を置いていくからの、食後にそれを飲ませることじゃ。……あかり殿のせいではないて、そんな顔をするもんじゃないぞ。ジェラールが目を覚ました時、そんな顔を見たら、不安になるじゃろ?」
「ありがとうございました。気をつけます」
「子どもは何度も風邪を引いて免疫力を付けるんじゃ。苦しいだろうがこれも必要なことじゃよ」
それは分かっているつもりだ。小さい時分に何度も風邪を引いて徐々に免疫力を付け、段々と風邪を引かない強い体になっていくのだ。
ただ、あんなに小さな体であんなに苦しそうにしている姿は、見ているこちらが辛くなってくる。
「私がもっと早くに気付いてあげてたら……」
「子供は高い熱が出ていてもけろりとしているからのぅ。上手く伝えられないどころか、自分の体調の悪さにさえ気付かない子もおるくらいじゃ。自分を責める必要はないじゃろうて。あかり殿がいなければ、大変なことになっていたかもしれんのじゃからの」
誰もいない部屋でジェラールが倒れている姿を思い描き、ゾッとした。
私がいる間はこれまで以上に注意を払うだろう。けれど、私がいなくなったら誰がジェラールの面倒を見ると言うんだろう。ジェラールの面倒を見る人がいなかったから私が喚ばれたんじゃ、この国に面倒を見てくれる人がいないのは明白だ。
「ラクールさん。私がいなくなったら、ジェラはどうなっちゃいますか?」
「元の世界に戻りなさるのか」
私は素直に頷いた。
驚くことはない。ラクールさんがジェラールの存在を知り、私の存在を知っている時点で私が異世界の人間だと知らされたうちの一人だと認識していた。
「未来のことはわしとて分からんがのぉ、最低限の衣食住は保証されても、あかり殿のような存在はおらんようになるなぁ。あかり殿には、この国に留まるという選択はないのかのぉ」
「私には兄がいるんです。両親は随分前に事故でなくして、兄にとっても私にとっても身寄りは私だけなんです。帰らなきゃ。兄が待っているんです」
「兄上殿以外に身内はおらんのかの?」
「両親が家を勘当されたようで、私は両親の葬儀の時に初めて顔を合せました。兄はその当時18歳で、既に大学にも受かっていました。あ、大学って言うのは学校のことです。兄は両親の葬儀でも冷たい態度を示す親戚たちに、私は自分一人で育てる、と宣言して大学の入学を蹴って、仕事を始めました。それ以来、親戚とは何の連絡も取り合っていません」
両親がどんな理由で双方の親戚から勘当を受けたのかは聞いていない。だが、葬儀の際の親戚のあからさまな非難の視線はその子供である私達に容赦なく注がれた。両親の死のショックで彼らから何を言われたのかは覚えていないが、相当酷いことも言われたようだ。そんな彼らの助けはいらないと、兄ちゃんは自ら援助を断った。
もし、自分が兄ちゃんの立場だったとしても同じことを言い、実行しただろう。だが、兄ちゃんには成し遂げたい夢があったんじゃないかと思うと胸が軋む思いだった。兄ちゃんの夢は聞いたことがない。けれど、確かに兄ちゃんには夢があった。兄ちゃんが合格していた大学が、その夢を叶えるために最適な大学であったのを知っている。
ふと、兄ちゃんは私がいない方が良かったんじゃないかと思った。私の負担がなければ、兄ちゃん一人の大学の学費くらい自分で何とか出来たのかもしれない。
私は戻ってもいいのかな……。
「色々と苦労なさったんじゃの」
「私の国では、若い頃の苦労は買ってでもしろ、なんて言葉があるくらいですから私は平気です」
と言っても、私は苦労しただなんて思っていない。兄ちゃんがいつも傍にいてくれて楽しかった。料理を作るのは元々好きで、苦にはならなかった。
「あかり殿にも色々とあるのに、勝手を言って悪かったのぉ」
「いいんです。私もジェラのことは心配ですし、ラクールさんもジェラのこと心配してくれたんでしょ?」
「哀れな子なんじゃよ。あの子に非は何にもないんじゃ。それなのに理不尽にもこの仕打ちじゃ。あかり殿が来るまで、あの子の笑顔をわしは見たことがなかった。あんなに楽しそうに笑っているあの子を見て、わしは嬉しくてのぉ。感謝しておるんじゃよ、あかり殿には」
そんな言葉を残してラクールは部屋を後にした。
ジェラールの看病をしているうちに、私はベッドに頭を預けて寝てしまったようだ。
ハッと目を覚ますと、ジェラールを覗き込む。
「ヤっ、いちゃヤっの」
ジェラールは涙を流し、手を空に彷徨わせていた。目は閉じている。イヤな夢を見たようだ。
私はジェラールをそっと抱きよせた。
「大丈夫。どこにもいかない。ここにいるよ」
背中を撫でながら、同じ言葉を何度も何度も言い聞かせた。
ひっくひっくとしゃくりあげるジェラールが徐々に落ち着いていくのを、感じながら背中を撫で続けた。
「ジェラ。少し落ち着いたらお水を飲もうか? のど渇いてない?」
「あぁり、ここ、いる」
「大丈夫だよ、ジェラ。お水はここにおいてあるんだから、どこにもいかないよ。ね?」
素直にこくんと頷くジェラールの姿に身悶えそうになるのを堪えて、お水を少しずつ飲ませた。
「ジェラ、おかゆ食べられるかな?」
「いやない」
「でも、食べないとお薬も飲めないし、早く良くならないよ。少しだけでも食べてごらん」
「すこし」
ジェラールの手が私の洋服を掴んでいた。おかゆを作りに私がここからいなくなると思っているようだ。もしかしたら、おかゆをいらないと言ったのも私がいなくなるのを心配してのことかもしれない。
「ジェラ。私はどこにもいかないよ。おかゆはね、ノアンさん、料理長に作って貰っているし、出来たらメイヤが持って来てくれることになってるの。だから、大丈夫よ」
「メイヤ?」
「メイヤはね、私の侍女でお友達なの。優しい人だから、ジェラも仲良くなれると思うよ」
私がいなくならないと納得したのか、洋服から手を放した。それでも、どこか不安げなジェラールに苦笑した。
「これならどう? これでも不安になる?」
ジェラールの手を包み込むように両手で握った。
ジェラールは嬉しそうに繋がれた手を見て、ふるふると首を振った。
「ちょっとジェラ、熱がどれくらいかおでこ触らせて」
ジェラールのおでこを触ろうと手を放そうとするが、ジェラールはそれを拒んだ。
「ジェラのお熱がどれくらいかなっておでこに触るだけよ。それが終わったらまた手を繋ごう?」
名残惜しそうに手を放したジェラールは、今にも泣き出しそうだ。
私はジェラールのおでこに自分のおでこを押しつけた。
「大分下がったみたいだけど、まだ少しあるかな。今日は一日寝てないとダメだね」
ジェラールの瞳を覗き込みながら語りかけた。ジェラールの瞳がまん丸と見開かれている。
「あぁりの目、くちゅいてる」(あかりの目、くっ付いてる)
「本当? ジェラの目もくっついてるみたい」
微笑んで、おでこを放すとそこにそっとキスをした。
あなたは愛されている、だから、安心して……。
こんにちは。いつも読んで頂き有難うございます。
私事ではございますが、今週の木、金曜日及び来週の木、金曜日は夏期休暇のため、投稿をお休みさせて頂きます。また、場合によっては明日の投稿も出来ないかもしれません。