第15話
目覚めは突然訪れた。
特に物音がしたとか、悪い夢で飛び起きたというわけではなく、まさにぱちりと目が覚めたのだ。
私の腕の中には小さな温もりがあり、スヤスヤと気持ちよさそうに寝息をたてていた。
昨日、私はジェラールをここまで運んで、結局私も寝てしまったんだった。だが、私はジェラールと同じベッドではなく、ジェラールのベッドに頭だけを預けて寝てしまったはずだ。
自らがベッドに入ったとは考えられない。あの時、意識がなくなる間際に聞いた声の主が私をベッドに寝かせたんだろうか。しかし、あれは私が見た夢だった筈なのだ。
結局昨日、私はジェラールにご飯を食べさせるのも忘れて朝まで寝てしまったのだ。
「メイヤが心配してるかも」
何も知らないメイヤは、いくら待っても戻らない私を心配したかもしれない。だが、私がジェラールのところにいるのは知っている。もしかしたら、私を心配して見に来たメイヤが私をベッドに寝かせてくれたのかもしれない。ただ、メイヤに私を抱き上げる力があるだろうか?
どっちにしろメイヤには謝らなければ。
寝起きに一度に頭を回転させたので、少し頭痛を感じた。側頭部を抑えながら、ベッドからそっと抜け出した。
変わらず聞こえる寝息に安心して部屋を出た。取り敢えず自室に戻り、お風呂に入ろう。メイヤがいてくれるといいけど。私には風呂のはりかたが分からない。日本のものとは違うのだ。メイヤにやり方を教わって、自分で用意したいと申し出たが、メイヤに一蹴されてしまった。
「ただいま戻りました」
誰かがいるとは思っていなかったが、日本にいたときの名残か知らず口をついて出てきてしまう言葉だ。
「お待ちしておりました、あかり様」
「うわっ」
扉を開けたら、目の前に仁王立ちしたメイヤがいた。しかも、般若の顔で。
「おはよう、メイヤ。いや、あの、ごめんね? 心配させちゃったかな?」
メイヤの目が細められ、迫力を増していた。
「ええええ、心配しましたとも。誰かにさらわれたんじゃないか、何らかの方法で元の世界に戻られたんじゃないかと。私はジェラール殿下の部屋を訪れることを許されていません。ですから、安否を確認することも出来ない。厨房に顔を出せば、夕方に現れるあかり様が今日はまだ来てないと言う。生きた心地がしませんでした。ブラウリオ殿下が教えて下さらなければ私は……」
「リオが? なんて?」
ここでリオの名前が出てくるとは思わなかった。
「あかり様は、ジェラール殿下と寝てしまったので、こちらには戻れないだろうと」
「リオがそう言ったの?」
「はい、そうです。そう言ったブラウリオ殿下は大層嬉しそうでした」
まさか、私が夢だと思っていたあの感覚は、あの声はリオだったというのか。
確かにあの声はリオのものだった。けれど、期待してそれを否定された時の落胆を考えると、夢と結論付けることで折り合いをつけたのだ。
嬉しかった。だが、私の気持ちに答えられないくせに期待を持たせることはしてくれるな、とも思った。
「そっか」
お礼はしたいと思う。日本人としてそれが礼儀だと考える。けれど、もう関わるべきでないとしていたのだ。
心が揺れる。会いたいけれど、極力会うべきでないのだ。
失礼にあたるが、誰かにお礼を伝えてもらおうか。
「メイヤはリオとよく会ったりする?」
「いえ、会うことは滅多にありません。どうされました?」
何でもない、と頭を振った。メイヤに頼んでみようと思ったが、会わないのであれば仕方ない。エロイに頼むと、詮索されるからイヤなんだよな……。
「あかり様。そういえばチェスはどうしたのですか?」
「ああっ、しまった。忘れてたっ」
庭園で自由に遊ばせていたんだった。
「メイヤ。ちょっとチェスを迎えに行ってくるよ」
戻ってきたばかりの自室を出て、走りだした。
朝もまだ早い時間。廊下をすれ違う者は皆無だ。日の光が射し込んで、兄ちゃんに見守られているようで心が安らぐ。
私の名は灯里、兄ちゃんの名は光。光を見ると、兄ちゃんを思い出す。それらは兄ちゃんそのものであるように、幼い頃から思っていた。
朝の光の中で走るのは気持ちが良かった。
軽快に弾む息が自分が生きていると教えてくれているような気がする。
庭園には誰もいるわけはなく、ずんずんと昨日ジェラールと遊んだ場所へ急いだ。
キーキーと、チェスが騒ぎ立てている声が聞こえた。一体何をあんなに騒いでいるんだろう。まさか、大きな獣にでも襲われているんじゃ。
私はぐんとスピードを上げて、芝生の場所に飛び込んだ。
「チェスっ。大丈夫よっ。私が助けるっ」
開けた場所で叫んだので、声が広がって消えていった。
「お早うございます、あかり。何から助けるんですか?」
チェスと一緒にいたのは、今最も会いたくて、会いたくない人だった。
「リオ。えっとおはよう。どうしてここに?」
「部屋の窓からチェスが一人でいるのが見えたものですから」
リオが指差した窓を見た。なるほど、あそこからならここが見えるだろう。
こんな時に会うことになろうとは思っていなかった私は、咄嗟にどう対処していいのか分からず、口をつぐんでしまった。
チェスが私の肩の定位置に登り、非難めいた鳴き声をあげる。
「ごめんね、チェス。悪気はなかったんだけどね。今日はランチを奮発するから許してっ」
チェスの柔らかい毛を撫でると、気持ち良さそうに喉をならしている。
どうやら機嫌を直してくれたようだ。
「あのさっ、リオ」
顔を上げてリオを見て、私は固まった。
「……リオはズルい。そんな目で見ないでよぉ」
そんな切なそうな瞳を私に向けないで。私はバカだから期待しちゃう。ほんの少しの希望さえ見つけて、自分の良いように解釈して夢見てしまう。
「私はあかりが好きです。私だって止められません。あかりには迷惑はかけませんので」
「ズルい。そんなこと言うのはズルい。傍にいたいよ、リオ。傍にいたい……」
私は初めて人を好きになるということを知った。あまりに切なくて、痛くて崩れ落ちそうになった。それでも心の底から愛しいと思った。
「私は本当にズルいですね。でも、あなたが他の誰かと親しそうにしている姿を見るのは耐えきれないのです」
昨日、あの窓から私とエロイの姿を見たのだろうか。そのことを言っているのだろうか。私が親しくしている人間と言えばエロイくらいなものなのだし。
「じゃあ私はどうすればいいっていうの?」
「私の傍にいてください。あなたが元の世界に戻るその日まで」
「……後悔しても知らないよ?」
「あかりといられるのであれば、後悔などしません」
私は後悔しないだろうか。1年後に戻るとき、私はどうなっているだろうか。
正直、そんなの分からない。でも、分かっていることはある。私はリオのそばにいれないことが、この1週間すごく辛かったということ。
「恋は盲目とはよく言ったもんだね。うん、悩むなんて出来ないんだよね。もう、心は決まってるの。だってリオが好きで仕方ないんだもの。傷ついても良い。苦しくても良いよ。私はリオの傍にいる」
未来を思えば怖くもある。離れなきゃならない運命でも、今というときを離れてはいられない。
私は恋に溺れた女にすぎないのだから。