第13話
「兄上と結婚するんだってな?」
「はぁ?」
エロイが言った言葉が理解できなかった。
「兄上と結婚するんだろ?」
どこか不機嫌そうに問い詰めるエロイに狼狽していた。
そんな話、知りませんけど……。
「何それ?」
「兄上とお前が結婚すると聞いた。違うのか?」
驚き、絶句している私を見て、エロイも狼狽しているようだ。
「そんな話、聞いてない。私はただ……」
リオが好きなだけだ。好きだけど、異なる世界にすむ人間だから、とこれ以上の進展は避けようと決意したばかりなのだ。
「誰が言ったの?」
「父上が、そう言っていた」
「どういうことか聞いてくる。ジェラをお願いっ」
なぜ国王がそんなことを? 意味が分からない。国王は私の気持ちを知っていたのか? だから、結婚などと言い始めたんだろうか。
驚く視線を気にも止めず、私は城の中を疾走していた。
「聞いたからだ」
「何をですか?」
国王の執務室で、社長室の椅子を連想させる大きな椅子に座る彼の人を、机を両手につき、詰め寄るように見下ろしていた。
「息子の気持ちをだよ。息子は君を好いている。それは会った瞬間から気付いていたが、君も息子を好いてくれているようだと聞いてね。何か不味かったかな?」
「不味いでしょうよぉ。私は1年後には元の世界に戻るんですよ。結婚なんて出来るわけないじゃないですかっ。せっかく諦めようと決心したのにっ」
余計なことを。いくらリオが私を好いていようと、そう好いていようと、え、好いていようと?
「あの、さっきなんて言いました?」
「不味かったかな?」
「違いますよっ。リオがなんて……」
「ああ、息子は君を好いている、と言ったんだよ」
「ウソですか?」
そんなのウソに決まっているよね。だって、リオは私を避けていたじゃないか。避けていたということは、私の存在が迷惑だってことじゃないか。
違うの?
「私が嘘を吐くわけがない。嘘だと思うなら、聞いてみるがいい。彼女を連れていってやれ」
壁ぎわに控えていた従者に指示を与えた。
おい、待てっ。私はまだ行くなんて一言もっ。そんなことほいそれと聞けるもんじゃないんだよ。しかも、あれから会ってないんだから、どんな顔していいのかも分からないっていうのに。
「ご案内いたします。あかり様」
丁重に促されて、行きませんとは言えない状況だ。いや、行かないと言うことは出来るだろう。けれど、リオの真意を知りたくもあった。
結局私はリオのところに連行され、渋る私の代わりにノックまでしていただき、リオの執務室の中まで送り届けられてしまった。
「リオ」
「あかり。父上が勝手なことをしてしまってすみません。そのことで来たんですよね?」
従者や侍女が促される前に部屋を出ていく。
素直に頷き、口を開いた。
「リオ。本当?」
「父上に聞きましたか?」
再びこくりと頷いた。
「リオは私の気持ちが迷惑なんだと思った。ずっと私を避けていたから。でも、違うの? 私のことが好きなの?」
「私はあかりが好きです。避けていたのは、自分でもどうしたらいいのか分からなかったからです。あかりは1年後には帰ってしまいますから。これ以上好きになれば辛いだけです。だから、会わなければいいんだと思いました」
同じだ。私が考えていたことと全く同じだ。
悲しくて、笑いたくなった。泣いたって笑ったってどうにもならないというのに。
「私たちの結婚は取り下げさせますから、安心して下さい」
「……私はリオを好きでいちゃダメってことでしょ。私はリオの前に姿を現しちゃダメってことでしょ。じゃあ、この気持ちはどこへ行くの?」
行き場のない気持ちをどこへ向ければいいんだろう。好きな人がすぐ傍にいるのに、その人も私が好きだと言ってくれているのに。
会えなかった一週間が、余計に恋心を膨らませてしまったように思う。少しずつ積み重なった恋情が、私の胸をちりちりとさせた。
「ごめんなさい。私がこんなこと言っても困らせるだけだよね。私の気持ちはきっと消せないけど、リオに迷惑はかけません」
それだけ言い切って、私は部屋を飛び出した。
我慢しろ。我慢しろ。涙はまだ、見せるな。
人気のない場所に辿り着いた途端、大粒の涙がぽたりぽたりと流れ落ちた。
失恋したんだ、私。
生まれて初めての告白、生まれて初めての失恋。
こんな時、兄ちゃんの不在が私を不安にさせた。兄ちゃんには何でも話してきた。楽しいことも悲しいことも苦しいことも嬉しいことも、全て。兄ちゃんに話せば、それだけで心を落ち着かせることが出来る。兄ちゃんは私の精神安定剤だったんだ。
その兄ちゃんが今はいない。
「兄ちゃん……」
口に出してみたら、それに呼応するように何かに包まれたような気がした。温かくて、安心感のある兄ちゃんの気配。
兄ちゃんが私を案じてくれている。その思いが遠く離れたこの地へも流れてきている。
兄ちゃんはいる。ここではない世界に。でも、この世界にいないわけじゃない。そう考えたら、力が沸いてきた。
兄ちゃんの姿が見えないのは、辛くて苦しい。けど、兄ちゃんはきっといつまでだって私の帰りを待ってくれる。
「泣いてちゃダメだ。兄ちゃんに笑われる。今、私が出来ることをしなきゃ」
私に出来ることは、ジェラールのお世話。ジェラールがいらないって言うくらい愛情を注ごう。イヤって程愛を知らしめてやろう。
「こうしちゃいられんっ」
乱暴に頬に伝う涙を拭い去ると、歩き出した。始めはゆっくりと大股で、そのうち逸る気持ちが私を走らせた。
今すぐに、ジェラを思い切り抱きしめたかった。あの愛しい存在を胸に収めたかった。
「ジェラっ」
庭園で先程と同じように遊んでいるジェラールに、勢い良く抱き付いた。ジェラールは苦しいのかもぞもぞと腕の中で暴れる。
「私ね、ジェラのことが大好きだよ。いっぱいいっぱい好き。私は1年でこの世界からいなくなっちゃうけど、それまでうんと沢山一緒に過ごそうね」
ジェラールを閉じ込めていた腕を解放し、丁寧にその小さな頭を撫でる。
「あ……」
ジェラールが口を開き、言葉を紡ぎ出そうと一生懸命だった。言葉を出そうとするも、上手くいかずもどかしそうに眉を顰める。泣き出してしまいそうだが、懸命に頑張ろうとする姿を見ていると、無理をしなくていいとは言えなかった。こんなに頑張っているんだ、気のすむまでやらせてあげよう。
「あーり」
「うん、あかりだよ」
「あーり、ああーり、あかーり、あかっり……」
何度も何度も私の名前を呼び続けるジェラール。上手く言えるまで何度でも何度でも挑戦する姿に、こちらの涙腺が危ぶまれた。
「あかりっ」
「うん、上手。言えたね。凄いね、ジェラ。偉い偉い」
「あかりっ、……ちゃや……」
「ちゃや?」
「ちゃ……やっ」
何を言わんとしているのか、分からなくて首をかしげると、伝わらないことが悔しいのか唇を噛み締める。
「やっ、ぃちゃ……やっ」
「行っちゃ、ヤだって言いたいの?」
目尻に涙を溜めながら、こくんと頷いた。
「私に行かないでって言ってるの?」
「イヤっ。あかり、いぃちゃ……やっ。あかり、いるっ」
小さな男の子が私を引き留めようと、一生懸命に言葉を繰り出すその姿に、私は堪え切れずに涙を流した。