第10話
「あ、そうだ。リオっ」
用事を思い出し、振り返るとリラは先程と同じ位置で、こちらを向いたまま止まっていた。
「リオ? どうしました? 具合でも悪いんですか?」
驚いて駆け寄り、リオを覗き込んだ。
「いいえ、大丈夫ですよ。それより、私に用があったのでは?」
いつもどおりのリオに戻ったのを見届け、私は首を傾げた。
「あ、そうそう。あのね、ジェラのことなんだけど、あの部屋から出してもいい? 散歩をさせてあげたいなって思ってるんだけど」
「いけません。それは、許可できません」
眼鏡の奥の瞳がぎらりと厳しく光った。眉間には皺が寄り、口はへの時に結ばれている。
「どうしてですか? あんなところに閉じ込めておくなんて、非衛生的です」
子供にそんなことを強いるなんてどうかしている。
「ジェラールの存在が他者に知られてはならない。ジェラールは産まれてきてはならない子供だったんです」
「それは誰が言ったんですか? 誰がそんなくだらないこと考えてるんですか? リオもそう思っているの?」
なんて悲しいことを言うんだろう。
産まれてきてはならない子供なんて、いるべきじゃないんだ。どんなことがあってもそんなふうに考えるべきじゃない。
子供は敏感だから、すぐに気付く。自分は産まれてきてはいけなかった子供なんだと、必要とされない子供なんだと。
「この国にとってあの子はいてはならない存在です。ですから、この城の一部の人間しか知らない」
王城の人間は私がジェラールの家庭教師だと認識している。
私を知る人もまた、一部の人間でしかないということなのか。
「あなたがジェラールの家庭教師だと認識している人間と、ディアナの家庭教師だと認識している人間とがいるということです」
「紛らわしい」
「もっともですね」
そこまでしてなぜ隠さねばならないのだろう。
「そこまで深く関わらない方がいいですよ。なにも考えずにあなたがなすべきことをすればいい」
なんだろう。イライラする。
「リオ。事情は知らないし、聞きたくもないっ。私は他人で人の家族にあーだこーだ言うのはただのお節介でしかないけど、敢えて言わせてもらうよっ。あんたたち、間違ってるよ。ジェラがどんな子だったとしても、存在しちゃいけないなんて言っちゃダメなんだ。ジェラが王妃の不倫で産まれた子だったとしても、その相手がかなりマズい人だったとしても、ジェラ自身に変な能力があったとしても……」
当てずっぽうだったんだけど、リオの表情が私の一言ごとに青白く変化していく。
おいおい、図星かよ。
それにしても、リオはクールガイのくせに、顔に出るタイプだな、こりゃ。
「相手は王族……じゃなくて、神に携わる職についているもの……」
どうやら神に携わる職についている人物らしい。
王族がこんなに簡単に秘密をバラして(バラしたわけではないけど)しまっていいのか。
「リオ。あんた、次期国王なんじゃないの? 私がこんなこというのはなんだけど、向いてないと思うよ」
落ち着いて、冷たそうに見える。エロイより国王の器だと思っていたが、見かけ倒しだったか。
「次期国王はエロイですよ。私では国王は勤まらない」
少し肩を落としてそう言うリオ。なんだかリオが不憫に見えてきた。
「まあ、気落ちしないでよ。国王なんかになったって別にいいことなんてないだろうよ。気苦労が増えるだけだよ」
「それは……慰められているんでしょうか?」
「まあ?」
ジェラールの話を、しかも説教まがいのことをしていたのに、いつのまに話は脱線していた。
「いっけね、ジェラールのご飯作りに行くところだったんだ。ねぇ、リオ。暇? まだ話聞きたいから一緒に来て」
一応訊ねてはいるものの、返答は受け付けず、リラの腕を取り、歩きだした。
「ノアンさんっ。また、調理場とあと食材も借りるねっ。んでさ、この国の麺てどんなのがある?」
「ああ、構わないよ。おや、今日は珍しい御方が来たもんだ。久しぶりだね、坊っちゃん」
「えっ、坊っちゃん?」
「ノアン、いい加減その呼び方は止めてください。ノアンは、私とエロイの乳母だったんです」
前の言葉はノアンへ、後の言葉は私に向けられた。
それはいいことを聞いた。これから二人の弱みをこっそり聞き出せそうだ。
「いや、止めてください。それだけは」
「私まだ何も言ってないけど」
「言わなくても分かりますよ」
「あ、そう? まあ、いいや。それよりノアンさん。どんなのがあるのかな?」
ノアンさんもお昼時で忙しそうで、手を患わせて申し訳ない。だからこそ、さっさと聞いて、自分の与えられた一角に逃げ込もうと思うのだ。
「この世界にある麺は、一通りここに揃えてあるからね。何でも好きに使いなよ」
料理がイタリア風なだけあって、パスタが主だった。というかパスタしかない。
「ありがとう、ノアンさん」
パスタの種類によって容器に分けられていた。適当な太さのパスタをざっと掴んで、自分の定位置になるであろう場所に立った。
「きのこの和風スパゲッティにしようかな。と、きのこきのこっと」
パスタを置くと、再びそこを離れた。
今朝、野菜の保管場所はノアンさんに教えて貰っていた。
種類ごとに大きなザルのようなものに入っている。その中から、エノキとしめじ、椎茸に似ているきのこを調達して戻ってきた。
「リオは包丁使える?」
「イヤ、持ったこともないですが」
「うん、じゃこれよろしくね」
「出来ないと言っているじゃないですか」
「いい機会でしょ? 何事も経験するのが一番だよ。さ、やったやった。これを細切りにして。こんな感じに」
少しだけ実演して見せて、椎茸もどきをリオに押し付けた。戸惑って椎茸もどきを眺めていたが、私が無視して違う作業に忙しく動いているのを見て、諦めたように手を動かし始めた。
チラッと見れば、危なかしい手つきながら一生懸命に頑張っていた。
リオのその姿がなんだか可愛らしく映った。
「一つ聞きたいんだけど、この国で神に携わる職についている人は、結婚はしちゃいけないとか、女性と関係を持っちゃいけないとか、そんな決まりがあるのかな?」
日本ではあまり気にはならない。仏教、ようはお坊さんたちは普通に結婚しているようだ。神父さんはどうだっただろうか? あまり接点がないので分からない。一番初めにパッと浮かんでくるのはシスターじゃないだろうか。シスターは神に身を捧げているんだったよね。
そういうことがあるんだろうか。
「……彼は神官でした。この国では、神官が女性と交わることは禁じられています。その事実が知られれば、その者は神の裁きを受けることになっています」
「裁き?」
「裁きと言っても、誰かに処罰されるわけではなく、煩悩に負けた自らの命を神に捧げ、許しを請うんです」
切腹。
そんな言葉がパッと浮かんできた。
言ってることは立派だが、ていのいい自殺だ。
「ジェラの父親は……」
「神に命を捧げたことになりますね」
ジェラールを残して逃げるように死んだようにしか、私には思えなかった。
無責任に子供を作っておいてなにが、自分の命を神に捧げるだ。
その命をかけて女、子供を守ってみろ。その方がうんとカッコいいんだ。