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第1話

 真っ暗闇のその先に一体何が待ち受けているんだろう。

 迷いのない足取りは僅かに軽く、後ろについてくる気配は戸惑いがちだ。

 気分は悪くない。

 非日常を感じるのは嫌いじゃない。これから何が起こるんだろうと思えば、胸は否応なく高鳴る。


 その日私は、大好きで憧れの『佐々倉さん』のお宅に兄ちゃんと共に訪問していた。

 『佐々倉さん』というのは、兄ちゃんが勤めている会社の若き社長さんで、金持ちで顔も良く、性格もいいという女性にモテる要素を存分に所持しているお方なのだが、なぜか彼女を作らないという不思議な人だ。

「しゃしゃくらシャン。ろうちてかろじょをつくららいんれるかぁ? らんららあらしがかろろりらっれられらるら? ダハハハハーダ。あん、ラーリン。そんられれみららいやん(佐々倉さん。どうして彼女を作らないんですか? なんなら私が彼女になってあげようか? ダハハハハーダ。あん、ダーリン。そんな目で見ちゃイヤン)」

 ワインをたらふく飲んで呂律の回っていない私をイヤがりもせず、ニコニコ笑ってさりげなくかわす佐々倉さんは流石だと思う。そんなことを考えられるほどには、頭は酔ってなどいなかった。体の方は完全に酔いが回ってはいたが。

「ああ、酔った灯里も可愛いなぁ。ね、可愛いでしょ社長?」

 酔いの回った妹を嗜めるでもなく、デレデレになっている兄ちゃんは相当シスコンだ。

「ホントに、可愛いね。でも、俺には普段の灯里ちゃんとあんまり変わらないように思うけどね」

「ありらろうろらりらす。あらり、ろいれろろらりりらりらる(ありがとうございます。灯里、トイレをお借りいたします)」

 佐々倉さんにぴしりと敬礼をすると、回れ右してふらりふらりと歩き始める。

「一人で大丈夫? 灯里ちゃん」

 返事の代わりに手をぴらぴらと振って答える。

 足元では、ふわりふわりと一歩ずつ彷徨う私の足を機敏に避けてついてくるペットがいた。私のペットであり、相棒であるチェスはリスザルだ。

 私の足を避けることをゲームのような感覚で楽しんでいたチェスだったが、それに飽きたのか定位置である私の肩に飛び乗った。

「ありり、ここはろこれすかねぇ?」

 千鳥足で真っ直ぐトイレに向かっていたはずだが、気付けば知らぬ場所へ潜りこんでしまったようだ。

「ううっ、トイレはろこっ」

 ゆっくりとしか歩けない私は、もう我慢の限界に来ていた。

 この広い屋敷の中、運良くその辺にトイレがあるかもしれないと、手当たり次第にドアノブを回す。

「おやっ? これはこれは」

 私が開けたそのドアは念願のトイレではなかったが、地下へと降りる階段と、下へと続く闇、それから下から突き上げてくる冷たい風が私を迎えた。

 これは、この下にはワインセラーがあるかもしれないと思った途端、私の尿意は完全に消えた。それと引き替えに芽生えたのは、好奇心と欲望。

 佐々倉さん秘蔵のワインをこっそりいただきたいという好奇心という名の欲望だ。

 勿論、人様のワインを勝手にいただいちゃいけない、と止める気持ちもないではなかった。だが、既に酔いの回っている私には、そんな常識的な判断は海辺の砂のように簡単に流されてしまった。

「おらまします(お邪魔します)」

 小さく呟く。その言葉を言い終える前に足は階段にかけていた。

 壁に手を這い、電気のスイッチを探したがどこにもそれらしきものは何もなかった。

 けれど、ふと足元を見ればほんのりと灯りが灯っている。足元さえ見えれば電気など必要としない。

「行っれみようか、チェス」

 そう問いかければ、肩の上で飛び跳ね、キーキーと喚いている。その鳴き声は、止めておけと言っているように聞こえたが、私の足は下へ下へと運んでいく。

 戻った方がいいのは、直感的に分かってはいた。だが、あまりに大きい好奇心が、私を突き動かしていた。

 完全に階段を下りきると、先の見えない通路が続いている。両壁沿いに灯された光が徐々に窄まり、点となっている。この通路の終着点は相当遠いことを物語っていた。

「行くべきかぁ、行かざるべきかぁ」

 その通路の先を睨み付けて、呟いた。この通路がどこに繋がっているのかは定かではない。もし、このまま進んだならその答えは明らかになる。だが、この距離を行って戻って来るとなると相当な時間を有し、兄ちゃんや佐々倉さんに心配をかけてしまう。

「戻ろう」

 踵を返し、階段を上ろうと足を上げたが、足は着地する前に何かに遮られた。

「いっった」

 直角に曲げた膝をしこたま何かにぶつけた。暗いから良く分からない。だが、今、まさに降りて来た階段がないのだけは確かだ。

 手を前に突き出し、空間を確認する。

「壁?」

 痛みにもはや酔いも冷めてしまっていた。目の前に突如現れた大きな壁。前後左右に手を動かしてみるが、そこには壁だけが存在している。少しひんやりと、ざらりと感じるそれは間違いなくコンクリートの壁だった。

「ちょっ、この壁……動いている?」

 まるでくすぐったそうにその壁がうねうねと波を打っている。驚きにぴたりと手を止めると、壁の動きもぴたりと止まった。再び動かすと、うねり、止めると止まる。

「あんた、生きてんの?」

 非現実的なことは信じないようにしているが、今まさに目の前にしているこの壁はまるで某アニメに登場している妖怪のようではないか。

「ねぇ、私戻りたいんだけど。そこどいてくんない?」

 通せんぼをするように、胸を反らせる壁に私は嘆息した。

「この先は通さないって?」

 壁が前後に揺れた。頷いているようだ。

 この壁が私の前を塞いでいる限り、兄ちゃんのもとに戻ることは出来そうにない。壁は見事に隙間なく通路を塞いでおり、退路は断たれた感じである。残す進路は永遠に続くと思わせるその長い通路だけだ。

「ねぇ、壁ちゃん。この長い通路の先には面白いものが待ってんの?」

 この先に何があるか。こんな長い通路を歩いて辿り着いた先は、ワインセラーか。それとも、どこかに続くただの秘密の通路か。はたまたそれ以外か。

 何にしろ、退路を断たれた私に残された選択肢は一つしかない。

「仕方ないな。行きますか。壁ちゃんが案内役なんでしょ?」

 壁が再び前後に揺れた。

 何だろう。行く手を阻む邪魔な奴なのに、なんだか憎めない。

 まあ、私にはチェスがいるし、壁ちゃんもいる。真っ暗闇ってわけでもない。

 チェスが腹いせなのか壁ちゃんを爪でひっかいている。壁ちゃんが痛そうに身をよじっているが、チェスはそれだけでは気がすまないのか、キーキーと喚いている。

「チェス。それくらいにしてやんな。可哀想でしょ」

 気配で分かる。壁ちゃんがめそめそと泣いている。どうにも同情してしまう私は甘いだろうか。

 自分の甘さ加減を振り払うように私は足を踏み出した。

 真っ暗闇のその先に一体何が待ち受けているんだろう。

 迷いのない足取りは僅かに軽く、後ろについてくる気配は戸惑いがちだ。

 気分は悪くない。

 非日常を感じるのは嫌いじゃない。これから何が起こるんだろうと思えば、胸は否応なく高鳴る。

 肩に乗り、不安そうに私をちらちらと窺い、ほんの少し震えているチェスを撫で、微笑んでみせる。

 目指す先は闇しか見えない。だが、その先は楽しいものだと信じて私は歩を進める。

 それが、私の物語の始まりだった。

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