飽和する幸運
「という感じで、なんかすごいついてるんだよ!」
そうして精密検査も終えて無事退院した沙綾は翌日の放課後、友人二人にこれまで経験した『幸運』の話をした。
夕暮れを迎えた住宅地の道すがら。沙綾は友人二人の前を歩く形で、家路に就いていた。周りに沙綾達以外の姿はない。わいわい騒いでも、そこまで白い目では見られないだろう。
「……………」
「……………」
なのに話を聞かされた由香と千歳は、黙ってしまう。
由香は無表情で何か考え込んでいて、千歳は苦笑い。二人とも、沙綾の話に納得していない様子だ。
思ったのと違う反応に、沙綾は首を傾げる。
「いや、なんで黙るのさ。すごーいとか、羨ましーとか言ってよ」
「へ? あ、えと、す、すごーい?」
「あからさまに気持ちがこもってない!」
千歳のぎこちない褒め言葉に、渾身のツッコミ。言い方はふざけたが、どうにも納得出来ない。
別に、真面目に受け取ってほしかった訳ではない。
しかしこうもぎこちないと、話題に出したこちらに問題があるような気がする。神社で幸運をもらったやったー! というだけの話なのに。
戸惑っていると、由香が小さくため息を吐いた。それから沙綾の方を見据える。
「……あのさ、前から思ってはいたんだけど」
「え。何々?」
由香からの話に真剣味を感じ、振り向いた後に足を止めた
瞬間、背後からグシャアッと派手な音が鳴る。
驚き、恐る恐る後ろを見れば……大きな木の枝が、道を塞いでいた。
どうやら近くの家の庭木から、枝が落ちてきたのだろう。枝は中々の大きさで、頭を直撃すればそこそこの大怪我になりそうだ。
立ち止まらなければ、程度の差はあれ怪我をしていたかも知れない。由香が話し掛けてくれなければ、きっとそうなっていた。
「へ、へへへ。これも幸運ってやつ? すごくない?」
余計な心配をさせたくない気持ちもあって、沙綾は自分の幸運をアピールする。
由香と千歳は、黙ってしまった。由香など思いっきり苦々しい表情を浮かべ、千歳からも笑みが消えている。何故そんな顔になるのか、させてしまったのか分からなくて、沙綾も顔が強張ってしまう。
「そ、そーだ! みんなもまた幸来神社に行こうよ! 今度こそ全員で触って幸運を……」
それでもどうにか明るい話題を出そうと、三人で出掛けようと誘う。
「いい加減にして」
由香の答えは、声色だけで分かるぐらい強い拒絶だった。
「え? えっと、由香……?」
「アンタ、本当に気付いてないの? それとも見て見ぬふり? 別に前者だとしても間抜けだとは思わないけど、友人がこうなると結構本気で苛つくわね」
それに対する由香の返答は、本気で呆れと怒りが混じっていた。
呆れるなら兎も角、怒られるとは思わなかった。沙綾は目を丸くして、キョトンとしてしまう。由香も、自分が思ったより感情を出した事に戸惑うように、少し目を逸らす。
「え、えと、由香ちゃん、落ち着こう? いきなり言われても、沙綾ちゃんも戸惑っちゃうから。ね?」
千歳が間を取り持つように声を掛け、由香はまたため息を一つ吐く。小さな仕草だが、気持ちの切り替えは出来たのだろう。
由香は沙綾と向き合い、今度はハッキリと告げてきた。
「アンタ、幸運どころか不運に見舞われてるって認めなさいよ」
沙綾の認識が、間違っていると。
言われたが、沙綾はその言い分を理解出来ない。
だって、幸運なのは明らかなのだから。
「……い、いやいやいや? 何言ってんのよ。私、ちょーついてるじゃん?」
「何処が?」
「だってほら、今だって落ちてきた枝に当たらずに済んだし」
「枝で道が塞がって通れなくなっただけじゃない」
「え、英語の小テストの山が当たったし」
「本当に幸運なら抜き打ちテスト自体受けずに済んでるでしょ」
「通り魔に襲われなくて済んだし」
「それで遅刻したじゃない」
反論しても次から次に否定され、沙綾はついに言葉を失う。
そう言われたら、確かにそうかも知れない。
そうかも知れないが、認められない。自分が不運だなんて思いたくない。
「わ、私が不運なんて、変な事言わないでよ! だって、幸来神社のご利益まで受けて……」
「そもそも、そのご利益が怪しくない? あの神社で御神木に触れた時から、露骨に不運じゃない。財布を落としたとか、なんだとか」
「そんな事ない! だって、じゃあ……」
反論しようとして言葉に詰まり、そして沙綾は思う。
なんで、こんな必死になって否定しているのだろうか。
喚いて拒絶するような話ではない。由香の話は、ついてる訳じゃない、と言ってるだけ。確かにそうかも、と認めれば終わるだろう。
なのにどうしてか認められない。
「……まぁ、だからどうしたって話ではあるけど」
自分自身の内心に困惑している中、由香は話のトーンダウンを試みたのか。大した事ではないと、そんな物言いをする。
そう言われて、沙綾は気付く。
だからどうした。そうだ。だからどうしたなのだ。これが不運だったらなんだというのか。
不運だったら、また御神木に触らなくては。
「(あれ……?)」
それでいいのか? 自分の考えが、何かおかしい気がする。
おかしいと思うのに、じわじわと考えが頭の中を満たす。不運なら幸運になるべきだ。幸運になる方法は一つだ。幸運にならなければきっと不運に見舞われる。
不運になったら、今まで経験した「不運にならなかった」事も、現実になってしまう。
――――それが本当に自分の考えなのか、自信が持てない。無性に心を掻き立てられ、不安で心身が押し潰される。どうにかしなければと思うが、どうにかする方法なんて一つしか思い付かない。
幸運を呼ぶ木に触れる。それしか不運を帳消しにする『幸運』を得る方法は、ないではないか。
「そう、だ。不運なんだから、幸運を招かないと」
「沙綾? どうし……」
声を掛けてきた由香を無視して、沙綾は走り出す。
由香と千歳達は、追ってきているだろうか。
後ろを振り返っていないから分からない。だがあの二人は沙綾と比べて、ずっと体力がない。普通に走っても二人を置いていく事は出来る。
ましてや焦燥感に突き動かされる今の沙綾は疲れ知らず。今までにない速さで、今までにない時間走り続ければ、由香達なんてもう見えない。
何時の間にか、沙綾は幸来神社に辿り着いていた。
夕方を迎えても神社は盛況で、大勢の人が列を作る。並んでいられない気持ちになるが、どうにかそれを抑え込んで列に加わった。すぐに後ろに人が続き、沙綾は人混みの中へと入り込む。
ぞろぞろと進む列。
早く進め、急いで前に行け、ちんたらするな……心の中の悪態が止まらない。もしかすると声にも出ているかも知れない。普段らしからぬ気持ちだと自覚するのに、心の動きを抑えられない。
そんな気持ちだからこそ、なのだろうか。沙綾は気付く。
列を作る人混みの何人かが、自分と同じように焦りを感じさせる顔をしていると。
「(ああ、そう、なんだ。また、幸運になろうと、している人も、いるんじゃん)」
自分だけではない。
その状況に沙綾は安心する。自分だけではない、案外普通の事なんだと思う。
思おうとしている、と言うべきかも知れない。
途中何人かが、我慢出来ず列を無視して前に行こうとする。ただのマナーが悪い観光客ではない。一刻も早く幸運を得たい人々なのだと、今なら分かる。
感情のまま行動した結果を目の当たりにし、沙綾の気持ちは少しずつ落ち着く。それでも駆け出したい衝動はゼロにならず、今にも走りたくなる。
幸いにして、夕方遅くを迎えた今は、前回よりも人の数は少なめ。三十分もすれば御神木の近くまで来る事が出来た。前と同じように二人の巫女がいて、御神木まで来た人々を丁寧に案内していく。
「どうぞ」
「っ!」
ついに沙綾の番が来れば、沙綾は飛び出すように御神木に手を伸ばした。
あの時と同じ、ひんやりとした感触。前よりも冷たいのは、既に夕暮れだからか。
巫女達に案内され、すぐにその手は引き剥がされた。だけど今度は物足りないと思わない。触れた時点で目的は達せられたのだから。手に残る冷たさを染み染みと感じながら、帰りの列の流れに乗って神社から出る。
……そうして一人家路に就けば、何をあんなに焦っていたのかと冷静になった。
由香と千歳には心配を掛けた事も反省する。思い返せば、あの時の自分は随分と錯乱していた。由香の言い分には未だ納得していないが、そもそも幸運だの不運だのなんてオカルト、霊感商法の類ではないか。賢い由香はきっと、そういう事を気にしていたのだろう。
今からスマホでメッセージの一つでも、とも思ったが、ついさっきの事だけに些かバツが悪い。一晩置いて、明日の朝の学校で謝ろうと心に決める。
その前に、家族に怒られそうだが。夕方遅くに神社に寄り道した所為で、帰りがかなり遅くなってしまった。今頃夕飯の時間だ。せめて一報入れていればよかったが、あんな精神状態で家族に連絡するなんて考えられる訳もなく。
せめてもの足掻きと今更メッセージを送ったが、何時まで経っても既読にならない。もう知らないと、スマホなんて見ていないかも知れない。
これは一刻も早く帰らなければ不味い。少しでも早く家に向かう。尤も、疲れ切った今の足では大した速さなんて出せない。
家に着いたのは、二十時近くになってからだった。
「……………はぁー」
かなり酷い怒られ方をしそうだと覚悟を決めて、鞄から鍵を出す。シリンダーに鍵を差し、くるっと回してからドアノブを引く。
ガチャン、と音を鳴らすだけで、ドアは開かない。
あれ? と沙綾は首を傾げる。シリンダーは二つあるのでもう一つも回したが、開かない。最初に回した錠前にもう一度差して回したがやはり開かず、二つ目を改めて回してようやく開く。
二つの鍵を二回ずつ回して、ようやく開いた。つまり、最初から鍵は掛かってなかった。
「……………ただいまー」
身体に感じる寒気を無視して、ドアを開ける。
開いた扉の先には、リビングの明かりに照らされる廊下が続く。
見慣れた景色。だが違和感がある。リビングがあんなに明るいのに、何故声の一つも聞こえてこないのだろうか。弟は何時もやたら元気で五月蝿いし、母も笑い声が大きい。この時間なら父親も残業でもしていない限り帰ってきている筈で、厳つい声で小五月蝿く話していそうなのに。
「た、ただいま!」
もう一度、大きな声で帰宅を伝える。なのに返事も、無視するような団らんも聞こえてこない。
何故? どうして?
疑問から足は無意識にリビングへと向かう。リビングと廊下を仕切る扉は、なんの苦もなく開き、隠し事などないと言わんばかりにその中身を露わにする。
リビングには家族三人、全員がいた。
全員が、リビングの床に寝転がっていた。
母は俯せに、父と弟は仰向けに倒れていた。父と弟の目は見開かれたまま、瞬き一つしない。口は半開き。手足を大の字に広げて、そのまま動かない。
そんな父と弟の口からは、血が溢れている。
三人とも服のあちこちに穴が開いていて、服全体が赤黒く染まっていた。リビングの床には大きな赤黒い水溜まりが出来ていて、足の踏み場がない。
そして誰一人として、胸が全く動いていない。
「……………な、何、してんの? 冗談にしたって、たちが悪いって……」
沙綾は手近な場所にいた、父親の身体を揺さぶる。
揺れる動きに合わせて、胸の穴からどろっとしたものが噴いた。
「ひっ」
思わず尻餅を撞き、沙綾の両手は床に触れた。赤い水溜りはさらっとしていない。ぬるりとしていて、ほんの少し生温い気がする。
それに、顔の位置が低くなって気付く。
鉄臭い。あまり嗅ぎ慣れない、だけど知った臭い。今になって部屋中がその臭いに満ちていると気付く。
ここまで分かれば、沙綾も気付けた。
家族全員、何者かによって惨殺されたのだと。
「い、いやあああああああああああ!? なんで、なんでぇ!?」
気付けば、もう叫ぶ事しか出来ない。
警察を呼ぶべきか。それとも救急車か。何をどうすればいいかも分からない。頭の中には家族の死と血ばかりが満たされ、具体的な行動なんて思い付かない。
ましてやどうして殺されたなんて、探偵でもないのに考えてしまう。
全員がリビングで死んでいるという事は、家族団らん中に殺されたのか。そんな時に殺人鬼が乱入してきたのか。だけどそれは何時? 自分以外の家族がいた時間なんて、普段父親が帰ってくる十九時過ぎから今ぐらいの間しかない――――
そこまで考えたから、沙綾は気付く。気付いてしまう。
これもまた幸運。
殺人鬼が来た時に偶々自分だけが寄り道して家にいなかったという、類稀なる豪運の結果だと。
「は……はは、あは! あはははは! あははははははは!」
自然と、沙綾は笑う。何故笑うのか、沙綾自身にも分からない。
警察が駆け付けたのは、この狂った声を不気味に思った近隣住民が通報した後の、今から凡そ三十分後の事だった。




