恵まれた幸運
二〇二六年三月某日。
その日はあり触れた平日だった。卒業式は済んだが終業式にはまだ早く、多くの学生が学校に通わねばならない時期でもある。
受験や就活のシーズンは終わったので、お願い事をするにはやや遅い。桜の蕾は膨らみつつあってもまだ開かず、梅の花は散っているので見頃でもない。インフルエンザが流行し、人混みに行くのは推奨されない有り様。時間帯も夕方を迎え、かなり冷えてきた。
そんな日にも拘らず、幸来神社は大勢の参拝客で賑わっていた。
混み合っている、なんて規模ではない。人がぎゅうぎゅうとひしめき合い、自由な身動きが取れないほどだ。感染症対策でマスクをしている人も多いが、ここまで密着し合っていたらその効果も如何ほどのものか。
そんな場所に彼女――――宮原沙綾はいた。
「むぎゅぅう……!?」
呻き、苦しむ声を出しても、沙綾の周りから人は減らない。周りの人達も苦しむ声を出しており、ろくに身動きが取れない状況なのだ。
沙綾は二人の友人と一緒に、この神社に来ている。しかし周りに友人達の姿はない。人の動きに翻弄され、二人とも逸れてしまった。
もしくは、逸れたのは自分だけかも知れないと沙綾は思う。沙綾は高校生二年生の女子だが、背はあまり高くない。偶に中学生に間違われる。身体が小さい分力も弱いので、人の流れに負けやすい。自分だけ遠くに流されたという可能性は、十分あり得た。
この状況で合流は無理だろうが、安否ぐらいは伝えたい。
しかしスマホを取り出して連絡するのは無理だ。何しろ身動きが取れない窮屈さ。ポケットから取り出そうとしても、腕を捩じ込む隙間がない。どうにか掴んでも何かの拍子に落としたら絶対に拾えないだろう。
友人達と連絡を取り合うのは一旦諦め、人混みに流されるがまま進む。
……周りの人々はある場所に向かっていた。
それは神社の最奥にある、大きな広間。集まった人々は自然と視線を上向きにし、沙綾も同じく上の方を見遣る。
そうすれば、とても大きな杉の木が見えた。
千年幸樹、と神社が用意したパンフレットには書かれている。この神社の御神木であり、曰く、昔の人がこの木のあまりの大きさ(約四十メートル)を前にして「きっと千年前から生えている」と言ったのが名前の由来らしい。専門家に調べてもらったところ、実際の樹齢は六百から七百年程度のようだが。
名前の方は若干誇大広告気味だが、そんな事は些末なものだ。今、巷で注目されているのはご利益の方。
なんでもこの御神木に触ると、幸運が訪れるという。
……これだけだとあり触れた、何処にでもあるようなものでしかない。インチキ霊感商法でも頻繁に見かける文言だろう。しかしこのご利益、どうやら本物らしい。
きっかけは海外の某インフルエンサーの投稿。この神社を訪れて御神木に触れ、その後母国に帰っていったが……道中で航空事故が発生。乗っていた飛行機が墜落してしまう。乗員乗客はほぼ全員が死亡した。
ところが彼は生還した。座っていた場所が偶々圧壊せず、落ちた場所が偶々木の上で、偶々地面が柔らかな腐葉土で、偶々救助されるまで動物に襲われずに済んだからだ。
あまりにも多くの奇跡に恵まれた彼の下にはマスコミが押し寄せ、『奇跡』の裏話を聞き出そうとした。すると彼は「日本の神社で御神木に触ったお陰かな?」と答えたのだ。
恐らく軽い冗談、或いはしつこい取材に対する雑な返答だったのだろう。ところがその言葉に反応した世界のインフルエンサー達が、続々と幸来神社を訪れた。少なくとも最初はただ話題に乗っただけだったが、彼等からも幸運の報告が相次ぐ。例えば落とした財布が見付かった、盗まれた車が返ってきた、子供の病気が治った――――
そうした投稿を見て世界中の観光客が集まり、マスコミがこれをニュースにして、日本全国で有名になって……という流れで人が集まるようになった。
沙綾も「幸運を招く」という噂を聞いて、後からやってきた日本人である。来年から受験生なので何処かで願掛けしたくなり、放課後に友人達と寄り道開始。どうせ願掛けするならと、偶々近所だった幸来神社にやってきた。
「ぷはっ!」
どうにか顔を上げ、空の空気を吸う。人肌で温められていない、冬の冷たい空気……を期待したがまだ生温い。顔の真正面よりマシな程度だった。
そんな苦しみに悶えながら少しずつ進んでいく。距離にして一キロどころか五百メートルもない筈だが、進むのに一時間以上掛かった。しかしどれだけ掛かったとしても、辿り着いた事には違いない。
「お、おお……」
間近に迫った御神木に、沙綾は感嘆の声を漏らす。
見上げなければならないほど、巨大な杉の木。遠目からも大きいと感じたが、近付くと一層巨大になったような錯覚を覚える。こうも大きいと、昔の人がなんらかの神秘を感じるのも無理ないと沙綾は思う。
今まで感じていた息苦しさも忘れて御神木を見ていたら、何時の間にかすぐ傍まで沙綾は来ていた。我に返ったのは、御神木の前に立つ巫女の人達の声が聞こえてから。
「順番にお願いしまーす!」
「列を崩さないでください! 並んでいれば触れますから!」
……巫女というより、特売セールに群がるおばちゃんを捌くスーパーの店員のようだが。
しかし特売セールと違い、御神木は売れ切れない。言われた通り殆どの人は大人しく並び(大人しくなかった数人は男の人に列から外されていた。人気があるからこその強気の対応だろう)、少しずつ列は前へと進んでいく。
傍まで来た御神木からは、凄まじいパワーを感じられた。
「(いやまぁ、私こういうのすぐ影響されるタイプだからなんだけど)」
勘違いでもなんでも、パワーを感じられるのだ。こういうのは、ご利益がありそうだ、という気分が大事である。
神秘を感じる沙綾はついに御神木の傍まで辿り着く。巫女の人に案内され、その樹皮に手を当てた。
……熱を吸われるような、ほんのりとした冷たさがある。
たくさんの人が触っていたのに、案外温まらないものなのか。その冷たさは、人混みで火照った身体には心地良い。心が落ち着き、何時までも触っていたくなる。
尤も、行列は沙綾の後ろにもずらりと並んでいる。
「はい、終わりでーす。次の方どうぞー」
巫女の指示に合わせて人混みが動き、沙綾は流されるように御神木から引き離された。
なんとも呆気ないお別れ。
木によって冷やされた手の温度も、また人混みに飲まれて温まっていく。こんなものか、という気持ちが、心の奥底で滲み出す。
だけど特別な『幸運』を得たかもという、スピリチュアルな経験は、いい気分転換になった。
「(うん、これから受験勉強頑張ろう)」
そう決心した沙綾は、人混みと共に御神木から離れ――――
「で? 財布なくした訳?」
「あららら……」
ようやく合流出来た友人達に、思いっきり不幸を指摘された。
一人は長い黒髪が特徴的で、目付きの鋭さもあって如何にも『委員長』といった見た目の女子・花村由香。もう一人は栗色のふんわりとした髪が愛らしい、湯崎千歳。どちらも沙綾と同じ高校に通うクラスメイトだ。
「はい……そゆことです……」
「可哀想に。でも大丈夫! きっと落とし物として拾われてるよ」
落ち込む沙綾に、千歳は頭を撫でながら励ます。千歳は何時も優しく、悲しんでいるとこうして声を掛けてくれる。可愛らしさも相まって、男子人気も強い。
「鞄の奥にしまうとか、チェーンの一つでも付けておくとか、そーいう対策をしてないからそうなるのよ」
なお、由香はズバズバと正論を言うタイプ。
無闇に人を傷付ける訳ではなく、罵倒も侮辱もしない。ただ追い打ちは掛けるので、女子だけでなく男子からも煙たがられるタイプだ。友人である沙綾相手にも割と容赦ない。
ただし案外面倒見もよい方ではあるのだが。
「うぐぅ……」
「ほら、呻いてないでさっさと落とし物を探してきなさい。あそこに預かり所があるから、もしかしたら届いてるかも知れないわよ」
由香が指差す先には、そこそこの人集りが出来ている。近くの看板に「落とし物預かり所」と書いてあった。
由香に後押しされ、沙綾は一人で預かり所に向かう。列に並んで数分待った後、自分の番が来たので前に出る。
――――驚くほど分かりやすい位置に、自分の財布が置かれていた。
「あ! 私の財布!」
「こちら、あなた様の財布でよろしいでしょうか? 本人確認したいので、幾つか質問があるのですが」
「は、はい!」
預かり所の職員の質問(名前や財布の中身など、持ち主なら分かっていそうなものだった)を幾つか交わすと、すぐに持ち主だと分かってもらえた。学生証も中に入っていて、顔写真で証明出来たの大きい。
財布や小銭、学生証などもなくなっていない。財布の中身なんて正確には覚えていないが、恐らく被害はないと考えていいだろう。
職員の人にお礼を伝え、沙綾は駆け足で友人達の下へと戻った。
「あった! 財布あったよー!」
「へぇ。すぐ見付かって良かったじゃない」
「これもご利益かも知れないね!」
「えへへ、そうかも!」
「だとしたら、これでご利益を使い果たしたわね」
「えっ? ……はっ!?」
幸運と思ったが、つまらないもので使い果たしてしまった。そう思うと途端に不幸な気持ちになる。
ニヤニヤ笑っているので、由香は意地悪のつもりで言ったのだろう。沙綾は頬を膨らませ、怒りをアピールしておく。
「もー! そう言われたら勿体ない感じがするじゃん!」
「実際勿体ないでしょ。というか、幸運ってどういうシステムなのかしらね。回数制なのか、ゲージ式なのか」
「ゲージってそんなゲームみたいな」
呆れる沙綾だったが、確かにどんな仕組みなのかはちょっと気になる。回数制限があるのなら、確かに財布が戻ってきたぐらいで使うのは勿体ない。ゲージ制なら、あまり気にしなくて良いだろう。
……「別にそんな設定はしてないじゃないかしら?」という千歳の言い分が、一番現実的なのだろうが。
「はぁー。なんかついてんだかついてないんだが、分かんないなー」
「前見て歩きなさい。車に轢かれたけど五体満足で助かる、なんてまたしょーもない事で幸運を使う羽目になるわよ」
ふざけて後ろ向きに歩けば、由香から窘められてしまう。
「子供じゃないんだから、交差点までこんな歩き方しないっつーの」
ケラケラ笑いながら沙綾はびしっとその場に止まってみせた。由香と千歳はやれやれと言いたげに笑う。
この日はこれでお開きになり、各々家に帰る。沙綾にとっては幸運でも不幸でもない帰り道で、家に帰っても特段変わらず。ソシャゲのガチャも引いてみたが、最低保証しか出てこない。
そんなもんだなと思って、沙綾は眠りに入る。
彼女が自らの『幸運』を自覚するのは、翌日になってからだった。




