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ひととひと

独白

 麗らかな春。丁度、彼と巡り会った季節。彼が好きだった花を見つけて、しかし気に留めることはなく。彼と歩いた道を引き返し、今ひとり、彼と初めて出逢った海辺に辿り着いた。

 かなりの距離を己の足で渡り歩いてきたが、不思議と疲れは感じていなかった。むしろ、足が軽くて仕方がない。縋りついていた窮屈な世界を手放してから、面白いほど息がしやすくなったことを実感する。


 彼も私と同じくらい楽になっていてくれると良いのだけれど。これはそんな美しい話ではないだろう。

 彼は今も、強く飄々として永遠を見て歩き続けているだろうか。夜を彷徨って、孤独を飼い慣らして、世界に絶望してしまってはいないだろうか。

 今もどこかで生きているであろう彼の苦悩の、その九割――いや、八割は私のせいだ。それは心から申し訳なく思う。ただ、彼の所在も知らぬ今となっては、謝って報いることも出来ない。

 私にできるのは、彼が一刻も早く私のことを忘れて前を向いて、幸せに生きていくのを祈ることばかりだ。行先は神のみぞ知るところだが、私がこんなにも救われているのだから、私を救った彼が救われないはずがないだろう。彼自身が諦めさえしなければ。


「――もういい、もういいよ」


 あの言葉を吐きながら、彼は一体何をどこまで諦めたのだろうか。本当は、私が「よくない」と言い張って彼のことを諦めずにいたかった。私が彼を幸せにしたかった。

 もう、そんな権利もない。私は過ちを犯した。優しさに甘えて、自分を見失って、彼を傷つけてしまった。

 彼が私を責める声が、耳奥で再生される。胸が痛む。募る罪悪感を抱きしめて、湧いてくる涙はどうにか押し殺して、黙って波の行き来を眺めていた。


 きっと、彼はずっとずっと賢かったのだろう。具体的に聞いたことはなかったけれど、長寿の彼はもうかなりの年数を生きていたはず。私がどれだけ背伸びをしても不釣り合いだった。私があの人の隣に並びたいと望んだのが驕った考えだった。

 でも。彼だって言ってしまえば、長く生きてきただけのただの人間だったのだ。ただ多くを察することができるだけ、ただ私より聡くて強くて優しくて愛情深かっただけ。彼だってそこかしこ愚かで弱くて利己的で――。

 彼は結局、私の大事なところはわかっていなかった。そのくせわかったような顔で私に失望した。破綻の要因のうち彼の二割はそれだったと思う。

 人間なんて結局、全てをわかり合うことも、全てを好き合うことも出来やしないのに。


 春の日差しを反射する海が、未練残る心を慰めた。胸の奥底は寂しい。ほんの少し悔しい。けれど、今はこの温度が心地良い。不思議に思うほど、己が救われているのを感じる。

 どうか彼が彼自身を諦めませんように。永遠の前に立つ孤高な彼が。人間らしからぬ身ながらひたすら人間らしい彼が。私のいない世界でどうか幸福な愛に巡り会えますように。

 身勝手ながら、そう願って止まない。

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