第2話 邂逅
──────死
真っ先に脳裏をよぎった感想は、そのたった一文字。何が起こったのかは、分からない。目の前にいるそれが何かも、分からない。ただこの目に映るのは、先程まで物言わぬ少女だった存在が、立ち上がり、異形へと変貌していく様であった。
もはやそれは人じゃない⋯いや、生物であるかさえ定かではない。
周りにいた人間はただそれしか分からなかった。それは、ビルに匹敵するような巨体を持ち、明らかに関節が普通の倍以上ある長過ぎる腕を、背中や脇腹から無数に生やしているような怪物を、なんと形容すればよいのか、誰一人として分からなかったからである。
「な、なん⋯⋯なんなんだアレエェ」
「いや⋯⋯⋯いやぁぁぁぁぁぁ」
「ヤバい⋯⋯やばいよあれ!!」
今まで一言も声を発することの出来なかった周囲の張り詰めた空気が決壊し、先程までと一転してパニックへと陥る。各々が独自の悲鳴を上げながら、その場に腰を抜かしてへたりこむ者、脇目も振らず逃げ出す者、ここまで来てもまだ状況が飲み込めず、その場に立ち尽くす者に別れた。
かく言う自分も、その場から1歩も動かず⋯⋯いや動けずに、呆けているかのように目の前の怪物をただ観察していた。
巨体⋯無数の長い腕⋯白過ぎる肌⋯濡れたような黒い髪に覆われて全く見えない顔。そして背中からの腕に強く引っ張られ、まるで自らの首を吊っているかのように見える、首に巻かれてた太くゴワゴワした縄。
まさしく異形。どれを取っても今まで出会ったことのない、フィクションの世界だけの存在が、そこにいる。果たして恐怖からか、もしくは見惚れているのか、目が離せない。とはいえ流石にこのまま見ている見ている訳には⋯⋯
(逃げなきゃ⋯⋯)
そんなことを思い立った時だった。
───────────プチュ
鈍くも鮮やかな音を立てて、人の体が真っ赤に爆ぜる。
いつ伸ばしたのかも気づけないほど速い異形の純白の腕が、逃げ出した人間をすり潰し、赤く染まる。
⋯しかも、一人じゃない⋯⋯怪物の背から伸びる無数の腕が、モグラ叩きの要領で逃げ惑う人々を、潰す、潰す、潰す、潰す、潰す⋯⋯⋯横から、上から、背後から⋯⋯⋯⋯潰す。
プチュ
プチュ
プチュ
プチュ
プチュ
プチュプチュ
チ
人がゴミのように虫のようにプチトマトのように、面白いぐらい簡単に死んでいく。悲鳴すらあげられぬくらいに一瞬で、あげたとしてもそのか細い声も共に手の平に押しつぶされる。
やっと⋯⋯⋯⋯理解した。自分の立たされた状況を、逃れられぬ絶望を、間近に迫る死を。
自分がまだ死んでないのは偶然に過ぎないと、あそこで逃げずに呆けていた自分が、言い表せないほどに愚かだったことに気づいた頃には、逃げるしかできない人々の悲鳴と、そんな人々がすり潰されている音が混ざった雑多な反響が、徐々に鎮まり、止んで来ていた。ほとんどの人間が既にただの血溜まりと化した証拠であった。
あぁ、死ぬ⋯⋯逃げても殺される⋯⋯⋯こんな、わけもわかんないまま
もうすぐ訪れる死に、どうすることも出来ずその場に蹲る自分を、情けないとは言えなかった。仕方ないとしか思えなかった。
そんな言い訳地味た事を思い浮かべ、今までの人生を振り返る。⋯⋯⋯いや、振り返られるほどまだ生きれてない。まだたった17年しか生きて来てないのだ。
なんで死ななきゃなんねぇんだよ───なんで、なんで、なんで⋯⋯⋯⋯死にたくねぇよ⋯⋯⋯⋯⋯⋯
「──────まさか、帰り道にこんなサプライズが待ってるとはな」
「仕事終わりだってのに⋯⋯最悪のサプライズだ」
「まっ、でもやるしかないっショ⋯バックアップ頼んますよ?」
様々な思いでぐちゃぐちゃになった頭を、遮る音が三つ。
それは、ありえないはずの人の肉声。既に周囲の人間は皆死に、生きてたとしても悲鳴以外をあげるはずはないのである。
しかし、聞こえてきたのは、この状況でも焦りのない余裕そうな声だった。心の中の疑問に従うように声の方向に首を曲げると、そこには金髪で顔の整ったホスト風の男に、髪をかきあげた渋い髭面の男、そして見るからに若いポニーテールの女の子が、まるで慣れているかのような顔つきでこちらを⋯⋯⋯いや、俺のすぐ前にいる怪物を見据えていた。
「おっ、生存者発見〜運が良いのが居んじゃねぇのぉ」
「助ける?俺ァ別にどっちでもいいけど」
「そんな余裕があればの話ですけどネ〜あいつ見るからにやばそうだし⋯⋯てか先輩方も、油断しないでくださいよ?」
⋯⋯⋯⋯⋯何の話だ?よく聞こえない⋯⋯⋯いや、それよりも重要なこと⋯それは彼らが戦おうとしていることである。一人は余裕そうにポッケに手を突っ込み、一人はファイティングポーズ、そして一人は持っている双剣を構えている。
信じられない、あれだけで戦おうとしているのか?いや、そこじゃない⋯⋯自分自身がただ怯え蹲るしか出来なかった存在に、立ち向かうという選択肢があるのが信じられないのだ。
───────「来るぞ!!!!」
三人が散開し、高速で伸びる腕を当然のように避ける。しかも一本ではない、無数に来る腕を避ける、避ける、避ける⋯⋯伸びる腕を足場にし、腕から腕へと飛び回り、どんどん腕の伸びる元⋯⋯⋯怪物へと肉薄する。
──────いけるかもしれない⋯⋯そんなことは思わなかった。
俺は怪物と三人組が戦い始めた瞬間、直ぐにその場から逃亡した。脇目も振らず、振り返らず、何も考えず、ただただ走った。不格好に、変なフォームでそれでも走った。ここで逃げなければ本当に死ぬ、そう確信していたから。
運が良かった⋯⋯本当に運が良かった。怪物のすぐ近くの懐にいたお陰で、怪物に気づかれず逆に殺されなかったこと。それでも死にそうになった途端彼らと怪物の戦闘が始まったこと。どちらをとっても、自分の生存は幸運以外の何事でもなかった。
今までの人生で出したこともないような全力疾走で、見慣れた街並みを駆け抜ける。後ろからとてつもない破壊音と、怪物の唸り声が聞こえる。だがそんなことは関係ない⋯今の自分にできることは走ることだけだ。
そうして走っている内に、ようやく他人が居る場所⋯⋯あの怪物の被害を受けてない場所まで逃げてこられた。
だが、普段の街とは少し違う⋯混沌としている。怪物から逃げてきた数少ない人達を見て、同様に逃げる人々、野次馬として逆に怪物の方に行こうとする人々、よく分からないまま普段通りにしている人達など様々だが、その他に、明らかに異なる人間達がいる。
「出遅れた!!まだ終わってねえよな?」
「いや、もうちょい弱るのを待ってからでもいいんじゃないかい?」
「ならお前ぇはここにいろ!!一人のが手柄の取り合いにならねぇからよ」
そう言って意気揚々と怪物の破壊音へと向かっていった。
知っている⋯⋯この者達もさっきの三人も、明らかにこの状況を知っている。あの怪物を見るのが初めてじゃない人間がいる。今向かっていった人間だけじゃない。この場から動いてない人間にも、離れていく人間の中にも、普通の民衆とは目が違う奴らがいる。先程の三人組を見たからか、はたまた自分が死にかけたからか⋯⋯自分でもよく分からないが見分けが着くようになったようだ。
⋯⋯⋯⋯だとしても今はそんなこと関係ない、考えている暇もない。怪物がまたいつ来るか分からない以上、できる限り離れる必要がある。俺には関係な⋯⋯⋯
「いや⋯いや!!やめてください!!やめ⋯やめて!!離して!!!!」
甲高い女性の声の方を聞き、ふとそちらに意識が向くと、路地裏へと向かう男女2人が掠めるように視界の端に入った。⋯⋯いや、どう見ても男が女性を無理やり路地裏に連れ込んでいるようにしか見えなかった。
ここは普段毎日通る道で、そのような行為を働く輩は見たことがない。街全体の治安もいいし、仮にするとしても、こんな夕方に堂々とあんなことをする奴がいるだろうか?いいやありえないだろう。間違いなく、連れ込んだ男も知っている側の人間だろう。怪物騒ぎの混乱に乗じて、犯罪行為に手を染める人間⋯⋯火事場泥棒のような人間に違いない。
だとしても、自分に構っている余裕はない。確かに見過ごせない行為ではあるが、だからと言って他人を助けられる状況ではないのだ。
むしろこっちの方こそ、あの怪物から逃れる手助けをして欲しいくらいだ。
⋯⋯助けている暇はない、助けられない、助けない。そう心で繰り返しながら、路地裏から目線を外し、再び走り始める──────
ことは出来なかった。
⋯⋯⋯⋯自分はどこまでも弱く、情けない人間なのだと心底思う。どこまでも自分の意思で決めることができず、流されて決断をし、後悔する。
自分にとってこの状況で助けることも怖ければ、助けずに見なかったことにし、後から後悔して罪悪感に苛まれることすらもまた、怖いのだ。
情けない決意のまま、急いで路地裏へと駆ける。もしかしたら自分の決断が遅いせいで、既に女性は被害を受けているかもしれない。手遅れだとしたらどの面下げて助けに入ればいいのか、そんなことばかり考えている。
路地裏は思いの外入り組んでいて、入口すぐの場所には誰も見当たらなかった。どこへ行ったのか分からないまま、右往左往していると、右手の奥から
ドンッ
と、何か大きな鈍い音がした⋯⋯⋯⋯⋯まずい、まさかもう既に───雑念を振り払い急いで音の方に向かい角を曲がる。
「──────だ、大丈夫です⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯か⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯え?」
角を曲がった次の瞬間、飛び込んできた映像に、大牙の脳が理解を拒む。
「───あら?もしかして⋯⋯助けに来てくれたの?」
そう言った女性の右手は、肌が見えないほどに真っ赤な血で覆われており、大きなゴミ箱の横の壁にはとてつもない量の血が飛び散っている。
縦も横も軽く両腕を伸ばした長さよりも広い、まだ新しい血の跡から、ツラツラと血の雫が垂れ、垂れた先には先程の男の首が吹き飛んだ死体が転がっている。そしてそこから更に流れる血によって、アスファルトの地面に出来上がる赤い池。
視界に入る情報全てが理解出来ない。出来るはずがない。だって自分は連れ込まれた女性を助けに来たのだ⋯⋯こんな状況は全く想定していない。こんなことが起きているだなんて、考えられるわけがない。
「優しいのね⋯⋯⋯こんな時に助けに来てくれるなんて、まだ若いのに。他の見てた人達は助ける素振りも見せなかったから悲しいわ。」
まるで目の前に死体なんてないかのように話し、ホコリを払うように手に着いた血を振り払う姿は、先程の助けを求めていた女性とは思えない⋯⋯⋯⋯⋯それどころか、先程の怪物と同じ圧と恐ろしさを携えている。
この人も、普通じゃない⋯⋯⋯
またもや立ち竦み、震えることしかできなくなってしまった。
「───ふふふ、そんな怯えなくても、助けに来てくれただけかっこいいわよ。」
一面に広がる血溜まりを作った張本人とは思えないほど、か細く優しい声と顔付きで、微笑みながらこちらを見る目は、驚くほど敵意がなく、むしろ温かみすら感じるほどだった。
「──────でも、こんなことしてないで早く逃げなさい⋯⋯あなたも──────死んでしまうわよ?」
首のない死体を見ながら、突然冷めた口調で発した言葉で、現実へと引き戻される。まるで、
お前もこうなるぞ
と言われているようだった。
⋯⋯⋯⋯そうだ⋯⋯はやくあの怪物から一歩でも遠くに逃げ─────────
────────────────────────────
───何が起きた?
耳鳴りが止まらない、視界が揺れる、頭が痛⋯冷たい。何が──────
目が合った⋯⋯⋯⋯それと
濡れた長い髪から、ひっそりと覗くどす黒い目が、こちらを見ている。
追いつかれたのだ⋯⋯あの化け物に。先程まで路地裏に居たはずなのに、路地裏を囲んでいた建物群は怪物に踏み潰され、ペチャンコの更地と化し、もはやここは路地裏とは呼べなくなっていた。
倒れ込みながら怪物の方を見上げる行為が、大牙の絶望を加速させた。なぜなら怪物が最悪のアクセサリーで着飾っていたからである。
怪物の首から伸びた触手のような縄に、人間がてるてる坊主のように首からぶら下がっている。全員が下半身より下がなくなっており、かろうじて首が繋がっている様子だ。
しかも、そのぶら下がっている人間達は、他でもないさっきの三人組だった⋯⋯
[ミつケタ]
「人助けなんてするんじゃなかった」とか、「あの三人でもダメだったのか」とか、「結局追いつかれてもうダメだ⋯」とか、そんな独白は置き去りにされ、新たな衝撃が心を支配した。
こいつ⋯⋯喋った⋯⋯⋯⋯⋯しかも今、見つけた。って⋯⋯⋯⋯⋯俺を探してたのか⋯⋯?
最悪だ。既に目をつけられていたとは⋯⋯⋯あの時殺されなかったのも、運が良かったからではなかったのかもしれない。
なんで俺なんだ?俺が何したっていうんだ。俺はただいつも通り帰ってただけだ。
頭の中はそんな考えでいっぱいだった。だが、もはやそんなこと考えても無駄だろう。
つまり⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯終わりということだ。
[ミンなトイッしょ二⋯⋯ラクニなロう]
やつの言葉に意味を考えるまでもなく、縄の触手を首に巻かれ、俺は吊るし上げられた。
ォ、ォ、ォ、ォゴ、オウグ、オオ
首がねじ切れんばかりに強く締められ、言葉にもならない、断末魔にも満たない悶え声を発しながら、ひたすら藻掻く。
─────────苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい───死ぬ。意識が⋯⋯
目の前が霞み始め、腕に力が入らなくなり、身体が冷たく脱力し始める。ついには走馬灯すら見え始めた⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯
─────────瞬間
霞がかる視界が、緑色に煌めく。
それは死ぬ間際に見る、あの世への橋渡しかのような緑色の光だった⋯⋯
光に見入り、完全に死を受け入れた大牙の身体が、突然重力の影響を受け、落下する。
いつの間にか、首の縄が切られていた⋯⋯⋯
突如として現実に引き戻された大牙は、ひっくり返されたようにぐらつく意識の中で、目の前にいる眼帯の少年が、こちらを向いているのだけはわかった。
周りが更地になったことで射し込む日差しとが少年と重なり、朦朧とした意識に強く飛び込んでくる。
「──────お前も、こっち側か」
何か言われた気がする⋯⋯⋯⋯まだ脳がまともに機能していない為、なんて言っているかさえ分からない⋯⋯⋯しかし、この目の前にいる少年こそが、大牙の運命を変える存在であるということだけは、なぜだか確信できた。
「⋯⋯あー⋯聞こえてないっぽいな。とりあえず話は後⋯⋯目の前の化け物どうにかしてからだな。」
──────刀⋯⋯⋯⋯刀だ。眼帯の少年は刀を左手に持ち、いつでも抜ける構えを取っていた。
また、勾玉のような物体が、日輪を描くように少年の周りを囲いながら浮遊し、回転している。
怪物同様に異質で現実離れしながらも、彼はまた違う⋯⋯それどころか、怪物さえ圧倒するような覇気を纏っていた。眼帯の少年を前にした怪物が、どこか萎縮しているかのようにすら感じる。───必然的に、決着は一瞬だった。
「──────抜刀・向日葵」
───その淡々とした声と共に放たれた斬撃は、まるで手向けの花のように、向日葵のごとき花弁を散らしながら、怪物に大きな跡をつけ⋯⋯⋯⋯
一拍ほど置いて、怪物の体が斬り跡に沿って、静かに⋯それでいて派手な様子で、爆ぜるかのように一刀両断された。
爆ぜるように広がった切断跡は、緑色の煌めきを発し、グリーンフラッシュのようなその圧巻な輝きは、大牙の意識に微睡む霧をさっぱりと晴らした。
緑色に光りながら真っ二つとなった怪物を背にして、刀を収めた少年は、一仕事を終えたように気だるそうな感じで、こちらに歩み寄ってきた。
「⋯⋯⋯⋯あーーー、終わったからもっかい言うぞ?お前もこっち側だな?」
????
何のことか分からなそうな顔をしていると、少年の方も拍子抜けしたような顔をして、頭をポリポリと掻き始めた。
「⋯⋯もしかして⋯⋯⋯⋯いや、やっぱりルーキーか。」
ルーキー?ますます何を言っているのか分からない。更に首を傾げる俺に少年は告げる。
「んじゃ、先輩からのアドバイスだ。"神サイト"、"逆さ鳥居"、"赤い公衆電話"、"神隠し"ここら辺は覚えておけ。あと、そろそろ"逆行"すっから備えとけよ。」
覚えておけって⋯⋯⋯⋯⋯それがなんなのか説明してくれよ⋯⋯⋯⋯何もかもわけがわからないままだ。
──────でも⋯⋯⋯⋯⋯
言うだけ言って帰ろうとする彼の背中に、首の痛みを我慢しながら叫ぶ。
「あ、ありがとう!!!!!!!!!!助かった!!!!」
鼻水を垂らしながら叫ぶ俺の顔が無様だったのか、はたまた声がガラガラすぎたからか、少年は、フッ と鼻で笑い、口を開く。
「多分、また会うことになる⋯⋯⋯そんな気がする。⋯⋯⋯じゃあな。」
彼がそう言った途端、世界が⋯⋯回転するようにねじれた。
そして気付けば俺は、自宅のベットに横たわっていた。
作者はズブの素人なため、どんなご意見も大歓迎です。とにかくなんでもコメントして頂けるとありがたいです。




