29 実家へ帰る②
伯爵はリリアーヌに興味も関心もなかったのに、一体何を伝えたいのだろう。
妹直伝のゲームの知識を総動員しても、全く予測できない事態に、少し緊張しながら食堂へ向かった。
そうすれば、扉を開けて中に入った瞬間、楽しそうに笑うミラベルの声が聞こえた。それも随分朗らかに。
私がいない食卓テーブルに、すでに伯爵夫妻とミラベルの3人が座って、話に花が咲いている。自分だけ除け者で。
まるでその光景が、完成された家族みたいに見える。
そのせいだろうか、なんだか胸が痛くなった。
きっとそれは、この身体の持ち主のリリアーヌがいつも感じていた心情で、条件反射的に身体が覚えていたのかもしれない。そんな気がして息が詰まるような感覚がした。
いかにも性格がきつそうな中年男性の伯爵と並ぶように座っている化粧の濃い女性が、伯爵夫人なのだとすぐにわかったし、私が嫌われているのもすぐに理解できた。
だって、私と間違いなく目が合ったのに、はっきりと視線を逸らされた。
その姿が、お前なんかに興味はないと言いたげな態度で……むかつく。
血がつながっていないとはいえ、仮にも娘だ。それもまだ16歳の。
この世界では16歳が成人年齢らしいけど、私の感覚ではまだまだ子どもでいたい年頃だし、ミラベルは、おもいっきり甘えているのに、私には容赦しないってわけか。上等ね。
そんな態度でいてくれるなら、私もリリアーヌの悔しさを晴らすために彼女たちに仕返しをしても、一切のためらいを感じなくて済むから、むしろよかったかもしれない。
そんなことを考えていると、私が入室していることに気づいた伯爵が、声をかけてきた。
「おお、待っていたぞ。リリアーヌも早く席に着きなさい」
「皆様をお待たせしてしまい、申し訳ございません」
至って穏やかに挨拶しようと、見様見真似のカーテシーをしてみた。
私としては、初対面の伯爵夫人が、そっけない態度をとるのかと考えていたのだが、そうではなかった。
私が口を開いた瞬間、豪華な装飾が施された食堂に緊張感が走り、伯爵夫人が叱責してきたのだ。
「せっかくミラベルの大好きなオマールエビを用意させたのに、あなたが来るのが遅いから、冷めるじゃない」
私を睨みつける伯爵夫人に対し、言い返そうかと思ったが、序盤からかっ飛ばすのもよくない。
よくわからないが、とりわけ伯爵夫人は不機嫌な気もするのだ。ここが変だと説明するための、うまい言葉は出てこないけど。
余計な刺激をして逆上させないよう、静かに謝罪することにした。私は悪くないから悔しいけど。
◇◇◇
「リリアーヌお嬢様は、何をお飲みになりますか?」
そんな質問を、従者が尋ねてきた。
私は、先日飲んだオレンジジュースを思い出し、ジュースを頼もうかと思ったが、要望を口にする前に、伯爵夫人から止められた。
「リリアーヌは水でしょう。太るのが気になるから、食事のときは水しか飲まないって、決めていたでしょう」
こうやって、リリアーヌは自分の意見を言えない性格に矯正されてきたのだと、身をもって知った。
だからこそ、力強い視線を伯爵夫人に向けた。
「そうでしたか? 2週間、お屋敷を離れていたので、すっかり忘れてしまいました。ですが、今日はオレンジジュースが飲みたい気分ですわ」
「ふんっ、勝手になさい」
怒り口調で言い切られ、顔を背けられた。
おそらく、これまでのリリアーヌであれば、絶対に言い返すことはなかったはず。
それなのにこうして、かわいくない義娘に言い返され、はらわたが煮えくり返っていることだろう。これからは、主張することはしていくからと、内心睨み返しておいた。
私の席にオレンジジュースが運ばれてくれば、すぐに前菜も到着した。
そんなところを見ると、本当に全員揃うまで食事の開始を止めていたみたいだ。余計な気遣いで鬱陶しいわね。
沈黙したまま食事が進むかと思っていたが、ミラベルがいるこの場で、そんなことは起きるはずがなかった。
自分が大好きなオマールエビが美味しいとやら、お母様のおかげやら、とにかくこの場を明るくしていた。
だが、その手の明るいネタが切れたのだろう。
昼食の席で、妹はさっそく告げ口を始めたのだ。
やけにスムーズに話題を変えられたせいで、突然暴露された話題だった。それに動揺し、口に入れたオレンジジュースを吹き出しそうになったが、必死に堪えつつ耳を傾けた。
「お姉様はね、魔法を使えないからクラスの中ですごく浮いているのよ。誰も友達になってくれないから、平民と仲良くしているんです。自分の姉がクラスに馴染めないなんて、恥ずかしくて、情けないですわ」
「ミラベルってば何を言ってるの? そんなことはないでしょう」
「今日まで知らないふりをしてきたけど、こんな屈辱は耐えられないわ」
「ミラベル……何があったの?」
気遣わしげな伯爵夫人が、優しい声を出した。
「お姉様は、平民と男女の関係になっているから、淫らな令嬢だってクラス中から白い目で見られているのよ。私まで、辛い言葉を言われるわ」
唖然として、次の日言葉が出てこなかった。
これと同じデマを、学園でも言い出すはずだ。
焦りが募る私は、ミラベルがいる限り、攻略キャラと結ばれるルートは存在しないと悟った。
デマを否定したところで無駄だろう。
初めっから落第カップル認定されていたのだから、噂が大袈裟になっても、なんら不思議ではないし。
落ち込む私とは裏腹に、伯爵夫人の口角が上がったのだ。それはもはや想像どおりだけど。
けれど伯爵の反応は全く予期しないものだった。
ミラベルに恥をかかせていると聞かされれば、伯爵は激昂するかと思ったが、そうではなかったのだ。
眉一つ動かさず、ミラベルの言動に無反応である。
変ね? 意外だわ。何が起きているのかしら。
そう思っていると、少し慌てた様子のミラベルが再び、何かを言いたげに口を開けたが、それより先に伯爵が言葉を発した。
「リリアーヌはSランクポーションを作ったそうだな」
「え……どうしてお父様がそれを知っているのですか?」
本心でそう思ったし、諜報員を送り込んでいるのではないかと、斜め上の発想まで浮かんでしまった。
だが答えは、単純だった。
「オクレール公爵家から礼状が届いていた。リリアーヌに無理を言って、希少なポーションを譲ってもらったとな」
満面の笑みの父親は、一目でわかるくらい大喜びしている。
さすがマリエットだわ。恩へのお礼が早い。
私、マリエットにSランクのポーションを譲って大正解だったわね。
心の中では力強いガッツポーズを決め、穏やかな微笑みを見せた。
「そうだったのですね。まさかお父様がご存じとは知らず、驚きましたわ」
華やかな声で言った私とは裏腹に、ミラベルが青ざめた顔をしている。
それもそうだろう。今日は私の株を下げにきたのに、知らない所で評価がバク上がりしているのだから、悔しいに決まっている。
それも、簡単になびかない、オクレール公爵家を憎い姉が味方にしているんですものね。ミラベルの反応を目の当たりにして、私の心情は歓喜に湧いた。
「リリアーヌを当主にさせることを少しばかり心配していたが、ようやくしっかりしてきたようだな」
「私も16歳ですから、きちんと考えるようになりましたから」
こんなことは容易いことだという顔をしながら言った。
「この屋敷の後継者をミラベルに変えようかと思ったことは、何度もあったが、踏みとどまって正解だったな」
その言葉に間髪入れずに反応したのは、ミラベルだ。
「私を後継者に考えてくださっていたなら、お伝えして欲しかったわ。私はこの家名が大好きなのですから、引き継ぎたいですわ」
「まあ、ミラベルは有能だから、もっとふさわしい結婚相手がいるとみていたんだよ」
「そ、そうですか……?」
掠れた声を出したミラベルは、しなびた花のように、小さく縮んでいった。お望みどおりにいかず、ざまぁみろ、なんて思っていれば、伯爵が私の方へ顔を向けた。
「ラビリンス学園へ行って、随分と性格も明るくなったみたいだし、お前の成長を気長に待って良かった」
「ふふっ、ご心配をかけて申し訳ございません。ですが、お父様の期待に添えるようにこれからも頑張りますわ」
「ああ、頼むぞリリアーヌ。有能な男なら、リリアーヌの結婚相手は平民でも構わないから、好きにすればいいさ」
軽く笑いながら伯爵が嬉しそうに返答した。
ふと向かいに座るミラベルを見れば、眉間に深い皺を刻み、握ったフォークを小さく震わせている。
暗い空気を纏った全身から、嫌悪感がひしひしと伝わってきて、胸がスッと軽くなって、嬉しい。
ミラベルが怒りで鼻息を荒くしているが、そんな様子に気づきもしない父親が、さらに追い討ちをかけた。
「ミラベルも、リリアーヌを見習って頑張りなさい」
「は、はい……」
全然感情のこもらない返答は、今にも消え入りそうな声だった。
ミラベルの反応を見て、顔をゆがめたのは彼女の母親だった。
伯爵夫人は、私に黙れと言いたげな鋭い視線を向けてきたため、ブルッと小さく身震いがした。
私の動揺に気づいた伯爵夫人は、ミラベルをかばうように明るい声を出した。
「でも、ミラベルは元々優秀だから、そのままでいいのよ」
「お母様……」
「あっ、そうだ。ミラベルに素敵な話が届いていたじゃない。あなたから教えてあげて」
「え? それはなんですか?」
急に話が変わり、きょとんとした表情をみせるミラベルが、伯爵に視線を動かした。
そんな妹に伯爵が笑顔を向けた。
「王太子殿下が婚約者を探しているそうだ。それで我が家にも、婚約者のいない未婚令嬢の確認が届いていたんだ」
「それってどういうことですか?」
「15歳以上の令嬢は大体婚約者がいるか、屋敷の後継者ということもあるから、王太子の婚約者になり得る候補を探しているようだ」
「まあ、本当に!?」
「なるべく早めに婚姻したい意向があるらしく、成人に近い令嬢を求めているらしい」
「ですが私、王太子のお顔も名前も存じないですわ」
「暗殺対策のために、成人するまで素性を一切公表しないのが、この国のルールだからな。誰もどんな人物なのか知らないさ」
「暴力的だとか、会話ができないとか、変な方なのではありませんか?」
「この屋敷へ来た遣いの者の話では、かなりの好青年らしいな」
「本当ですか、お父様! 私、王太子と婚約したいですわ! 未来の国母なんて最高ですもの」
目をキラキラと輝かせたミラベルが、声を張り上げた。
いや切り替え早すぎだろうに……。
少し前まで、この伯爵家の後継者になりたかったんじゃないの……。
結局は、自分が一番偉い立場になりたいのね。呆れるわ。そう思う私の顔が大きく引きつっているのがわかる。
なるほどね。伯爵の中では、王太子の話が浮上するのではないかと、薄々ながらに考えていたのだろう。
優秀で気立てのいいミラベルに婚約者を当てがわず、フリーにしておく。
伯爵の勘が当たれば、ミラベルを候補者として、王城へ連れて行けるのだから。
そうなれば、魔法を使えない無能だと嘲笑っていようとも、姉のリリアーヌをこの屋敷の後継者から、外したくなかったのね。
後継者登録していれば、必然的に婚約者候補から外されてしまうだろうし。
エスニコ帝国の婚約年齢は早い。5歳なんかで婚約者を決めるのは、当たり前でもある。
だからこそ、私の年齢で婚約者がいない方が珍しいのだ。
王太子の婚約者という高いハードルでも、少ない人数から選出されるのであれば、チャンスは大きい。
家柄に容姿に能力を多角的に見て、一番ふさわしい令嬢を婚約者に決めるなら、ミラベルは有力候補と睨んでいるのだろう。
……元経理の私でも唸るくらい、伯爵は計算高いのね。どうも苦手な人間だわ。
うんざりしている私の心情も知らず、ミラベルであれば王太子の婚約者になれると確信している伯爵が、俄然やる気を出している。
「16歳の生誕祭の日は明かされていないが、その日、王太子お披露目会をするだろう。その前に婚約者候補を集めた顔合わせ会もあるようだから、存在をアピールしてくるんだぞ。ミラベルならきっと選ばれるはずだから」
「はい。これまで厳しい勉強を乗り越えてきた私ならできますわ」
伯爵の言葉にミラベルはご満悦だ。
すでに未来の王妃気取りの口調に、呆れるを通り越して、怒りさえ覚えてしまう。




