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ヴァンパイアは暁に夢む  作者: 静杜原 愁


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惨めでも駆け抜けて

 遠目には軽薄な男に見えた。

 派手な身なり、軽い笑い声、女を抱く所作――全てが下劣な夢魔のそれに見えた。

 近くで見ればその印象は変わった。

 喩えるなら、道化という言葉そのもののようだった。

 軽薄さの裏に底知れない何かを隠している。いや、隠しているのではなく、意図的に見せているのかも知れない。

 そして――匂い。

 遠くから感じた時とは、まるで違う。

 これは夢魔の匂いではない。

 もっと濃く、もっと血生臭い――ヴァンパイア。


「……あなたは」

 言葉が、喉の奥で引っかかる。

 男は微笑む。

 端正な顔立ちだが、その笑顔には体温がない。

 まるで精巧に作られた仮面が、皮膚の上に張り付いているようだ。

「自己紹介がまだだったね」

 彼は一歩、近づく。

 それはまるで舞台役者のように優雅で、丁寧で、そして残酷だった。

「レオナール・リュセリエ。君の使い魔の、兄さんだよ」

 ……兄? この男が。

 その言葉を脳が受理するより先に、視覚情報が激しい拒絶反応を示した。

 私の脳裏にあるその“色”は、色素の薄い銀髪と、飢えを隠しきれない濁った赤眼だ。常に死の気配を纏い、頼りなく、放っておけば消えてしまいそうな希薄な存在感。

 それが私の知るリュセリエであり、ミハイルという個体の“記号”だった。

 けれど、目の前の男は。

 夜闇を塗り潰すような鮮烈な赤髪に、感情を反射させない碧の瞳。

 ここには、ミハイルが持っていたあの切実な惨めさが微塵もない。

 ただ、洗練された暴力的な生命力だけが、不自然な笑顔の下に満ち満ちている。

「似てないって思ってる? まあそれも当然のことだよ……俺は元々は人間の側、だからね」

 考えを見透かされたような心地の悪さだった。

 血の繋がりがないのであれば、容姿が似ていないことに納得が行く。

 だがその傲慢なまでの立ち振舞いは、あのニカエラと通じるところがあった。

 瞬間、私は理解する。彼もまた、ミハイルを連れ戻しに来たのだと。

「彼ならもう私の使い魔じゃない」

 私の言葉に、レオナールは目を細めた。

「丁度困っていたの、出ていかなくて。あなたが連れ帰ってくれたら助かるんだけど」

 困っていたのは事実だった。契約も無いのに居座り続ける彼が、どうにも不気味で――

 家主であるはずの私の方が居心地の悪い思いをするのが、理不尽に思えた。

「あー……、君は勘違いをしているようだね」

 また一歩、彼は近づく。

 無意識に私は後退るが、背中はすぐに冷たい煉瓦壁にぶつかった。

「用があるのは君に、だよ」

 私に? 言葉の意味が、理解出来ない。

「……何の用」

「君が気になってね」

 レオナールの瞳が私を捉える。それはまるで、品定めをするような視線。

 いや、違う。もっと――

「君の魔力を味わったことがある」

 その言葉が胸に刺さる。

 味わった?

「弟と再会した時、廃墟でね。君の痕跡がそこら中に残っていた」

 レオナールは微笑む。それは、恍惚とした笑み。

「あれは凄かった。今まで味わったどの魔女よりも、濃くて、深くて――甘かった」

 また一歩……逃げ場を失った私との距離は、ごく僅かにもなっていた。

 手を伸ばせば、届くほどに。

 背中の壁の冷たさが服を突き抜け皮膚にまで刺さり、呼吸が浅くなる。動揺を悟られまいとするも、喉が鳴る音さえ筒抜けになっているような感覚があった。

「やっと見つけた。ずっと探していた」

 彼の瞳が、私を射抜く。

「君は『本物』だ」

 その言葉がまるで呪いのように響く。

 私が口を挟む隙すら与えない。彼は獲物を追い詰める愉悦を噛み締めるように、言葉の礫を畳み掛けてくる。

「……ところで。君はもう、ミハイルの飼い主でないと言ったね?」

 不意に、彼の声音から熱が引いた。代わりに流れ込んできたのは、氷のような冷笑。

「じゃあ今の君はさしずめ“魔女もどき”ってことか」

 瞬間、肩が跳ねた。

 その蔑称を知っているということは、彼が魔女社会の深淵にまで手を伸ばしている証左に他ならない。

 ――そして、気づいてしまった。自分がどれほど致命的で、軽率な行いをしていたか。

 あの夜とは違う。あの時は私が「道具」を選別する側だった。

 だが今はどうだ。

 仮初めの使い魔すら持たず夜を彷徨う私は、無防備そのもの――ただの獲物に、成り下がっていた。




「ハ……ッ、ゲホッ、ぁ……うぁ、ッく……」

 惨めだ。

 今更走って何になる。もう間に合わないかも知れないのに。

 そう感じることに理由はなかった。ただ、胸の奥に沈んだ重たい予感だけが、僕を突き動かす。

 ヴァンパイアが、ただの人間みたいに――息を切らし、足を縺れさせて。

 無様。

 走り始めて、まだ大して経っていない。それでも喉の奥には、鉄錆のような血の味がせり上がっていた。

 本来ならもっと相応しい形を取ることも出来るだろうに。僕にその術はなかった。

 より疾く駆け抜ける姿、或いは蝙蝠になって闇に溶けるように。他の吸血鬼なら造作もなく出来ることだったのに。

 今になって自分の不甲斐なさを呪うのは意味のないことだ。

 それよりは、少しでも前に進まないと――

 魔力の痕跡が微かに濃くなった。進む先が、間違ってなどいないこと。

 ただそれだけが、欠片ほどの僅かな希望だった。

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