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ヴァンパイアは暁に夢む  作者: 静杜原 愁


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無色の夜

 豪奢な天蓋付きのベッド。

 レオナールは、ニカエラの細い背に手を這わせながら、無感動に現状を眺めていた。

 滑稽な喜劇だ。

 かつて“紛い物”だと自分を見下していた姉が、今は失った“完璧な弟”の温もりを求めて、この腕に縋り付いている。

 高貴なる純血の女帝が、眷属ごときに慰められている。

 その事実が、かつての彼女の誇りをどれほど嘲っているか――言うまでもない。

「……家督を、あなたに譲るわ」

 唐突に投げられた言葉だった。

 ニカエラの声は震えている。それは慈愛からではない。ミハイルを失った不安で、判断力が曇っているだけだ。

 レオナールは喉の奥で微かに笑い、即答した。

「要らないよ」

 拒絶は短く、乾いた音を立てて落ちた。

「……どうして」

「俺には荷が重い。エヴァの方が相応しいよ。あの子の方が、この家を大事にしてくれるだろうさ」

 それは皮肉であり、同時に、これ以上この狂った家族劇の主演を張ることを拒否する本音でもあった。

 ニカエラは何も答えなかった。ただ、苛立ちをぶつけるように、レオナールの肩に爪を立てる。

 鋭い痛みが走る。けれど、レオナールは抱擁を解かない。

 これは情なのか、それともただの惰性か。

 或いは――報われないと知りながら捨てきれない、道化の未練か。

「……ミーシャ」

 不意に、濡れた吐息と共にその名が零れ落ちた。

 レオナールの手が、ピタリと止まる。

 心臓が冷たい泥で掴まれたような感覚。

 ああ、そうだ。分かっていたことじゃないか。

 俺は代用品だ。

 いや、代用品にすらなり切れていないのかも知れない。ただの、不在を埋める影――

 彼女が求めているのは、俺ではない。ここに居ない誰かの温もりだ。

 俺の名前も、俺の顔も、何一つ見ていない。

 それでも構わないと、長い間思っていた。


 惰性で塗り固められた夜。誰の体温も、自分の空虚には触れもしない。

 脳裏に、かつて廃墟で嗅いだ甘美な魔女の気配が過る。姿も知らぬ彼女だけが、この退屈な世界で唯一、色彩を持っている気がした。

 胸の奥に残されたあの甘さが、じわりと広がる。

 一度知ってしまったせいで、もう灰色の夜には戻れない。

 ――本物が欲しい。

 鮮烈で、魂を焼くような何かが。

 こんな欺瞞に満ちた愛の真似事ではなく、もっと鮮烈で、魂がひりつくような“本物”が。

「レオナール……」

 思考を遮るように、ニカエラが今度は正しく彼の名を呼んだ。

 その声には、縋るような微かな期待が込められている。

「まだ、私を愛してくれているのよね?」

 確認しなければ信じられない愛。

 言葉にしなければ繋ぎ止められない関係。

 レオナールは瞼を閉じた。

 いま、自分の中にある熱は――目の前の女に向けられたものではない。

 それでも彼は、彼女が望む通りの「優しい弟」の仮面を貼り付け、極上の嘘を吐く。

「ああ。愛してる、姉さん」

 嘘は静かに、柔らかく落ちる。響きはするが、届きはしない。


 事が終わり、レオナールは無言でシャツを整えた。

 ニカエラはベッドの上で肩を震わせている。

 泣いているのか、息を整えているのか。その区別すら、もうどうでもよかった。

「……おやすみ」

 その一言だけ残し、部屋を出る。


 廊下の冷えた空気が肌に触れた瞬間だった。内側にこびりついた熱が、いっそ嘲笑のように蒸発する。

 自室の扉を閉めると、ようやく静寂が落ちた。

 レオナールは椅子に腰掛け、顔を覆い――ふっと、嗤う。

「何をしてるんだ、俺は」

 姉の求める代わりを演じ、彼女もまた弟の幻影を抱き……互いに“死んだ誰か”で穴を塞ごうとしているだけ。

 虚しいにも程がある。

 寝室を満たしていた体温は、ここに戻るまでの僅かな時間で、跡形もなく消え失せた。

 代わりに胸の奥で疼くのは、あの甘美な“魔力の記憶”。

 形の分からない魔女の、血の匂い。

 喉を焼くほど強烈なのに、ひどく遠い。

 それだけが現実で、目の前の女の体温の方が幻だったかのようだ。

「……埋まらないな」

 呟きは零れ落ちたまま、どこにも届かない。

 乾いた飢えは、ニカエラでは満たせなかった。

 もっと強い何かでないと、この空虚は塞がらない。

 血でも。

 肉でも。

 魔力でも。

 なんでもいい――いまは、とにかく“生きている味”が欲しい。

 レオナールは立ち上がり、外套を取った。

 一人で眠るには、胸がざわつきすぎている。

 今夜は、街へ出よう。

 夜の路地であれば、金と適当な愛想だけで相手は幾らでも見つかる。

 その後にゆっくり“食事”をすればいい。


 どれだけ血を啜っても、あの魔力ほどの甘さには届かないと分かっているのに。

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