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ヴァンパイアは暁に夢む  作者: 静杜原 愁


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月と太陽

 ミハイルと契約してからは、日が昇る頃に眠る生活をしていた。

 彼は正真正銘、夜の生き物だ。太陽に焼かれることもない私が彼に合わせるのは、造作もないことだった。魔女もまた、夜にこそ呼吸が深くなる生き物なのだから。


 けれど最近は、(からだ)が夜を拒む。

 太陽とともに目を覚まし、月が昇る前には泥のような眠気が意識を塗り潰す。

 まるで、人間だった頃の卑しい生体リズムが、呪いのように回帰してきている。

 一方で彼は変わらない。

 朝には死体のように沈黙し、夕暮れとともに息を吹き返す。

 同じ屋根の下、私たちは異なる時間を生きている。

 まるで世界が意図的にすれ違わせているようだった。太陽と月が、決して一つの空で交わらないように。


 ――私は彼に、何を見せてしまったのだろうか。

 そればかり考えてしまえば、思考の歯車が噛み合わない。

 書物を読もうとしても、文字がただの黒い染みにしか見えなかった。意味が入ってこない。

 脳髄のどこかが、軋んで音を立てている。

 自分でもらしくないと感じていた。それこそ、不具合のような状態として――何らかの感情が、私を阻害している。

 言いようのない不快感。それは私自身を普段通りと捉えられないからこその。


 あの夜のことは、濃い霧の中の出来事のようだ。けれど思い出そうとするたび、胸の奥がざらりと逆撫でされる。

 夢か現か……その境目は曖昧だ。

 ただ、確かに彼が傍にいた。彼の体温があった。

 あれが現実なら、私は――自分の中の最も醜い部分を、彼に見せてしまったのだろう。


 忘却したはずだった。あの男に刻まれた恥辱も、それを憎んで切り捨てた“女”という機能も。

 けれど、彼の手が触れたとき、私の中で何かが蠢いた。

 忘れたはずの“熱”だ。

 それを感じた瞬間、怖気が走った。快楽などではない。ただ、魔女として完成されたはずの私が――あんなにも容易く“女”として反応したという事実。

 その構造的欠陥だけが、恐ろしかった。


 彼はどうしてあの夜、部屋に来たのだろう。

 ニカエラを追い返して以降、彼は私を避けていた。血を求めることすらしないほどに。

 それがなぜ、あの夜は――私の部屋だったのか。

 飢えの限界? ただ血を吸おうと?

 違う。あれは、そんな触れ方ではなかった。

 もしあれが衝動だったなら……彼もまた、私を“女”として見ていたのだろうか? ……それは、あの男と同じということか。

 罰するべきだった。あの場で、あの瞬間に――そう思う。

 けれど、出来なかった。

 私が彼に命じたのを、彼が出来なかったように。

 私の理屈が命じることを、私の身体もまた、出来なかったのだ。

 それはきっと“弱さ”だ。

 私が彼に求める、唯一のもの。

 そして、私には不要なもの。私が持つべきは強さでなければならない。


 ――私はあの時、彼を試した。

 命令を遵守する忠誠心ではなく、彼の抱える“弱さ”が本物かどうかを。


 彼はニカエラを殺せなかった。

 本来であれば、忠誠心を問われるような失態だ。主人の命を遵守出来ないのであれば、使い魔としての価値はない。

 だが、それで良かった。むしろそうでなければならなかった。

 私には彼の「非情になれない」という欠落こそが、重要だったのだから。

 もしあの場で、彼が命令通りに姉を排除していたなら――

 私は迷うことなく彼との契約を破棄していただろう。

 肉親に対し非情になれるのであれば、主に対しても同じだろう。

 反逆という概念すら抱けないほどの、圧倒的な“弱さ”。私が求めたのはそれだった。

 力の誇示の為の格でも、忠誠などという不確かな心でもない。

 ただ私の制御の下で、無害で、穏やかに呼吸するだけの存在。

 人の心なんてものを信じたのであれば、いずれ破滅が待っている。

 それを過去の私自身が証明していたのだから――


 目を閉じれば忘れたはずの記憶が浮かぶ。

 愛を信じていた頃の、愚かな私――私が私でなかった頃のこと。

「愛してるよ、クラリカ」

 何度もそう告げられた。それは私に向けられた言葉ではなかった。

 彼が見ていたのは、彼の作り出した“私”だった。

 甘やかに、陶酔するように囁かれるたび、脳髄の奥で何かが震え、身体が勝手に応える。

 心地よくもどこか恐ろしかった。

 それでも、その頃の私は――いや、クラリカは、その「愛してる」という言葉を信じたかった。

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