表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴァンパイアは暁に夢む  作者: 静杜原 愁


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/56

悪夢との邂逅

 静かだった。夕食を囲み、ただ黙々と食べて。

 彼は何も言わない。私も何も語ることはない。時折、彼の視線を感じるが――それについて何か、私は言うこともない。

 視線について触れれば、余計な意味を生むだけだ。言葉を与える意味もない。

 全て詰め込み終わり、私は席を立った。

「ご馳走様」

 それだけ言い、外套を手に取る。

「……どこへ?」

 驚いたような顔で彼は問うた。何もそんな驚くようなことでもないのに。

「少し、薬草を摘みに。留守を頼むわ」

 嘘は、いつもの調子で滑らかに落ちた。

「それなら僕が行きます。その……こんな時間に、危ないですから」

 ――不服だった。家族が連れ戻しに来ると怯える彼に、こんなことを言われるのが。私が視線を向ければ、一瞬身体を震わせた。

「あなたに行かせる方がうんと危ないわ」

 それは皮肉。別に、心配して言ってるわけじゃない。

 それに私の目的は別にある。薬草なんかは、庭にあるもので充分だった。

 外套を羽織り、扉に手をかける。背後からミハイルの視線を感じるが――振り返らない。

「すぐに戻るわ」

 そう言い残し、扉を閉めた。


 夜の冷気が頬を撫でる。月はない。雲が厚く空を覆い、星も見えない。

 歩を進めながら、ゾラは淡い光を掌に灯した。

 森へ深く踏み入れれば、湿った土と草の匂いが濃く感じられた。

 魔力を織り、糸のように細く伸ばしていく。結界の外縁へ向かう道すがら、彼女はそれを枝の陰や石の裏に留めた。

 小さな罠。何者かがそれに触れれば、彼女の中に音が届く。

 夜の森の呼吸の中に、僅かずつ――見えぬ網が広がっていく。

 棲家を守る結界は正常に機能していた。歪みも綻びもなく、そこにあるはずの棲家を巧妙に隠している。

 日々点検しているのだから、それも当然のことだった。彼女の魔力は、棲家とその周辺を防衛する術式として、淀みなく注がれ続けていた。

 風が妙に乾いている。

 枝葉を揺らす音の他に、羽音のような微かなざわめきが混じっていた。

 森に棲む夜の生き物たち――蝙蝠。

 いつもより数が多い。けれど、それだけのことだと思った。

 このあたりは湿地が近い。羽虫の多い夜なら、蝙蝠が群れるのも珍しくない。ゾラは特に気にも留めず、足を進める。

 少し、慢心があったのかも知れない。自分の張った結界に絶対の信頼を置いていた。

 誰であれ、気づかれずに踏み込めるはずがない。だからこそ森の気配の違いを、“異常”ではなく“静けさ”として受け取ってしまった。

 彼女は淡々と罠を設置しながら、風の流れを確かめる。

 何もおかしなことはない……そう自分に言い聞かせるように。

 最後の罠を古い樫の木の根元に仕込む。魔力が地面に染み込み、術式として定着する。

 ――これで完成だ。

 ゾラは息を吐き、立ち上がった。

 蝙蝠の羽音がさっきより近い。

 ゾラは空を見上げた。雲の切れ目から、僅かに星明かりが漏れている。その光に照らされて蝙蝠の影が、幾つも舞っている。

 数が先程より増えたように感じられた。そして、その動きが妙に揃っている。

(……ああ、そういえば)

 ゾラは小さく息を吐いた。

(ヴァンパイアは蝙蝠を使うんだったわね)

 偵察か。それとも……単なる威嚇か。

 どちらにせよ、もう気づかれているということだ。

 ゾラは踵を返した。

 罠は張った。結界も正常に機能している。

 来るなら来ればいい。

 彼女は静かに歩き出す。棲家とは逆の方向へ。森の奥へ、更に深く。

 見られている、その確信があった。

 蝙蝠の羽音が自分を追っている。

 ゾラは淡々と足を進める。枝を避け、根を踏み越え、闇の中へ。

 急ぐ必要はない。

 森の奥へ数十歩進んだ、その時――

「見つけた」

 声が背後から響いた。




 夜空は暗く、冷たかった。

 月が雲に隠れ、星も見えない。でもニカエラには――そんなものは必要なかった。

 彼女は目を閉じる。

 闇が視界を覆う。しかし、それがいい。

 世界は音で出来ている。蝙蝠たちの声が、彼女の意識に流れ込む。

 反響が描く森の形。枝の一本、葉の震え、獣の小さな呼吸。

 すべてが音の線で結ばれた地図の上に浮かび上がる。

 木々の密度が分かる。

 枝の配置が分かる。

 そして――動く人影が、分かる。

 小さな魔女。

 音が彼女の輪郭を撫でる。

 足音は聞こえない。だが、確かにそこにいる。

 音の流れに一瞬の乱れ。風の向きが僅かに変わる。

(逃げても無駄よ)

 蝙蝠たちが彼女の意志に応える。

 羽音が揃い、森を裂くように舞い降りる。追跡する。逃がさない。

 魔女は気づいているだろうか。

 この夜の闇が、どれほどの眼を持っているかを。

 その背中を完全に捉えた瞬間、ニカエラは静かに笑った。

 唇の端が冷えた空気に触れ、白く曇る。

「見つけた」


 その魔女は、あの男が言った通りに若く、金髪で小柄な女だった。

 私の声に反応し、振り返る。

 だが、その表情を見て私は眉を顰めた。

 驚愕も、警戒もない。ただそこに石ころが転がっているのと同じように、なんの感情も持たず佇んでいるだけ。

「おまえがミーシャを……」

 私は憎しみの全てをぶつけるように言葉を絞り出した。

 自分が思ったよりも低く、美しくもない声色。だが、そんな体裁を気にする余裕はなかった。

「聞いているの」

 無視を決め込むような態度に、たまらず問う。

「ミーシャ? なんのこと」

 ようやく魔女は口を開いた。その声もまた、ひどく平坦で、欠伸が出るほど退屈そうだった。

「恍けないでちょうだい。おまえがミハイルを連れ去ったのでしょう?」

 あぁ、とようやく納得したかのような反応。

 私が腑が煮えくり返るほどの怒りを燃やしているというのに、この温度差はどうだ。その落差にすら、苛立ちを覚える。

「どこにいるの? 返しなさい。おまえのような女はあの子に相応しくない」

「……契約してしまったから。そう簡単には返せないのよ」

 魔女は淡々と、事務的に告げた。

「それに、あの子。家に帰りたくないそうよ」

 瞬間、思考が白く弾けた。

「そんなわけない! 適当なことを言わないでッ!」

 叫びと共に、身体が弾かれたように動いていた。

 喉元を狙う。あの粗末な命を刈り取った時と同じように、爪を立て、皮膚を引き裂く――そのイメージは完璧だった。

 あと数センチ。

 その距離が、永遠のように遠のいた。


 ガクン、と。

 見えない杭で縫い止められたかのように、身体が空中で硬直した。


 ――え?


 思考が追いつかない。ただ、目の前の魔女が、指の一本すらも動かしていないことだけが見えた。

 直後、頭上で微かな音がした。いや、音が途切れたと言うべきか。

 顔を上げ、見上げることも出来ない。けれど――それが何かは、すぐに理解することになった。

 援護の為に放った蝙蝠たちが一斉に地に堕ちる。

 断末魔も、羽ばたきさえもなく。ただ無為に、炭となって崩れ落ちていく。

 ぞわり、と。

 背筋を冷たい虫が這い上がるような感覚。

 視線を戻せば、魔女の足元から夜の闇よりもなお深く、重たい“黒”が溢れ出していた。

 それは泥のように粘つき、私の足元を浸食していく。

 ――魔術ではない。

 理解が追いつくより先に、身体が悟っていた。

 世界の底が抜け、その暗さが溢れ出したような“質量”だった。

「な、に……これ……」

 本能が警鐘を鳴らす。いや、絶叫していた。

 この女に関わるな。逃げろ。これは“魔女”などという枠に収まる存在ではない。

 だが、身体は動かない。視線で縫い止められたように。

 魔女が首を傾ける。それだけで、忌まわしい映像(きおく)が一瞬重なった。

 似てなどいない。それなのに――胸の奥が、あの夜と同じに軋んだ。

 目の前の小娘から、『悪魔』と同じ匂いがした。

 言葉より先に、喉が震えた。呼吸が浅くなる。

 理屈ではない。大気に満ちる“死”そのものの気配が、今ここで再現されていた。

(なぜ?)

 どうして、おまえからあいつの気配がするの。

 両親をゴミのように処理した、あの理不尽な暴力の気配が。

 喉から、情けない音が漏れた。

「……あ、あぁ……」

 戦意喪失などという生易しいものではない。許容量を越えた恐怖が、私の膝を強制的に折らせた。

 糸が切れた人形のように地面に崩れ落ちる。

 指先ひとつ動かせない。圧倒的な捕食者の前で、私はただ震える餌でしかなかった。

「弱いのね」

 頭上から降ってきたのは、侮蔑ですらない、ただの事実確認。

 それが余計に、私の心をへし折った。

 殺される。あの夜の両親と同じように。

 惨たらしく、無価値なものとして、跡形もなく消される――

 絶望で視界が暗くなる中、森の奥から誰かの足音が近づいてくるのが聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ