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ヴァンパイアは暁に夢む  作者: 静杜原 愁


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誘蛾灯

 森の奥深く。夜が訪れる前、彼女の棲家はまだ静けさに包まれていた。

 書斎を満たすのは、紙の匂いと言葉にならない沈黙だけ。

 ゾラは使い慣れた革張りの肘掛け椅子に深く身を沈め、開かれた魔導書から目を離さずにいた。しかし、その瞳の奥には、本の記述とは異なる別の思案が揺らいでいるのが見て取れる。

 その静寂を破ったのは、書斎の隅――暖炉の熾火のように蒼く揺らめく鬼火だった。その存在は特定の形を持たず、ただ漂うだけの燐光が僅かに揺れて言葉を紡ぎ出す。

「……そろそろ、時期だろう」

 声に実体はない。まるでゾラの思考に直接語りかけるように、空間に響く。ゾラの視線が魔導書からその光源へとゆっくりと向けられた。

 その表情には微かな苛立ちが浮かんでいる。

「分かってる」

 ゾラの声は低く、感情を押し殺したようだった。彼女が口にしたくない話題であることは、この朧気な存在にとっても承知の上だろう。

「休みがちな君を心配して来てくれた子が居たね? 今回こそは誤魔化せないよ」

 核心を突くように、抉るように――恐れを知らないのか。何者かの思念体のような“それ”は、わざとらしくその話題に踏み込んでいく。


 数日前のことだ。わざわざこの僻地まで足を運び、“会合”の報せを直接通達していった者がいた。

 若き魔女・ヴァレリア――この地域一帯を纏める魔女。いわば調停役であり、高位の魔女たちの言葉を伝える役目を担っている。彼女は真面目で、だからこそその役割を持たされるに相応しい存在であることは、ゾラも認めていた。

「ええ。律儀にも、わざわざ出向いてくれたわ」

 ゾラは皮肉げに呟いた。ヴァレリアの言いたいことは、痛いほど理解している。

 魔女の会合は、三年に一度の“政治と権威の儀式”。そこで、魔女としての地位や実力を誇示し、互いの勢力を見極めるのが常だ。

 だが、それだけではない。

「魔女であることの条件を満たしているか、確認される場でもある」

 その声がゾラの思考をなぞるように続く。それは僅かに形を変え、まるで嘲笑っているかのように揺らめいた。

「使い魔を伴わず出席することは許されない。知ってるだろう? ゾラ」

 ああ、よく知っていた。使い魔を持たぬ魔女は“魔女もどき”と嘲られ――嗤われる。正式な魔女とは認められず、どれだけ実力があったとしても、その一点だけで他の誰よりも劣る存在だと見做されてしまう。

 ただ侮られるだけに留まらず、古い因習のように呪いのように……完全な力の行使に、使い魔の存在は必要不可欠なのだ。それが魔女社会における、絶対の掟だった。

「君のような高位の魔女が、そんな屈辱を受けるつもりかい?」

 その存在の言葉は、ゾラの最も触れられたくない部分を的確に突いていた。

「知ってる。あの場所がどれだけ醜いか、改めて思い出させないで」

 ゾラは、冷ややかに言い放った。手元の魔導書のページを閉じる仕草に、微かに苛立ちが滲む。

 長年、この会合から逃れ続けてきた。病を理由に、研究に没頭していると偽り、あの偽善と腐敗に満ちた社交の場を避けてきたのだ。

 だが今回はもう言い逃れは出来ない。

「まさか、()()この私を連れて行くわけじゃないよねぇ?」

 その声にはどこか楽しげな響きが混じっていた。ゾラが追い詰められている状況を、彼は冷静に、そして冷徹に見つめている。

 語りかけるこの蒼い炎は、仮初の使い魔としてゾラの手で生み出された存在――何者かの思念の残滓。

 形を成さず、実体も無いこの存在を伴って行ったのなら……魔女としての地位は確実に失われるだろう。

 このまま同じことをすれば、次はない。今回が最後の猶予だった。

「それまでにはちゃんと用意するわ。それで良いのでしょう」

 分厚い魔導書を閉じ、渋々といった様子でゾラは椅子から立ち上がる。

「ああ、一つアドバイスをしてあげよう」

 揺らめく蒼に視線を向ける。戯言であれば聞くに値しないが、アドバイスとまで言ってのけるのだから、ゾラは静かに耳を傾けた。

「ゾラの魔力は美味しそうで、たまらない匂いがするんだ。だからね? かつての私のように、引き寄せられる者も居る――かも、知れないね」

「つまりは何? 誘蛾灯にでもなれ、と?」

「探すならその方が手っ取り早いだろうね」

 ()()が――魔性の存在がそう言うのであれば、この助言は信用に足るものだとゾラは考えた。

 つまりは引き寄せた中から選べば良い、と。

 形式上必要なだけなら間に合せでも良いだろう。……ただ、会合さえやり過ごせるのなら、それで良い。

 彼女が黒い外套を羽織ると、蒼い炎は寄り添うようにふらふらと、そのすぐ傍まで来た。

「おや、今から探しに行くのかい? 行動力があるのは良いことだよ」

「お前があまりにも煩いから、早く手放してやろうと思ったまでよ」

「……悲しいことを言うね」

 不確かな輪郭は弱々しく明滅し、その感情を表現するかのようだった。

 夜の帳が降りる中、彼女は静かに扉を開けた。夜気が頬を撫でる。

 仮初の使い魔がふわりと揺らめき、ゾラの顔を覗き込むように浮かぶ。

「さて、君に相応しい使い魔を探しに行こうじゃないか」

 ゾラは無言で肩を竦め、ローブの裾を翻す。それが拒絶の意か、或いは同意の証かは不確かだけれども。

 夜は、まるで彼女を待っていたかのように深まっていく。

 その先に――まだ名も知らぬ影が、静かに息づいているとも知らずに。

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