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ヴァンパイアは暁に夢む  作者: 静杜原 愁


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19/56

歪な共同作業

 ゾラは窓辺から眼下に広がる夜の庭を見下ろしていた。

 ミハイルが街から戻ってきてから、もう数時間。あの青年は一心不乱に土を掘り返し続けている。

 苗を置き、埋めようとしてはまた掘り返し……その反復には目的も整合もない。壊れた作業工程のように、ただ動きだけが残っている。

 壊れた人形のような挙動。

 彼に纏わりつく湿った気配――焦りでも恐怖でもない。もっと静かで重い、沈殿した気配。

 胸の奥で小さな棘が疼いた。彼の不調は庭そのものを鈍く染めている。ゾラの支配領域に不要な乱れが生じ始めていた。

「……街で何があったのかしら」

 ゾラは薄い羽織りを纏い、燭台を手に庭へと降りた。


 背後へ歩み寄ってもミハイルは反応しない。ヴァンパイアとしての鋭敏な聴覚すら遮断するほどの没入。或いは、外界への拒絶か。

 足元には萎れかけた花の苗が散らばっていた。薬効など欠片もない、ただ色鮮やかであることだけが存在理由のような、脆弱な花々。

「それは何? この庭には不要な異物よ」

 感情を削ぎ落とした声で問う。

 ミハイルの肩が鞭で打たれたように跳ねた。

 振り返った彼の顔色はあまりに蒼白だった。瞳孔が揺れ、焦点が定まらない。

「ごめん……勝手なことをした」

 力なく項垂れる首筋は細く、今にも折れてしまいそうだ。

(……調子が狂う)

 それは彼が勝手に花を植えようとした「逸脱」への不快感ではない。目の前の使い魔がこれほどまでに損壊し、機能不全を起こしている事実――その原因が不明であることへの、純粋な疑問と苛立ちだ。

「そんなのろまでは。朝には全て枯れてしまうわ」

 ゾラは萎れた花の苗を指差す。

「効率が悪い。貸して」

 彼の手からシャベルを取り上げようと手を伸ばす。

 ミハイルは息を呑んだ。恐怖、困惑……そして、妙な温度の混じった視線。

 ゾラにはその反応の根拠が理解出来ない。

 無造作にシャベルを土へ突き立てる。魔法なら一瞬で済む作業を、敢えて指先を汚して行う。

 ――たかがこんな単純作業に何の情緒が宿るというのか。これはただの効率化。ついでに、彼の状態を観察するための距離を確保しただけ。

 ミハイルもまた、遅れて作業に加わる。

 先ほどまでの緩慢な死体のような動作が、ゾラが隣にいるという事実だけで、嘘のように律動を取り戻していく。

 視線は何度も横顔を盗み見る。怯えと、仄かな安堵。その奥に、奇妙な熱のようなもの。

(……不気味ね)

 ゾラは思考を冷やす。

 ただ隣で土を弄るだけで、彼の絶望は緩和されるのか。この花は誰の為に用意されたものか。その答えは、彼のこの視線が雄弁に語り過ぎている。

 私への媚び、或いは献上品のつもりか。

 それが彼をここまで壊した要因の一端なら、切り込むべき場所は決まっている。


 作業はすぐに終わった。

 土を払い、ゾラは立ち上がる。足元には、場違いなほど愛らしい花が頼りなげに揺れている。

 ミハイルはその花を見ていた。先ほどまでの悲壮感は消え、ただ静かに頬が緩んでいる。まるで自分が救われたとでも言うように。


 ――理解不能。だが、今の彼なら核心へ届く。

「それで。街で何があったの?」

 突然、中心へ踏み込む。

 弛緩していたミハイルの表情が一瞬で凍りついた。唇が震え、喉から空気が漏れるだけの音が響く。

「言えないの?」

「それは、その……」

「私に隠し事をする使い魔は、運用上のリスクよ。言うことを聞けない道具は処分するしかない」

 静かな宣告。

 その言葉の効き目は残酷なほど鮮明だった。ミハイルの顔から表情が抜け落ち、次いで、絶対的な恐怖で塗り潰される。

 彼は知っている。ゾラが本当に自分を切り捨てる存在だということを。

 ゾラは無言で見下ろす。慈悲など与えない。彼自身の手で傷口を開かせる為に、敢えて冷酷な沈黙を落とした。




 音が失われた。代わりに、古い記憶の扉が軋む。

『じゃあ、どうやって生きていくつもり?』

 ニカエラの声が蘇る。

 苛立ちの中にも慈しみを含ませた声。けれど、ゾラの言葉はもっと冷たく響く。

 ――情けない。

 あの日、ゾラはそう言った。蚊を潰すような無関心で。

 その響きがさらに古い、封印したはずの光景を引きずり出す。


 霞んだ部屋。泣きじゃくる少女の影。

『どうしてそんなに情けないの?』

 エヴァンジェリン。

 彼女は何かを叫んだ。けれどもう思い出せない。ただ、その声の奥にあった憎しみだけが今も胸を抉る。

 そしてその傍らで、レオナールは黙って見ていた。その沈黙が一番……痛かった。

 ゾラの顔が遠のく。声だけが残り、過去と今とを曖昧に繋げた。

「要らない」

 彼女の唇がそう告げたように見えた。幻聴だとは分かっていても、その言葉だけが何度も何度も、彼を殺してきた。


(捨てられる)

 呼吸が過呼吸気味に引き攣る。

(ゾラに見限られたら、僕は――)

 血の供給が絶たれる恐怖ではない。そんな生物的な死よりももっと根源的な、自分の存在意義の消失。

 ゾラに見捨てられたら、あの家族(じごく)へ引き戻される。

 それだけは。それだけは、嫌だ。

 ミハイルは震える体を必死で制御し、顔を上げた。

 目の前に立つゾラは、ニカエラではない。エヴァンジェリンでもない。

 けれど、今ここで口を開かなければ、彼女もまた自分を「不要」と断じるだろう。

「見つかったんです……家族に」

 喉から絞り出した声は、祈りに似ていた。

「僕が……ゾラの、使い魔になったことが……」

 告白は、夜の静寂に吸い込まれるように消えた。

 ミハイルはその場に崩れ落ち、額を地面に擦り付けるように平伏した。糸の切れた人形のように。




 風が止まっていた。虫の音さえ途絶えた庭で、ゾラはただ静かに足元の震える背中を見下ろしている。

 家族。

 その言葉が落とす影は、合理的で冷徹な魔女の内に波紋を作る。かつて彼女自身が置き去りにされた記憶の澱を、夜風が撫でる。

 長い、或いは一瞬のような静寂の後、ゾラの唇が動いた。

「そう。彼らが連れ戻しに来る、と」

 温度を持たない、硝子細工のような声だった。

 ミハイルの肩がびくりと跳ねる。

 次の瞬間、

「彼らが何を言おうと、退けるわ」

 ただ淡々と事実を述べただけの声音。

 ミハイルが弾かれたように顔を上げる。

 月明かりの下、ゾラは無感動な瞳で彼を見返していた。

「あなたは私の使い魔よ。みすみす渡したりはしない」

 それは慈悲ではなかった。愛でも、同情ですらない。ただの所有の宣言。

 だがその()()こそが彼にとっての救いであり、何よりも渇望していた居場所の証明だった。

 ミハイルの顔が歪む。張り詰めていた糸が切れ、絶望に凍り付いていた表情が、歓喜と安堵でぐしゃぐしゃに崩れていく。

「っ……、ぁ……」

 言葉にならない呼気が漏れた。

 頬に泥がついているのも構わず、彼は縋るようにゾラを見上げる。その瞳に浮かぶのは、神を崇める信徒の狂熱にも似た、倒錯した喜び。

「ありがとう……ゾラ……っ、ありがとうございます……」

 ゾラはその感謝を受け取らなかった。

 取引にも、責任にも還元されない空虚な音。彼女はただ、足元で涙を流すこの壊れた「機能」を、冷ややかに、けれど追い払うこともなく見つめ続けていた。

 二人の間に奇妙な熱が漂う。

 支配する者と、支配される者。その歪な形だけが、この夜の静けさの中で確かに噛み合っていた。

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