第9話 封印都市の夜明け
夜が明けた。
王都の空は淡く霞み、遠くの鐘楼が朝を告げていた。
昨日の震動の痕跡はほとんど見えない。
だが、地の底で確かに“何かが変わった”のを、私は肌で感じていた。
封印の鎮静とともに、王都の空気は静まり返っている。
祈る者、怯える者、信じようとする者。
誰もがそれぞれの“理解”を持ち、だがその形は一つではなかった。
謁見の間へ呼び出された私は、静かに王の前に立った。
レオニール三世は玉座に座り、目を細めて私を見ていた。
その横にはセドリック――魔導院副長が控えている。
「アザゼル。封印は再び安定した。
報告では、そなたが“神の声”を鎮めたとか」
「ただ、理解を戻しただけです。恐怖を封じたのは彼ら自身」
王はゆっくりと頷く。
「……王都は今、静まり返っている。
民はそなたを“再臨の導師”と呼び始めた。
だが一方で、異端審問官どもは“悪魔の策謀”と喚いておる」
「二つの呼び名、どちらも似たようなものです」
「どういう意味だ?」
「理解しようとせず、ただ“都合のいい形”を求める。
崇拝も憎悪も、根は同じです」
セドリックが一歩前に出た。
「それでも、秩序には“物語”が要る。
あなたの存在はあまりに強すぎる。
恐怖でも崇拝でも、どちらに転んでも、王都は保てない」
「だから封じるか? あるいは利用するか?」
私が問うと、セドリックは目を伏せた。
沈黙ののち、王が告げる。
「王国は今、“再定義者”を正式に顧問として迎える。
同時に、そなたの行動は王命の下に置かれる。――それで異存はあるまいな?」
「王命のもと、とは“理の制約”を意味するのか?」
「いや、民の平穏を守るための象徴だ」
私はわずかに微笑んだ。
「ならば受けよう。ただし――理を曲げろと言うなら、私はこの身を悪魔に戻す」
王は何も言わなかった。
だが、その沈黙が答えだった。
謁見を終えると、弟子たちが中庭で待っていた。
リアナが駆け寄り、安堵の息をつく。
「よかった……処罰とか言われるんじゃないかって」
「王は思慮深い。少なくとも、今は私を利用したいだけだ」
「利用、ですか?」
「英雄も異端も、王にとっては同じ駒だ。
違うのは、どちらを盤の端に置くかだけ」
ナナが拳を握った。
「じゃあ、私たちは何をすればいいんですか?」
「理を広げる。
この国の“恐怖で成り立つ秩序”を、少しずつ理解へ変える。
戦うより、教える方が難しいがな」
リナが笑う。
「師匠らしいですね。“悪魔の授業”開講ってやつだ」
「いい響きだ。教壇はここだ――」
私は王都を囲む塔々を見上げた。
「この街そのものが、私の教室になる」
それからの日々、王都では奇妙な光景が広がった。
広場で風の青年エリオが風を操り、子どもたちに魔力の“流れ”を教える。
炎の少女ナナは料理屋で火術を応用し、無駄な燃料を減らす方法を示した。
短剣使いの少年リュカは、兵士たちに“力より速さの理”を説き、
リアナは神殿で、信徒たちに“祈りと理解の違い”を語った。
最弱と呼ばれた弟子たちは、少しずつこの都に根を張っていった。
そして、彼らを見守る者として、私の名は再び広がる。
“悪魔に学びを授かった者は、嘘をつかない”――と。
だが、平穏は長くは続かなかった。
ある夜、セドリックが屋敷を訪れた。
その顔には疲労と焦りが滲んでいた。
「アザゼル殿。封印の安定が崩れつつあります」
「再び、か。原因は?」
「王都中の“信仰の波”です。
あなたを神聖視する者が急増し、逆に旧来の神官たちが異端審問を再開した。
祈りが恐怖と混ざり、魔力の流れを乱している」
私は目を細めた。
「理解を与えたつもりが、また“神話”を生んだか」
「人は神話を欲します。あなたが悪魔であればなおさら」
リナが声を潜めて言う。
「つまり……師匠が“救いの象徴”になってるんです。
でもそれが、封印に影響してる……」
「まるで、言葉が力そのものになっているようだな」
私は立ち上がる。
「封印は私が見に行く。だが、今度は誰にも触れさせぬ」
夜の王都。
月が白く輝く中、私は再び大聖堂へ向かった。
鐘の音はなく、空気は静まり返っている。
だが、地下への階段を下りると、耳鳴りのような“ざわめき”がした。
それは人々の祈りの残響。
言葉と想いが重なり、形を持たぬ声として満ちていた。
――アザゼル様。
――救ってください。
――神よ、悪魔よ、どちらでもいい。
私は目を閉じた。
「……これが人の声か。千年前と、何も変わらぬな」
杖を突く。
封印の紋が応える。
青い光が立ち上がり、静かに空気を切り裂く。
再び、あの声が響いた。
《理解と恐怖。二つを統べる者よ。
汝はどちらを救う?》
私は答えた。
「どちらも救わぬ。
救いとは奪うこと。
私はただ、“選ばせる”。」
光が強まり、封印の中央に輪が描かれる。
その中から現れたのは――分体の影だった。
「やはり、動き出したか」
影が嗤う。
「お前が理解を説く限り、恐怖は必ず反発する。
私はその“恐怖の意志”だ。次に開くとき、この国は割れるぞ」
「構わん。割れても、繋ぎ直せばいい」
「できるのか? 人の心を?」
「できる。今度は、ひとりではない」
影が黙り、やがて消えた。
封印は再び沈黙を取り戻す。
地上に戻ると、東の空が白み始めていた。
弟子たちが門の前で待っていた。
リアナが駆け寄る。
「師匠、どうでした?」
「封印は眠った。だが、次に目覚めるとき――この国が試される」
「試される?」
「理解を選ぶか、恐怖を選ぶかだ」
リナが微笑んだ。
「でも、その時はきっと、もう誰かが理を知ってますよ。
あの日、師匠が教えた“流れ”を、みんなが覚えてるから」
私は頷いた。
「なら、まだこの世界は救える。
悪魔の力ではなく、人の理解で」
朝日が昇り、王都の屋根が光を反射する。
封印都市の夜は終わりを告げ、
新しい時代の輪郭が、ゆっくりと浮かび上がっていった。
(つづく)
次回・第10話「再定義者の選択」




