第8話 神々の残響
王都の大聖堂は、白い石で築かれていた。
尖塔は雲を貫き、鐘楼には七つの鐘。
千年前の戦場跡に建てられたというその場所は、今や“神の座”として崇められている。
だが――私にとっては、見慣れた墓標だった。
門をくぐると、空気が変わった。
外の喧騒が嘘のように消え、石壁の隙間から漏れる光が微かに脈を打つ。
“封印”の気配だ。
リナが身を竦める。
「……重いですね。息が詰まりそう」
「これは祈りではない。恐怖を固めて作られた結界だ」
「恐怖を……?」
私は足を止め、石床に膝をつく。
指でなぞると、古代文字が刻まれていた。
――《アザゼル封印の地》。
自らの名を見た瞬間、体の奥が微かに疼いた。
セドリックが階段の先を指す。
「この地下の最深部に、“聖なる書”が安置されています。
神々の声を記したとされる遺物……あなたの“理”が通じるなら、そこで証明なさい」
「なるほど。私を“神の書”にぶつけ、罪人か救世かを測るわけだ」
「ご明察を。――覚悟をお持ちください、再定義者殿」
彼が去ると、私たちは静かな闇に包まれた。
弟子たちは緊張した面持ちで階段を下りていく。
壁に埋め込まれた光石が弱く光を放ち、長い影が続く。
最下層。
空間の中央に、巨大な書架があった。
書といっても、頁ではない。
石板を幾重にも重ね、封印紋で縛った塊。
それが“神の記録”として祀られている。
リアナが小さく息を呑んだ。
「……これ、魔力が……泣いてる」
「そうだ。これは“生きた記録”だ。
千年前、我らが最後に封じた。
“神”ではなく、“神を名乗る装置”をな」
私はゆっくりと近づく。
封印の紋が淡く脈動し、まるで呼吸するようだった。
杖をかざすと、紋の光が応える。
古い声が、空気の中に溶け出した。
《――ここに記す。神は人より生まれ、人の欲より死す。
ゆえに神を造る者は、必ず神を恐れねばならぬ。》
声は低く、どこか懐かしい。
弟子たちが顔を見合わせる。
リナが震える声で言った。
「これ、師匠の……?」
「そうだ。これは私の“記録”。封印の前夜、己の理を刻んだものだ」
書架の奥から、別の声が重なる。
《――恐怖を理解し、制御できぬ者こそ、悪魔と呼ばれる。》
《――悪魔は神を造らず、人を導くための鏡であれ。》
リアナが手を胸に当てた。
「……神と悪魔が、同じ目的を持ってたなんて……」
「神は“救い”を与え、悪魔は“理解”を与える。
だが人は救いだけを望み、理解を捨てた。
その果てに――この都市と封印が生まれたのだ」
その瞬間、書架の紋がひときわ強く光った。
床が震え、封印の鎖が一つ外れる。
弟子たちが慌てて後ずさる。
「アザゼルさん、これ……!」
「触れるな。――何かが、こちらを見ている」
空気の密度が変わる。
光が収束し、中心に“形”が現れた。
それは、白い衣をまとった人影。
だが顔はなく、無数の光が仮面のように浮かんでいる。
《我は神の残響。人の恐怖より生まれし記録。
悪魔アザゼル、汝はいま再び“理”を問うのか?》
「問うために来た。――人は、理解を失ってもなお生きる価値があるか?」
《答えは過去に刻まれている。汝の封印、汝の裏切り。》
光が弾け、周囲の空間が変わった。
弟子たちの姿が霞み、私はひとり、灰色の荒野に立っていた。
そこは千年前の光景だった。
燃える空、崩れる塔。
かつての仲間、そしてもう一人の私――分体が立っている。
「アザゼル、理を説いても、人は恐怖を選ぶ。
ならば、恐怖そのものを導け。神を作れ」
「それでは同じだ。人が人であるために、理解が必要だ」
「理解は弱さを生む!」
分体が叫び、天を裂く。
炎の雨が降り注ぎ、都市が崩れた。
それが、“封印の起点”だった。
――理解と恐怖。
どちらが正しかったのか、答えは今も出ない。
幻が消え、私は再び現実に戻った。
弟子たちは倒れかけ、リナが泣きそうな声で叫ぶ。
「師匠っ! 何が……!」
「過去の再現だ。神々の残響が、私に“理”を問うた」
私は書架を見上げた。
封印は二つ外れている。
このままでは、残響そのものが実体化する。
リアナが一歩前へ出る。
「……なら、もう一度封じましょう。
でも、今度は“恐怖”じゃなくて、“理解”で」
私はその言葉にわずかに目を見張った。
「理解で封印、か。
理を教え、恐怖を鎮める。……確かに、それが正しい」
杖を構える。
弟子たちが陣を組む。
詠唱ではなく、思考の調和。
心が一つに重なった瞬間、光が書架を包み――音が止んだ。
静寂。
封印は閉じられた。
だが、最後に一つだけ声が残った。
《理解は救いの形を変える。
次に問うとき、人は己を定義できるだろうか。》
声が消え、光が落ち着く。
私は杖を下ろし、深く息を吐いた。
「……やれやれ。千年経っても、まだ問われるとはな」
リナが微笑む。
「でも、今の師匠なら答えられる気がしますよ」
「どうだろうな。まだ“理解”の半ばだ」
弟子たちは疲れ切っていたが、誰も倒れなかった。
それが何よりの証だ。
夜、王都の空に月が昇る。
塔の鐘が静かに鳴った。
その音を聞きながら、私は心の中で呟く。
――封印は再び眠った。
だが、分体はまだ目を覚まさない。
そして、あの“残響”が言った通り、人はまた新たな定義を探すだろう。
「理解と恐怖。
どちらも人の中にあるなら――
私は、両方を見届けよう」
杖の先で月光を弾き、私は歩き出した。
その背を、弟子たちの灯が追う。
悪魔と人とが共に歩く夜は、
思いのほか、静かで温かかった。
(つづく)
次回・第9話「封印都市の夜明け」




