第7話 悪魔、広まる。
遺物都市の目覚めから三日。
エルデ領の空は穏やかさを取り戻しつつあった。
魔導炉の光は安定し、嵐は止み、川には久しぶりに鳥が戻ってきた。
――しかし、静けさの裏で“声”が走っていた。
「聞いたか? 辺境で“古式の悪魔”が蘇ったらしい」
「封印を鎮めたって話だ。だが、本当は自分が封印を壊したとも……」
「領主の娘が従っているとか」
噂は伝令よりも早く、風よりも確かに広がっていた。
王都、商人街、酒場、神殿――
人々の舌がそれぞれの物語を作り、名を紡いでいく。
――“再定義者アザゼル”。
「師匠、なんか……ちょっと、騒がしくなってません?」
訓練場の隅で、風の青年エリオが汗を拭いながら言った。
炎の少女ナナが息を弾ませて笑う。
「昨日も行商人が“奇跡を見に来た”とか言ってましたよ!」
「奇跡、ね」
私は軽く息を吐く。
「奇跡とは“理解できぬ理”を人がそう呼ぶものだ。
理解すれば、奇跡はただの現象に過ぎん」
「そういう言い方が、また伝説っぽいんですよ」
リナが横から笑った。
「どこの村でも“再定義者様が光を呼んだ”って語り草になってます」
弟子たちは笑っているが、私は知っていた。
噂というものは、火と同じだ。
一度燃え広がれば、暖をも与えるが、すぐに家をも焼く。
その日の午後、王都からの使者がやってきた。
銀の鎧に王章を刻み、四騎の護衛を従えた中年の男。
名はセドリック・ハウエル、王国魔導院副長――
かつて符術体系を築いた張本人である。
「再定義者アザゼル殿。陛下の名において、あなたを王都へお招きします」
「……招き、とは穏やかだな」
「言葉の通りです。ただし、拒む場合は“拘束”となります」
リナが息を呑む。
ミレーユは一歩前に出た。
「この方は我が領の恩人です。粗略な扱いは――」
「領主殿。私は王命に従うのみ。
ただしご安心を、彼の功績はすでに報告済みです。
“国家魔導顧問”への叙任が内定しております」
弟子たちがざわめく。
リナはこっそり小声で言った。
「……出世コースですね、師匠」
「ふむ。だが“餌”が甘いほど、罠は深い」
私は静かに頷いた。
「よかろう。王都へ赴く。ただし弟子たちも同行させる」
セドリックは一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに頷いた。
「構いません。彼らの観察も、研究対象として興味深い」
出立の夜、屋敷の灯がひとつずつ消える。
ミレーユが玄関で見送った。
「どうかお気をつけて、アザゼル様。
王都では“チート式”の権力者がほとんどを支配しています。
彼らは、あなたのような存在を恐れます」
「恐れは、理を守る最後の本能だ。
だが、恐怖を支配するのが悪魔の務めでもある」
私は彼女に微笑み、馬車へ乗り込んだ。
夜風が帷を揺らす。
道の先、黒い森を抜けると王都の灯が見えるはずだ。
だが、リナが小声で呟いた。
「……師匠、本当に行くんですか?」
「行かねばならぬ。噂を放っておけば、いずれ誰かが神の名で処断を口にする」
「でも、向こうはあなたを英雄にしたがってる。
“救世の悪魔”なんて、呼ばれ方まで出てます」
「――救世、か。最も危うい言葉だ」
窓の外を眺めると、星が流れた。
まるで天が何かを見ているかのように。
翌朝、王都の城門が見えた。
白い石壁に刻まれた紋章。
だがその外壁には、見慣れぬ旗が翻っていた。
《魔導統制会議》――符術の上層部が集う、実質的な王国の頭脳。
門前には既に群衆が集まっていた。
誰かが叫ぶ。
「アザゼル様だ!」「再定義者が来たぞ!」
兵士たちが押し留めようとするが、押し寄せる人の波は止まらない。
子どもたちが花を投げ、老女が膝を折って祈る。
英雄視――いや、信仰だ。
「師匠……本当に“バズって”ますよ」
リナが苦笑する。
私はその言葉を理解しながらも、笑わなかった。
「違う。これは崇拝ではない。――同調だ。
彼らは“理解”を放棄し、希望だけを投げている。
それが一番危うい」
謁見の間。
白銀の玉座の前、セドリックが進み出る。
玉座の上には若き王――レオニール三世が座していた。
年は二十そこそこ。だが瞳は鋭く、笑みの奥に策が見える。
「ようこそ、再定義者アザゼル。
そなたの功績、国中に響いておる。
我が王国に仕えぬか?」
その声に、弟子たちの間がざわつく。
だが私は一歩前に出て、静かに頭を垂れた。
「陛下の寛容に感謝いたします。
ただ一つ――“仕える”という言葉には、定義が必要ですな」
王の眉が僅かに動く。
「定義、とは?」
「従属か、協調か。
私は神にも王にも膝を折らぬ。ただ、理には従う。
陛下が“理”を尊ぶなら、私はこの国を導きましょう」
広間が凍りついた。
セドリックの拳が震え、近衛たちが剣に手をかける。
だが、王は笑った。
「面白い。
ならば示せ、そなたの“理”とやらを。
王都の中央にある大聖堂――封印の書が眠る地下で、
そなたの理が通じるか、確かめさせてもらおう」
「承知した」
謁見が終わり、弟子たちが廊下で小声を交わす。
「師匠……あれ、完全に試されてますよ」
「むしろ、狙われてる」
リナが眉を寄せる。
「王都の地下って、千年前の戦場跡ですよ。
封印の残滓があって、誰も近づけない場所……」
「ならば好都合だ」
私は微かに笑った。
「私が“もう一人のアザゼル”を探すにも、そこが最も近い」
そのとき、遠くの鐘が鳴った。
低く、重い音。
まるで都市そのものが息を呑むような響き。
――古代の扉が、開こうとしていた。
(つづく)
次回・第8話「神々の残響」




