第四章 第6話 世界の輪郭 ――理なき創造のはじまり
――世界が、溶けはじめていた。
“第五の理”――存在の許し。
それが芽吹いたあの日から、
人と人とのあいだにあった境界が、ゆっくりと消えていった。
争いは減った。
涙も怒りも、やがて“区別”を失っていく。
人々は互いの想いをそのまま受け入れ、
拒絶することも、選ぶことも、しなくなった。
優しい世界。
けれど、その優しさは、やがて“形”を奪っていった。
ネモラリアの街。
建物は曖昧な輪郭をしていた。
石壁と空気の境が溶け、
道を歩けば、地と空の境が分からない。
アリュスは街の中央に立ち、掌を見た。
かつてあった灰の紋が、薄く光っている。
「……これが、“許し”の代償か。」
リアナが隣に立ち、首を振る。
「代償というより、“結果”よ。
理の外に出た世界は、
自分の輪郭を保つことさえ、選べなくなる。」
ユミが震える声で言った。
「みんな、優しいのに……笑ってるのに、
なんだか“いない”みたい。」
街の中央には、一本の巨大な樹が立っていた。
それはアリュスが埋めた“灰の花”の成長した姿。
葉も幹も、淡く透けており、
中には光の筋が流れている。
その樹から、絶え間なく囁きが響いていた。
《……許セ……受ケ入レヨ……》
その声に導かれるように、
人々は樹のもとに集まり、静かに手を合わせる。
「……これが、“第五の理”の化身?」
リアナが呟く。
アリュスは頷く。
「“理なき創造”……形のない、存在の中心だ。」
そのとき、樹の根が震えた。
地面の奥から、淡い影が滲み出す。
それは“虚声”たちの名残。
問いを失い、存在の許しによって中途半端に救われた魂たち。
《――存在スル苦痛ヲ、ドウ扱ウ?》
《――全テヲ許セバ、苦シミモ理トナルカ?》
アリュスは息を呑む。
「……やっぱり、来たか。」
リアナが剣を握る。
「彼らは、“許し”に耐えられないのよ。
許されることは、存在を否定されることと同じだから。」
風が吹き荒れた。
灰の樹の枝がうなり、
街全体に柔らかな光が満ちていく。
《――存在ヲ赦スナラ、我等ハ何ニナレバ良イ?》
その声に、アリュスは答えた。
「何にもならなくていい。
“在る”だけで、もう充分なんだ。」
《――在ル……トハ……?》
「変わっていい、壊れていい、
それでもまだここにいる――
その“曖昧さ”が、生きてる証なんだ!」
光が爆ぜた。
虚声たちが次々と溶け、灰となって舞い上がる。
それは恐れではなく、祈りのように穏やかだった。
風が止む。
灰の樹が静かに光り、
その根元に一枚の葉が落ちてきた。
アリュスがそれを拾うと、
葉の裏には、淡い文字が浮かんでいた。
> 《世界は、輪郭を描く者を求めている》
リアナがその文字を覗き込み、微笑んだ。
「つまり、あなたが――“描き手”になるってことね。」
「……理の外の世界を、“形”に戻す役目か。」
アリュスは小さく息を吐く。
「それが“灰の理”の最終形なんだろう。」
ユミが空を見上げて言った。
「ねえ、あの空……前より青くなった気がする。」
リアナが頷く。
「きっと、世界が“選び直そう”としてるのよ。」
アリュスはゆっくりと立ち上がり、空を見上げた。
灰と青の混ざる空。
そこに、微かに“未完成の輪郭”が見えた。
「――まだ描ける。」
彼は笑った。
「理はもういらない。
でも、“物語”は、まだ続けられる。」
光の中で、灰の樹が小さく脈動した。
その枝先から、細い光が空へ伸びる。
まるで世界の輪郭を描き直すように。
そして、誰もが気づいた。
“理なき創造”とは、破壊ではなく再生。
灰の中から世界が新しいかたちを見つけようとしていた。
アリュスは歩き出した。
リアナとユミがその背に続く。
足跡が、光と灰を混ぜた軌跡を残す。
彼らが向かう先には、
まだ名のない空白の地――
「理の外」の果てが、静かに広がっていた。
(つづく)
次回・第四章 最終話(第7話)「最後の選択 ――理の外で描く者」
→ “存在の許し”の理によって、世界の輪郭は薄れ、
人と理の境界が完全に消えかける。
そのとき、アリュスはひとつの選択を迫られる。
――理なき創造の世界を残すか、
それとも再び“理”を呼び戻すか。
すべての問いの終着点で、
アリュスが見つける“最後の言葉”とは――。




