第四章 第4話 灰の理 ――終わりを恐れぬ者たち
――灰が風に舞い、光を滲ませていた。
あの日、アリュスが選んだ「灰の理」は、
まだ世界の奥深くに眠っていた“理”たちの記憶を呼び覚ましていた。
街では人々が少しずつ、
「言葉」と「沈黙」のあいだで生きることを覚え始めていた。
誰かが泣けば、誰かが笑い、
誰かが祈れば、誰かが答えた。
それはゆるやかに、美しい混沌。
理でも秩序でもない、世界の新しい息づかい。
けれど、その静かな日々の底で、
“何か”が蠢き始めていた。
夜。
ネモラリアの外れにある小さな村。
広場の中央に、古い井戸がひっそりと口を開けていた。
そこから、かすかな囁きが上がる。
《……問イヲ、クレ……》
通りがかった村人が足を止めた。
「……誰か、呼んだか?」
《……問イヲ……クレ……》
その声に引き寄せられるように、村人は井戸の中を覗いた。
次の瞬間、冷たい風が吹き上がり、男の影が地面から“剥がれた”。
影は歪み、人の形を取りながら立ち上がる。
《……問いヲ失ッタ者ノ影。虚声ナリ……》
翌朝。
アリュスとリアナは、灰の森を越えてその村へ向かっていた。
ことの葉拾いの少女・ユミが、後ろで笛を吹いている。
「ねえ、アリュス。あの街の人たち、今度は“灰”を祭るんだって」
「灰を?」
「“終わりを恐れぬ日”っていうお祭りなんだって!」
リアナが少し笑う。
「悪くない呼び方ね。
終わりを恐れないって、あなたの理そのものよ。」
「……でも」アリュスは目を細めた。
「“恐れない”って、同時に“鈍る”ことでもある。
恐れを失うと、人はすぐ“考えるのをやめる”。」
村に着いたのは、午後の陽が傾き始めた頃だった。
しかし、どの家にも人の気配がない。
風が抜け、扉がゆっくりと開いた。
ユミが囁く。
「……静かすぎる。」
リアナは腰の剣に手をかけた。
「何かが、抜けてる。――“問い”がない。」
広場に出ると、井戸の周りに人々が集まっていた。
いや、“集まっていたように見えた”。
彼らは全員、同じ姿勢で空を見上げ、
口を半開きにしたまま、声を失っていた。
その中央、井戸の影から、
ゆっくりと“もう一つの人影”が浮かび上がる。
《……問ウ者、再生者アリュス……》
アリュスはすぐに理解した。
「……“虚声”か。」
影が震え、声を返す。
《理ナキ世界デ、ワレラハ生マレタ。
問ウ者ノ不在、答エナキ夜。
我等ハ、問イヲ喰ラウ。》
「問いを……食べる?」ユミが青ざめる。
リアナが息をのんだ。
「つまり、人の“考え”を奪って存在してるのね。」
《恐レハ、美味イ。迷イハ、甘イ。
人ノ影ニ残ル理ノ残響、我等ノ糧。》
アリュスは一歩踏み出す。
「問いを奪えば、世界は止まる。
でも、お前たちは“問いの不在”から生まれたんだ。
――つまり、僕らの鏡だ。」
虚声がざわめく。
《鏡ハ、壊ス者ノ為ニ在ル。
汝ガ恐レ、我等ノ糧トナラント。》
影が裂け、複数の虚声が姿を現す。
空気が重く歪み、灰が渦を巻く。
リアナが構える。
「数が多いわ……!」
「いい」アリュスは目を閉じる。
「“灰の理”は戦いじゃない。――対話だ。」
彼は掌を広げ、灰色の光を放った。
「再定義――“恐れは奪われぬ、分かち合うもの”!」
光が広場を包む。
虚声たちの輪郭が淡く滲み、揺らぎ始めた。
《……恐レ、分カチ合ウ……?》
《問イハ、共有デキル……?》
アリュスは微笑んだ。
「恐れも問いも、分け合えば形を変える。
奪うんじゃなく、響かせるんだ。」
風が吹いた。
虚声たちは灰となり、空へと舞い上がった。
その灰のひと粒ひと粒が、微かに光っていた。
ユミが見上げる。
「……消えたの?」
リアナが首を振る。
「違う。“帰った”のよ。
人々の心の中に――再び問いとして。」
村人たちが目を覚まし、ゆっくりと立ち上がる。
ある者は涙を流し、ある者は笑い、ある者は空を見上げた。
それぞれが小さな声で、何かを呟いている。
「なぜ」「どうして」「これからどう生きよう」
それは、世界が再び“動き出す”音だった。
アリュスは静かに目を閉じた。
「虚声も、僕たちの一部だったんだな。」
リアナが頷く。
「恐れを喰らう影がある限り、人は怯えを忘れない。
でも、その怯えが、また理を育てる。」
アリュスは空を見上げた。
灰の粒が光を受け、ゆっくりと空の彼方へ消えていく。
「……“終わりを恐れぬ者たち”か。
彼らは、理のない世界の新しい命なんだ。」
風が吹き抜ける。
灰が地を撫で、世界の境が一瞬だけ透けて見えた。
その先に、まだ見ぬ“第五の理”が微かに光っていた。
(つづく)
次回・第四章 第5話「第五の理 ――世界の余白に芽吹くもの」




