第三章 第5話 最初の問い ――理を生む種
――夜明けの空が、音もなく割れた。
風の流れが変わり、雲が円を描いて回転する。
その中心に、“問い”があった。
形も声も持たない――けれど確かに、呼吸をしている何か。
アリュスは目を細めた。
「……これが、“最初の問い”?」
リアナは頷く。
「そう。
師匠アザゼルが理を生み出す前、
この問いだけが、世界にぽつりと残っていた。
すべての“定義”の前に存在する――始まりの言葉。」
ことの葉拾いの少女が小さく囁いた。
「でも……声が聞こえないよ?」
「聞こえるようで聞こえない。
“問い”とは、耳で聞くものじゃない。
心が反応したとき、それが答えになる」
神殿の奥へ進むと、古びた石板があった。
そこには、たった一行だけが刻まれている。
> 《あなたは、何を“恐れて”生きている?》
アリュスの足が止まる。
「……これが、“最初の問い”?」
リアナは静かに頷いた。
「師匠は、これを起点に理を生み出した。
恐怖こそが、存在の原点だと。」
アリュスは、ゆっくりと手を伸ばして触れた。
途端に、石板から光があふれ出した。
視界が白に染まり、無数の記憶が流れ込む。
恐怖を抱いた人々。
戦い、喪失、愛、嘘、祈り、そして再生。
それらすべてが“理”を形づくってきた。
「……見える……」
アリュスは息を詰めた。
「理って、恐怖の向こうにあるんだ。
誰かを傷つけたくないとか、失いたくないとか、
そういう想いが、問いを生むんだ……!」
「そうよ」リアナが微笑んだ。
「恐れは“生の輪郭”を描く。
それを見つめる勇気があって初めて、理は息をする」
そのとき、神殿の床が軋んだ。
石板の文字が、まるで燃えるように光を放つ。
《恐れを抱く限り、世界は再び定義される。
問う者よ――お前の恐れを、語れ。》
風が逆巻いた。
光がアリュスの胸に突き刺さるように流れ込む。
「僕の……恐れ?」
心臓の奥が痛む。
彼の脳裏に、いくつもの映像が浮かんだ。
――沈黙の谷。
――鏡の都。
――泣いていた少女たち。
そして、再定義者アザゼルの最後の言葉。
『理を滅ぼすのは、理解だ。
だが、恐れを抱いたまま進む者が、新しい理を生む。』
アリュスは、拳を握った。
「僕は……“理がまた誰かを縛ること”が怖い。
でも、それでも――もう逃げない!」
光が弾け、神殿全体が震えた。
空へと一本の光の柱が立ち上がり、
沈黙と声がひとつに溶けていく。
リアナが息をのむ。
「……理の種が、芽吹いた……」
アリュスの胸の中で、杖が脈動していた。
それは、アザゼルの杖――“再定義の核”が、再び世界に呼応した瞬間だった。
空から降る光の粒が、地を覆う。
傷んだ森が蘇り、倒れた神殿が再び形を取り戻す。
ことの葉拾いが涙を流しながら微笑んだ。
「……理が、歌ってる」
やがて光が収まり、静寂が訪れた。
アリュスは膝をつき、胸に手を当てた。
その奥で、確かに“問い”が生きていた。
リアナがそっと近づく。
「あなたはもう、“再定義者”を超えた。
恐れを抱き、なお理を生む――
あなたこそ、“再生者”。」
アリュスは微笑んだ。
「理は終わらない。
恐れがある限り、人は問い続ける。
それが、生きるということなんだ。」
神殿の外、朝日が昇る。
沈黙の地に、再び“音”が戻った。
鳥の声、風の音、人の息。
そして、遠くで小さな子どもの笑い声が響いた。
アリュスはその光景を見つめながら、静かに呟く。
「……師匠。あなたの理は、まだ続いているよ。」
(つづく)
次回・第三章 第6話「終焉の継承 ――理のない未来へ」




