第二章 第7話 終わらない祈りの街
――鐘が鳴り止まない。
その街に入った瞬間、私たちは気づいた。
昼も夜も、祈りの声が響いている。
笑う者も泣く者も、皆が空を仰いで手を合わせていた。
リアナが耳を押さえる。
「……ずっと祈ってる。眠らずに、食べずに……」
「“祈都マルガリア”だ」
私は呟いた。
「祈ることで平穏を保つ街。
人々は“願いを止めること”を恐れている」
街の中心には、巨大な白い塔――「聖律庁」がそびえていた。
その頂から光が降り、人々はそこへ向かって祈り続けている。
ナナが眉をひそめた。
「……なんか、おかしい。祈りって、もっと自由なものでしょう?」
「今の祈りは“義務”だ。理の宗教化――
恐怖を支えた祈りが、今は恐怖を“再生産”している」
聖堂の門前で、白い法衣をまとった女司祭が私たちを迎えた。
目元までヴェールで覆われ、声は澄んでいた。
「再定義者アザゼル。
あなたの噂は存じております。
しかし、我々の理は完成しました。
人は恐怖から解放され、夢も嘘もない。
祈りだけが残ったのです」
「祈りだけが残る世界は、もはや“生”ではない」
「生とは穢れです。
欲望が恐怖を生み、恐怖が罪を育てる。
だから、祈り続けることが救いなのです」
「……祈りを“続けること”が救い、か」
私は微かに笑った。
「止まらぬ祈りは、ただの鎖だ」
その夜。
街は眠らなかった。
人々は家々の中でも、路地でも、膝を折って祈り続ける。
子どもですら、夢の中で手を合わせていた。
リュカが焚き火の前で低く言う。
「……これ、誰のための祈りなんですか?」
「“天上の理”と呼ばれる存在だ」
「理……?」
「人々が恐怖を棄てたとき、拠り所を失った。
だから、“理”を人格化し、祈りの対象にした。
この街の神は、もはや恐怖でも希望でもない。
――空虚だ」
翌朝、聖律庁の地下へ。
そこには、祈る者たちの“残響”が溜まっていた。
形を失った声の群れ、無数の“願い”が空中を漂っている。
「師匠……これ、全部祈りなんですか?」
「そうだ。
止まらぬ祈りは、やがて“命の代用品”になる」
声が重なり、形を取り始める。
無数の手、無数の口。
それが一つに溶け合い、巨大な影となった。
《――祈りヲ、止メルナ。》
影が動いた。
聖なる光をまとっているはずのその姿は、
むしろ“恐怖”そのものだった。
司祭が叫ぶ。
「祈りを止めてはいけません! それは神の命です!」
「違う!」私は杖を掲げた。
「それは“祈りの亡霊”だ!
叶えられなかった願いが積もり、理を喰らっている!」
影が吠える。
《――救イ、救イ、救イ……》
「救いを求めすぎた末路だ」
弟子たちが陣を組む。
炎と風が交差し、祈りの残響が裂ける。
だが、裂けたそばから再生する。
「願いは尽きぬ。――ならば、願いごと再定義する!」
私は声を張り上げた。
「“祈り”とは、求めることではなく、選ぶことだ!」
杖の先から白光が奔り、影が震える。
《――選ブ?》
「そうだ。
祈りは“神への依存”ではない。
恐怖も、夢も、嘘も、痛みも――
そのすべてを抱えたうえで、“生きたい”と選ぶ行為だ!」
影が崩れ、光の粒となって宙に散る。
沈黙。
やがて、どこからともなく“笑い声”が漏れた。
地上に戻ると、街は静かだった。
だが、今度の静けさは穏やかだった。
人々が手を合わせる姿はまだある。
けれど、その顔には“祈りの義務”ではなく、
“願う自由”が宿っていた。
司祭が私の前に跪き、震える声で言った。
「……これが、本当の祈りなのですね」
「そうだ。
祈りは神に捧げるものではなく、
生を続けるための約束だ」
夜。
街を離れる途中、ナナがぽつりと呟く。
「師匠。もし祈るなら、何を祈ります?」
私は少しだけ考えたあと、笑った。
「“理が、再び揺らぎますように”」
「え、それ祈りなんですか!?」
「当たり前だ。
揺らがぬ理など、死と同じだ」
弟子たちが笑い、風が頬を撫でた。
遠くで鐘が鳴る――だが、もう止まらない祈りではなかった。
(つづく)




