第二章 第4話 灰の都と無痛の戦士たち
南の丘を越えた先に、その街はあった。
灰色の石畳、灰色の壁、灰色の空。
陽の光は届いているはずなのに、影が生まれない。
ナナが眉をひそめた。
「……なんか、息苦しいですね。空気が重い」
「“灰の都”ヴァルナ。
ここでは痛みを克服した者だけが市民と認められる」
私は杖を握り直した。
「無痛の理――恐怖も苦痛も、不要とされた場所だ」
街に入ると、兵士たちが訓練をしていた。
剣が肌を裂いても、誰も呻かない。
血が流れても、眉一つ動かさず剣を振るう。
エリオが思わず目を逸らした。
「これ、冗談じゃないですよね……?」
「冗談でここまで整うものか」
私は淡々と答えた。
指揮官らしき男が近づく。
全身に古傷を刻み、片腕を失っている。
だが、目だけは鋭く光っていた。
「貴殿らが“再定義者一行”か。
よく来た。ここは痛みを制した国。
痛みを克服できぬ者は、この地に立つ資格がない」
「痛みを克服……? どうやって?」
リアナの問いに、指揮官は口元を歪めた。
「“灰の印”を刻む。
それを受けた者は、痛みを感じぬ体になる。
恐怖は消え、判断は冷静になり、戦で敗れることはない」
リナが目を細める。
「感情の抑制……それ、体の魔術じゃなくて、精神の変換ですね」
「察しが良い。
我らは感情の重荷を棄て、完全な“理の兵”となる。
戦で泣く者も、死を恐れる者もいない。これこそ平和だ」
「平和、か……」
私は呟いた。
「痛みを捨てた平和は、すぐに“空洞”へ変わる」
夕方、街を歩く。
市場では誰も笑わず、食事をしても味を語らない。
子どもたちでさえ転んでも泣かない。
代わりに立ち上がり、何事もなかったように歩き出す。
ナナが唇を噛む。
「これじゃ、生きてるのか死んでるのか、わかんない……」
「彼らにとって生とは“動くこと”であり、“感じること”ではない。
理を極めた果てに、心が抜け落ちた」
そのとき、鐘が鳴った。
広場に兵士たちが集まる。
巨大な石像の前に、白い鎧の人物が現れた。
ヴァルナの王――“無痛王”ゼル=ハルド。
「民よ。今日も痛みなき日を迎えたことを誇れ。
恐怖も悲嘆もない理想の地――我らは神に最も近い者だ」
その声は、重くも淡々としていた。
だが、私は気づいた。
声の裏に、微かな“震え”がある。
謁見の間で、私は王と対座した。
「痛みなき国。見事な完成度だ」
「褒め言葉と受け取ろう。
お前の教えた“恐怖と理解の理”を、私はさらに進めた。
恐怖を完全に消し、理解を秩序にしたのだ」
「ならば問おう。
“痛みを知らぬ理解”に、価値はあるか?」
王の瞳がわずかに光を失う。
「痛みは無駄だ。苦しみは弱さを生む」
「だが弱さこそ、人を繋げる。
お前たちは繋がりを捨て、均一になっただけだ」
その言葉に、王の頬が僅かに動いた。
「――私は……弱くなど……ない」
その瞬間、床の封印紋が光った。
兵士たちの体が一斉に硬直する。
目の奥に、灰色の光――理の制御装置だ。
「“灰の印”を刻んだ者は、私と魔力を共有する。
私が乱れれば、国も乱れる。
ゆえに私は痛みを棄てたのだ!」
リナが叫ぶ。
「王の精神が、全員の神経と繋がってる……!
だから感情が消えてるんです!」
「その通りだ」
私は杖を構える。
「ならば、王を癒すことでしか、この国は救えぬ」
灰の光が広間を満たす。
王が剣を抜いた。
「私は理そのもの! 痛みなき秩序を崩す者は、恐怖の獣と同じ!」
「違う。恐怖は獣ではない――声だ!」
私は杖を床に突く。
魔法陣が広がり、光が反転する。
弟子たちが続いて詠唱を合わせる。
「恐怖よ、心の底で鳴け――!」
王の剣が止まった。
灰の光が揺れ、王の瞳が震える。
「……この、胸の痛みは……?」
「それが“生きている”ということだ」
王の手が力を失い、剣が落ちる。
兵士たちが次々と膝をつく。
灰の印が消え、初めて人々の目に涙が宿った。
翌日、ヴァルナの空が青く戻った。
人々は傷の痛みに顔をしかめながらも、
その痛みを“誇り”として笑い合っていた。
王ゼル=ハルドは民の前に立ち、こう宣言した。
「我らは痛みを克服するのではなく、痛みと共に生きる。
恐怖を忘れた国は、もはや国ではない。
今日よりヴァルナは、“灰”ではなく、“火”の国とする!」
歓声が上がる。
涙と笑いの混ざる声が、空へと舞った。
旅の夜。
焚き火の前で、ナナがぽつりと言った。
「痛いのは嫌だけど……生きてる感じ、しますね」
「それが答えだ」私は微笑む。
「痛みも恐怖も、生の裏返し。
理とは、それを抱えた上で歩むことだ」
リアナが星を見上げる。
「師匠、次はどこへ?」
「北だ。風が“喪失”の匂いを運んでいる。
次は――“夢を失った国”だ」
炎がぱちりと弾けた。
風が灰を運び、夜空に舞い上がる。
その灰は、もう“痛みの灰”ではなく、
生きる温もりの灰だった。
(つづく)
次回・第二章 第5話「夢を忘れた王国」




