第11話 封印都市への帰還
夜の底を抜けるように、馬車は北へ向かっていた。
王都の塔の灯は遠く、背後に小さく消えていく。
そのたびに、あの鐘の音――異端審問の始まりを告げる鐘が、
まだ耳の奥で響いていた。
私は窓の外を見た。
暗い森が広がり、風が枝を揺らす。
「……千年経っても、人は変わらぬな」
隣のリナが静かに頷く。
「理を知っても、怖いものは怖いんですよ」
「ならば、まだ教える余地があるということだ」
翌朝。
馬車は山道を抜け、かつてのエルデ領へと入った。
あのとき暴走していた魔導炉は、今も静かに青く光っている。
村は再び人の営みを取り戻し、広場では子どもたちが遊んでいた。
「アザゼル様!」
領主代行ミレーユが駆け寄る。
その顔には驚きと安堵が入り混じっていた。
「王都が混乱していると聞いて……まさか本当に戻られるとは」
「封印の底に用がある。ここから地下へ入る道を、まだ覚えているか?」
「ええ。ただ……最近、地下から奇妙な光が漏れているんです。
祈りのような、でも恐怖のような……」
リアナが息を呑んだ。
「それ、“理解派”の集落で見た光と同じです。
彼ら、封印都市を“理の聖域”と呼んで崇めてました」
ナナが拳を握る。
「つまり、今度は“理解”の名で暴走してるってこと……?」
「そうだ」
私は頷いた。
「恐怖を支配した者は神を造る。
理解を支配した者は、理を神格化する。
――どちらも、同じ愚行だ」
地下への入口は、古い祠の奥にあった。
千年前と同じ封印紋。
私は杖をかざし、再定義の陣を描く。
淡い光が走り、岩の壁が音もなく開く。
そこに吹く風は、懐かしい――いや、危うい匂いだった。
リュカが剣の柄に手を置く。
「師匠、何か来ます」
次の瞬間、闇の中から人影が現れた。
白い外套、黒い仮面。
その胸には“∞”を象った印。
「我ら、“理の子”の使徒。
再定義者アザゼル――あなたをお迎えに上がりました」
声は穏やかだったが、空気の温度が下がる。
周囲に立つ者たちは十数名。
だがその一人ひとりの魔力が、不自然に同調していた。
「……理の子?」
「かつてあなたが語った“理解こそ救い”を信じ、恐怖を否定した者たちです。
あなたの名を導とし、あなたの思想を神とする――新たな理の宗派です」
リナが青ざめる。
「師匠……それって、もう一つの神殿ですよ。理解の名を借りた……」
「偶像だ」
私は小さく呟いた。
「そして、その偶像を造ったのは――また、私自身だ」
使徒の男が一歩前へ出る。
「我らの主は、あなたではない。
“上位アザゼル”――あなたの分体が、我らを導かれた」
弟子たちの顔が凍りついた。
「分体が……!」
「そうだ」
私は静かに杖を握りしめる。
「理解の名を掲げ、恐怖を切り捨てる。
理の半身が、ついに“秩序”を築いたか」
使徒たちは道を開いた。
「どうか、お戻りください。
“上位”はあなたを待っています。
新しい理の王として、この世界を完成させるために」
封印都市の内部は、以前とはまるで違っていた。
崩壊していた塔が再建され、空を覆うような魔導陣が常に回転している。
青白い光が夜明けのように照らし、
道を行く者は皆、同じ服を着て、同じ言葉を呟いていた。
《恐怖を棄てよ。理解に帰依せよ。》
「……これが、“理の国”?」
ナナが息を呑む。
「なんて……冷たい」
「恐怖が消えた世界は、静かすぎる」
私は呟いた。
「感情の凹凸がなくなれば、理はただの命令になる」
リアナが震える声で問う。
「師匠……これを造ったの、本当にあなたの“分体”なんですか?」
「間違いない。
理解だけを信じ、恐怖を悪と断じた――あの日の私の“過去”だ」
そのとき、都市の中央塔が光に包まれた。
空が割れ、声が降りてくる。
《久しいな、私。
理を説きながらも、未だに恐怖を捨てられぬ、古き自分よ。》
塔の頂に、人影が立っていた。
銀の髪、冷たい瞳――私と同じ顔。
だがそこには、かつての炎のような熱がなかった。
完璧な理解に満たされた“機械のような私”。
「上位アザゼル……」
リナが呟く。
「まるで、師匠の“理そのもの”が人になったみたい……」
私は一歩前へ出た。
「理は心を持たねば歪む。
お前は理解を極めたつもりで、感情を切り捨てた。
その行く先は、恐怖と同じ“支配”だ」
《支配こそ安定だ。恐怖も理解も、混ざれば崩壊する。
私はお前の理を完成させた――恐怖を排除した世界、それが理想だ。》
「理は“選択”だ。均一ではない」
《ならば証明してみせよ。お前が持つ“不完全な理”で、この世界を揺るがせるならな。》
光が炸裂し、塔の周囲に魔陣が浮かび上がる。
“理の子”たちが一斉に詠唱を始めた。
空が歪み、封印都市全体が震えた。
弟子たちが構える。
リアナが杖を掲げた。
「師匠、命令してください!」
「命令はしない。――選べ。
恐怖を抱いても前に進む者、それが真の理解者だ」
ナナが笑った。
「了解です。なら、燃やしてでも理を守ります!」
「私は風を、光の通り道にします!」エリオが叫ぶ。
「リュカ、リナ――後ろを頼む」
「はい!」
私たちは陣を描く。
“理”と“感情”を一つにする、古代の式。
杖を地に突き、私は呟いた。
「――再定義、開始。」
光と音が爆ぜた。
封印都市の空が裂け、二つのアザゼルが真正面からぶつかる。
《理解は静寂を生む。》
「理解は問いを生む!」
《恐怖は滅びを呼ぶ。》
「恐怖は“心”を守る!」
《人は弱い。》
「だからこそ、強くなれる!」
光が爆ぜ、塔が揺れる。
弟子たちの魔力が私に流れ込む。
感情と理が混ざり合い、白い閃光が空を裂いた。
その瞬間、全ての音が止まる。
静寂の中、上位アザゼルが微笑んだ。
《……やはり、お前は私だ。
不完全で、矛盾していて、だが、それでも人を信じる。》
「お前もまた、私の一部だ。恐怖を失くしては、理は立てぬ」
《ならば、共にあれ。理解と恐怖、二つの面を持つ者として。》
光が溶け、影がひとつに重なった。
私の胸に熱が走り、意識が遠のく。
目を開けると、朝日が差していた。
封印都市は静まり返り、塔は崩れずに立っていた。
空は晴れ、風が穏やかに吹く。
リアナが駆け寄り、涙をこぼした。
「師匠……!」
「終わったのか?」
「はい。……封印も、理の子も、もう光に溶けました」
私は空を見上げた。
雲の切れ間から、一本の光が差し込んでいる。
それはまるで、恐怖と理解の境界線を照らすように。
「……ようやく、対等になれたか」
「え?」
「人と悪魔の話だ」
私は杖を地に突き、静かに笑った。
「行こう。今度こそ、“新しい理”を教える時だ」
(第一章・完)
第二章「理の戦火」予告
――悪魔が消え、理が残った世界。
王国は再び均衡を失い、
理解を掲げる者たちが新たな権力として台頭する。
アザゼルと弟子たちは、
理を“人の形”に戻すために、世界各地を旅することになる。
そして再び問われる。
「理に心は、宿るのか?」




