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Realize 2

 これじゃ迂闊に移動できない。

 今まで先に進むための指針にしていたものを見失い、俺たちは途方に暮れていた。

 底に川が見える崖だ。俺たちは森の中を進みつつも、それだけは見失わないように注意を払っていた。

 ゴブリンに追いかけ回されてしまったせいだ。あいつから逃げることだけに集中してしまったせいで、どこに向かえば良いのか全く分からなくなってしまった。


「……勾配とか、太陽の位置とかで、分かりますかね」


 崖とは、つまり高地だ。また太陽は、方角を示す明確な答えにもなる。

 これまでもそうだったが、木と木の間隔は比較的離れており、ある程度遠くまで見渡せなくもない。日差しが葉で完全に遮られるわけでもない。

 ただ。


「これじゃ勾配がどうなっているか分からないし、太陽も沈んじゃったし……」

「ですよね……」


 今はすでに夜だ。ただ、前日見たような光がそこかしこを照らしており、視界は確保できている。そのため周囲の地形も見渡せる。

 分かってしまったのは、この地点が大きなくぼみのようになっており、結局向かうべき方角が不明な状況に陥ってしまっているということだ。


「……木より高い、岩場か何かあれば」

「木登り、とかもやってみる?」


 色々とアイデアを出し、打開策を探す。ただ、ここでくっちゃべっているだけでは何も変わらない。

 兎にも角にも、どこでも良いから高い場所に移動しよう。俺たちはそう結論を出し、一歩、踏み出そうとした。


 その瞬間。


 ――頭に、強い衝撃。


「ッ!? レンくん!」


 俺は、地面に倒れ伏していた。

 何だ? 何があった?

 たったそれだけしか考えられなかった。


「ぐっ……!?」


 横向けに倒れていた俺の腰に、何かが乗ってきた。頭を動かし、その正体を確認しようとした。


 棒が。落ちてくる。


 腕。頭を。

 

 腕に、棒がぶち当たった。


「……っっってぇっ……!」


 骨に響く。痛い。痛すぎる。


 棒が上がったかと思ったら、また落ちてくる。それをまた腕で受ける。何度も何度も、繰り返し繰り返し。


 痛い。痛い。痛いんだって。やめろ。やめてくれ。


 本当にやめて欲しい。こんなことして、何になるんだ。誰も幸せにならない。俺は何もしていないのに。お前には心が無いのか。俺がこんなに痛がっているのに、どうしてやめてくれないんだ。

 馬鹿みたいな無言の問いを繰り返し、俺は耐える。耐え続ける。反撃など、考えられない。とにかく耐えれば、何かが変わるかもしれない。一体何を信じて耐えているのか、分からない。


 俺の身体を組み伏せていた何者かが、ギャッと声を上げながら急に吹っ飛んだ。


 定期的に来る痛みと、俺の下腹部を地面に押し付けていた重量感が無くなる。顔から腕を離すと、視界にアオイ先輩が映っていた。

 アオイ先輩は、そのまま何者かが吹っ飛んでいった方向に素早く移動する。

 俺は起き上がり、その先にいる何者かを見据える。

 当然のように、そこにはあのゴブリンがいた。


 俺たちは、ゴブリンの追跡の目を逃れたわけでは無かった。

 ただ単純に、慎重に、狡猾に、俺たちに見つからないように尾行を続けていたのだ。


 アオイ先輩は俺とゴブリンの間に立っている。まるで、ゴブリンから俺を守るように。


 ――いやいや、それは俺の役目だろ。


 腕が痛い。というより、痺れている感じだ。だが、動く。手も、しっかり開け閉めできる。

 俺は地面を素早く見渡し、サバイバルナイフを見つけ、拾う。

 そして、アオイ先輩よりも前に立つ。


「れ、レンくん。だめ」

「大丈夫。……大丈夫」


 アドレナリンがどばどば出ている気がする。じわじわと痛みは消え失せていき、代わりに熱に浮かされたような感覚が俺の全身を巡る。

 心臓の音はうるさいし、呼吸音も脳内に響いてくるし、首筋に生暖かい液体が伝っているのを感じるし、右手に握り込んだサバイバルナイフの柄の感触をやたら鋭敏に感じ取れるし、それでいて身体が空気に溶け込んでしまっているかのような実感の無さがある。

 大丈夫、大丈夫と、誰に向かって言っているのか分からない言葉をうわごとのように繰り返す。まるで、今にも霧散してしまいそうな自分の身体を、必死でその場に留めようとしているかのようだと、何故か俺は自分の状態を客観視していた。

 意外と、冷静でいられているのかもしれない。自分の身体に現在進行系で起こっている異常を、ありのまま受け止められている。


 ならばと俺は、ゴブリンを見据える。


 ゴブリンは、すでに臨戦態勢だ。今にも飛びかかってきそうな構えを取り、俺と視線を交わしている。

 ああ、俺を舐めてるな、こいつ。

 相変わらず醜く歪んでいる口元だったが、今の俺ならその表情の意味が理解できる。

 だが、そんなことを気にする必要は無い。

 なんだか、今ならなんでもできそうな気がする。

 夢の中にいるような、ふわふわとした全能感。どこにでもいるし、どこにもいない。何もかもを理解できているし、何もかもが分からない。

 それなら俺は、指向性を持たなければならない。

 今、俺は、何をするべきだ?

 アオイ先輩と共に、ここから逃げ出す? 否。そんなことする必要は無い。

 こいつとどうにか対話を試みる? 否。そんなことをする必要は無い。

 ならば、どうするべきなのか?


 ――こいつを、『殺す』べきだ。


 千々に乱れ飛んでいた思考が、一つの形にまとまった瞬間。

 世界の色が、反転した。


 ――見える。

 ――ナイフの持ち方。

 ――身体の動かし方。

 ――足の運び方。

 ――腕の動かし方。

 ――ナイフを突くべき位置。角度。


 俺は、それを『なぞる』だけで良い。


◇◇◇


 気がついた頃には、全てが終わっていた。

 俺の足元には今、ゴブリンの死体が転がっている。

 綺麗で、醜い死体だった。

 外傷は、胸に空いた小さな穴のみ。そこから青色の血液がドクドクと流れ出ている。

 顔面は、あのおぞましい笑みが張り付いたまま。目から光は完全に消え失せている。

 完璧に、殺し切っている。一目見れば誰にでも分かるだろうが、俺は間違いなく、誰よりもその意味を深く理解していた。

『命を、絶つ』。

 俺の"スキル"は、それを実現する能力だ。だから、『殺す』という行為の意味を、理解できてしまった。

 とても嫌な気分だ。だが――。


 サバイバルナイフはこれまで色々な用途に使用したが、切れ味など期待できないことは分かっていた。だというのに、ゴブリンの身体にまるで液体でも突いたかのようにすっと入っていった。

 あまりにもあっさりとした感触だった。それでも、『殺した』という事実は事実だ。実感の無さが逆に恐ろしい。

 それでも、アオイ先輩を助けられた。守れた。役に立てた。その事実が、罪悪感に近い感情とともに、どこか歪んだ悦びをもたらしていた。


 こうした複雑な感傷に浸っていると、背後からとすっ、と音がした。

 振り向くと、アオイ先輩が脚の内側を地面に付ける形で座っていた。腰を抜かしてしまったのかもしれない。

 無理もない。こんな恐ろしい出来事が起こってしまったのだ。

 とにかく、俺のことよりもアオイ先輩が優先だ。意識を彼女に向け、口を開く。


「アオイせん――」


 俺が「大丈夫ですか」と声をかけようとした途端、びくりと、身体が反応した。


「ご、ごめ、レンくん。わたっ、私のせいだ、怪我、してる」


 アオイ先輩はしどろもどろに言葉を紡ぐ。目からは、涙がぼろぼろとこぼれ落ち始めた。

 いつものアオイ先輩じゃない。明らかにパニック状態で、このままにしておくわけにはいかない。


 でも、どうしよう。

 こういう時、どうすればいいのかを思いつけない。こんな場面にでくわしたことが無い。

 あまり人と関わるような生活を送ってこなかったのが仇になった。

 小中では大抵授業が終わり次第すぐに帰宅し、楽器なりサブカルコンテンツなりに没頭する日々を過ごしていた。高校では軽音楽部に入部したというのに、固定バンドも組まずほとんど一人で練習していた。数少ない友人と遊ぶことはあっても、ケンカだとかそういうむき出しの感情をぶつけ合うようなイベントとは全くの無縁だった。


 ……いや、だから、そんなの思い返している場合じゃないだろ。


 俺はサバイバルナイフをその場に置き、アオイ先輩に近づいてしゃがむ。

 何も分からない。分からないが、とにかく。

 背中に手を添え、さする。


「アオイ先輩。大丈夫です。落ち着いてください、俺は平気です」


 俺は頭を怪我している。着ているインナーに赤い液体……血が染み込んでいるのを見れば一目瞭然だ。だが不思議と痛みは無い。後から痛みを感じるタイプのやつだなこれ、と少しげんなりするが、それよりも。


「俺は平気なんで。後でタオルなりなんなり巻いとけば治ります」

「でっ、でもっ! 私が、私のせいでっ、もっと気をつければ、こんな……」


 ああ、本当に嫌になってくる。

 当然、アオイ先輩を上手く安心させてあげられない、自分自身が、だ。

 どうすればいい? 何が正解だ? どういう行動を取れば、彼女に響くんだ?

 思い出せ。なんでも良い。人を落ち着かせる言葉。行為。今までの人生で取り入れた情報全てを引っ張り出せ。

 今、この瞬間、それを必要としている相手が目の前にいるのだから。


 俺は、ようやく使えそうな情報を脳内から引き当てた。


 左手を頭に添え、右手を背中に添え。

 彼女の頭を優しく引き寄せ、自分の胸に押し付けた。


「――!」

「アオイ先輩。聞こえますか? 俺の心臓の音。ちょっと早いかもですけど、俺、ちゃんと生きています。だから、大丈夫です。大丈夫ですよ」


 言葉が下手すぎるような気がして、少し悲しくなる。もうちょっと良い感じのセリフを吐けないのかよ、俺。

 これで、良いのだろうか。分からない。だが、つべこべ言い訳せずに、実践だ。

 それにしても、結構気恥ずかしいな、これ。

 女の子を抱き寄せるなんて経験、生まれて初めてだ。いや、偶然そういう感じになったことはあるけど、あれは事故みたいなものだしノーカンだろう。

 相変わらず良い匂いがするし、柔らかい。ついでに、呼気が胸に当たっている感覚があり、かすかな温もりを感じる。

 男ってこれだから、と男が言わないようなことを自分に言い聞かせ、余計な感情を振り払う。

 優しく。思いやりを持って。全身全霊で。

 ちゃんと彼女を助けてやれよ、俺。約束しただろう。

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