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Realize 1

 鮮やかな色彩が、視覚を楽しませてくれる。

 華やかな香りが、嗅覚を楽しませてくれる。

 歌のような鳴き声が、聴覚を楽しませてくれる。

 見たことのない果実が、触覚と味覚を楽しませてくれる。


 二足歩行の白兎が、遠くで歩いているのが見えた。「不思議の国のアリスだ!」とアオイ先輩は驚いた。「もしかしたらチェシャ猫とかいるかも」「なんならハートの女王もいたりして」などと、割と洒落にならない冗談を叩き合った。

 本当に、不思議な森だ。現実を感じさせてくれる要素がどこにもなく、俺はなんとも言えない浮遊感を感じていた。


 この森に入ってから、1日が経過した。

 持ち込んだ魚や虫は消化したが、新たな食材として、足のサイズほどもある巨大な白いイモムシが利用できた。また水分補給には、どこにでも生っている水風船のような果実が利用でき、ほとんど水筒の中身は減っていない。

 問題無く凌げたし、夜には素晴らしい光景を見ることができた。

 辺りが暗くなり、キャンプの準備をしていた時、どこからともなく浮遊してくる、淡い光の玉が現れたのだ。

 白。青。黄色。緑。その他色々。

 触れてみると、ホタルのような生き物ではなく、本当に単なる光だった。重さの存在しないそれが、どういう原理か形となって空中を漂っていた。

 ロマンティック極まっており、ついノリで告白したくなるようなシチュエーションだった。いやしないが。


 そんなわけで俺たちは、もはやこの森を観光しているような気分でいた。

 アオイ先輩と、こんな素敵な場所でデートしちゃってるぜハッハーなどと浮かれ切っていたのである。


◇◇◇


 俺たちは"七色の森"を歩き続ける。

 2日目の夕方。

 木々の合間を縫った先に、開けた場所があるのを発見した。

 そのまま進み、その場所に出る直前。


「待って」

「え?」

「黒い、モヤが」

「……っ!」


 俺には見えず、アオイ先輩にだけ見えるブラックアラート。

 だが、今回に限っては、俺にもそれが見えていた。

 ――いや、違う。

 黒いモヤが掛かったモノの、その正体が、だ。


 ――"ゴブリン"。


 緑色の肌。頭髪の無い頭。尖った耳。小柄な身体。ボロ切れのような汚い衣服。

 全ての特徴が、いつかどこかで観たことのある"モンスター"と、完全に一致していた。


 俺たちは、音を立てないように注意しつつ木の陰に隠れ、そいつの様子を覗き見る。

 そいつは、こちらに背を向けている。そして、何かを喰らっているように見えた。その周囲の地面は、赤い何かで無作為に染められている。

 七色の木々に囲まれた小さな草原の中央。オレンジ色の光が射し込むその場所で、繰り広げられるグロテスクな晩餐。

 虚構と現実の入り混じる、生命の維持に必須でありながらも見るに堪えない作業。俺はそれを見て、強い恐怖を感じた。


 どうする? いや、どうするもこうするも無い。

 今すぐこの場から離れなければいけない。あいつに気づかれたら、まずいことになる。

 黒いモヤなど、見えずとも分かる。あいつは、危険だ。万に一つも、友好的である可能性は無い。

 直感などという曖昧な根拠なのに、確信を持って、言える。


 ()()()()()()()()()()()()()()


 心臓をガンガンと殴りつけられているような感覚を覚え、俺は思わず胸を抑える。

 痛い。心臓が痛すぎる。まずいってこれ。

 別に大したことじゃないだろう。まだ、何も起こっていないのだから。

 早く脚を動かせ。ゆっくりと、慎重に、気づかれぬ内に。

 それだけで終わりだ。見なかったことにすればいい。大きく回り込めば、それで先に進める。

 様子を見る意味なんて何一つ無いじゃないか。俺たちの目的に、何も関係は無いだろう。

 さあ、早く。アオイ先輩に目配せしろ。引き返すための指示を出し、無限の木々に紛れてしまえ。

 俺は、行動に移そうと――。


 ――一足遅かった。


 ――ゴブリンが、こちらに振り向き、嗤う。


「ッッッ!」


 背筋に氷柱を思い切り突き入れられたかのような衝撃が、俺を完全にフリーズさせた。


 待て、待ってくれ。

 今はまずい。今来られると、本当に困る。

 どうしてか、身体が動いてくれないのだ。

 まだ、頭の処理が追いついていないから?

 それとも、他にまだ、優先すべきことがあるから?


 俺の眼球だけが動き、ここにいるもう一人の人間の姿を捉えた。


 アオイ先輩。

 アオイ先輩が、ぼうっと、突っ立っている。

 何やってるんだ。そんな場合じゃないだろう。今すぐ、ここから、逃げてくれ。

 ほら、あいつは、バットみたいな形をした棒を拾い上げ、醜い顔をより醜く歪ませ、黄色い濁った目を細め、近づいてきている。

 それに、赤い液体が口やら手やら服やら棒に付着している。一目見て分かるだろう。どう見ても、これからしようとしていることを暗に示しているじゃないか。


 早く。

 動け。

 動いてくれ。

 だが、思いは届かない。当たり前だ。テレパシーとか、そんな能力持ち合わせているわけがない。

 なら、どうする。


 声。

 声、しかない。

 辿り着いた瞬間、俺は自分の身体に発声器官が付いていることを思い出した。


「……ッ! 先輩! 走れ!!」


 振り絞るように叫びつつ、俺はアオイ先輩の手を強く引っ張り、駆け出した。声を出すと同時に、身体も動くようになっていた。

 アオイ先輩の反応を待っている暇も余裕も無く、強引に手を引っ張ることで彼女はつんのめってしまったが、上手く体勢を立て直してくれた。

 そのまま俺たちは、ゴブリンから逃れるための、全力の逃避行を開始した。


◇◇◇


 ゴブリンとは、ファンタジー世界を題材とした作品において、大抵は雑魚モンスターとして扱われる。

 ただ、少なくとも俺はそれ以上の雑魚である。それが、分かってしまった。


 俺はあの場で、戦おうなどとは露ほども考えられなかった。恐怖で身がすくみ、迫り来る相手からいかに逃げるか、という臆病者の発想が頭の中を埋め尽くしてしまっていた。

 いつかどこかで、魔物と出会った時は俺が戦わなければと、アオイ先輩を守らねばと、騎士気取りの厨二的妄想に現を抜かした記憶があるが、甘いにも程がある。

 俺はただの人間だ。ここが異世界であると認識してはいても、戦闘技術を身に付けているはずもなく、ましてや他者から殺されそうになる経験など皆無なのだから、そんな状況に即座に対応するだなんて無理に決まっている。

 だからこそ、俺の取った行動は間違ってはいないと思いたい。

 ただ、少し、惨めだなあと考えてしまうのは、やはりアオイ先輩の前では格好付けたいからなのだろう。


 俺は逃げる途中、アオイ先輩を先導させて殿を務めた。更に、走りながら背負っていた革袋からサバイバルナイフを取り出し、いざという時に備えつつ後方確認を何度も行った。

 アオイ先輩は以前自分で言っていた通り運動神経が良く、落ち葉が積もって足を取られやすい地面など意にも介さず、木々の間をするすると通り抜けていく様はまるで忍者のようだった。むしろ俺の方が付いていくのに必死だった。


 ギャギャギャとモンスターらしい鳴き声を上げながら追跡してきたゴブリンだったが、幸いなことにそこまで執拗なタイプでは無く、足も遅かったので、そう時間も掛からず振り切ることに成功していた。

 ただ、振り切った後もずっと小走りを継続し続けたため、俺たちは立ち止まった瞬間地面に崩れ落ち、息も絶え絶えの状態だった。


「ハァッ……ハァッ……なんとか……逃げ切れた……?」

「そう……ですね……多分……」


 これまでの人生経験の中で、ここまで必死に走ったことなど無い。汗はとめどなく流れ、心臓は早鐘を打ち、手足に力が上手く入らない。

 それでも俺はなんとか息を整え、革袋から水筒を取り出した。アオイ先輩も俺に倣い、リュックから水入りペットボトルを取り出し、同時に口を付けた。


「……っふぅ、ハァ……レンくん、大丈夫? ケガしてない?」

「大丈夫、です……アオイ先輩、ハァ……こそ」

「私も、大丈夫……あはは、怖かったねぇ」


 アオイ先輩は力無く笑う。それは、深刻な空気をどうにか緩和すべきと考えた彼女の気遣いに見えた。


「本当に……死ぬかと……あいつ、やばすぎ」


 俺も少しばかりおちゃらける。上手く対応できたと思いたい。


「あれって、ゴブリン? だよね。漫画で見たことある」

「だと思います。……さっきはすいません、手、思いっきり引っ張っちゃって」

「ううん、ありがとう。なんか、実感が全く湧かなくて、ぼーっとしちゃってた」

「仕方ないですよ。ゴブリンなんて、今まで見たこともなかったし」


 この生活が始まってから初めて現れた、明確な敵。

 以前、猪のような獣に襲われたことはある。だがそれは、俺たちが獣の縄張りに侵入してしまったせいで、身を守るために攻撃をしてきた、などの動物としての本能によるものだと考えられる。他に理由があるかもしれないが、すぐに逃げ出したこともあり、襲いたくて襲ったわけではないことは確かだ。


 だが今回は違う。

 あいつは、間違いなく、俺たちを殺そうとしていた。もしかしたら、食料か何かとして認識しているのかもしれない。

 それだけでなく、あいつは生き物を殺すという行為自体を愉しめる存在に違いない。あの気味の悪い表情を見て、俺はそう確信していた。


 俺は更に水分を補給し、汗を拭う。


「……ふう。ちょっと休んだら、移動しましょうか」

「うーん……でも」

「え?」

「私たち……迷っちゃったかも?」


 俺は周囲を見渡す。

 今まで指針にしていた川を見下ろせる崖が、どこにも見当たらなかった。

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