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最後にもう一度だけお伺いします

作者: にゃみ3


「レイチェル・ランカスター」


 普段は私のことを「レイ」と呼ぶ貴方が、今日は私をフルネームで呼ぶ。それだけで、この会話が普段の会話とは違うものだということを醸し出していた。


「俺は君と結婚しない。父上になんと言われようが、俺はローズと結婚する! 俺は、ローズを心から愛しているんだ!」


 恋や愛などと、本当にくだらない。

 そんなひとときの感情で理性を失うなんて馬鹿げている。


「エドワード……」

「大丈夫、俺が君を守るから」


 困り眉にして、甘えたようにエドワードに縋るローズ。

 彼女の華奢な肩に腕を回し、抱きしめるエドワード。


 ……なによ、それ。


『レイ、心配しなくても俺はずっと君の味方さ』


 聞き慣れたセリフ。しかし、その言葉を向ける相手は私ではない。


 ……私の味方なんじゃなかったの?


 こんな感情を抱いてしまう自分が情けない。こんなの、バカみたいじゃない。


「でもダメよ、エドワード。あなたはアルティアス侯爵家の人間でしょう? 家のためにも、レイチェル公女と結婚するべきだわ」


 忌々しいローズ・ディアロ男爵令嬢。そう言うなら、さっさとその手を離せばいいじゃない。

 結局、私を使って、彼の自分への想いを試したいだけでしょ? 白々しい。


「安心しろ、ローズ。君は確かに男爵家の三女で僕たちの中に身分差はあるが、貴族には変わりはないんだ、結婚はできるさ!」

「エドワード…! でも私、そんなっ、」

「大丈夫、必ず父上を説得するよ! 父上は俺に優しいからきっと快く了承してくれるはずだ」


 うーん、二人揃ってばかなのかしら?


 貧乏男爵家の三女と、アルティアス侯爵家の長男が結婚できるはずないじゃない。

 エドワードが言う通り、確かにアルティアス侯爵は息子のエドワードを可愛がっている。だけど、それは貴方が次期アルティアスの長男であるからでしょ? それとも、手間のかかる子ほど可愛いというやつなのかしら?


 でも、いくらなんでも今回の件は簡単に許されるような話ではないわ。


「最後にもう一度だけお伺いします」


 私は、長年の付き合いだったエドワードへの最後のチャンスを与えた。


「エドワード、貴方は本当に私との婚約を破棄し、ローズ嬢と結婚されるのですね?」


 公爵家の娘として、どこに出しても恥ずかしくないように花嫁修業は受けている。

 だから、私は夫の少しばかりの浮気くらいなら許せたのよ。


 でも、それはあくまでエドワードよりも目上の私が『気づいていない』という建前での話だ。

 堂々と浮気をしていると公言されては、私も黙っていることはできない。


 そのうえ、私との婚約を破棄して、この女と正式に結婚をするですって? 笑わせないでちょうだい。


 だから、これが最後のチャンスよエドワード。


 貴方とは、かれこれ十年の付き合いになる。

 私が七歳の頃。貴方が八歳の頃に結ばれた婚約以来、私達は良きパートナーとして上手くやってきたと思っていたわ。


 だからお願い、判断を見誤ったりしないで。


「あぁ、そうだ。俺はレイチェル、君との婚約を破棄し、ローズと結婚する!」

「……そう」


 残念だわ、エドワード。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




 一人娘は可愛がられる……そんな話は迷信だと、私は思う。


 貴族の人間は男であることが全て。女は家の利益になる結婚をする、ただそれだけの存在だ。

 だから、女である私が父から愛されるなんてことはあるはずがない。


「――ということだそうです」


 私は父にエドワードとの会話を1つ残らず話した。

 お父様は、私の話を聞いて頭を抱え顔をしかめた。


「待て……なんだと? いや、はあ……」


 情報が処理しきれないといった様子だ。

 でも、どこか心当たりはあったのだろう。


 エドワードとローズの噂は、前々から私の耳に届いていた。

 しかしお父様はその度に私を呼び出して、『貴族の女性たるもの夫の浮気くらい見て見ぬふりをするものだ』と言い聞かせてきた。


 私はお父様の話を信じて頷いた。

 でも、彼から直接婚約破棄を言い渡されたからには、これ以上見て見ぬふりは出来ない。


「アルティアス侯爵令息め……よくも我が娘に……」


 父はけして、私のために怒っているのではない。

 自分の所有物である私が誰かに傷つけられたということは、自分自身を傷つけられたと同じ考えなのだろう。


「お父様、それでは婚約は破棄ということでよろしいでしょうか?」

「……待て、ひとまずは侯爵に話をするから。お前は黙っていなさい」

「はい? お父様、どういうことですか? 私に婚約破棄を認めるなと言いたいのですか」

「そうはいっておらん。ただ、少し待て。アルティアス侯爵とは今まで良き関係を築いてきた。それもこれも、全てお前と侯爵令息の婚約のおかげだ」


 お父様は思想が偏った人だ。私は、公爵家の当主として、たった一人でここまで家門を大きくした父を尊敬していた。


 お父様は私への愛をあまり見せない人だけど、それでも私はお父様のたった一人の娘。

 そうは言っても、結局お父様は私のことを考えてくれる。


 そう、叶いもしない淡い期待を抱いた私が馬鹿だった。


 暫くしてからのこと。お父様は私を執務室に呼び出した。

 満面の笑みで私を出迎えた父は言った。


「侯爵と暫く話し合ったのだが……。エドワードとレイチェル、正式にお前たちの結婚を済ます。そして、愛人という形でローズ男爵令嬢を迎えるという話となった。侯爵家ではエドワードとローズ男爵令嬢が住み、お前にはロットライラー領の別荘を用意してくださるそうだ」

「……はい?」


 何を言っているのか、まったく理解が出来なかった。

 私は勉学に優れていたし、地頭の出来も悪くない方だ。公爵である父だって非常に聡明な人間だ。

 だからこそ、理解が出来ないのだ。こんないかれている話に。


「いやぁ、よかったよかった。これで一件落着だ。この提案に、エドワード侯爵令息もローズ嬢も渋々頷いてくれたよ」


 頭のおかしな提案がある時点で、理解が追い付かないのだけど。

 この提案に渋々頷いた? ……渋々ですって?


 頷いたと言うことは、お父様の方から提案したというの? 私に、たった一度も確認を取らずに?


 信じられなかった。頭の中で、いくつもの疑問がグルグルと回る。


「お父様は私に、両家の利益を生むためだけに結婚をしろと言っているのですか…?私は、侮辱を受けたのですよ?公女である私が、ただの侯爵令息と男爵令嬢にです」


 私の言葉を聞くと、お父様のにこやかとした優しい笑顔は段々と崩れていく。


 ああ、まずい。少し、でしゃばりすぎてしまった。


 目の色を変えたお父様は、深くため息をつく。


「……お前は本当に面倒な娘だな。そもそもの話、エドワードが男爵令嬢なんぞに心奪われてしまったのはお前の魅力が足りないからなのではないか? そんなんだから、ダメなんだ、お前は。感情的にヒステリックに話すところは、お前の母親によく似ている」


 始まった。

 お父様は、私が自分の思い通りにならないとすぐに不機嫌になった。身体的暴力を私に振るうことは無かったが、いつだって私に暴言を吐いた。


「そんな、お父様あんまりです! 私は、私を侮辱するような方と結婚したくありません」


 私は目に涙を浮かべ、口元に手を添える。弱弱しい声を絞り出して、そう父に訴えた。


 こうすれば、幾分かはお父様からの暴言が収まることを私は知っていたからだ。

 

「ならば、侯爵令息よりも利益になる人間との結婚するなら婚約破棄の許可を出してやる。……そうだ、イース王子。王子とお前は確か友人だったな? 何かと理由をつけて結婚するんだ。そうしたら婚約破棄を認めてやる」


 どうして突然イースの名前が出てくるのよ。

 彼は確かに私の友人だ。しかし彼と私はそういう関係ではない。彼には長年の想い人が居ると聞いたこともある。だから、皇太子にも関わらずいまだに婚約者を作っていないのだ。あんな純粋ピュアピュア王子は私の手におえない。


 甘いロマンスに現を抜かすなんて馬鹿ね、なんてイースをいじったことがあったけれど。馬鹿だったのは私の方みたいね。


「お前の取柄はその顔だ。お前の母親はヒステリックな女だったが顔だけは美しかったからな。お前は頭も悪くない。あぁ、本当にお前が男だったら……」


 父はため息交じりに言った。それは、何度も耳にした言葉だった。


「そうですね、ごめんなさいお父様」


 お父様は私の言葉に、満足げに頷いた。


 お父様は何度も私に言った。お前が男だったならどんなに良かったか、と。私が男だったのなら、他の兄たちではなく、私を当主にしてくれたと。


『貴族の男に好かれるような人間になりなさい』


 父の口癖だった。

 腰を低くして、謙虚にして、言うことを聞いていれば。殿方よりも賢く居てはいけない。さすれば、お前は幸せになれる。


 その時、疑問に思った。


 それは果たして幸せなのか?


 だから、自分の人生を実験材料に使ってみたの。

 でも、残念。幸せかどうかの前に私は捨てられてしまったわ。


 人の顔色を伺っているだけではダメなのよ。人生、賢くいかなきゃ。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「ほら、これにサインしてくれ」


 それから数日も経たないうちのこと。彼らはランカスター公爵邸を訪ねてきた。

 偉そうに腕を組み、私を見下げるエドワード。その横にはローズ嬢も一緒だ。


「……これは?」

「チッ、なんだ聞いてなかったのか? 婚姻契約書だ」


 エドワードが乱暴に差し出してきたのは、一枚の紙。


「あら、わざわざ持ってきてくださったんですね」


 乱暴に書かれたエドワードの字。そんなにも私との結婚が嫌なのかしら? 可哀想に。


「実は私も用意をしていたんです。こちらはお父様直々に用意されたものになります。父に話を改めて通すの面倒なので、お手数をおかけしてしまいますがこちらに貴方のサインを頂けますか?」


 公爵の用意したものと言えば、侯爵令息の貴方はもちろんサインするわよね?


「あぁ、分かった。そのくらいならしよう。君には、申し訳ないことをしたとは思っているからな」


 私の思惑通り、エドワードは懐から自身のペンを取り出し、私の差し出した紙にサインを始めた。


「お気になさらないでください、私は気にしていませんので」


 あらあら、エドワード。

 そんなにも簡単でいいのかしら? ちゃんと、文章を読まないといつか大変なことに巻き込まれてしまいますよ。


「レイチェル公女様、お気持ちは分かりますが……ね? そんなにも無理に笑顔を作らなくて大丈夫ですよ」


 その時。ローズ嬢が私に声をかけた。

 眉をひそめて、遠慮がちに私の肩にポン、と手を置いたローズ嬢。

 

「ローズ嬢、ありがとう。私は大丈夫ですよ」


 私の気持ちが貴女に分かる? へぇ、そうなの。

 もしかして、私を心配してくださってるのかしら?それとも、同情をしてくれているのかしら?


 変な人、ばかな人たちだわ本当に。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




 お父様、私は仮の妻を演じるなんて嫌なの。誰かに利用されて、遠くの別荘で一人孤独に死んでいくのも嫌。


 でも、私にお父様の命令に逆らう……そんな勇気なんて、無いわ。

 

 この国の偉大なる侯爵様と、お父様が揃う中で。自分の意見を言うことも出来ないの……。


「だから、臆病な私をどうか許してくださいね」


 私は事前に仕込んでおいた万年筆を手に取ると、しゅるしゅる〜っとサインをする。レイチェル・ランカスター、私の名前を書いたのだ。

 この、婚約破棄の示談書にね。


 そうして、なんだかお茶が飲みたい気分だから。お客様をお招きしてお茶会を開いたの。


「よく来てくださりました、フレイヤ嬢!」


 フレイヤ・フォンデュ嬢。彼女を我が家に招くのは初めてね。と、いうよりも。彼女とお茶をすること自体初めてのことかもしれないわね。

 せっかくだから、私のお部屋にお招きしましょう。


「レイチェル様、それは……?」

「あらやだ。見られてしまったのね……」


 私としたことが、机に置いていた婚約破棄の示談書をお客様に見られてしまったわ。


「申し訳ございません、少し目に入ってしまって…。」

「構いません。管理の甘い私の責任ですから。実は、エドワードと……あぁ、ダメでした。この話は誰にもしてはいけないんでした」

「……そ、そうなんですの?」

「はい…。まぁ、ですが…。私の信頼している親友、フレイヤ嬢にでしたらお話しても構いません」


 私は、興味津々と言った様子で、物欲しそうな顔をしたフレイヤの両手を取った。そして、彼女の目を見つめ、手をぎゅっと握り締めながら話す。


「ねぇ、フレイヤ嬢? 私の話、もちろん秘密にしてくださりますよね」


 噂好きの、この悪趣味な令嬢に、恋の相談とやらをしてみましょう。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




『知っていますか? あの噂』

『噂ですか?』

『アルティアス家の長男、エドワード様がまたやらかしたそうですの。恐れ多くも、この国たった一人の公女様を傷つけたそうで…』

『傷つけた? 一体何事ですか』

『それが、ディアロ男爵家のローズ嬢と結婚をするから別れてくれ…と、レイチェル公女様に申し出たそうです。』

『なんとまぁ、お二人の噂は一度聞いたことがありましたが、流石にデマ情報だと思っておりましたわ』

『心優しきレイチェル公女様は、誰にも言わず涙を飲んで婚約破棄の同意書にサインをしたそうですわ。』

『まぁ!なんてお可哀想なのかしら…』

『エドワード令息とローズ嬢はひどいお方ね!』

『その上、ランカスター公爵様は娘がそんな目にあったにも関わらず、その結婚を呑めと仰ったそうです。表向きには夫婦を演じて、ローズ嬢を愛人として迎える予定だったとか…』

『酷い!あんまりです!公女様がお可哀想……』

『……あれ?それなら、どうしてレイチェル公女のお部屋に、婚姻契約書ではなく、婚約破棄の示談書があったのでしょうか……?』


 ――全部、私の思惑通り。


「レイチェル、レイチェルよ!一体どういうことだ!私は、お前に婚約破棄の示談書など渡しておらんぞ!」

「あらお父様、思ったよりもお早いご登場ですね」


 そろそろだとは思っていたの。

 噂がエドワードの耳に入り、エドワードが父の侯爵に伝える。そして、アルティアス侯爵家からの連絡がお父様に届くことが。


「どういう意味だ、答えるんだレイチェル!」


 エドワードったら、やっと気づいたのね?自分がサインした書類が、婚姻契約書ではなく婚約破棄の示談書だったことに。

 まぁ、遅すぎるくらいですけど。


「お父様の言う通りです。私は、母に似て容姿に恵まれました。そして偉大なるお父様に似て、聡明かつ、ずる賢い娘に育ちましたわ」

「なんだと?」

「お父様が教えたのでしょう。私に、気弱で大人しい、従順な令嬢を演じて居ろと。私は、お父様を信じていました。だから、殿方に逆らわないいい子を演じていたんじゃないですか。……ですが、お父様の考えに私は疑問を持ってしまったんです。お父様の言葉、果たしてそれは、本当に私のためのものなのか……」


 お父様はゴクリ、と唾を飲み込んだ。

 やはり、図星だったみたいね。


 ドレスの裾をつまみ、淑女らしく、優雅にぺこりとお辞儀をして見せる。


「ふふ。お父様には何一つ、迷惑をかけていません。これで満足でしょう?」


 にっこりと微笑み、私は部屋を後にした。


 背後でお父様がごちゃごちゃと何かを言っているような気がしたが……いいえ、そうね。ただの気のせいだわ。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「レイチェル頼む! 君から訂正をしてくれ。そうじゃないと俺は……」

「もう、この国ではやっていけないでしょうね」


 一週間も経たないうちに、我が家にエドワードとローズが訪ねてきた。あの日と違い、顔を真っ青にして。

 傍で涙を流す、自分の愛する女性を放置して、私に深く頭を下げたエドワード。

 そんなにも今の地位が無くなってしまうことが怖いのかしら?まぁ、そりゃあそうよね。貴族にとって、権力こそがすべてなのだから。


「っ…! 分かっているなら頼むよ!」


 ローズとエドワードは社交界での評判を地に落とした。どこへ行っても冷たい視線と噂話に晒され、彼らの居場所は完全になくなってしまった。

 だから噂の中心部に居る私に、周囲への撤回を求めに来たのだろう。


「レイチェル、本当にすまなかった!」


 エドワードが私に向かって、深々と頭を下げた。


「騙すだなんて、あんまりですよ!父は、私を勘当すると言っているんです。このままでは私、修道院に送られてしまうんです。お願いです、どうか、皆様の前で全て事実ではないと弁明を……!」


 ローズは私に縋るようにして涙ながらに訴える。


「エドワード、あなたは私の傍に居てくれるわよね…?」

「ローズ……」

「……ちょっと、なんなのよ、その反応は。ねぇ、エドワードってば!!」


 ローズに何度も声をかけられても、エドワードはばつが悪そうな顔をして俯くだけであった。


 何を言っているのか。

 たかが男爵家の三女であるローズとは違い、エドワードは侯爵家の長男だ。これ以上、エドワードがローズと共に居れば、どんどんアルティアスの名が腐っていく。

 

 アルティアス侯爵は、エドワードではなく次男の方を次期侯爵にするから…と、言いふらすことによってアルティアスの名を守ろうとしているみたいだけど。それをエドワードは知っているのかしら?

 それともまだ、自分が侯爵になれると思い込んでいるのかしら。


 アルティアスの次男坊であるあの子は、優しい良い子だから、これ以上は私も何もする気はない。それどころか、あの子が当主になった際にはもう一度、我がランカスター家とアルティアス家の縁を良好な関係に戻すことも出来るでしょう。


 だから、私は次男のあの子を推薦するわ。今回の件の被害者として名が広まっている私が押せば、ほぼ確実にエドワードが当主になることは無いでしょう。


「……すまない」


 やっと喋り出したかと思えば、小さくそう呟き、縋るローズの手を振り払ったエドワード。

 その姿に、ローズは絶句した。


「意味わからない……守ってくれるって、言ったじゃない。公女は気弱だから俺が押せば余裕だって!だから私は、あなたについてきたのよ…」


 ぽろぽろと涙を流して話すローズ。


 あらあら、そんなことを言っていたのねエドワード。

 本当、私も舐められたものだわ。


「でも、なんと訂正するんですか?今流れている噂は事実ですし、私は嘘を吐けるような度胸はありません…」


 感情的になった二人に割って入る形で、私は淡々と話し始める。


「っ、…それもこれも、君がこんな噂を流したから…!!」

「え?」


 エドワードの言葉に、私はポカンとした顔をしてみせる。


「私が噂を流した証拠なんてあるんですか?」


 私の言葉を聞いたエドワードは『は…?』と、小さく声を漏らした。


「ただ、フレイヤ嬢が勝手に言っているだけですよね」

「…そもそも、君はフレイヤ嬢と仲が良い事実は無かったはずだ。彼女を家に招く時点でおかしいだろう!」


 本当に何を言っているのかしら…。


 まさか、私が噂好きのフレイヤ嬢をわざと招いて。わざわざ、婚約破棄の示談書をフレイヤ嬢が見える場所に置いたとでも?


 …ふふ。


「偶然ですよ、エドワード」


 ばかな貴方にしては、なかなか上出来ね。

 でも、もうすべて遅いんだから。仕方が無いわよね。


「この世は全て、偶然の重なり合いです。貴方とローズ嬢が出会ったのも偶然。恋に落ちたのも偶然。今回の件が噂として流れてしまったのも偶然…」


 私は手に持っていた紅茶の入ったカップを置き、椅子から立ち上がると二人の前に足を進めた。


「偶然、つまり、仕方のないことなんですよ」


 全て、偶然。

 なるようにして、なった。ただそれだけの話よ。


「頼む、頼むよレイ…」


 エドワードは膝をつき、涙を流して哀願した。そんな彼の姿を見ても、私の心は微塵も揺らがなかった。

 愛称で呼べば、私が昔のことを思い出して手加減するとでも思っているのかしら?

 プライドの高い貴方が、女性であり、婚約破棄を言い渡した私に跪くなんて。


「可哀想なエドワード。私のせいで、全てを失って……」


 私に泣いて縋って。情けなくて、惨めで…


「でも、ごめんね。私は今、とっても気分がいいの。だから貴方からのお願いに答えてあげることはできないわ」


 にっこりと微笑んだ私を見つめたエドワードは、うつむくことしか出来なかった。

 



∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴



 

 事はとんとん拍子に進んでいった。


 ローズは男爵家から勘当され、修道院へ送られるそうだ。暫くの間は泣いて拒否をしていたそうだが、各方面からの圧に耐えられなくなった男爵がほとんど無理やりにローズを修道院行きの馬車に乗せたという。

 

 お可哀想なローズ…。

 信頼していたお父様から手放されてしまう感覚はどんなものなのかしら?自分のことにいっぱいで、私に同情する暇は無くなってしまったわね。

 まぁ、私は貴女に同情なんてしてあげませんけど。


 エドワードはどこに送られるわけでもなく、数週間の謹慎が与えられたそうだ。

 エドワードは侯爵家の長男。次男が侯爵家を継ぐまでの間は、今まで通り社交界の場には顔を出すそうだ。


 でも、そっちの方が彼にとって残酷でしょうね…。どこへ行こうとも、嫌な噂が流れていて、悪い意味で注目の的になってしまうでしょうから。


 その上、次男のあの子が侯爵家を継げば、エドワードは侯爵家にもいられなくなる。

 エドワードがこの現状から解放される唯一の方法は、令嬢に婿入りすることくらいだけど……。いくら侯爵家の人間だろうと、悪評が広がっているエドワードを婿に迎えてくれる家はあるのかしら?


 ふふ。ほんと、馬鹿なんだから。

 だから、選択肢を誤るなって言ったのに。…あぁ、実際口には出していなかったんだっけ?

 まぁ、そんなことはもう、今更どうだっていいわ。


「ごめんなさい、突然来てしまって」

「構わないさ」

「家にいるとお父様やお兄様たちからの小言がうるさいの。それに比べて、エメラルド宮は静かでいいわね」

「お褒めいただき光栄ですよ、レディ」


 私に向かってパチンとウィンクを決める。


 相変わらず、キザなひとね。

 イース・フォン・アディンセル王子。


 彼はこの国の王子であり、私の幼馴染でもある。

 イースと出会う前から、エドワードとの婚約は決まっていたから私たちはただの友人としての関りだったけど。もしかしたら、タイミングがずれていれば、私の婚約者はイースだったのかもしれない。


 もちろん、今だから言える話になってしまうけれど。エドワードではなく、イースと婚約をしていれば、私は幸せになれたのかしら…。なんて。


「僕にしておけばよかったのに」


 流石モテ王子。甘いセリフを吐くのがお得意なのね?


「ははっ、結婚はもう懲り懲りなのよ。王子様」


 ゆっくりと目を閉じて、風になびく自分の髪を押さえた。


 皆、私が騙したと責めるけど。お父様の命令で気弱な令嬢を演じていただけで、本当の私は初めからこっちよ。

 いい加減にしてほしいわ、どいつもこいつも、馬鹿馬鹿しい。


「ねぇ、イース。私って、性格が悪いみたい」

「え?今更?」


 こいつ…

 あなたが王子じゃなければ、私は今平手打ちをあなたの綺麗な顔にくらわしているところよ。


「ははっ、すまない、今のは僕が悪かったね。謝るから、どうか機嫌を直してくれよ」


 彼の前では自分を演じなくてよかったから、とても居心地が良かった。


「僕にできることなら、なんだってするよ。君のためならさ」

「…普段は鬱陶しいと思っていたあなたの甘いセリフも、今だとなんだか嬉しく感じるわね。ありがとう、慰めてくれて」

「………まぁいいさ、時間はまだまだあるんだから」

「? なによ突然にやけたりして。気持ち悪い」


 風がそよぐエメラルド宮の庭園。遠くで揺れる花々を眺めながら、私の心はイースのおかげで、少しだけ穏やかになっていた。


 レイチェル・ランカスター。

 彼女は美しく、聡明な令嬢だ。これから先も、どんな困難が待ち受けようとも可憐に打倒していくことだろう。


 自分の本性を知ってなお、好意を抱く相手など居ないと考えているようだが……。


 彼女の本性までも、心から愛し続ける人は存在する。

 そう、すぐ傍に。



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― 新着の感想 ―
この父親に対しても、きついざまーをして欲しかった。
父親はアホだなぁ…。 公爵家ともあろうものが格下の侯爵家の愛人付き令息を受け入れたら、何か弱みを握られてると勘ぐられるか貴族社会で馬鹿にされて舐められるのがオチなのに…。 貴族らしい手管でやり返すレ…
公女って準王族ではないのでしょうか(←あくまでも最近のなろうの傾向として)。この国でたった一人の公女なのに扱いが雑なような気がします。すごく貴重な血筋なのでは? 父親は普通の?公爵家当主っぽいですし、…
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