『運命という名の呪い』⑤
中央キャンパス 二号館周辺
大きな地響きが、周囲に広がっている。
巨大な呪いの藁人形は、日陰の空間をさらに広げて地面を踏み鳴らす。
大きな二号館の建物の裏側でなければ、その姿が生徒たちの目に入って相当な騒ぎになっていたことだろう。
「……逃げるのなら、もっと遠くへどうぞ。というか、関係の無い貴方まで殺すわけには……」
ツァリィとノインは、翔子の操作する巨大人形から逃げ続ける。
巨大人形の攻撃手段は足による踏みつけと、腕による叩きつけ。
単純かつ鈍重な動きだが、一方のツァリィとノインは対抗する手段は持たない。
逃げるしかないのだが……ノインの方は、まだ立ち向かう気でいる。
「ノインさん!」
ノインは、ずっと膨らませていた風船ガムを一旦萎ませた。
「うちら的にはさ、お嬢様の無事が確かならそれで良いんだわ。うちが足止めてる間に……行っちゃえよん」
「ば……」
巨大人形は、拳を構えているノインに、その何倍の大きさもある拳を叩きつけようとしてくる。
操作しながら、この時翔子は判断に迷っていた。
――久保さんのように……邪魔をする者もねじ伏せるべきなのか……。
――いや、考えている暇は……いつだって私には無かった……!
思考停止に陥り、彼女はそのままノインを押し潰す――。
キィィィィィィィィン
「!?」
翔子の眼前には、振り切った拳を動かせずにいる巨大人形の姿があった。
「『リフレクション』」
巨大なバリアで巨大な拳を受け止める。
こんな芸当が出来る人物を、翔子はあらかじめ知っていた。
「……君口……兄斗……!」
パリィィィィン
バリアは巨大人形を跳ね返し、そのまま押し倒してみせた。
破壊された地面から生まれる土煙が舞う中、彼はまた別のバリアに乗って宙に浮いていた。
「間に合ったね」
「川瀬の弟君じゃんじゃん!」
「え、あ、ああうん。何してんのおたく」
また風船ガムを膨らませ、ノインは手を叩いた。
「お嬢様を守らないとじゃん? 会長の頼み」
「……そう。まあどうでもいいさ。この僕が来たからには――」
「だ……兄斗さんッ!」
急にツァリィが声を荒らげたので、兄斗とノインの視線はそちらに向けさせられる。
「ん?」
「…………駄目です。帰って下さい」
「え? な、何で? 折角助けてやるって時に……」
「だからです! 貴方は……貴方って人は! 何で……何で諦めさせてくれないんですか! わたくしは……貴方を諦めたいんです……! なのにどうして……どうして……わたくしを助けようと……!」
「ツァリィ……」
眉に力を入れ、強く歯を噛み締めている彼女の気持ちを、兄斗に推し量ることは出来ない。
しかし今は、そういう話をしている場合でないのは明らかだ。
霧宮翔子は、苛立ちを露わにしていた。
「……馬鹿馬鹿しい。どこまでも……どこまでも恵まれた人ですね。貴方は」
「……?」
苛立ちだけでなく、複雑な感情を混ぜ合わせていたツァリィは、そんな翔子の言葉を聞いて一度下げていた顔を上げた。
「メリックコーポレーションの御令嬢で、サイバイガルの学生で、『カース』という特殊能力を持つ狂信者。そして……当たり前のように人を愛し、その想いに右往左往させられる……どこまでもどこまでもどこまでも恵まれた人間……」
「何を……」
「…………いえ、すみません。殺す相手が増えただけ……。何も、動揺する必要は……無い……」
明らかに、翔子の様子はおかしくなっていた。
だが彼女の過去や事情など、兄斗たちの知ったことではない。
知る必要は…………。
「初めまして、霧宮翔子さん。……仕事辞めなよ」
「…………ッ!?」
初対面であり、自分たち狂信者の命を狙っている人物だというのに、兄斗は彼女の心を知ろうとした。
自分の今の言葉が、彼女のぐずぐずに煮え滾った本心を揺らがせるものだと、兄斗は瞬時に察知した。
これは彼女が自分のことを語るようにさせるための、レバーを引いたような行為。
「……生まれた時から血涙を流していた私は、生まれた時から藁人形を持っていた。周りの大人が私を、『呪いの人形』として扱っていたのは……私が物心つくよりも前。誰かの恨みを、私は知らない間に何百何千と晴らしてきた。物心が付いた頃にはもう運命が決まっていた。何がカース……。何が呪い……。私は死ぬべき人間でしょうが、貴方たちだって同じはずでしょう? 生きていていい存在じゃない。死ぬべき……死ぬべきです……!」
言い終わると同時に、再び翔子は巨大人形を立ち上がらせる。
ツァリィとノインが思わず目を逸らしてしまう中、兄斗は目を閉じて受け止めていた。
まるで、自身に向かってくる風を浴びるようにして。
「…………そっか。アンタはそういう考えの人か。……悪くない」
「……何?」
「僕は死にたくないしアンタが死ぬべき人間だとも思わない。つまり僕らは相容れないってわけだ。こんなに面白い話は無い。ああ……そうさ。色んな人がいて、最高に面白い! これだから興味を持つってのは良い事なんだ! どうかな霧宮さん。僕の兄貴に頼んだら、もっともっといい仕事紹介してもらえるかもよ? 真藤さんみたく、アンタも自由に生きたら良いじゃないか。違う?」
「……真藤さん? あの人だってもう何人殺してきたか知りません。今更正規の仕事にも就けない私達には、貴方たちのような生き方が望んでも出来ない。出来るはずがないんです。夢を見せないでください……君口兄斗!」
翔子は巨大人形で兄斗に攻撃を仕掛ける。
兄斗からしたら大した相手ではない。バリアを瞬時に展開するが――。
「だん……兄斗さん! 私を助けたら一生恨みます!」
「うぇ!? 何でだよ!?」
どうしようもないほど、この場はどうしようもない者で溢れ返っていた。
「あああああああああああああああああああああああああああああ」
巨大人形は、兄斗を狙って拳を振り被る。
ツァリィから懇願されようが、兄斗に出来る選択は一つしかない。
「くっ……!」
その時――。
「コイツを倒せばいいのかい?」
ジェイソンらからの連絡を受けた、人間離れした《《ただの人間》》が現れる。
彼はたった一撃巨大人形に殴打を加えると、それだけでその藁で出来た体に風穴を開け、再び地面に倒してしまった。
「〝キング〟韓信!」
人によって大いに呼び方が変わる彼の名は、チャールズ・ドレーク・K・韓信。
人外の領域に踏み込んだ筋力で、表世界のチャンピオンリングを手にしてしまったある種のバグのような男だ。
「……誰?」
情報が、圧倒的に足りていない特対課の面々。
狂信者に関しては誤情報を混ぜて伝えられたうえ、そこらの異能などではどうにもならない人間がいることを、彼女らは知らされていなかった。
「君口君。次は?」
「次って……」
韓信が倒した巨大人形は、見る見るうちに元の手で掴めるサイズに戻っていった。
敵が誰かと言われたら目の前の赤リボンの女性なのだが、韓信の実力を目の当たりにして、兄斗は言い出しづらくなっている。
「近付くな!」
刹那。ノインはその刹那の隙を作ったことに後悔する。
彼女が予想していた通り、翔子はまだ予備の髪の毛を持っていた。
果たしてどのような入手経路を辿ったのかは分からないが、間違いなくそれは、ツァリィ・メリックの髪の毛。
「……何だい?」
「この藁人形はそこにいるツァリィ・メリックとリンクしています! それ以上近付けばツァリィ・メリックの命は無い!」
「……!?」
何も知らされずここに来た韓信は思わず目を見開く。
あらかじめ彼女の持つ能力を知っていた兄斗は、翔子を強く睨み付ける。
「……それでどうする? 殺そうと思っている人間を、人質にする意味は無い……だろ? 無駄な発言だよ。今の『近付くな』は」
「……!」
「本当は……殺したくないんじゃないのか?」
「ッッ!」
翔子は平手で藁人形の顔を叩いた。
すると、確かにツァリィ自身が叩かれたような反応を見せる。
「痛ッ……!」
「お嬢様!」
思わずノインはガムを口から出してしまった。
「……馬鹿馬鹿しい。真藤さんにもそんな説得をしたんですか? していないでしょう? 貴方は私を舐めているだけ。もう何千と人を殺してきた私が……こんな少女一人殺せないとでも思っているんですか!?」
本意ではないが、怒りに任せて翔子は『新しい一手』を取ろうとしていた。
ツァリィだけでなく、自分の邪魔をする全てを殺すため。
そして『殺す』という意志を、捨てるため。
藁人形から藁を毟り、そして、その藁を――。
「何を……!?」
翔子は、確かにその藁を食した。
自らの喉奥に押し込んだ。
そして――。
「私は…………貴方たちを恨みます」
彼女の大きな赤いリボンが、まるで吹き出す血のように大きく蠢きながら形を変えて、紐状になっていく。
そしてそのリボンだった『何か』は、彼女自身の首を絞めて持ち上げる。
いつの間にか、翔子は目を閉じて枯れたような顔面に変わっていた。
いや、顔だけではない。全身が、スーツが、彼女の何もかもが枯れて腐り果てていく。
宙に浮いた赤い紐に首を括られた、腐りきった女となると、何も無い所から金槌の如く巨大な釘を出現させ、それを握る。
「……これは……」
韓信は、完全に彼女が『異形』と成り代わったのだと確信する。
その刹那。
「!?」
一瞬にして韓信の背後を取った『異形』は、巨大な釘で韓信を薙ぎ払う。
その速度はこの場で韓信しか追えていなかったほどで、スポーツカーに轢かれたかのような勢いで彼は吹っ飛ばされた。
「キング!」
そして『異形』は、怨嗟の叫びを轟かせる。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
韓信はすぐに飛ばされた位置から立ち上がったが、その額には汗が滲んでいた。
叫び終えると、『彼女』は呟いた。
「コ……ノ……ウ……ラ……ミ……」
感情を何も感じさせない、暗く冷たく低い声で。
「ハ……ラ……サ……デ…………オ……ク……べ……キ…………カ……」




