『運命という名の呪い』③
サイバイガル中央病院 屋上
「ぐわああああ! は、放せぇぇぇぇぇ!」
特対課課長・黒井出巌は、ダイダーによって抑え込まれていた。
地味にだが、アンナも彼の足だけ踏んで動けないようにしている。
「うるせぇなぁ! いいから来いコラッ!」
「ま、待て! 待ってくれ! 何が目的だ! というか誰だ!?」
「俺は生徒会会計ダイダー・ベルチ。分かんだろ? 殺し屋さんよぉ」
生徒会とはこの学園国家において枢機院の次に大きな組織。
要するに、この国自体がもう動いていると言ってもいいのだと、巌は受け止めざるを得ない。
「……! な……ば、馬鹿な……我々の情報を……どうやって……」
「世間知らずだなぁ! クケッ! こんだけ頭脳の揃った国で、てめぇら如きの情報集めるのなんざわけねぇに決まってんだろ! クケケケケ!」
「な…………っていだだだ! おいそこの女! 踏み方があるだろせめて!」
「あらごめんなさい」
アンナは特に足元を見ずに、別のことを考えながら巌のくるぶしを踏んでいた。
彼女が考えていたのは、当然だがレイゼンたちの安否だ。
「そんでその玉手箱ってのはどこだ!」
「き、消えてしまった! 本当だ! 君口兄斗は脱出したんだろう! 確認して来ればいい!」
「……ったく。だとよ」
ダイダーはアイコンタクトを送り、アンナに病室の方に向かわせた。
彼らが対処するまでもなく、兄斗とレイゼンたちは玉手箱の中から抜け出している。
「……クソ……。わ、私を拘束して……ど、どうする気だ……?」
「決まってんだろ? 拘束する理由なんてよぉ……」
ダイダーは、白い歯を出しながらニヤリと笑みを見せる。
これから彼が巌を連れて向かう先は、瓢夏も向かっている枢機院だ。
*
中央キャンパス 二号館周辺
ひと気のない日陰の方向に、ツァリィ・メリックはいた。
「……よし」
ケータイの画面を見て、ジェイソンらからの指示を受けた彼女は、その通りに行動していた。
もちろん、死を回避する自衛のため。
「何が『よし』なんですか?」
振り向いた視線の先に、馬鹿みたいに大きな赤いリボンを付けた、灰色スーツの女性がいた。
「……なるほど。貴方が特対課とかいう危ないところのお人ですね?」
こんな格好の女性は、学園国家サイバイガルには存在しない。
一瞬で、ツァリィはその女性がジェイソンらから聞いた人物だと気付いた。
「……! そうですか……ご存知ですか。やれやれ……面倒ですね……」
「霧宮翔子さんでお間違いないですか?」
「……名前まで知られているとは……」
空港の時点で翔子は察していたが、既に特対課の情報は、サイバイガルの共有するべき人間全員に知れ渡っている。
「私を……殺せるとお思いですか? 舐めやがって……」
ツァリィは右腕を伸ばし、右手の指三本でフレミングの法則を示す形を作る。
そして手首を九十度曲げ――。
「操作」
一連のモーションには、特に何の意味も無い。
とにかく彼女は自身のカースを使い、目の前にいる翔子の『敵』を呼び出す。
ひと気のなかったはずのこの日陰の周りに、数人の作業着の男たちが現れたのだ。
「彼らは……」
「貴方たちのお仲間でしょう? わたくしの力を計ろうとした……馬鹿野郎ども」
「……」
確かにツァリィの支配下になっている者達は、教育科学省に雇われたアルフレドの元部下だ。
しかしそれを理解した翔子は、呆れるように溜息を吐いた。
「?」
「仲間ではありませんよ。私よりも上の人間に雇われた……私が知りもしない雑兵。おまけに、関係の無い者まで危険に晒そうとした愚か者たちです。まあ上の指示が雑なのもあったでしょうが……そもそも元は、下種のアルフレッド・アーリーについていた金魚の糞の腐れ外道。殺しても損はありません」
「損得で人を殺すのですか? ……てめぇだって最低だろうが」
「ええ。否定はしません。目には目を。クズを処分するのは……クズの役目」
翔子は懐から、一体の『藁人形』を取り出した。
「それは……」
「貴方のそれは、本当に『呪い』ですか? 馬鹿馬鹿しい……。本物の『呪い』は、もっとずっと恐ろしいものなのです」
「……!」
そして翔子は、さらに『ある物』を取り出す。
それは一本の毛。もしかすればそれは髪の毛。
その色は――――――――ツァリィの髪色と同じだった。
「一瞬で終わります。苦しみを覚えることもない……」
翔子がその毛を藁人形に近付けたその瞬間。
彼女だけが察知することの出来る、僅かな殺気が背後から――。
「ッ!?」
「せぇい!」
翔子を思い切り殴り掛かりに来る、一人の少女。
ギリギリで拳を回避した翔子だが、その拍子で毛は落としてしまう。
「ノイン・テーラー……さん!?」
突然現れ突然暴力を振るってみせたのは、生徒会書記のノイン・テーラー。
ツァリィの親が経営するメリックコーポレーション産の商品のヘビーユーザーでもある彼女は、実は結構喧嘩慣れしている。
風船ガムを膨らませながら、彼女は颯爽とツァリィを助けに馳せ参じた。
「だよんよん。毛が無きゃ能力使えないもんねぇ。知ってるよん、おたくの能力」
「知られ過ぎでしょう……。私初仕事なのに……!」
完全に、情報戦の段階では特対課は敗北している。
斥候が無能なこともあったが、一方で生徒会とジェイソン、六条公彦の能力が高すぎた。
川瀬快太も知人からいくらか情報を得ていたが、これが特対課に入ってからの初仕事である霧宮翔子の情報を手に入れられるのは、学園国家サイバイガルのトップ層の人間にしか出来ないだろう。
「オラァッ!」
ノインは機械仕掛けのグローブをはめた両手で、また殴り掛かる。
これはメリックコーポレーションが開発した特殊なグローブで、殴る本人は反動を受けず、いくら殴っても相手だけを傷つけられるという滅茶苦茶な代物。
もちろん、当たれば痣以上の怪我は回避できないだろう。
「この……ッ! 待って下さい! ご存知の通り、私は『髪の毛』が無いと能力を発揮できません! 何も出来ない相手を一方的に――」
「だから知ってるよん? 『予備』を持ってるってことくらいん」
「……ッ」
翔子は自分の手口が看破されていると確信し、早くも選択を迫られる。
しかし、『諦める』という選択は無い。
すなわちそれは、『隠している一手』を使うか、『新しい一手』を試すかの二択……。
――……致し方ない……!
リスクのある『新しい一手』を試すのは憚れる。
当然彼女の選択は、『殺し』では使ったことがない『隠している一手』を行使することだけ。
ノインらが自分について調べたのだとしたら、これまで自分が行ってきた『殺し』に関連した情報しか持ちえないと彼女は考えたのだ、
「ならこれは知っていますか?」
翔子はノインの暴力を避けながら、自分自身の髪の毛を一本千切った。
「!?」
「……暗殺には不向きなので、人前で使うのは初めてですが……」
彼女は自分の毛を藁人形の腹の中に、押し込むようにして詰め込んだ。
そして、あろうことか彼女は、その藁人形を放り投げる。
「え……」
ツァリィが驚くよりも早く、唐突に、藁人形は形状を完全に変化させていく。
巨大化し、翔子の三倍ほどのサイズになって、ドスンと大きな音と共に着地した。
その姿は藁で出来てはいるものの、どこか翔子に似通った形をしている。
「……!?」
「嘘……」
もし仮に、これが翔子にとっての初仕事でなければ、ノインたちも彼女の『隠している一手』を知るか、あるいは推測することが出来ていただろう。
仕事で『殺し』を行うというのは、それだけ情報をさらけ出すリスクがある。
翔子は藁人形に他人の髪の毛を詰め込むことで、その人物を自在に操る能力を持っていた。
しかし、自分の髪の毛の場合は少し違う。
彼女自身が彼女を操るというのは、藁人形を使わなくても行えていること。つまり、そこから一歩進展して、彼女は理想の自分を藁人形で表現できるのだ。
「さあ。どちらがより呪われているか……教えてあげますよ」
二人の少女は、目の前の女性の姿を見て体を震え上がらせた。
彼女は目から血を流し、瞳孔が完全に開ききっていた。
藁人形で出来た巨人という、実質死なない化け物を生み出し操作する能力にはリスクがある。
それでも彼女は、仕事を完遂しなければならないと考えていた。それしか自分が生き永らえる方法は無いと、そう思っていたのだ。
*
セントラル・ストリート
特対課・久保清太郎は、日南貞香を捜索していた。
ツァリィはわざと翔子に見つけられるように行動していたのだが、それは元々特対課の分担作戦を知っていたからだ。
当然だが、貞香も彼女を囲う元『番犬』の集団も、もう作戦に動いている。
「あのぅ……すみません」
難儀していた清太郎は、近くで談義していた学生数人に声を掛ける。
「ん? 何すか?」
「その……日南貞香って人知りません? もしくは……そう。『番犬』……だったかな?」
「…………ッ!」
それを聞いたその学生らは、目を見開いて唇を噛み締めた。
「あ……もしかして知ってるんですか? 僕ずっと探してるんだけど……」
「……知らねぇわけねぇですよ。『アイツら』のこと探してんのなら……」
まるで、その学生らからは敵意のようなものを感じ取られる。
その理由を考えることすらしない清太郎は、ただただキョトンとしていた。
「……アイツらに何の用ですか?」
「いやぁたいした用じゃないです。ただ、僕はちょっと……おいたをしたっていう彼女を、懲らしめようかなって考えてるだけ」
「……喧嘩強いんすか? アンタ」
「え? いやぁ……どうだろう。まあ、それなりに……ですかね?」
わざとらしく、明らかに認めているような様子だった。
学生らはそれだけ聞いて、確信したようにお互いの顔を見て頷き合う。
「……そういうことなら……案内しやしょうか?」
「え?」
「恨みがあるんすよ。連中には……」
「……?」
やはりたいして何も考えず、清太郎は彼らに付いて行くことにした。
思考停止では辿り着けない、目論見の渦巻いている場所へと。




