『運命という名の呪い』②
生徒会執行本部 一階大広間
生徒会執行本部は、二階建ての洋館のような建物。
無駄にだだっ広い屋内の、無駄すぎる大広間。
役職なしの生徒会役員に指示を送るための空間で、会長の滑川瓢夏は庶務の天久翔と共にいた。
「……そう。全員命が無事なら良いわ。偵察はやっぱり厳しかったわね。それなら、警備には撤退させて」
そう言って、瓢夏は電話を終わらせた。
「さ。枢機院に行くわよ。翔君」
「何で?」
「私の思い通りに全てが進んでいるのなら……あとはまあ、話を付けるだけで良いはずだもの」
「話を付けるって……誰に?」
「お父様に」
瓢夏は得意げな顔を見せている。
枢機院のトップは学園長でもある二ノ宮巖鉄議長だが、組織を実際に動かしているのは瓢夏の父を始めとする二十四人の『評議官』と呼ばれるものたち。
つまり瓢夏は、この国の行政指揮監督者に会いに行こうと言っているのだ。
「……瓢夏。快太はともかくだが……君口たちは大丈夫かな?」
「さあ? 私の知ったことじゃないわ」
「あのなあ……」
「……懸念事項が一つだけあるけれど、あっちに関して私達に出来ることはない……でしょう? それとも翔君、いきなり不思議な力に目覚めたりでもした?」
「……君口じゃあるまいし、そんなわけないだろ」
「でしょうね」
幼馴染ではあるが、翔は瓢夏の腹の内を完全に理解はできていない。
しかし、彼女が笑みを見せている時は、もう既に彼女の目的が達成されると決定している時なのだ。
今このサイバイガルで誰が何をしていても、それだけはもう覆ることがない。
*
サイバイガル中央病院 一〇三室
「喉乾いたなぁ」
何の気なしに、兄斗はそう呟いた。
そうすると反応するのは、隣に座る四葉だ。
「あ。何か飲み物買ってきましょうか? 何がいいです?」
「今はね、紅茶にハマってるんだ。お願いできる?」
「了解です」
そう言って、自然な流れで四葉は病室を出ていった。
その様子を見ていた魎一は、兄斗の態度にどこか違和感を持たされる。
「君口」
入れ替わるようにして、この病室に入ってくる人物が一人……いや、三人。
一人は背の高い丸刈りの男。
一人は氷のように冷たい目をした女。
一人はモノクルを付けた男。
その三人は、兄斗のよく知る者達だった。
「ああどうも。レイゼンさん。アンナさん。と…………誰だっけ?」
「クケッ! おぉいッ! てめぇマジか君口ィ!」
「冗談だよ。ベルチ」
野球選手であり狂信者仲間でもあるレイゼン・ルースと、その監視役『ワンダー・ファイブ』のアンナ・トゥレンコ、そして生徒会会計のダイダー・ベルチだ。
「はい。お花」
「ありがとうございます、アンナさん。でも……悪いんですけど、僕ももう行かないと」
「?」
魎一は、兄斗のその言葉を聞いて眉をひそめた。どう考えても、彼の身体は回復しきっていない。
「……君口……」
「嫌そうな顔しないでくださいよ。レイゼンさん。これはアレです。口止め料……的な?」
「……お前は本当に…………いや、いい。……そっちの人は?」
「ああそうだ。真藤さん、脅迫します。これから目の前で起こること……他言無用で。でないと命が無いと思ってください」
「……どういう意味ですか?」
「それじゃあレイゼンさん。よろしく」
魎一の問いも無視して、兄斗はレイゼンに『それ』を促した。
レイゼンはスッと兄斗の体に手を触れる。すると……。
「…………!?」
次の瞬間、兄斗はベッドから立ち上がった。
本来彼の傷の重さでは、決してまだ立ち上がることは出来ないはずだというのに。
「よぅし治った」
「馬鹿な……」
魎一は、表情こそ変化を見せないが、心底驚愕していた。
何故なら『それ』は、彼の持っていた情報によれば既になくなっているはずのものだったからだ。
「……『再現』したのですか……? 君口兄斗君の体を、元の状態に……」
「何の話ですか? そんなことあり得ないでしょ。だって、レイゼンさんのカースは……使えなくなったはずなんだから……」
わざとらしくのたまう兄斗に対し、当の本人であるレイゼンは渋い顔を見せた。
「君口……」
「分かってますよ。良いですか? 真藤さん。どうか内密に……」
「…………」
レイゼン・ルースの持っていたカースの能力は、『再現性』を極限に高めるというもの。
つまり、彼がその気になって力を使えば、怪我をした人間を元通りにすることも不可能ではないのだ。
しかしこれを知る者は多くない。何故ならレイゼンは医者ではなく野球選手であり、加えてその力を厭っていたからだ。
そしてレイゼンはもう力を使えない。そう彼自身が世間に公表している。だからこそ魎一は、兄斗の脅迫の言葉の意味を完全に理解した。
「さて……君口君。それじゃあ私達は、花良木さんの時間稼ぎでもしてくるわね」
「ありがとうございます。つーか、ベルチは何でいるの?」
「クケッ。いちゃ悪いかぁ? 暇なんだよこっちはァ!」
そう言いつつも、彼は兄斗のことを心配して一応ここに来ている。
実は生徒会で一番他人を思いやれる人間だったりする彼なのだが、その事実を知る者は非常に少ない。
「じゃ、頑張れ。レイゼン君」
「お前なぁ……」
「ふふ」
レイゼンたちは、完全に兄斗による一方的な頼みを聞きに来ただけなのだが、アンナの方はそこまで嫌な気はしていない。むしろ少しだけ楽しんでいる。
「まあまあ。レイゼンさんだって今はシーズンオフなわけだし、暇でしょ? 今年も寺子ファイターズは最下位でしたしね!」
「この野郎……」
レイゼン自体はリーグトップクラスの実力の選手なのだが、彼の所属するチームは非常に弱い。
確かに兄斗の言う通り、ポストシーズンと無縁なレイゼンには暇な時間がいくらかある。
アンナとベルチが出ていくと、今度は兄斗が病室を抜け出すことになる。
そもそも彼は、そのために四葉を一度外に出したのだ。
「さて。それじゃ僕はそろそろ……みんなを助けに行かないとね」
「……いえ。まずは…………『この場をどう切り抜けるか』……ですよ。君口兄斗君」
「?」
次の瞬間――――――周囲が真っ暗に変化した。
「!? な、何だ……!? これは一体……」
驚愕するレイゼンに対し、兄斗は非常に落ち着きを見せている。
「…………真藤さん。これは?」
「課長が動いたようです。君が動けないと見るや否や、花良木四葉さんが部屋から出ていったのを確認し、無関係な者を巻き込まずに君を殺すつもりなのでしょう」
「…………俺は?」
「どうやら課長は功を焦ったようです。君達三人がこの部屋に入るのを確認していなかったのかもしれません」
「おいおい……嘘だろ……」
レイゼンは額に手を当てて溜息を吐いた。完全に巻き込まれた形だ。
「真藤さん、貴方だって巻き込まれてますよ」
「その様です。課長は私を囮にしたつもりなのでしょう。私を死なすことによる損失も計算できていない……。残念です」
「無能な上司がいると大変だね」
「私自身が無能だからこそ、無能な上司の下で働いているのです。有能ならば職場を変えるでしょう」
「なら自業自得か」
魎一はコクリと頷いた。彼は自分の運命を呪うこともなく受け入れている。
「……冷静だな、二人とも。この状況は……一体何なんだ?」
「ブラックボックスはご存知でしょう? カースと呼ばれている超常現象……その正体は、果たしてウィルソン・ハララードの呪いなのか、それとも別の『何か』なのか……。少なくとも、似た効果の現象は確認されています。故に、私はこう考える。ブラックボックスは、『玉手箱』の一種でしかないと」
「……玉手箱……」
「課長はそれを持ってこちらにやってきました。本人には何の能力もありませんが、もし玉手箱が使用されたのなら、私達は最早悠久の時をこの中で過ごすしかない。脱出の手段は……もう無い」
「ここが玉手箱の中……? 意味が全く分からない……」
頭を悩ませているレイゼンの横で、兄斗は大体納得しきっていた。
以前ブラックボックスの中に囚われた兄斗は、一度その中からの脱出を成功させたことがあるのだ。
「真藤さん。本当に脱出の方法は無いんですか? ブラックボックスは明確にありましたけど」
「……そうですか。ではやはり、ブラックボックスとは別物なのかもしれませんね。……とにかくこの中にいる間、外の時間は恐ろしい速さで過ぎていく。今すぐにでも出なければ……我々は見知らぬ未来に飛ばされてしまう」
「それは困るな……」
現在、この暗闇の中にあるのは三人の男と二つのベッドだけ。
玉手箱の発動と共に、指定した空間にいる人間と、その人間たちが触れている物だけが『囚われた』のだ。
だから見渡しても使えそうな物は何も無い。
「……少し、話をしましょうか。君口兄斗君」
「?」
*
サイバイガル中央病院 屋上
病院ではあまり見ない、ビジネススーツの高年男性。
特対課課長・黒井出巌は、病院の屋上でその『箱』を握っていた。
魎一の言う『玉手箱』とは、まさにこの『箱』のことなのだ。
「く……クク……上手くいったようだな……。そら見たことか、あの堅物どもめ。私だってやれば出来るのだ。舐めやがってクソ……。と、とにかくこれで大丈夫だよな? あのガキは……これで大丈夫なんだよな?」
自分でもその箱の力を信じきれていない巌は、間違いなく特殊な能力を持たない常人だった。
しかし彼は、自分が周りにどれだけ不審に見られているか理解できていない。
屋上の扉の奥から、彼を見つめている二つの視線があった。
「……さて。本当にあの人なのかしら? ベルチ君」
「ああ……会長の言っていた通りの薄幸な人相だぜ。クケッ」
四葉のもとへ向かうというのは、兄斗の前での方便。
ダイダーは瓢夏やジェイソンらから得た情報をもとに、この黒井出巌を拘束するためにこの場に来ていたのだ。
*
サイバイガル中央病院 廊下
四葉は病院内の自販機に向かったは良いものの、財布に手持ちが無かったことにその場で気付き、仕方なく外に出てお金を下ろしに行っていた。
病人の兄斗に借りるわけにもいかないと、真面目で意固地な彼女はそう考える。
少しして外のコンビニで飲み物などを買い、兄斗の病室に戻ろうとしていた途中、彼女は足元に妙な物が落ちていることに気付いた。
「何これ……」
それは、綺麗な宝石のような、目玉の形をした物体が三つ、ピラミッド状にくっついている塊。
手の平に収まるサイズではあるが、その宝石がまるで生物の瞳のようで、じっと見つめると深く広い闇の中に吸い込まれるような気になる、奇妙な物体。
「……………………………………………………」
何故かは分からないが、四葉はそれを手に取ってしまった。
何故かは分からないが、そうせざるを得なかった。
何故かは……分からないが……。
*
サイバイガル中央病院 一〇三室
「話って?」
状況が状況だというのに、魎一に対して兄斗は真面目に応対する。
「おい君口。話をしてる場合じゃ……」
「レイゼンさんが何とかしてくださいよ。……病室の『再現』。出来るでしょう?」
「…………」
レイゼンは自分の手の平を見つめた。
出来るかどうかは分からない。少なくともレイゼンは、自身のカースでこのような超常現象を打ち破ったことは、過去に一度もない。
しかし、兄斗は当たり前のように彼なら出来ると信じていた。それどころか、もう問題は解決しているとすら認識していた。
故にそこには、期待という名の呪いは微塵もない。
「……なるほど。そんな使い方も出来るのですね」
「さあ? 知らないけど出来るでしょ。それで? 何の話をしたいんですか? 真藤さん」
どこか悟っているように落ち着いた態度の兄斗を見て、魎一はますます眉に力が入る。
「……君の力は……一体何ですか? カースと名付けられる、呪いの一種とも言い切れない。しかし兄のそれとも似つかない。私はいくらか超常現象に詳しくはありますが……前例がない」
「僕に聞かれてもな……。兄貴の力だって解明されてないし、そもそも兄貴はまだ力を隠してる。そう考えたら、僕と似つかないって言っても仕方ないんじゃないかな」
「…………異能を持つ人間が現れるパターンは二通りです。一つは、生まれながらにして持っている場合。そしてもう一つは、生きている間に何かしらの理由で手に入れる場合。私は後者です。ある日を境に、急に怨霊の声が聞こえるようになった……」
「僕も後者ですね」
「……しかし、この場合はそこに、必ず原因があります。私は三つの時に車に撥ねられ、生死の境を彷徨ったことで『彼ら』と触れ合えるようになった。では、君はどうですか?」
「……この学園に来て、暫くしたら……ですね。だから僕も、これが『カース』だと思っていた。けど、兄貴に話したらそうとは言い切れないって言われました。少なくとも、僕の力に『呪い』は関係ないって」
「私も同意見です。レイゼン・ルース君」
急に名前を呼ばれ、力をどうやって使うか考えていたレイゼンは振り返る。
「……君の力には……確かに怨念が宿っている。呪い由来の力なのは確かです。私が保証します」
「嬉しくないな……」
「目を凝らせば内なる怨霊も見える。それが私です。しかし……どれだけ目を細めても、君の方には怨霊が見えない。川瀬快太氏の意見は正しいですよ」
「アンタの意見を聞きたいな。僕の力は……何だと思いますか? 呪いでないとすれば……神様から授かったギフトって奴かな?」
「…………」
「……あれ? もしかしてそう思ってました?」
魎一は静かに頷いた。
「……この地には、呪い以前に……もっと恐ろしい何かがあるような気がします。私の友人達も……ここに来てからずっとそれに怯えている。私はそれが、ウィルソン・ハララードという人間一人の呪いではない……何か別の……何かである気が……」
恐らく今この地にいる者の中で、直感だけでそこまで気付くことが出来るのは、この真藤魎一だけだろう。
人間の怨念が詰まった怨霊を『友人』と呼ぶ彼だけは、呪いかそうでないかという判別が正確に行える。
つまり、彼の予想は――。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
「「「!?」」」
この暗闇の中で、黒い影のような何かが蠢いている。
それは人型を作り出し、狭い空間の中で、大量に溢れかえる。
「な、何だ……!? 何なんだコイツらは……!?」
「……食べ坊のと似た奴か……」
兄斗はこの実体を持つ人影のような存在に見覚えがあった。
かつてこの学園にあった駄菓子屋『食べ坊』が、影の中の世界に現れるというカース。
その影の中の世界で、兄斗は似たような存在を見ていた。
「ああああああああああああああああああああああああああ」
「!? レイゼンさん! 危ない!」
その影たちは突然、三人に襲い掛かり始めた。
しかし兄斗の反射速度には到底及ばない速さ。
「『リフレクション』! 弾き飛ばせ!」
彼のバリアは次々に影を薙ぎ払い、彼自身とレイゼンの身を守った。
一方で、魎一は大きく口を開き、その中から彼の怨霊を呼び出す。竜の姿をしたその怨霊たちに、向かってくる影を対処させた。
「……か、体の中にもいるの……?」
「念のために」
彼は自分が玉手箱に巻き込まれることを想定し、あらかじめ体内に怨霊を隠していたのだ。
そうして二人によって数体の影を破壊するのだが、またすぐに新しい影が人の形を作って襲い掛かって来る。
「レイゼンさん! ここは早く出ましょう! キリが無い!」
「そ、そう言われても……」
「適当にやれば何とかなりますって! 僕らが対処してるうちに!」
「ッ……」
レイゼンは、自分の肉体と野球のボール、そして兄斗の体以外に自身の力を使ったことがない。
そもそもまずどこに手を触れたらいいのかが分からない。
兄斗に急かされたレイゼンは、悩む時間すら失い、取り敢えずその場にしゃがみ、床に手を付ける。
――出来るのか……?
――俺に……俺なんかに……出来るのか……?
「大丈夫ですよ。レイゼンさん」
「…………」
――……ああ。そうだったな。コイツも……君口も、俺が力を隠したい理由を知ってるんだよな……。
「期待なんてしてないんで! 駄目だったら僕が何とかします!」
「……生意気だな」
――悪いな君口……。俺はもう…………期待されるのが、怖くないんだ。
レイゼンは、兄斗が自分に気を遣った言い方をしているとすぐに分かった。
だからこそ、不安などは何も感じない。
こんな病院の一室程度……元の状態を再現するのは、容易いことだ。
パリィィィィィィィィィィィィィン
まるで、ガラスが割れるような音と共に、闇は破れて消え去った。
病室は、元の状態を忠実に再現したのだ。
「……再現……出来たようですね」
命が助かったというのに全く嬉しくもなさそうな様子で、魎一は怨霊たちを彼らの住む場所に還した。
「……なんだ。僕の活躍の機会、もう終わり?」
「……これからだろう? ……行ってこいよ。そのために俺を呼んだんだろ」
「そうですね!」
兄斗はニッコリと笑みを見せ、そのまま窓から外に出ていった。
バリアに乗って、空を飛びながら。
「……しかし、彼女が戻ってきたらどうするのですか?」
「そのために俺が残る羽目になった。布団を被ってベッドに寝て、アイツのフリをしろと」
「………………無理があるのでは?」
「俺もそう思う」
レイゼンはフッと笑みを見せた。
しかし、彼は兄斗の頼みを破る気はない。アンナもそうだったが、彼も少しだけ……ほんの少しだけ、楽しみ始めていたのだ。




