『運命という名の呪い』
一号館屋上庭園
川瀬快太は知人に連絡を取っていた。
電話の先にいるのは、彼にとって困った時に一番頼りにしている、情報通の人物。
高校の時の先輩の女性であり、現在は日本の警察に所属している。
その女性から、教育科学省『特対課』について話を聞いていたのだ。
「……ありがとうございます。特対課について、他に何か分かったことありますか? ………………ありがとうございます。では」
そうして通話を止めると、快太はケータイを下げて青く広がった空を見つめた。
「……先に兄斗に手を出したのは……ミスだぜ。教育科学大臣様」
小さく呟いた彼の言葉には、これ以上なく分かりやすい怒気が込められていた。
*
サイバイガル中央病院 一〇三室
昨日、兄斗は真藤魎一を倒したのち、その場で気絶してしまった。
血をあまりにも流し過ぎたのだ。
その結果、彼はこの病院で目を覚ますことになった。
「先輩っ!」
「君口!」
既に目を覚ましていた兄斗のもとに、四葉と上柴が現れる。
「やあ」
「『やあ』じゃねぇよ! 包帯だらけじゃねぇか!」
「ま、無事無事。心配かけてごめんね」
そこまでいつもと変わらない態度の兄斗を見て、二人はホッと胸を撫で下ろした。
特に四葉の方は涙目になってしまっている。
「先輩……ごめんなさい。私があの時……一緒に電車に乗っていたら……」
「その時は四葉も危険な目に遭ってた。もしそうなってたら、今頃死人が出てたさ。ね、真藤さん」
兄斗と同じ病室に、真藤魎一のベッドがあった。
兄斗のバリアでボコボコにされた彼もまた、兄斗と同じ様に既に目を覚ましていた。
「……いやぁ……酷い目に遭いました」
「アンタの所為だろうがッ!」「貴方の所為でしょうが!」
上柴と四葉は同時に魎一に怒鳴りつけた。
「病院では静かにお願いします」
結果、病室の前を通りかかった看護師に注意を受ける羽目になる。
それでも二人が怒りを収まらずにいる一方で、兄斗はそこまで気にしている様子ではない。
命を狙われたというのに、彼はやはり刹那的に人生を謳歌しているのだ。
「……先輩。良いんですか?」
「良くはない。でも殺されかけたからって殺すわけにはいかない。それよりも今すべきなのは……」
「……対策……だな」
上柴は既に状況を兄斗以上に把握している。
魎一を始めとする教育科学省の『殺し屋』たちは、狂信者を狙っている。命の危険性があるのは、兄斗だけではないのだ。
「なあ上柴。僕は暫く動けない。他の狂信者が危険な目に遭うのなら……放っては置けない。どうにかならないかな?」
「まずは情報が欲しいな。ジェイソンと六条教授にも頼んではいるが……。おい、アンタ。仲間について教えろよ」
上柴は魎一に尋ねた。そこまで期待はしていないが、聞かないわけにはいかない。
「ええ。良いですよ」
「良いのかよ!?」
「……上の見立てが甘いんですよ。どんな斥候を送ったのか知りませんが、情報は正確でないといけない。特に、こういった仕事では。福利厚生が良いので公務員になりましたが……どうやら公務災害は労災と違うようです。労基には話の通じる者がいますが、人事院にはいないらしいので、超常現象が原因の申請をすれば通らないという……。こんな理不尽は無い。私は辞めます。この仕事」
「知らねぇよ……」
「必要ないみたいだよ。上柴」
呆れていた上柴は、ケータイの画面を見つめる兄斗の方に体を向ける。
「兄貴が知り合いに調べてもらったらしい。上柴にも送るよ」
兄斗は快太から貰った『特対課』の情報を上柴にも与えた。
「……キレてたろ? お前の兄貴」
「いや? そうでもないよ。しかしまあ問題は僕以外の狂信者だ。ツァリィとレイ……そして日南貞香……」
「日南には『番犬』がいるから大丈夫だと思うけどな。多勢に無勢だろ?」
「……上柴。真藤さん、かなり強かったよ? 僕じゃなかったら間違いなく死んでた。せめてお前が彼女に付いて、何かあったら連絡係をお願いしたいんだけど……」
「…………そうだな。対処できるのはお前かお前の兄貴だけか? 話し合いは……無理なのか?」
「少なくとも、このオジサンは問答無用で来たよ」
「……」
魎一は無言を貫いている。悪びれるそぶりすら見せようとしない。
そんな彼の態度に苛立ちながらも、上柴は傷付いた友の意見を聞くことにする。
「……分かった。兄貴の連絡先は?」
「僕経由で良いよ。その方が僕も状況を知れて楽しい」
「楽しいってお前な……」
「何も知らないでいるよりはマシさ」
少し前の彼は、興味の無い、自分とは関係の無い者が知らないところで問題を抱えていても、よっぽどのことがない限り率先して関わろうとはしなかっただろう。
今回は彼にとって身近な存在が危機に晒される事態だったが、仮に命を狙われている者が彼の知らない人物だったとしても、彼は同じことを言っただろう。
彼は、そういう風に変化していた。
「先輩。私は……」
「傍にいてくれたら嬉しいよ。マジで」
「……! もちろんです!」
四葉は目をウルウルさせながら兄斗の手を両手で握った。
「……さて。ツァリィとレイはどうしよっか」
「お前の兄貴はどうする気なんだ?」
「さあ? 『お前は安静にしてろ』の一言。そりゃするけどさ、質問にくらいは答えてほしいよね」
「……なら、早め早めに動くしかないか。日南に頼んで、『番犬』をあの二人の方にも向かわせる」
「異能力者相手じゃ無意味だろうけど……ま、それで頼むよ」
兄斗の軽い口調から、上柴は彼が別の策を考えているような気がした。
「……お前、本当に安静にしてるんだよな?」
「するよ? こんな怪我じゃ何も出来ないしね」
「…………だったら良いが……」
明らかに兄斗は自分から動くつもりでいるように見えた。
しかし、それは物理的に不可能な状況なので、上柴は彼を置いて貞香のもとへ向かうことにする。
上柴が病室を去ると、四葉は兄斗が逃げ出さないように、自分が見張りをしなければならないだろうと考える。
しかし兄斗は、何もする気はないと言わんばかりに頭を枕に乗せた。
「勝手に抜け出さないでくださいよ?」
「ははは。動けないんだよそもそも」
「……君口兄斗君」
「何です? 真藤さん」
「……いえ。何でもないです」
魎一は、目論見の分からない彼から何かを聞き出すのを、すんでのところで止めた。
もしそれを『自分の仲間』が聞いていたら、兄斗に不利になると考えたからだ。
魎一はもう、このすぐ後の自分の行動を決めていた――。
*
中央キャンパス 六条公彦の研究室
上柴は重い扉に手を掛ける。
生徒には『開かずの間』と呼ばれ、滅多なことがない限り中に入ることができないとすら噂されているこの研究室の扉は、実は簡単に開くことができる。
「あ! 上柴さん!」
中にいるのは、弱冠十三歳にして上柴と同じ六年生に名を連ねる、『ワンダー・ファイブ』の一人……ジェイソン・ステップ。
そしてもう一人がこの教室の主、六条公彦だ。
ジェイソンはパソコンを弄っていて、公彦は後ろでそれを眺めている。
「首尾はどうですか?」
「結論から言うと、状況はこちら向きです。『誰一人傷つけず』というのは……残念ながら無理でしたが」
ジェイソンはシュンとして一度キーボードから手を離すが、すぐにまた戻った。
「……そうか。まあ君口は大丈夫そうだった。アイツのカース……アルフレッド・アーリーが言うところの、『覚醒』に至ったらしい。俺はただの、超能力の『変化』だと思ってるけどな」
「上柴君、君は一体カースをどこまで知ったのですか?」
「……何も分かってませんよ。分からないということを分かったんです。無知の知って奴ですかね?」
「……なるほど……」
上柴が物事について詳しく調べるのは、いつだってその知的好奇心を埋めたい時だ。
そして彼は、その知的好奇心を埋めきらない限り、調べるのを止めようとしない。
何度も何度も反復して仮説を立て、そして最終的には結論を出す。
もっとも、その結論は毎回『正しい』とは限らず、彼の知的好奇心が埋まるだけなのだが。
「君口の兄貴からの情報があるんだけど……聞くか?」
「いえ、大丈夫です。もう……丸裸にしちゃいました」
「さっすが天才児」
「そそそうですか!? か、上柴さんに褒められるなんて光栄です!」
上柴は喜ぶジェイソンの頭を、ガシガシと強引に撫でた。
「問題は、こちらの対策が利かない相手がいるということですかね……。レイチェルさんは大丈夫なんですか? ジェイソン君」
「レイは大丈夫ですよ。僕がハッキングして得た教育科学省の計画通りなら、連中はレイをいきなり殺しには来ない」
「……ハッキングね。恐ろしい坊やだぜ……」
実は既に、ここにいるメンバーは昨日から動いていた。
残念ながら同時期に襲われていた兄斗は怪我を負ったが、彼らは教育科学省の『特対課』について、快太以上に情報を掴んだのだ。
人外とも言われる『異能力者』への対策は、水面下で進んでいる。
「上柴さん、これから僕と六条教授……そして、滑川生徒会長の考案した策を話したいんですが……聞きますか?」
「……あの女帝会長か……。取り敢えず、聞かせてくれるか?」
*
サイバイガル空港
二人の危険人物が、サイバイガルの地に降り立った。
「……久保さん。いつまで項垂れているんですか?」
灰色のスーツで、堂々と巨大な赤リボンを頭に付けながら、その金髪の女性は静かな口調だ。
一方で隣を歩くのは、野球帽に半袖でラフな格好の、一般人と見分けがつかない男性。
「そりゃ項垂れるよ……。というか帰りたいよ……」
「では帰りますか? 仕事を放り出して」
「いやでもそういうわけにもいかないしなぁ……」
「何がそんなに不安なんですか?」
そう尋ねられると、その久保と呼ばれた男は声のボリュームを一気に上げた。
「決まってるだろ!? 『本物の超能力者』……君口快太さんがいるんだよ!? 殺される……殺されるよ僕ら……。君口さんに……」
「よく言う……」
「いやいやいやいや! 分かってない! 霧宮さんは入ったばっかだから知らないんだろうけどね! あの人は……あの人だけは敵に回しちゃいけないんだよ! よりにもよって何であの人に喧嘩売るかなぁ……」
「上の指示は絶対です。というか、私からしたら……どうして久保さんがそこまでその君口……いえ、確かご結婚されたので、川瀬快太さんでしたね。……とにかく、そこまでその川瀬快太さんを恐れる理由が分かりません」
「……本当に分かってないね。どうして彼の呼び名に、『本物の』なんて文言が付くと思う? その理由は、彼が……彼だけが、『本物』なんだよ。僕らみたいな、ただの『異能力者』とは違う。異能力者を『超えた』存在……『超』能力者は、この世界でただ一人、彼だけなんだ」
「……では、彼に出会わないように気を付けるしかありませんね」
「だから分かってない……。分かってないんだって……」
そうして喋りながら歩いていると、突然彼らの周りを見知らぬ人間たちが囲み始める。
「うん?」
見知らぬ連中ではあるが、服装でその正体は理解できる。
彼らの正体は、この学園国家サイバイガルの警察組織……『警備隊』だ。
「止まれ」
その警備の一人が声を発する。
気が付けば、二人の周囲には彼ら警備の者しかおらず、完全に場が孤立されていた。
「……えっとぉ……き、霧宮さん。これは何でしょう?」
「……どうやら、私達の到着を既に読まれていたということでしょう。流石は聡明な人間しかいない国、学園国家サイバイガル」
「い、言ってる場合!?」
緊張感は、どちらかと言えばこの二人を囲んでいる警備の方に走っていた。
こちらに威嚇するように拳銃を向けているが、その手は震えている。
「黙れ! 両手を上げて、大人しく投降するんだ!」
「……投降? 任意同行ではなくですか? そもそも……私達が何か問題を起こしたとでも?」
「……話は警備局でする。付いて来い」
「断ると言えば?」
「……ッ!?」
馬鹿みたいに巨大なリボンを付けている女――霧宮翔子の視線は、一部の警備の人間が何度か見てきた、『殺人鬼』のそれと同様だった。
「ま、まあまあ。ここは一旦落ち着きましょう? ね? お互いに」
どこまでも普通の見た目をして、常識人を装っている男――久保清太郎の身に纏う空気もまた、警備の一部が知る、『死の臭い』に酷似していた。
「と、とにかく投降せよ! 早く両手を上げ……………………ッッッッ!?」
「!?」
その瞬間、翔子は思わず目を見開いた。
殺気を出していただけの彼女だったが、『隣の男』はその程度で収めるつもりはなかったらしい。
目の前の警備の男の右腕は―――――――――燃えていた。
「うああああああああああああああ!」
「ばっ…………久保さん!?」
これは、久保清太郎の持つ能力。
彼のパイロキネシスは、彼の手から発せられた炎を投げたりすることで攻撃の手段に用いることができる。
「え? あ…………あああ!? や、やっちゃった!」
「…………ッ!」
これが初仕事である翔子は、自身のいる世界のことをたった今ようやく理解した。
そして、いとも容易く後戻りのできない状況になった現実を、受け入れるほかない。
自分たちは、あくまでも『人殺し』を生業にしているのだ。
「き、きき、貴様……な、何を……」
周りの者の助けもあり、男の右腕の火自体はすぐに消せたが、警備たち全員の動揺は消えそうもない。
「……? あれ? 誰かから聞いてここに来たんじゃないの? ……そうか! 何も聞かされてないんだ! 良かった霧宮さん。この人達相手ならどうにかなりそうだよ」
「……やっぱりよく言いますよ久保さん。貴方の方がよっぽど恐ろしいです。私からしたら……」
「えぇ……」
何故か呆れるように頬を掻く清太郎は、視線を警備たちに戻した。
当然、目の前で起きた現実を理解できない彼らは、怯えて引き下がるだけ。
「どいてくれるかな? 僕、人を殺すのに躊躇できない性格なんだ。人殺しなんて……僕、嫌いなんだけどね?」
矛盾するようなことを言う彼のその台詞が引き金となり、最早警備たちは何もすることが出来なくなる。
そうして、教育科学省『特対課』の二人は、この空港をあとにする。
出入口を抜けると、清太郎は欠伸をしながら腕を伸ばした。
「そういえば、夕島さんと課長は?」
「課長は真藤さんと同じ便です。夕島さんは……既に、サイバイガル家に向かったかと」
「そっかぁ。じゃ、僕らも分かれようか。一人一殺……で良いのかな?」
「そんなにたくさん殺したいんですか?」
「いやだから、僕は本当に人殺しが嫌いなんだって」
「…………なら辞めろよ。サイコパスが」
自分が言えることではないと思いつつ、翔子は小声で悪態をついた。
「何か言った?」
「いえ。何も」
自分が正しい側にいるなどとは微塵も思っていない翔子だったが、それでも彼女は自分の人生のために無茶な仕事を続けるしかない。
そして残念なことに、人格破綻者だと思っている隣の男が先程述べていた懸念を、彼女は本当に戯言としか思っていない。
彼女の運命もまた、呪われていたのだ――。




