『怨霊』③
サイバイガル鉄道 車内
兄斗の新しい自宅マンションの最寄り駅の、一つ前の駅。
そこに止まると、兄斗はようやくずっと抱いていた車内の違和感に気付いた。
「…………え?」
車内にいた乗客が、全員この駅で降りていったのだ。
彼が抱いていた違和感の正体は、乗客たちの作り出していた空気だった。
ここで彼が気付いたのは、今の今まで乗っていた人間たちが、全員フラッシュモブのような何かしらの共謀を働いていたという事実。
しかし、その理由が分からない。全員が同じ駅で降りることに、一体何の意味があるのか――。
――――いや、全員ではない。
「…………」
黒いスーツに包まれた、中肉中背の中年男性。
彼はビジネスバッグを足元に置き、たった一人で座席に腰を下ろしている。
そして両膝に両腕を置き、疲労感を露わにするかのようにして、前屈みに項垂れていた。
兄斗は唯一残ったその男性の方に、思わず視線を向けてしまった。
「……電車で座れたのは久しぶりです」
「!?」
唐突に、その男は独り言を呟いた。
いやむしろ、兄斗に対して話しかけているのかもしれない。
「君口兄斗君。君はどう思いますか? 定時前ギリギリに仕事を設定してくる上司……」
「……さ、さあ?」
このサイバイガルでなら、兄斗の名前と顔を知っている者は少なくない。
兄斗は自然と受け答えをしたが、答えてすぐ別の疑問が生まれてくる。
――……あれ? 変……だな……。
「……妙だと思いましたか?」
「へ?」
「サラリーマンに見えるが、そうでないようにも見える。首からぶら下げている代物を……君は見たことがある……というわけでしょうか」
まさしくその通りだった。
この中年の男は、首から身分証明書をケースに入れてぶら下げている。
ただ、兄斗はその身分証明書に見覚えがあった。
一度、兄・快太の知人が似たようなデザインの証明書、ネックストラップを持っているところを見たことがあったのだ。
そして、覚えている限りその知人の正体は――。
「どうぞ。名刺です」
男はスッと懐から名刺を取り出した。
兄斗の予想が正しければ、『名刺』などが出てくる可能性は低かったのだが、悩みつつ彼は受け取った。
「はあ。どうも………………………………ッ!?」
兄斗が驚いたのは、予想が当たったからにほかならない。
男は身分証明書を外してポケットにしまい、立ち上がった。
「よく考えたらもう必要ないですね、これは。入管で何度も提示を求められたもので……」
「……教育科学省……国際教育統括局……特別対策課…………真藤魎一……?」
中年の男――真藤魎一はコクリと頷いた。
彼の言う『入管』とはすなわち、『入国管理局』の略称だ。つまり彼は国外から来たということ。
そしてこの肩書。彼が日本連邦政府の人間だというのは明らかな話だった。
「はい。私はとくべ……略して『特対課』の真藤です。ですがまあ、その名刺は表向き用ですね」
「え?」
公務員ならば名刺は必要ない。自腹を切って作ったということは、作る理由があったということだ。
例えば、身分を疑われないようにするため……。
「そもそも……『特対課』とは、訳アリしかいない部署です。公にされている職務内容も曖昧な内容。その裏で、表に出せないことをするのが我々の役目。……逆に言えば、我々は裏の仕事をすることが、政府によって許されています」
「……は?」
魎一は、少し移動して貫通扉に背を付けた。
わざわざビジネスバッグを持ってそこまで移動したのに、再びそのバッグを足元に置く。
「現在の時刻は午後四時四十五分……。十五分で済ませましょう」
「あ、アンタ一体……」
「『特対課』は、裏の姿を知る者にはこう呼ばれています。――――――『殺し屋』と」
その瞬間……二つの長い物体が、途轍もない速度で兄斗の両隣を通り過ぎる。
いや、それは物体ではない。
一瞬の間に見えたその姿から、兄斗はその正体に気が付いた。
「……竜……!?」
二体の竜は、勢いよく兄斗の周囲を走り回り、窓ガラスや座席、向かいの貫通扉をも破壊して暴れ回る。
兄斗は既に反応できていない。二体の竜が自分に向かってきていることも認識できなかったが、狭い通路で方向転換し、兄斗のことを攻撃してきた。
だがしかし、彼には自動的な自己防衛機能が存在している。
瞬時に彼の右目から飛び出した『リフレクション』は、ものの見事に二体の竜の攻撃を防ぎ、また防ぎ、防ぎ続ける。
……そう。いくら防いでも竜の勢いは止まらない。攻撃が終わらないのだ。
「……ッ」
「君口兄斗君。君のその能力の弱点は、バリアが一個しか存在しないところです。無数の手数が相手になれば……」
すると、何も無い空間から予兆も何も無く、大量の竜が現れて兄斗に襲い掛かる。
それでも何とか兄斗の『リフレクション』は、その全ての攻撃を凄まじい速度で防ぎ続ける。
「く……ッ」
「削れると聞きました。君の体力は」
正確には彼の『リフレクション』は彼の内なる超常的なエネルギーが消費される。
兄斗の体力は、その失ったエネルギーに変化されて補填されているのだ。
その事実を知らない兄斗には、そうなる理由も分からない。
「……何……なんだ……!? アンタは……!」
「……ああ。申し遅れました。この子らは『怨霊』です」
「怨霊……? カースか……?」
魎一はほんの少しだけ眉をピクリと動かした。
なおも攻撃の手は緩めない。もっとも、彼自身は身動き一つ取らないのだが。
「……いいえ。カースではありません。この国の人間は、超常現象の全てがこの地でのみ確認されると考え、それらを『カース』とひとまとめに呼んでいますが……世界は広い。呪いは世界に溢れ返っているのです」
「……何だって……?」
「どんな世界の誰だって、簡単に人を呪うのです。自分のミスを押し付けてくる上司。故意に報告を怠る部下。執拗に飲み会に誘う同僚……などに対して」
「それはアンタの話だろ……」
「幼い頃から霊の類が見えた私は、怨霊に好かれる体質でした。生まれてこの方四十一年。私は社会の荒波の中で無数の怨霊と親しくなったのです。親しくなると案外、人間よりも素直で可愛らしいですよ。この子らは」
「どこがだよ……!」
兄斗はもうバリアに防御を任せきっている。
しかし、周囲を高速で移動するバリアが邪魔で自分も身動きが取れない。
手数が無数ならば、先に体力が削れる兄斗が不利だ。
「……せめて君が死ななければならない理由を説明しましょうか?」
「余計なお世話だよ!」
「……二ノ宮巖鉄氏とレイゼン・ルース氏がカースを失い、本国は狂信者に対して強硬手段を取る大義名分を得ました。元々存在自体が危険であり、なおかつ死んでも社会の損失が少ないのならばと……我々は狂信者を処分する決定を下したのです」
「……だからどうでもいいっての……そんなの……!」
実は兄斗は、自分が命を狙われる可能性を常々考えていた。
それは、自分よりもずっと前から特別な『力』を持っていた兄が、実際に似た経験をしているからだ。
過ぎた力は秩序を乱す。秩序側の人間に味方を作らなければ、必ず自分自身が消される立場になると、彼は『リフレクション』を手に入れた時から理解していた。
「本国はずっとその存在を認知してはいました。そして三年前……本国は、社会的損失と危険分子の大量排除を天秤にかけ、君の兄を調査という名目で送り、あわよくば学園長などの狂信者との共倒れを画策する選択をしました。しかし君の兄はその本国の意図を察し、行方をくらました。結果として兄を追ってこの地に足を運んだ君が、カースを手にすることになってしまいましたが……」
「………………分かってないなぁ」
「?」
「…………」
まるで兄の快太の所為で今こんな目に遭っているかのような言い草に対し、兄斗はフッと笑ってみせた。
これより前に、一度兄斗は快太と色々と話している。もちろん、自分の力についても。
それについて、彼は目の前の見知らぬ中年男性に話す気はない。
「……危険性が分かってないって話さ」
ズバッと兄斗のバリアが数匹の竜――『怨霊』の首を切り裂く。
兄斗に対して向かってくる無数の怨霊たちは、バリアによってその攻撃を防御され、それと同時にバリアによって切り裂かれていくのだ。
「……自動操作を止めたのですか?」
「この方が……手っ取り早い」
我慢比べで有利を取るには、相手の手数を減らすしかない。
だがしかし、攻撃も仕掛けるとなれば、最早その操作は自動ではできず、兄斗の意志で操作するしかない。
しかも高速で守り続けなければ自分自身がやられてしまうので、自分でも制御できないレベルで自身の周囲をひたすらに回転するように守ってもらわなければならない。
そうなれば……。
「うぐ……ッ!」
「……無謀ですよ。二十連勤並みに無謀です。君自身のバリアで、君自身が怪我を負っている。時間稼ぎにしかなりません」
制御困難なバリアによって、兄斗はいくつもの切り傷を作ってしまう羽目になる。
それでも、これしかもう手段は無い。
「殺す気で来たくせに心配か……? 結構なことじゃないか……公僕が……!」
「……私は、ただ定時で帰宅したいだけです。先に言っておきましょう。いくら私の怨霊を殺しても無駄です。何故ならこの子たちは、全部で九億七千六百六万二千三十一体いますので」
「…………ハッ!」
やはり、有利不利に変わりはない――。
*
サード・ジェネレーション刑務所
アルフレッドは上柴が抱いていた方の質問に粗方答えると、貞香の質問に答え始める。
「カースの『覚醒』……それについて聞きたいと言ったな? 日南貞香」
貞香は頷きもしないが、アルフレッドは話を続ける。
「……『覚醒』とはそもそも、『成長』や『進化』といった意味を持つ言葉ではない。シンプルに、『目を覚ます』という意味しかない。私はただ、呪いに宿った『怨霊』の、目を覚まさせる方法を聞いただけだ」
「……ウィルソン・ハララードにか?」
「……そうだ。彼は今も我々のすぐ傍にいる。彼の呪いこそが、この学園国家サイバイガルで見られるカースそのものなのだ。全てのカースには彼の『怨霊』が宿っている。分裂した、彼の意志そのものが。私はそのうちの一つから聞き出したというわけだ」
「…………」
上柴は眉間に皺を寄せながら顎に手を当てた。
そして貞香は質問を続ける。
「……もう一つ、気になったことがある。貴方は、私のカースを使えると言った。それは一体どうやって使えるようになったの?」
「……ふむ。私の研究成果を何のメリットもなく教えるのはどうも気が引けるが……まあ良いだろう。簡単な話だ。使い切りの『呪石』を消費しただけ……」
「? それは一体……」
「ああ。それは――」
「日本の政府が隠し持っていた、秘蔵の危険呪物だ」
上柴がそう答えると、アルフレッドは僅かに眉をひそめた。
「……何故知っている?」
本来、アルフレッドはこの物体を秘密裏に政府と取引して手に入れていた。
当然、上柴がその事実を知るには、上柴自身が危ない橋を渡る必要がある。
「……アンタは何も分かってない」
「何?」
「そもそも、その『呪石』っつー代物は、日本で発見された呪物だ。アンタはそこに、ウィルソン・ハララードとの関連性を見つけられたのか?」
「…………何が言いたい?」
もちろんアルフレッドが怨霊を目覚めさせるために使った『呪石』は、ウィルソン・ハララードとの関係が微塵も確認できていない。
アルフレッドは上柴と同じく、どちらかと言えば自分に都合よく仮説を立てて物事を考えるタイプの性格だった。
「……全部アンタの思い込みだ。『蛍雪の怪人』も、『寂寞の少女』も、『ブラックボックス』も、『ケルベロスの写真機』も、『首の曲がった化け物』も……全部、偶然関連性があるように見えていただけで、本当は全部……何の関係も無い、ただの理解不能な超常現象なんだ」
アルフレッドは、先に上柴が述べたような数多くのカースを実際に何度も確認してきた。
そしてそれらが全て、一人の怨霊によるものだと結論付けていた。
だが、しかし――。
「何を根拠にそう断言できる? 上柴六郎。君は一体何を知った? カースの源泉に触れたのか? 呪いというのは……」
「どこにでも見られる現象だ。俺も、アンタも、みんなただ無知だっただけだ。世界は俺達が思っている以上に…………未知で溢れ返っている。アンタはそれを、既知に変えたかっただけだ。そうだろ?」
「…………」
上柴の言うことは、アルフレッド自身想定していた内容でしかない。
だが、それでも彼は、未知という恐怖から逃れる術を、どうにかして手に入れたかった。
人間が、呪いや怨霊などという化け物に屈服するわけにはいかないと、彼はそれだけを胸に研究を進めていたのだ。
「……では聞こう。上柴六郎。仮に、ウィルソン・ハララードの呪いなどというものが、私の空想でしかなかったとする。だとすれば……君の親友は、化け物に取り憑かれたわけではなく、初めから化け物だったということか?」
上柴は、笑って首を横に振った。
「いやぁ……知らねぇのか? アイツは……すげぇ面白くって、すげぇ馬鹿で、すげぇ情熱的で、初めから……『人間』って名のバケモンなんだよ。……そして……俺達もな」
*
サイバイガル鉄道 オハル駅
駅のホームには誰一人存在しない。
初めから、魎一らが仕組んだ計画通りに物事が進んでいるのだ。
狭く逃げ場のない車両の中に兄斗を追い込み、確実に殺すという計画。その計画通りに……。
ボロボロになった第三車両。窓ガラスは吹き飛び、内部は謎の生物たちが蠢いている。
そんな第三車両から、このオハル駅に降りて来た者が一人。
――――――真藤魎一だ。
「……ふむ。午後四時五十九分。では帰宅させて頂きます。生きているかもしれませんが、悪しからず」
腕時計を確認し、彼はそのままホームに足を踏み入れる。
彼が出て来たということは、既に車内の君口兄斗は虫の息にあるということだ。
初めから明らかだった勝敗は、もう付いたかのように見え――。
「……おい、公僕」
魎一は、スンとした表情で振り返った。
ドンッという大きな音と共に、電車の天井が空く。
そこには――。
「仕事辞めなよ」
電車の上に、兄斗は立っていた。
血塗れだが、確かに彼は立っていた。
そしてその彼の周囲には、バリアが『複数』宙に浮いていた。
「……バリアが……増えた……?」
それを『覚醒』と表現するのは、『怨霊の目覚め』という意味に捉えるのならば不適切と言えるだろう。
だがしかし、確かに今兄斗の身に起きている現象は、アルフレッド自身が観測してきた『覚醒』と遜色のない代物だった。
兄斗の兄・快太の『超能力』も同じだが、呪いなどとは結局何も関係は無い。怨霊など……少なくともこの兄弟には初めから取り憑いていない。
要するに、全ては人間の想像など簡単に超えていく……『人間の可能性』でしかないのだ。
Prrrrrrrrrr
魎一は、鳴り出した自身のケータイを手に取った。
この状況でも出るのは、まだ終業時間まで三十秒くらいあるからだ。
そうでなければ、バッと飛び上がってバリアに乗り、また別のバリアをいくつも操ってこちらに向かってきている兄斗を無視するはずもない。
防御のバリアと攻撃のバリアを使い分けられたら、魎一にはなす術もない。
彼は電話に出つつ、既にこの戦いを……諦めていた。
「……はい。……いや、定時ですので。ところでこれ、労災は……」
その一瞬、魎一は初めて兄斗の前で愕然とした表情を見せた。
そして兄斗は、やられた分をやり返す――。
「………………え? 出ない……?」




