『この世は愛で満ちている』③
ハワイアンヴィレッジ サウスエガーデンリア
上柴六郎はそこまで体力のある男ではない。
しかし、先を読む能力はあるため、彼は暫くイベントが進むのを静観することにしていた。
「あれは……」
茂みに隠れていた彼は、知った顔を見つけて思わず外に出る。
が、その瞬間彼は他の参加者に見つかってしまった。
「いたぞ!」
「よし囲めぇ!」
謎に団結力のある集団が、上柴のことを囲んだ。
「……『番犬』……か?」
「!? な、何!?」
「お、俺らのこと分かるのか……?」
見覚えのある連中ではなかったが、上柴は先程見かけた人物から、この集団が何者かを理解する。
「……ま、待てよ……。おい! コイツ……いや、この人……上柴さんだぜ!?」
「な、何!?」
「お、おい、どうするよ!」
「?」
突然彼らの態度が変化したので、上柴は首を傾げる。
すると、先ほど目に入った例の人物が近付いてくる。
「……上柴先輩……」
その少女の名は、日南貞香。
常にマスクをして、腕や足を包帯でグルグル巻きにしている、独特なオシャレ観を持つ少女だ。
彼女はかつていじめ被害者の集団『番犬』のリーダーとして、彼らの加害者への制裁活動を先導していたが、現在はもう違う。
兄斗やツァリィのような狂信者でもあり、そして……ただ純粋に青春を謳歌する学生でもある。
「あ。久しぶりだな、えっと……日南……貞香だっけ? このイベント参加してたのか」
「……あ、貴方は……ど、どうして参加して……」
何故か周囲の元『番犬』たちは、空気を読むようにして距離を取る。
彼女の表情がマスクでよく見えていない上柴は、その理由が分からない。
「いやぁ、うちの君口がさぁ……。俺って友達想いだよな? ホント」
「あ、そ、そう……」
「しかし集団で参加するってのは正攻法だよな。こうして囲まれちゃどうしようも……」
上柴が自分自身に呆れて溜息を吐くと、貞香は無言のまま瞬時に自分の尻尾を取り、それを目の前の彼に差し出した。
「「姐さん!?」」
当然周りの連中は驚いて声を上げる。
「え? な、何?」
「……あ、あげる」
「え? いやでも……良いのか? お前も『矢』欲しがってたんだろ? ……はは。誰に使う気だったのかは知らねぇけどな」
「……い、いや、そういうのじゃ……なくて……」
どこか貞香はしどろもどろになっている。
遠慮する上柴に、彼女は無理やり尻尾を渡してしまった。
「恩ッ」
「おぉ!?」
「……がッ! ある……からッ! あ、貴方たちには……」
「そ、そうか? いや、でもやっぱり……」
「そういうことだから!」
それだけ叫んで、貞香はどこかへと走り去っていった。
「姐さん!」
「待って下さい姐さん!」
「姐さーん!」
ついでのように他の連中も、彼女を追いかけてどこかへと消え去った。
彼らがイベントを棄権することになるのは、説明する必要もないだろう。
「……よく分かんねぇけど……良い奴だな。アイツ」
こうして、彼女の想いが実る日は大幅に遠のき、それでも少しだけ前進は見せた。
*
ハワイアンヴィレッジ ターフメイズ
テーマパーク中心部付近に存在する、芝生の大迷宮。
四葉はこの中を走っていた。
追いかけてくるのは、リリィ・スレイン親衛隊。
時間が過ぎていくごとに、リリィの親衛隊とツァリィの操る者達、そして兄斗陣営以外の参加者は全滅状態に近付いていく。
もう一つの陣営となり得るはずだった元『番犬』たちは何故か棄権してしまったので、勝者となるのはこの三陣営のいずれかだと、中継放送中の情報屋は実況、解説している。
「今だ!」
迷路の中で上手く挟み込んだ親衛隊は、四葉の尻尾を奪いに行く。
しかし――。
「「ッ!?」」
四葉はその場で芝生の壁を蹴り、ジャンプする。
そして、挟み撃ちしようとしてきた二人の親衛隊の頭を、空中で思い切り蹴り飛ばして見せた。
華麗に着地を見せると、彼女は髪を払って汗を飛ばす。
「……ふぅ。舐めないでください。私、一応鍛えてるんですよ?」
残念ながら彼女の声は聞こえていない。
意識を失った親衛隊を無視して、四葉はとっとと尻尾だけ奪って迷路の外に出ていった。
「……やるね」
迷路から出ると、連中のボスであるリリィ・スレイン本人が待ち構えていた。
既に尻尾を取られたと見られる男たちに、座っている椅子ごと抱えてもらっている。
「……屈強な男の人たちを連れて、良い御身分ですね?」
「……でもみんなやられた。迷路の中で、貴方一人に」
四葉は誇らしげに笑みを作った。
「どこの力自慢を連れて来たのか知りませんけど、運が悪かったですね。女相手だからって暴力は使えない、心優しい皆さん。対して私は彼らがどうなっても良いという気分でいますので。しかもこうして迷路の中で動き回れば、多勢で攻めるのも困難ですし、一方の私は上柴さんと先輩のお兄さんが下調べしてくれていたので、この迷路の地理を理解しています。勝つのは自明の理というわけです」
「……勝つのは私。世界で最も愛されるのは私」
「知りませんよそんなの。とにかく、先輩の心を貴方に奪われるわけにはいきません」
「? 何で貴方がそんなこと気にするの? 何で何で?」
リリィは首を傾げて指をこめかみに当てる。
分かっているのか何も分かっていないのか、最早どちらか分からない。
「……それは…………それはともかくとして! 貴方こそ! 貴方のことを好きにならない男の子なんて、世の中探せばいくらでもいますからね!? 多分! 先輩だけじゃないですから!」
「いない。絶対絶対」
「いやいますから! 大体先輩だけに拘り過ぎなんですよ! 何ですか!? 先輩のこと好きなんですか!?」
その時、リリィはハッとしたように口を開いた。
既に四葉は嫌な予感を抱いている。
「……そうか。これが………………恋?」
「いいいやいやいやいやいや違いますから! 気のせいです!」
「どうでもいい。とにかく、私のことを好きにならない人は存在してはいけない。……人は私のことを『催眠術師』と言うけれど、私はただ目を合わせていたら、何故か相手が好きになってくれるだけ。それが今まで当たり前で、それが普通。そうならない人は…………怖い。怖いのは……嫌い」
「リリィさん?」
四葉の知るところではないが、リリィはその容姿の優れ具合の所為で、彼女なりの苦労を抱いて生きている。
妬み嫉みはもちろんのこと、たった一人を愛することすら恐ろしくなっている。
しかしいつの日か彼女は吹っ切れ、むしろ世界中の人間に愛され、世界中の人間を愛そうと考えるようになったのだ。
それが恐怖的感情を隠し、ストレスからの回避的思考回路なのは明らかな話だが、間違いだと断ずる権利は、この世の誰にも無い。
「ッ!?」
次の瞬間、リリィは座椅子から飛び上がり、宙返りをしながら四葉の背後へと回ろうとした。
「……私は世界の全ての人を愛してる。だから世界の全ての人も……私を愛さなければならない」
着地の瞬間に、四葉が振り向く間もなく彼女の尻尾を奪い取りにいく。
リリィは小柄な体型を活かして素早く動き、尻尾まで手を伸ばす――。
「…………ッ!」
「……させません……!」
振り向けてはいないが、右手だけを背後に回し、四葉はリリィのその細い腕を掴んで止めてみせた。
「怪力……!」
「貴方が華奢過ぎるだけです……!」
四葉はバッとリリィを振り払った。
しかし、リリィはまだ諦めてはいない。
「……貴方も私を愛したら良い……!」
「!?」
リリィの美しい灰色の瞳が、四葉の瞳にも映った。
これに飲み込まれないでいられるためには、また別の特殊な力を使うか、自分自身を先に洗脳する以外に無い。
しかし、この状況では間に合わない――。
「…………私のこと、好き?」
リリィは目を伏せた四葉の姿を見て、自身の力が効いたのだと判断する。
彼女自身は消して認めないだろうが、確かに彼女は無自覚に相手を催眠状態に落とす能力を持っていた。
初めて無表情を崩し、リリィは自身の勝利を確信して口角を上げる。
その時――。
バッ
一瞬ののち、リリィの尻尾は四葉の手のもとに渡っていた。
体力があるわけではないリリィは、油断もあり、四葉の動きに反応しきれなかったのだ。
しかしそれ以前に、何故か四葉は当たり前のようにリリィに牙を向けた。この事実がリリィを驚かせる。
「な……何で……!?」
四葉は顔を上げる。その目は確かに、今までと何も変わらない澄み切った色をしていた。
「……同じですよ。貴方と」
「え……?」
四葉は満面の笑みを彼女に向けた。
「……確かに貴方はとても可愛らしく美しく……大好きです。でも、こんな気持ちを持つのは初めてではありません」
「そんな……」
「貴方は言ってくれたじゃないですか。世界の全ての人……私も愛してくれるって。要は既に相思相愛ですよこれは! だったら優先順位は変わります。私の最優先事項は『矢』の奪取に移るわけです。……まあとにかく、貴方を好きになれて嬉しいです。愛する人は……多い方が幸せですものね!」
リリィのこの力は、本来リリィへの相手の好意を莫大に増幅させてしまうものだ。
しかし、それでも四葉は兄斗とリリィを天秤にかけ、兄斗を選んだ。
つまり、四葉にとっての兄斗への好意というものは、それだけ元々強大なものだったということだ。
それに気付いたリリィは、自身の敗北を受け入れざるを得なかった。
*
ハワイアンヴィレッジ イーストエリア
兄斗のバリアは、彼を襲う『敵』を決して彼に近付けない。
ツァリィによる愛の軍勢は、兄斗のバリアによって次々に倒されていく。
しかし、ツァリィのカースの効果範囲はかなり広く、イベント参加者のほとんどが彼女によって兄斗に向かわされているので、なかなか数は減らない。
「オラオラオラァッ!」
兄斗は何度もバリアを蹴り飛ばして、それをぶつけて『敵』を倒していく。
別に彼自身が蹴らなくても自動でバリアは動くのだが、自ら体を動かすのは、彼なりの誠意を見せた戦い方だ。
「ああ……旦那様……! 素敵です……とても素敵です!」
ツァリィはそんな兄斗の戦いを観戦してとても感動している。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! お前の能力は使い過ぎると……」
「その弱点なら克服しました!」
「な……!? そ、そうかよ……畜生め!」
以前までのツァリィは、そのカースが暴走して自分の『敵』を生み出してしまうことがあった。それは、彼女が自分自身を嫌い、『敵視』していたためだ。
しかし、今の彼女は自分を嫌っていない。つまりそんな暴走はもう起こり得ないのだ。
「オラッ! オラッ! ……ッらぁッ!」
兄斗はなおも戦闘を続け、だんだんと息切れを起こしてきている。オートで操作すればいいのに、彼はただ見栄えのために足でバリアを操っている。
「……旦那様。貴方様の弱点はご自身の体力ですわ。バリアを酷使することは、貴方の体力の消費に繋がっています。これは……わたくし自身が初めて旦那様のカースを見た時に知った、明らかな事実」
「ハァ……ハァ……」
明らかに、兄斗の動きも、バリアの動きも、遅くなってきている。
実はオートで操作しても彼の体力が減るのは変わらないのだが、これは彼の体の中で超常的なエネルギーが消費されているからだ。
優勢なのは、ツァリィの方だった。
「良いですか? 旦那様。『アンテロースの矢』を手に入れるのはわたくしです。旦那様のお心を射止めるのはわたくしなのです」
「ハァ……ハァ……」
「メリックコーポレーションを一緒に盛り上げていきましょう! 旦那様!」
「…………ッ!」
反応が遅れ、集団に飲み込まれようとしたその時――――兄斗は……飛んだ。
「!?」
兄斗は自分のバリアに乗って、空に逃げたのだ。
「……悪いね、ツァリィ・メリック。僕は……ああ、僕は――」
そして自分が乗ったバリアを動かし、ツァリィのもとへ一直線に向かっていく。
「花良木四葉を、愛しているんだ」
兄斗はツァリィの背から、彼女の尻尾を奪い取った。
そしてそのまま彼はこの場から去っていく。これ以上の言葉はもう、フッた相手には必要ないということだろう。
だがツァリィは追いかけない。
快太が言っていた通り、別に尻尾を奪われたからと言って失格というわけではない。
しかし、この時点でツァリィは戦意を失くしてしまった。
彼から直接四葉への好意を耳にしたのは、これが初めてだった。
分かっていることではあったが、実際に聞くと堪えるのも仕方ない。
ただ、それだけでもない。彼女は少しだけ、ほんの少しだけ、心が穏やかになっていた。
「……たまんねぇですよ。本当に……」
彼女はたまにお嬢様らしからぬ言葉を使う。
その言葉遣いは彼女が子供の頃から大好きだった漫画のキャラの真似であり、自分を大きく見せるためのものだった。
所々そのまま口癖に変わってしまったが、自らを大きく見せようとするのはもう止めている。
その理由も、今彼女の心が穏やかな理由も一致している。
彼女はもう……自分のことを愛せているからだ。
*
数刻後 ハワイアンヴィレッジ 大広場
最終的に勝ち残ったのは、兄斗の陣営だった。
兄斗は上柴から集めてもらった尻尾を貰い、彼には棄権を促した。
兄の快太は既に家に帰ったらしく、力になれなかったと謝罪されたが、兄斗はそこまで気にしていない。
あとは四葉と合流するだけ……。
「先輩。無事でしたか?」
「ああ。花良木も無事で何より」
「どうやら……残ったのは私たち二人だけみたいですよ」
四葉は、情報屋の中継放送を行っている配信を見ながら状況を確認している。
園内のカメラを利用し、わざわざ状況説明を行ってくれる情報屋を、逆に彼女は利用していたのだ。
それによると、現在自分の尻尾をまだ持っているのは、兄斗と四葉の二人だけらしい。
故に二人は、既に要らない余分な尻尾を邪魔として捨てている。
「当然さ。勝つのは僕って初めから決まってた。上柴に兄貴……そして花良木がいるんだから」
「先輩……」
「さ。花良木、あとはお前の尻尾を俺に渡してくれれば……」
「嫌です」
「うん?」
「ごめんなさい」
「んんん?」
「勝つのは…………私です! 先輩!」
四葉は、兄斗に向かって抱き着きにかかった。
驚愕と喜びが入り混じった兄斗は判断に送れ、当然だが彼にとって敵でも何でもない四葉に対して『リフレクション』は発動しない。
「!?」
……が、抱き着いたわけではなかった。
四葉は兄斗の尻尾を奪い取ったのだ。
そして、そのすぐ後に、園内全域に情報屋の放送が流れ出す。
『しゅぅぅぅぅぅぅりょぉぉぉぉぉ! クラッシュ・テイル争奪戦……これにて終了致しました! 制限時間はまだありましたが、自分の尻尾を持っている者が一人になったので終了です! 優勝者はぁぁぁぁぁ』
……と、そこまで放送が終わると、唐突に大広場にあった噴水が激しく水を流出させる。
「とうッ」
それと同時に、中から何故かマック・デイビッドソンが出現した。
「花良木四葉さんです!」
「…………」
「…………」
残念ながら、サプライズ演出は二人にそこまで効果が無かった。
マックは沈黙が続くと項垂れ、大人しく四葉に『矢』を渡しに行った。
「……はい。優勝賞品です」
「あ。どうも」
そしてマックはトボトボと去っていった。
「…………花良木……どうして……」
「残念でしたね先輩。油断し過ぎです」
兄斗は今日一番の汗を垂らしている。彼にとって、嫌な予感がその脳裏を走ったからだ。
「……ま、まさか……は、花良木……好きな人が……いて……」
「まあこういうわけですよ」
淡々と、四葉は貰ったばかりの『アンテロースの矢』と呼ばれていた物を掲げ上げる。
そしてその鏃を、彼女は自らの手の平に向かって突き刺した――。
「!?」
すると不思議なことに、矢そのものがどこかへと消え去ってしまった。
超常的な物体が、超常的に消えるのは当然のこと。本当にこの矢そのものが『カース』だったのだ。
「…………私は初めから、私自身に使いたかったんです。これで私は、前に進めるんです」
「……そうか。『アンテロースの矢』は、射た相手が自分のことを好きになる矢……。花良木は自分を射ることで、自分自身が……自分を好きになれるようになりたかったのか……?」
四葉は笑顔で頷いた。
「そうです。けれど、これの力が本当に意中の相手を射止める物なのかは……残念ながら、情報屋の記事にしか根拠は存在しません。加えて自分に使って効果があるのかも分かりません」
「じゃあ何で……」
「……自信を持ちたかったんです。私は前に進んでいるはずだ。この胸に宿る想いは本物だ。そして私が愛されていないはずがない。……そう頭でいくら理解しても、否定してくる自分が消えない。だから……この『矢』に頼ったんです」
「花良木……」
四葉はニッコリしながら空を見上げた。どうやら初めから……矢に頼るまでもなかったらしい。
花良木四葉はずっと、自分を愛することが出来なかった。
誰かに自分が愛されていることを知ったのも、まだ最近のことだ。
そして自分に向けられる愛が続くとも思えなかった。
しかし今の彼女はもう違う。兄斗から向けられる愛に応えることは、最早いつでも出来るのだ。
「これでいけます。ごめんなさい先輩……私が先に言わせてもらいます」
「へ? 何を?」
「私は――――――」
その後の結末は、兄斗の馬鹿みたいに蕩け切った表情が全てを物語るだろう。
語るべき恋愛模様はここで終結し、『呪い』の物語は……佳境を迎えることになる。




