『この世は愛で満ちている』②
ハワイアンヴィレッジ 西端岸壁
このテーマパークは海に面して存在している。
アトラクション用の船着き場近くは防護柵が無く、普段はスタッフ、警備員が近くで見張っているのだが、貸し切り日の今日は誰もいない。
今いるのは当然、イベント参加者。そして、既にゲームは始まっている。
川瀬快太は、周囲を屈強な男たちに囲まれていた。
「……参ったな。大人数で来るのは卑怯じゃないか?」
「超能力者相手なんだから当然だろうが!」
「リリィ様のために! 尻尾を寄越せ!」
彼らはリリィ・スレイン親衛隊。リリィに魅了された、彼女の全てに従う愚かで純粋な男たちだ。
「……『力』を使いたくはなかったんだけど……どうしたもんか」
「いくぞお前らァァァ!」
「うおォォォォ!」
ズドンッ。
一瞬で、快太に向かっていった男たちは、地面に抱き着く羽目になる。
「ぐ……が、がが……」
「……よし決めた。こうしよう。一人ずつ向かってきてくれよ。サシで勝負しよう。それが出来ないなら……こうして突っ伏していてくれ」
「な、舐めやがってぇ……!」
快太は地面に『力』で押し潰された男たちから尻尾を取ろうとはしなかった。
これだけ便利な超能力だというのに、彼は何かと理由を付けてその制限をする。
卑怯だからと本人は思っているのだが、全ては所詮、『力』を持つ彼だけの判断でしかない。
「そいつは良い!」
そんな快太の前に、また別の男が現れる。
薄髭で壮年の男であり、細身だが筋肉はそれなりに付いていると思われる。
「好きだよそういう正々堂々な考え! なんだ超能力者って聞いたからどんな怖い奴かと思ったら……好青年って感じじゃないか」
「? えっと……どなたですか?」
「え!? あ……お、おじさんのこと知らない?」
「すみません……」
「あ、ああ。いや、良いんだ。でも格闘技とか見ない? スポーツ系のバラエティ番組にも出てるんだけど……ほら、快太君が出てた番組と、同じチャンネル系列の」
「……ごめんなさい」
「……いや、俺が慢心していたらしい。そうだな。知らない人は知らないよな……」
その男はかなり悲しそうな目をして一瞬俯いたが、すぐに切り替えて自己紹介を始める。
「俺の名前はチャールズ・ドレーク。出身国や親しい人には『韓信』って呼ばれてる。最近は名前の間に『キング』の『K』を入れてもらえたりして、一応格闘技の世界チャンプなんだが……まあ、それは良い。メインスポンサーんとこの御令嬢に、ちょっと頼まれてね。このイベントに出て、特に君をどうにかしてほしいって言われたのさ」
「俺を? 何でですか?」
「いや『何で?』って……そりゃあ君が『本物の超能力者』だからさ。確実に、兄斗君と並んでこの試合のバランスブレイカーになる」
「……なるほど。ま、その気になれば俺は一瞬で全員分の尻尾を奪えるわけですしね」
「そいつは末恐ろしい。なら……やっぱり俺が対処しないといけなさそうだ」
「いやいや。格闘技のチャンピオンなのは分かりましたけど、流石に俺相手じゃどうしようも――」
「うおらァァァァ!」
その時、快太が気を許したのか、地に付いていた男たちが立ち上がって突撃してくる。
もちろん快太に何度向かっても仕方ないのは分かり切っているのだが、リリィのために彼らは握りこぶしを解かない。
だが――。
刹那。
比喩ではなく、本当に刹那の間に、背後から快太に向かってきた男たちは、ぶっ飛ばされた。
快太に至っては、まだ九十度ほど体を振り向かせたばかりのところだ。
「……な……」
背後には、ぶっ飛ばされた男たちの代わりに、今の今まで目の前にいたはずの男がいた。
その動作の余韻と手に持った複数の布を見れば、彼が男たちをぶっ飛ばした張本人だということも分かる。
快太は目を見開いて冷や汗を垂らした。
「……これで、一対一だ」
「ま、マジっすか……」
チャールズ・ドレーク・K・韓信は、挑発するように指を動かした。
「使いなよその超能力。ただの人間がどこまで耐えられるか……試してみると良い」
*
ハワイアンヴィレッジ イーストエリア
兄斗は持ち前の『リフレクション』でもって、多くの尻尾を既に集めていた。
だがここで、彼の勢いは一旦停止せざるを得なくなる。
「どいてくれないかな? 僕の邪魔する気?」
彼の眼前に向かうは、彼に熱い想いをぶつけてくる少女。
彼と同じ狂信者であり、大企業メリックコーポレーションの御令嬢――ツァリィ・メリック。
「申し訳ありませんが、『アンテロースの矢』はわたくしが頂きます。危険な旦那様のお兄様も、キングに任せておきました。彼は超能力者よりも危険なお方ですから」
「そこまでするか……」
「旦那様。わたくしは……もう自分を偽るのは止めたのですわ」
「どういうこと?」
この少女から向けられる好意を、煩わしいとまで感じたことはないが、兄斗には本命の相手がいる。
相手が真っ向から向かってくるのならば、兄斗自身も真っ向から迎え撃つ所存だ。
しかし彼女にとっての真っ直ぐなやり方は、少々一般と離れている。
「こういうことです!」
ぞろぞろと、二十人以上の人間が辺りを囲んで来た。
その目は虚ろで、既に尻尾は失っている。
「……いつもの『敵意』の操作か」
「違いますわ旦那様。わたくしのカースの本質は、わたくしの『敵』の排除」
「僕のことを『敵』扱いってこと?」
「ええそうですわ。わたくしの恋路において、もっとも邪魔な存在は愛する旦那様自身。貴方の花良木さんへの気持ちさえ消えてしまえば、最早わたくしの敵は存在しないのです!」
「……ふーん。良いね。そういう分かりやすいやり方は嫌いじゃない。最後に笑うのは僕だけどね!」
「笑わせるのはわたくしへの愛ですわ!」
そして、ツァリィの愛する敵へと向かって、愛の兵隊たちが突撃を開始する。
*
ハワイアンヴィレッジ 西端岸壁
膠着状態が続いていた。
達人の決闘で見られるような、間合いの見計らいではない。快太の超能力によって、韓信は動きを止めていた。
しかし、止めている快太も右手を韓信に掲げるだけで、動けずにいた。
彼はこの力を使う時、実はそれなりに集中力を必要としている。その彼が動けないということは、それだけ力を使う相手に集中しなければならない事態が起きているということ。
「ぐ……お、おぉぉぉぉ……!」
「くっ……そ……!」
尋常ではない『力』で、韓信は快太の超能力から逃れようとしていた。
快太はその『力』という重さを動かすことに集中力を奪われ、限界まで自身の方の『力』を押し付けるしかない。
そして『力』対『力』の勝負は、必ず分かりやすい結果を見せる。
「うおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああ!」
「ッッッッ!?!?」
快太の見えない『力』は、韓信の露出した『力』を抑えきれなかった。
韓信は押さえつけられることもなく、快太の尻尾を奪い取りに走る。
しかし快太も常人ではない。己に対して力を使い、宙に浮かんで翻ってみせた。
向かってきた韓信を避けた快太は、そのまま海と陸の境となっている車止めの上に着地する。
「……冗談でしょう? あり得ないですよいくら何でも……」
「悪いね。こう見えて鍛えてるんだ」
「いやいやいや! そういう問題じゃないでしょ!? アフリカゾウだって動けなく出来るんですけど!?」
「え……やったことあるのか?」
「い、いや無いですけど……。ま、まあそれくらいの重さなら試したことあるって話で別にその……動物虐待的なアレは……」
「……俺は人間だよ。母も父も、祖父も祖母も、兄弟も従兄弟も、みんな普通の人間さ。けれど……俺の肉体は、いわゆる常人じゃない。肉体だけがな。あらゆる研究、あらゆる実験に協力したんだが、原因は未だ不明らしい。進化とも突然変異とも言われてるが……分からない。どうだろう超能力者君。未知の俺は怖いか?」
その言葉の裏に、少しだけ寂しさが見えた気がした快太は、穏やかに微笑んだ。
他者から恐れられることに慣れていた快太にとって、韓信は共感できる相手だった。
「……怖くないですよ。俺、こう見えて超常現象に詳しいんです。韓信さんほどのパワーは初めて見ますけど……うん。驚くほどじゃない。世界は広いんです。人間離れした人間は、いくらでもいますからね」
「……そうか。そうだな! その通りだ! さあ来い快太君! 俺のパワーを攻略できるか!?」
互いに笑みを見せたのち、快太はスッと腕を広げ、別方向からの攻撃を画策する。
「何だ……?」
波が、うねるような轟音を響かせ始めている。
いや実際に大きくうねっている。それどころか捻じれ曲がって膨れ上がっている。
大きく盛り上がった波が、快太の背後に作られていた。
「死なないと信じていきますよ。ドレークさん」
大波が、まるで生き物のように蠢いて韓信を覆う。
これも兄斗のテレキネシスのような力によるもの。テレキネシス単体と彼の超能力の違うところは、彼の力はサイコキネシスと称される力の様相も持っているため。
先程のように自ら手を掲げて相手の動きを止めていたのは、彼の精神力によって外部から韓信に圧力を掛けていたからだ。
しかし、今は手をポケットに突っ込んだまま海水を操作している。これは先に精神力を送り込んだ海水を、内部から力を押して動かしているからだ。
外部から動かすのをサイコキネシス。内部から動かすのをテレキネシス。彼の力を研究している者は、そう考えている。
ちなみに使い分ける理由は、特に無い。
ドォォォォォォォォォォォォォォ
海水が、韓信を包み込んだ。
彼の体を押さえつけられないと判断した快太は、一度窒息させて気絶させる手段に出たのだ。
あまり使いたくない手ではあったが、これでどんな生物も完全に動きを静止せざるを得ない。
…………と、思われた。
「うおらあああああああああああああああああ!」
「ハァッ!?」
海水は、ただただ一人の『力』によって薙ぎ払われた。
物理的にどういった力の加え方をしたのか、そんなのは快太には全く分からない。
いや、恐らく分かる者はこの世のどこにも存在しない。
理解できないからこそ未知なのだ。
「…………ふぅ。おいおい、殺す気か?」
「…………」
快太は開いた口が塞がらない状態になっていた。
「さあ。次は何をしてくる? 空気を操るか? それとも俺の血とかを止めるか? 今度は予備動作を見せる前に……こっちから仕掛けるぜ?」
その気になれば快太の超能力は、不意打ちなら韓信を殺すことが出来る。しかしそんなことを彼がするわけはない。
いや、確かに殺せるほど快太の超能力の方が万能な物のはずだが、快太はそれでもこの男は死なないような気がしてしまった。
いずれにしろ、不意打ちの出来ない今の状況では、もう快太は韓信のスピード、パワーに追いつけない。
「…………いや、参りました。俺の負けです」
快太は両の掌を上げた。
「お? なんだもう良いのか?」
「どうやら俺は、貴方が俺に距離を詰めてくるよりも速く、能力を使える自信が無い。ここは俺の負けですよ。諦めて尻尾は渡します」
急な快太の態度の豹変に、韓信は少しだけ違和感を持った。
「早計じゃないか?」
「……無理はしない性分なんですよ。たかがゲーム……体力も使いたくないですし。俺は貴方と違ってスポーツマンでもないので」
そう言って、快太は自分の尻尾を取り、それをその場に捨てた。
流石にそうまでされては疑う余地もない。韓信は快太の尻尾を取りに向かい、彼の敗北の遺志を汲む。
「やれやれ。まったく恐ろしい人もいたもんだ……」
快太は溜息を吐きながら立ち去ろうとした。
韓信は入れ違いで自分の横を過ぎていく彼をそのまま見送ろうとした………………その時。
「ん? ………………ってオイオイオイオイッ!」
自然な腕の運びで、快太は全く警戒していなかった韓信が腰に差していた尻尾をスッと抜き取った。
「はい。奪いました」
「いやいやいやいや! 駄目だろ!? 君はもう尻尾捨てたじゃないか!」
「? 自分の尻尾を失くしたら相手の尻尾を奪っちゃ駄目なんてルール、ありましたっけ?」
快太はすっとぼけるような態度で海側に戻っていく。その途中で先程捨てた自分の尻尾も拾う。
そして、当たり前のように奪った尻尾と自分の尻尾を海に捨てた。
「って何やってんの!?」
「いや、奪われたくないし……」
「だから! もう尻尾奪失くした奴のやって良い事じゃないだろッ!」
「……だから、尻尾を失くしたら失格なんてルールは無いですよ? それに……俺は昨日情報屋に確かめましたから」
「……え? 昨日?」
「はい。最終的に尻尾を一番多く持っている者か、自分の尻尾を持っている唯一の者になれば勝利です。条件はそれだけ。そう聞いて……俺は情報屋にあらかじめこう言っておいたんです。『そういうことなら、尻尾を取られた後の行動については言及しない方が、面白い事になるんじゃないですか?』……って」
「な……!?」
「マックさんはその通りにしてくれたみたいです。そういうわけなんで、文句なら情報屋に。ああ、でも俺の負けは認めますよ? だから俺はもうこのゲーム降ります。お疲れさまでした、ドレークさん」
快太はニッコリと笑みを見せ、そのまま自身を浮かしてどこかへと去っていった。
ここでようやく、韓信はこの男の本当の脅威を思い知った。
「……超能力はおまけか。昨日の時点で、相手の裏をかくことだけ考えていたとは……」
快太の真に末恐ろしい点はその超能力ではなく、柔軟な発想とおおらかすぎる性格だ。
超能力だけを警戒して、彼に痛い目を見せられた大人は数多く存在する。
「……ふぅ。俺も疲れたな……。ここらで降りるか」
どこか清々しい表情を浮かべ、韓信は天を仰いだ。
快太は自身の敗北を認めたが、韓信の方も同様に、人生初の敗北の味を噛み締めていたのだ。




