『呪われた日常』⑧
セントラル・ストリート
「……面白い」
そう言いながらも、アルフレッドは無表情だった。
予想外の事態を前にすれば自然と顔も固まる。
彼の目の前で、彼が出現させた化け物は討伐されかけていた。
「本当にそう思ってる?」
彼に背後から話しかけたのは、生徒会長・滑川瓢夏だ。
彼女の傍には他の生徒会のメンバーも揃っている。
「……これはこれはお揃いで。山本副会長はまだ持ち場にいらっしゃるのかな?」
「あぁ!? むしろ何でてめぇは持ち場離れてんだよ! クケッ!」
ダイダーは前のめりになって問い詰める。
そしてノインはそんな彼の背広を引っ張った。
「まあまあいいじゃん? どーせ……初めからこの人がどう動くか見たかったわけだしぃ?」
「え!? そうなの!?」
翔は仮面の裏で驚愕の表情を見せた。
何故か彼だけは瓢夏から真の目的を聞いていない。
「ごめんね翔君。ほら、翔君って人を騙すとかそういうの向いてないじゃない? すぐ態度に出るし」
「そんなことないぜ!? 君口だって騙したしさぁ!」
「彼も大概だしね」
「うごぉ……」
翔は力無く項垂れてしまった。
瓢夏はどこか嬉しそうに彼の背中を撫でるが、アルフレッドはそんなやり取りを鼻で笑う。
「つまり……私を処罰するための証拠が欲しくて、狂信者の皆と共に拘束された振りをしていたということかな?」
「あら、よくわかってるじゃない。でも私は狂信者のみんなを本気で駒にしたかったわよ」
「だろうな。でなければ私も騙せない。して……証拠は掴めたのかな?」
瓢夏はゆっくりとアルフレッドに近付いていく。
そして、勢いよく彼の襟から『何か』を奪い取った。
「じゃーん。これ、レコーダー。小さくて気付かなかったでしょう? これで貴方が化け物に『番犬』を襲わせようとしていたことが証拠として残っているはず……」
「ふむ」
瓢夏は早速レコーダーを起動した。
ここにアルフレッドと『番犬』の繋がりが残っていれば、十分糾弾の余地はある。
しかし――。
ザー ザー ザー
「……」
「おや? 整備不良かな? それとも……録音中に妨害電波を受けていたのか」
「……成程ね」
アルフレッドは初めから瓢夏の狙いに勘付いてはいた。
それ故自分にできる最小限の防衛策は整えていたのだ。
瓢夏にだけ写真機を与えたのは、そこから来る余裕のようなものだ。
「前回の怪人の件は私の自白という証拠を与えたが、今回の化け物の件は何も与えないよ。だがまあしかし、確かに私は『首の曲がった化け物』という呪いの威力を確かめようとした。フフ……録音が出来なくて残念だろう。怪人の時は損害が無く、今回は証拠が無い。そんな私が超常現象を悪用したなどと結論を下せるほど、警備も枢機院も柔軟ではない。私はこれからも暫くこの学園で楽しませてもらうよ」
瓢夏は眉間に皺を寄せ、彼を強く睨みつける。
「……貴方は何が目的なの? 『カース』の全てを知って、それを人間が上手く活用して……それで?」
「ふむ……『それで』と来たか」
「だってそうでしょう? 貴方って本気で『人のため』に動いてるつもりなの?」
「……」
アルフレッドは一度真顔になった後、すぐ笑みを見せ始めた。
「いや、もちろん詰まるところ……私自身のためだ。私は『カース』に興味がある。『カース』だけに興味がある。故に……『条件』を整えた」
「『条件』……?」
「君達は知っているかい? 『寂寞の少女』という『カース』を」
「……聞いたことがあるわ。どの講義だったかは忘れたけれど、授業や試験の日、存在しないはずの学生が勝手に参加しているという現象。その学生が『少女』だったという話も聞いたことがある」
「よくご存知じゃないですか。さて、条件の説明をする前に……少し過去の話からさせてもらおうかな」
アルフレッドは僅かに目を伏せる。
そして、彼は自分が調べた人々のことを勝手に語りだした。
「三年前……花良木三幸という十三歳の少女が、この学園に入学し、そして……亡くなった。まあ、彼女を追うようにして従姉の花良木四葉が入学したのは、ここでは全く関係が無いことだろう。ブラックボックスに閉じ込められて亡くなった彼女は……恐らく花良木四葉の知るような少女ではなかっただろうからな」
愉しそうに、愉しそうに、アルフレッドは続ける。
「人間は自分を繕う生き物だ。彼女は家族や教師には明るく快活に見えていただろう。しかし本来の彼女は……寂しい人間だった。誰にも見つけてもらえず、彼女は狭い部屋の中で亡くなった。祖国には全く別の事故と伝えられているがね。そうして死した彼女は呪いとなって現在に出現した。それこそが『寂寞の少女』。しかし……何故彼女はカースとなれたのだろう?」
「……何を……」
「それは、彼女が『ブラックボックス』や『ケルベロスの写真機』というカースを生み出したウィルソン・ハララードの子孫だからだ。彼と同じ血が流れている者からカースは生まれることが多い。『蛍雪の怪人』もそうだ。もちろん彼の子孫以外からもカースは生まれる。狂信者のようにな。そして……先程までそこで暴れていた化け物もそうだ」
もう通りでは倒れ伏した化け物が蒸発するようにして消え始めていた。
兄斗やレイゼンが勝利したのだろう。
だが、アルフレッドはもうその結果に興味が無い。
「十年前、怪人を生み出した車胤の成り損ないの男の死体を、最初に発見したある女性も、同じように寂しい人間だった。彼女はこのセントラル・ストリートで凄惨な死を遂げた。彼女の想いは呪いとなって顕現する。だが、それはまだ不完全だった。それは彼女がウィルソン・ハララードの血を受け継いでいないからだろう。狂信者たちもそうだ。彼らの力はまだ覚醒の余地がある。これは私が研究の末に発見した事実だ」
「貴方は……その『覚醒』の条件を掴んだ?」
「そうだとも。この学園が誕生してから今まで、狂信者は常に一人多く数えられてきた。その超過計算はワンダー・セブンにも受け継がれている。そして……その存在しないはずの七人目こそが、カースの『覚醒』を引き起こす存在なのだ」
「……それは一体……」
アルフレッドは静かに微笑む。
憎たらしいまでに口元を歪めていた。
「ウィルソン・ハララードだ。……彼はいつだって我々の傍にいる。目には見えないが、彼という存在を『認識』しさえすれば力を借りることが出来る。もうわかるかな? 私は……独自に掴んだ技術で、日南貞香と同じ呪いを手に入れたのだよ」
「!? まさか……」
それ以上は語らなかった。
だが、言われなくとも理解できる。
アルフレッドは自身の認識を変更して、存在しないはずの存在の力を借りたのだ。
「さて……話し疲れたな。そろそろ帰りましょう、会長」
「……そうね。もう十分聞いてもらえたことだし」
「? 何の話だい?」
「問題はその『カース』かしら? ま、念のため君口君も呼んでおきましょうか」
そう言ってすぐさま瓢夏は、すぐ近くの通りにいる兄斗にメッセージを送る。
彼はそれを受けてすぐこちらに視線を向けていた。
「……『も』?」
アルフレッドはもう気付き始めたが、それよりも早く『彼ら』は現れた。
「……ああ、そういうことか……」
この建物の屋上に、ぞろぞろと人が昇ってくる。
たちまちアルフレッドの周囲は警備によって埋め尽くされた。
「どういう技術で既存のカースを手にして行使することが可能なのか、その辺りも取り調べで話してあげなさいな。ま、私は興味無いから、おさらばすることにするわ」
「良いのかな? 私は日南貞香のようにここにいる皆の認識も変えられる、逃げられるぞ?」
「残念でした。ね? 翔君」
翔は自らが羽織るフードを脱いだ。
「……ダサいな」
翔は額にスマホを付けて、紐で固定していた。
フードの裏ではぼやけて見にくいだろうが、今までの一部始終をそのスマホで撮影……いや、配信していたのだろう。
警備や枢機院に向けて。
「無駄な講釈ご苦労様。このレコーダーは妨害電波の仕組みがわからない時に作ったものだけど、貴方を油断させるには十分だったわ。長い講釈の前にした貴方の自白は、既に枢機院に送ったわ。ここを逃げても貴方は必ずいずれ捕まるわよ。最終手段の君口君も、もうすぐ来てくれるわけだしね」
「今のメッセージはそういうことか。まったく……流石ですよ、会長」
そう言いつつも、アルフレッドはそこまで悔しそうにはしていなかった。
彼は既に、研究に折り合いを付けていたのだ。
「……なあアルフレッドさん。もう少し悔しそうにしてくんないと退屈なんだが」
「そうかい? 天久庶務。私はもう十分理解できた。後悔はないさ」
「嘘吐け嘘を」
「本当さ。確かに、望む形ではなかったがね……」
そう言って悲しげな目で視線を落とす。
本気で悲しそうなことが、瓢夏たちからすれば腹立たしいことこの上ない。
ドタドタドタドタドタドタドタドタ
勢いよく、彼は階段を上がってくる。
たった今呼び出されたばかりだというのに、恐ろしい速度で。
バタンッ
そうして屋上に彼は辿り着いた。
「ハァ……ッだから! 僕をッ! ハァ……顎で使おうと……すんなぁ!」
兄斗は瓢夏に対してそう言った。
駒の用に呼び出されて文句を言いにきたのだ。
「あら? 来たいと思っているだろうから呼んだのだけれど」
「うっせぇっ!」
そう吐き捨て、兄斗はアルフレッドの方を見た。
「……何か知らないが、さっきの化け物はアンタの差し金みたいだな。またアンタか」
「そうだ。私だ」
「……仕方ない奴だな。折角僕が見逃してやったのに」
「……何?」
「僕はアンタもアンタを勧誘した生徒会も嫌いだけど、『カース』の答えは知りたかった。だからアンタに解剖されそうになっても枢機院に告げ口しなかったんだ」
「……そうか……」
いずれにしろ、証拠は予め処分していたので、アルフレッドにとってはどちらでもいいことだ。
しかし、兄斗が自分と同じものに興味を持っていたことが少し嬉しくなっていた。
もちろんアルフレッドのそんな気持ちなど、兄斗にはどうでもいいことだが。
「……結論は何だった?」
「……人間は『呪い』に勝てない。化け物を倒したのは君らだった」
ここにいる者達の、彼の結論に対する反応は語るまでもないことだ。
カースの答えはまだ出せない。
「僕はただの人間だよ。今日それを知ったんだ」
「……そうかい」
そうして警備はアルフレッドを連行する。
果たしてどのような処分を下すのかは兄斗らの知るところではない。
最後に瓢夏は、振り返って彼に告げる。
「あら? 勝ったのは私という人間よ? 負けた貴方も人間。そして、貴方の操った『カース』の正体も……弱い人間の想いでしかないの」
アルフレッドは、その時初めて苦虫を噛み潰すような顔をしていた。
残念ながら、兄斗たちには見えない扉の奥でのことだったが。
*
翌日 六条公彦の研究室
一連の事件を終え、日南貞香は伯父である六条公彦の下に訪れた。
彼は穏やかな顔で出迎えてくれた。
「……先生。私は、加害者の『認識』を変えました。『番犬』のみんなの『認識』も……。これでもう誰も加害者の正体を掴めない。加害者たちはみんな自分を被害者だったと認識するようになり、その偽りの記憶に苦しむことになる」
そう言って、彼女は俯いた。
「……でも、それが正しかったとは思わない。いじめの事実を無かったことにするような私の行動が……正しかったとは思えない」
「……君も、他の子達も、皆不器用だったのですよ。君と『番犬』の処分はどうやら見送られるようになった様です。いずれにしろ、君は制裁活動を止める決断を下すことが出来た。今はそれで……十分でしょう」
もちろん彼女自身はそうは思わない。
全ての元凶であるアルフレッドはもう捕まってしまったが、自分は利用されただけだったからだ。
「……私をブラックボックスから助けてくれたのは、私の知らない人だった」
公彦はずっと彼女に優しく温かな視線を送り続ける。
彼はリーダーの責任を背負わされた彼女の心労を誰よりも知っているのだ。
彼女はまだ、十七の少女だった。
「でも、実は有名な人。数少ない六年生で、私と年も変わらない……凄い人。なのに私は自分の周りのことで頭が一杯で……知らなかった」
「ええ」
「結局私も、興味の無いことに目を向けられない人間だった。そう考えて……私は少し、安心した……」
貞香はずっと付けていたマスクを外した。
「……ええ」
「……ごめんなさい。そしてありがとうございます、先生」
「いえ、構いませんよ。……時に君は、フィールドワークの課題はどうされますか?」
「え? いや……何も考えていないというか……」
「でしたら私の研究に参加しませんか?」
「え? でも、先生の研究はとても難しいって……」
公彦は優しい眼差しをただひたすらに向け続ける。
「……いえ、むしろ参加させてください……」
「ありがとうございます」
ずっと視線を向けられると流石に断られない。
貞香はどこか幸福そうに苦笑いを見せるのだった。
*
数日後 中央食堂
兄斗と四葉、それに上柴の三人は共に食事を取っていた。
些細な会話を続けるうちに、上柴の一言で二人は箸を止めることになる。
「……今」
「何で言いました?」
上柴は仕方なく繰り返す。
「だからこの前の……『広域解析』のゼロ点解答の犯人は、『花良木三幸』だったって話だよ」
特に四葉は目を見開いていた。
「嘘……そんなはず……」
「嘘じゃない。偽造データは確かに彼女の名前だった。調べたところ多分、恐らく死後の彼女の想いが『カース』に変化したんだと思うぜ。やってることは……構ってちゃんみたいなもんだが」
「あの子は……そんな呪いを残すような子じゃ……」
「そう言われてもなぁ。お前は彼女の内心も知ってんのか?」
「……」
四葉は目を伏せる。
――……私はもしかして、あの子の表面しか見ていなかった?
――私は勝手にあの子の笑顔に救われといて……あの子がその笑顔を作る時にどんなことを想っていたのか知ろうとしてこなかった……。
「……ま、わからないことに結論は出せない。わからないから知ろうとするわけだしね。なぁ上柴」
「ああ。ホントこの学園はわからないことだらけだ。アルフレッド・アーリーはどこまで知ったんだか……」
三人とも日常に戻っていたが、『カース』は未だに身近に蔓延っている。
むしろそれこそが彼らの日常と言ってもいいかもしれない。
「花良木」
「……何ですか?」
「もしも花良木たちの祖先であるウィルソン・ハララードとかいう人が全てのカースの元凶だとしたら、果たして彼は一体何者だったんだろうね?」
「……さあ? 私は彼が戦争犯罪者だったということしか知りません」
「僕もさ。それで……花良木はどうかな? 気にならないかな?」
四葉は一度腕を組んで考えると、震えを見せながら立ち上がった。
「気になるに決まってるじゃないですか! 絶対……ぜぇぇぇぇぇったい! 私は先祖の謎を……三幸ちゃんのことを、解き明かしてみせます! みせますとも! 先輩との共同研究にも関連してますしね!」
兄斗はそんな彼女の強い意志を見て安堵した。
やはり彼女は自分が好きになった相手なのだと再確認する。
「それでお前はどうなんだ? 君口」
上柴は返答がわかっているのか、口元を若干歪ませながら尋ねた。
「僕も興味あるよ。刹那的なものが好きな性分ではあるけれど、たまには長い月日をかけてでも興味を持って取り掛かり、知ろうとするのも悪くない…………だろ?」
二人は頷いてくれた。
兄斗は安心しながらまた箸を動かし始める。
ふと食堂の壁に取り付けられたテレビを見ると、そこにはレイゼン・ルースが映っていた。
どうやら彼は今までのような等速直線運動の豪速球は投げなくなったが、その代わりに動く直球と今まであまり使わなかった変化球の精度が格段に上がっているらしい。
彼の活躍をテレビで見ながら、兄斗は狂信者全員の今に思いを馳せる。
レイゼン・ルースは、今もこうしてアンナ・トゥレンコを始めとしたファンの期待を背負って戦い続けているのだろう。
ツァリィ・メリックは、チャールズ・ドレーク・K・韓信が再び海外に向かった今も、暴走などせずに鬱陶しいくらい自分に会う機会を探っているのだろう。
レイチェル・A・サイバイガルは、いつものようにジェイソン・ステップのことを弄って遊んでいるのだろう。
日南貞香を始めとした『番犬』の連中は、きっと今は真面目に六条公彦を始めとした教師の講義を受け、仲間と共に日々を満喫しているのだろう。
二ノ宮巖鉄学園長は、この前の事件の後処理を押し付けられて苦悩しつつ、未来ある若者や挑戦するそれ以外の学生のために力を尽くしているのだろう。
そこまで来ると生徒会の面々のことも想像しようか悩むが、そこは少し面倒なので止めた。
誰もかれもがこの呪われた土地で、不可思議な謎に巻き込まれて、それでも『何か』のために青春という代償を支払っている。
謎は全て解けたわけではない。
だがいくらでも推理する材料は転がっている。
兄斗はそんな謎の全てに関心を向け、一人ぼっちで寂しそうな真実に向かって手を伸ばすことを決意する。
兄斗にとってはそれこそが自分の青春を捧げるべき『何か』だったのだ。
彼は初めから、そんな『青春』という名の『希望』に呪われていた。
しかし、きっと、呪われるのもそこまで悪いものではないだろう。




