『呪われた日常』⑦
セントラル・ストリート
兄斗たちがブラックボックスから脱出している頃、既に『時間』は来てしまっていた。
午後三時三十三分。
三つの『三』の字が並んだ時、『条件』の整ったこの場所で、『カース』は発現する。
「……おい。何か変な音しないか?」
『番犬』の男の一人は、隣の男にそう尋ねる。
「ん? あぁ……そうか? 何も聞こえな――」
キリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリ
耳を劈くような軋む音。
この場に集まっていた者たちは思わず耳を塞ぎ始める。
何故だかはわからないが耳と同時に目も閉じてしまう。
まるで、見てはいけない『何か』が現れることを、本能で理解しているかのように。
「……………………………………………………」
気が付けば、『それ』はいた。
「……お、おい……何だ……アレ……」
男の一人は言葉を失って膝を付く。
また別の女の一人は、『それ』に見覚えがあった。
「待って……え……これ……美術館にいた……」
目の前にいる『それ』は、キリンのような四つ足の生物で、頭部は人間の顔を逆さまにしたような形をしていた。
長い首は真ん中部分で九十度に折れ曲がっている。
人面部分は口を半開きにして、確かに『番犬』達の方を向いていた。
そして――。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
音圧が風を切って轟く。
この通りの誰も、身動きを取れずにいた。
ズォォォォォォォォォォォォ
首を九十度に曲げた謎の生物は、爆発的に体毛を生やし始めた。
体毛はまるで意思を持つかのように暴れ回る。
最早体を覆うだけではなく、周囲の地面にも激突する。
地面は無数の体毛によって抉られ、破壊される。
地面だけではない。
体毛が周囲の建物や人間を襲うことなど、容易に想定できることだ。
「う……あ……うああああああああああああああああああああああああああ」
一人の男を始めに、逃げ出す者が現れる。
化け物を前に何の力も無い普通の人間は、やはり、逃げるしかなかったのだ。
*
「……素晴らしい」
遠くの建物の屋上から、恍惚な表情で見つめている男。
当然それは、アルフレッド・アーリーだ。
「……A級戦犯・ウィルソン・ハララード。この地で起きた戦争の責任は死後の貴方に押し付けられた……。三位一体の神を信じる貴方は、それ故『三』という数字を好んでいたという。しかし、果たして今の貴方はどうだろう? 学園創設前の戦争も貴方の犠牲も知らない、今のサイバイガルの地に住む者どもをどう思っている? それでも地獄で神を信じているのか? フフフ……いや、無論か。もしそうならば数々の呪いを生み出す理由が無い。貴方はきっと……世界の全てを呪っているはずだ」
笑顔で見つめるのは、彼の実験が上手くいっているからだ。
目の前で今暴れ始めている化け物は、確かにアルフレッドが目覚めさせた『カース』だった。
「さて……貴方の呪いの真の威力は果たしていかほどか……『番犬』で試させてもらおう」
傲慢かつ身勝手な考えで人々を危険に晒す。
それがこの男の本質であり、救いようのない所以だ。
「…………何」
だが、思い通りになるとは限らない。
彼の笑みは確かに今、『彼ら』の登場で歪んでいた。
*
カァァァァァァン
六角形の結晶体が、『番犬』を襲おうとする体毛を弾き返す。
空色のその結晶体は、バリアの役割を担って被害を未然に防いでみせたのだ。
「お、お前は……」
助けられた『番犬』の一人は、そのバリアを操る人物に見覚えがあった。
もちろん――。
「君口兄斗。守ってやるから逃げるといいよ」
だが彼だけではない。
ブラックボックスから脱出してきた者達がぞろぞろとこの場にやって来ていた。
「えいっ」
レイは輪ゴムのような光の物体を、化け物の頭部に向かってぶつけた。
口を半開きにしたその人面は、確かに機能を停止して目を閉じる。
が――。
ビリッ
「あり?」
化け物の頭部に縦方向の亀裂が入る。
そして、亀裂からウネウネと触手のような舌が無数に出現する。
避けた部分から肉が裏返り、まるで花が咲くようにして顔面は捲れて裏側に消えた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
確かに目が生えてきた。
裏返って現れた頭部の肉部分から三つの目が現れ、無数の舌を鳴らしながらレイたちの方に向いた。
「き、きもぉ……」
「レイの『カース』が効かない……!?」
彼女の隣にいたジェイソンは驚愕していた。
レイの光の輪ゴムは、ぶつかった対象の『機能』を停止させる。
しかし、『脳』の機能を奪ったはずの化け物はまだ動いていた。
「……どうやら生物のことわりから外れてるみたいだな」
「上柴さん! それじゃあ一体どうすれば……」
ジェイソンに対して答えるのは上柴ではなかった。
「……私がどうにかする」
そう言って前に出たのは日南貞香だった。
瓢夏と翔はどこかへ行ってしまったが、兄斗たちは貞香が向かう先に付いてきていた。
彼女は、アルフレッドが『番犬』を自分の実験の道具にしようとしていると確信していたのだ。
兄斗もそんな彼女の予想を聞いてここに来ている。
「いや、駄目だ」
そして兄斗は貞香を手で制する。
彼のバリアは体毛が人を襲わないように攻撃を集中させて動き回っていた。
操作しているのは彼自身だ。
「……アルフレッド・アーリーを自由にしたのは私の責任。この化け物に『番犬』のみんなを襲わせてしまったのは……私があの男を信じたから――」
「六条教授と約束したんだ」
兄斗は穏やかな目を彼女に向けた。
ただ、彼女からすれば兄斗と公彦の約束事など知ったことではない。
「でも私は――」
「『止めてくれ』って頼まれたんだ」
どんな約束をしたかくらいは想像できている。
しかし、兄斗はそんな彼女の内心を無視して続ける。
「だからこうして『止める』わけだね。これで教授との約束は果たしたってことにする」
「? ……貴方、先生に何を言われたの?」
「……ホントは『制裁』活動を止めるのに協力してくれないかって言われたけど……思ったんだよ。僕は君らのことを何も知らない。いや……知ろうとすらしてこなかった。そんな僕に君らを止める資格は無い。教授には悪いけど、枢機院や警備に任せるのが賢明さ。だからせめて……ここは僕が何とかしよう。僕にはこれくらいしか出来ないんだから」
「貴方……」
兄斗はバリアで化け物の体毛とのやり取りを交わしつつ、また一歩前に出た。
傍で一番心配そうに見つめるのは、もちろん四葉だ。
「先輩、大丈夫ですか? 前の虫みたいのよりも遥かに大きいですけど……」
「何とかする!」
「けどなぁ君口、どう見ても防戦一方だが……」
上柴は冷静に戦況を見つめる。
兄斗は一人でバリアを操り、化け物の溢れ出る体毛を弾き続けている。
『番犬』やまだこの辺りにいた一般人はもうほとんど逃げ切っていたが、体毛による被害は整備された地面を中心に損壊として出ている。
「く……確かに……守ることしかできないけども……」
ゴォォォォォォォ
その時、轟音が襲来する。
「!?」
突謎の飛行物体が化け物に目掛けて向かってくる。
そして、勢いよくその不気味な頭部に衝突した。
「何だ……!?」
「君口、これは何だ?」
聞き覚えのある声に兄斗は振り向いた。
背後にいたのはかつて球技大会で相手をした男――レイゼン・ルースだ。
「アンタは……」
「レイゼン君、ボールを武器にするのは良くないんじゃない?」
彼の後ろからはアンナ・トゥレンコも現れた。
無表情で冷たい言い方だが、レイゼンは気にしていないようだ。
「武器? 俺はただキャッチボールしてるだけだ」
化け物にぶつかった物体は、確かに野球のボールだった。
そしてそれは跳ね返ってレイゼンの下に戻ってくる。
「ふんっ」
そして再びボールを投げる。
先程と同じ軌道で、同じ速度で、そして同じように化け物の頭部にぶつかり、同じようにレイゼンの手元に戻ってきた、
「成程」
化け物は確かにその威力で怯んでいた。
レイゼンの『再現性』のある攻撃は、何度も繰り返して無限に行うことが出来る。
「よくわからないが……君口、俺が攻撃しよう。お前はバリアで陽動してくれ」
「は……はい! さっすがエース! 頼りになる――」
「旦那様! わたくしはどう致しましょう!?」
また、知った声。
兄斗と四葉は驚いて声の方向に振り向いた。
「ツァリィさん!? どうしてここに……」
「あら花良木さん。わたくしがここにいてはいけませんか? ね! 旦那様!」
「……」
「無視しないで下さーい!」
兄斗は汗をかきながら目を逸らした。
全身で拒絶しても彼女は付いてくる。
それを少しだけ喜んでいるような自分が情けなく、だからこそ彼はすぐ頭の中を『花良木四葉』で埋め尽くした。
「何だこりゃあ。間接とか効くかな……」
「駄目ですよキング。ここは旦那様たちに任せましょう。旦那様の活躍を目に焼き付けて下さい!」
「何故俺が?」
韓信は何となくという理由で付いてきていたが、彼女の言う通り自分よりも若い男たちに任せることにした。
当然だがツァリィに出来ることも何も無い。
「……何か色々アレだけど、とにかくどうにかなりそうだ。花良木、お前ももう少し下がっててくれ」
「……………………………………………………」
「花良木?」
四葉はハッとして彼の方を向いた。
「あ、すみません。でも先輩、あの化け物……美術館でも見ませんでした?」
「え? ……言われてみれば確かに……」
「……まあいいです。というか! 私は下がりませんからね!」
「え? な、何で?」
四葉はニッコリと笑った。
「決まってるじゃないですか! 私は、他人に自分のことを決めつけられるのが……大ッッッッ嫌いなんですから!」
「……! ああ……そう……だったな。忘れてた。お前はそういう奴だったよ」
「ええ。でも、少しだけ変わったんですよ? だから先輩……私に先を越されないように、頑張ってくださいね?」
「? 『先』?」
兄斗は未だに気付いていない。
二人の心はもう、通じ合っているということを。
「……ま、とにかく……とっとと終わらせるか!」
*
二ノ宮邸
刀と刀を交えていた二人の老人は、何故か今は縁側で囲碁を打っていた。
「ふむ……こちらなら良い勝負が出来そうだね」
「何を仰いますか二ノ宮さん。充分腕を上げていらっしゃったじゃないですか」
「フフ……お世辞は良いさ。これで僕も君の頼みを聞かざるを得なくなったわけだ」
「ありがとうございます」
「うむ……少しばかり困難だが、致し方ない。昔から君と僕はああやって互いの意見を押し付けてきた。君の言う通り……間違いを犯した若者を守るとしよう」
碁を打ちながら巖鉄は微笑んだ。
山本も安堵したように笑みを見せている。
「本当に感謝いたします。お嬢様も、もしかしたら私がこう動くと予見していたのかもしれませんが……」
「だとしたら困らされた話だ。まあしかし、日南貞香の事情を予め調べた手腕は流石。本気で狂信者を自分の下に付けようとしたのは頂けないが……これでアルフレッド・アーリーの本性をさらけ出せるのならば許容しよう。しかし……日南貞香ら『番犬』を見逃しつつ、生徒会のことも見逃せとは……山本君、君は本当に子どもが好きだね」
山本は帽子を脱いでまた頭を下げる。
その表情は笑顔だった。
彼は初めから学生たちの問題行動に関し、一人で尻拭いをする気だったのだ。
そのために巖鉄に協力を仰いだのだ。
「もちろんです。若者を支えることこそが、我々老いぼれの役割ですからね」
枢機院のトップである巖鉄は警備にも影響力を見せることが出来る。
今『番犬』に目を付け始めている警備を止めることも可能であり、生徒会の狂信者達に対する横暴も見過ごせる。
彼らは微笑んでいるが、要するに隠蔽のようなものだ。
褒められたことではないが、それで傷付く人間が減ることもある。
少なくとも今、この二人は罪を子どもに背負わせるよりも大事なことがあると考えていたのだろう。
過程はともかく、確かに明るい結果を目指していたのだ。




