『呪われた日常』⑥
一号館 地下 旧資材室C
日南貞香はどうすることも出来ず、ただその場に座り込んで昔のことを思い返していた。
「…………」
高名な教授である六条公彦を伯父に持ち、彼と自分の両親に勧められこの学園にやって来た。
暗い性格で趣味も少数派なもの。
人との接し方などたいして考えたことがないし、彼女自身このままの自分を受け入れていた。
転機となったのは当然『カース』に目覚めたことだろう。
アルフレッド・アーリーに目を付けられていたことは彼女も知らなかったことだが、彼の所為でいじめが始まるとただただ深い絶望に陥っていた。
そうして後、彼女はついにいじめの主犯の女性に出会う。
彼女は本来アルフレッド・アーリーに唆されていただけだが、彼女自身は自らが望んで貞香を誹謗中傷していたと発言した。
――「私は貴方を必要としていた。貴方に対する悪口を書き込むことで私は精神を保つことが出来た。だから貴方には感謝してるし、いじめは止めない。私には……ううん、私達は、自分よりも弱い人間を作って傷つけて、それで優位性を手に入れないと生きられないの。だって……本当に弱いのは私たちの方だもの」
そんな言い分に対して共感してしまったのは、貞香が優し過ぎたからだ。
自分にも同じように誰かを傷つけたくなる衝動があると彼女は考えていた。
人間は皆そうだと考えたのだ。
だから貞香は、彼女を『被害者』にした。
いじめの主犯格が消えたのは、貞香が彼らの認識を変化させて被害者だったと思わせたからだ。
彼女は加害者に会う度にその人物を被害者だったことにしている。
当然『番犬』の皆の認識も変えている。
しかし、彼らは貞香が加害者の『存在そのもの』の認識を誰にも出来ないように変化させたのだと思い込んでいる。
真実を知るのは彼女自身と六条公彦、そして枢機院だけだ。
枢機院が動かなかったのは、加害者たちが被害者と同じ想いを受けることになったことで、それで十分罰を受けていると考えたからなのだ。
しかし、『制裁』活動は違う。
彼女は『番犬』を抑えきれず、そもそも止める気にもなれない。
だから『番犬』が制裁を終えてから、『番犬』と制裁相手の認識を変える。
それでも実際に暴力が振るわれた事実は消えないので、現場を抑えられたら彼女らにはどうにもできない。
そして、枢機院はそんな彼女らの活動も把握し始めていて、対処に動きだしていた。
このままでは加害者がいなかったことにするという彼女の目論見も、『番犬』の復讐も果たせない。
枢機院や伯父に逆らいたくないと思う一方、『番犬』の復讐を止めたくもない。
そんな時、『制裁』に協力していたアルフレッド・アーリーから声を掛けられる。
そして――――今に至るというわけだ。
「……間違っていたのは私。そんなことはわかってる。『番犬』を止めなかったのも私。加害者をいなかったことにしたのも私。でも、私一人の問題では終わらない。みんなに迷惑が掛かる。何の関係も無い学生も、先生も、みんな……」
もし警備によって大量に『番犬』が捕まれば、無関係な皆々が不安を抱くことになるだろう。
貞香は体育座りをしながら俯く。
「……何の関係も無い……そう、他人が傷ついてもそれに気付かずにいた、無関係の人達が。その程度で罰を受けるべきなのかどうかなんて私には判断出来ないけど、結果としてそうなるのはもう避けられないかもしれない。私はたくさんの人に謝らないといけないけれど……貴方だけは違う」
彼女は再びカメラを睨みつけた。
その先に誰もいないことは理解していても。
「『番犬』は、気付かぬうちにいつの間にか大きくなっていた。一体どうして? 貴方は私達に加害者のリストをくれた。一体どうして? 生徒会としての目論見も無視して、私達を拘束して、貴方は何か実験を行うつもりなんでしょう? だったら……全部貴方の仕組んだことだったの? アルフレッド・アーリー……!」
彼女は直感で全ての元凶がその男にあると気付き始めていた。
もしそうだとしたら、許しておいていいはずがない。
彼の目的を達成させてはならない。
しかし、彼女はここから一歩も動けずにいた。
*
セントラル・ストリート
「何だ……あの連中……」
通りの真ん中に、尖った改造を施した制服を着ている集団がいた。
何をするわけでもなく、ただそこに集まってざわついている。
誰も彼らの近くを通りたがらず、道を塞がれているので仕方なく回り道を選んでいた。
「やあ、君達」
しかし、彼らに近付く男が一人。
アルフレッド・アーリーだ。
「……アルフレッドさん。姐さんはどちらに?」
集団の名は『番犬』。
貞香と同様にアルフレッドと面識のある人物も複数いた。
「まあ、彼女のことは取り敢えず心配しなくていい。しかし……思っていたより集まってくれたようだね」
「アルフレッドさん、流石にこの人数で道を塞いでいたら警備に補導されます。早く解散しないと……」
「もう少し待ちたまえ。『条件』は整えた。『時間』も……そろそろなのだよ」
「? な、何の話ですか? 意味がわからない……」
『番犬』の男の一人は奇妙な笑みを見せるアルフレッドに困惑するが、彼の意図を読むことは出来ない。
「ふむ……少しだけ『位置』がズレているかな。さて……最後の仕上げをしておくとしよう」
「あ、アルフレッドさん……?」
アルフレッドはそうして集団に立ち位置を指示し始める。
集団は意味もわからず彼に従う。
現在の時刻は、午後三時二十五分。
アルフレッドの求める『時間』までは、あと――。
*
一号館 地下 旧資材室B
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「ッ……ハァ……ハッ……ハァ……」
兄斗と翔の二人は、疲れ果てて呼吸を整えていた。
いくら叫んでも助けはなかなか来ない。
ただ、確かに彼らの叫びは地下から上に響いていた。
「ハァ……ハァ……なぁ……翔君……」
「な……何……だ……?」
「アンタも十分……騙されやすいのな……」
「ハァ……う、うる……せぇ……」
翔はアルフレッドに騙されて閉じ込められていた。
アルフレッドは初めから邪魔な狂信者を拘束することしか考えておらず、翔はただ巻き込まれてしまったのだ。
「……僕の兄貴のこと、教えてくれないか?」
「……クソ、存在しない『三つ目』の選択肢を選びやがって」
「アンタらが前に僕を生徒会に勧誘したのは、兄貴が元々生徒会だったからか?」
翔は面を被ったまま壁に寄り掛かる。
仮面を付け直したのは、もし瓢夏が助けに来た時に怒られないためだ。
「……そうだよ。ついでに言うと、アルフレッドさんがお前を解剖しようとしたのも、お前がアイツの弟だと知ったからだ」
「あの野郎……」
兄斗は自分を酷い目に遭わそうとしたのがアルフレッドの独断だと知っていた。
本来生徒会が彼を処罰するはずだったのだが、彼は予め証拠を処分していた。
そういった部分もそうだが、生徒会という組織とアルフレッド個人の間にも対立はあった。
だから生徒会のことを一応許しはしていたが、それでも好ましいとは思っていない。
だというのに以前アルフレッドから間接的に頼みごとをされて聞いたのは、彼がそこまでアルフレッドという人物に興味が無かったからだ。
今はもうそんな自分を反省し始めている。
「で? あの『本物』の超能力者様はどこにいるの? 僕はあの馬鹿を探しにこの学園国家サイバイガルに来たんだけど」
「ああ。今頃は多分オセアニアだな」
「はぁ!? 何でだよ!?」
「さあ? 旅行じゃないか?」
「いやだから何で家族に黙って旅行!? アホなの!?」
「まあな。知らなかったのか?」
「…………知ってる」
兄斗は自分の兄のことを思い出す。
生まれつき人智を超えた能力を持った兄。
カースとはまた無関係の、生粋の異能力者。
兄斗がこの学園に来て呪われたのは、もしかするとそんな兄と同じ血筋だからかもしれない。
彼の兄はその力でもって豪快な人生を送っているのだが、それは兄斗の人生とは全く関係ない別の話になる。
「……僕は何の為にこんな学園に来たんだ……。しかも、変な力が僕にも芽生えてしまったし……」
「災難だな」
「……いや、何故かはわかっている」
「うん?」
兄斗は突然勢いよく立ち上がった。
「そう! 僕は花良木と出会うためにこの学園に来たんだっ! 彼女と結ばれるために……僕は尊い青春をここで過ごすと決めたのさ!」
「何だお前……」
兄斗は、彼女がここに来てくれるだろうと確信していた。
そして小さい状態のバリアを出し、切ない表情でそれを眺めた。
「僕は今日、自分の無力を知ったよ。『リフレクション』は便利だけど……役に立たない時もある。あとは彼女が来てくれるのを信じて待つだけみたいだ」
「多分瓢夏……会長が来てくれる可能性の方が高いぜ」
「ははーん、さてさてどうだろうね。花良木がどれだけ僕を想ってくれているか、確かめるチャンスでもある。会長に勝ってくれると嬉しいね」
「……それは結構……きついだろうな」
翔は瓢夏がどれだけ重たい女かということを知っていた。
仮面を付けるように言われたのは、彼女が翔の素顔を誰にも見られたくないからだ。
彼女の目には翔が途轍もない美形に見えている。
女子が見たら絶対に惚れてしまうなどと抜かして、仮面の着用を強制させたのだ。
もっとも、そんな頼みを受け入れる翔も翔でおかしいのは間違いない。
*
一号館 地下 旧資材室A
「なんだ。やっぱり嘘ね。そんなことだろうと思ったわ」
レイは怯えた目で瓢夏を見つめていた。
先程までヒステリックを起こしていた女だとは思えないが、きつい記憶は消されない。
ある意味でレイも『絶望』を植え付けられた。
「フフ……ま、ちょっと楽しめたわね。そろそろ出てもいいかも」
「ふぇ? ど、どういうこと?」
レイはもう瓢夏が動く度に体を震わせている。
彼女からしたら炎上した室内でガソリンタンクと向き合っているようなものだ。
「……そろそろ証拠を収められそうなの。今度は君口兄斗君を解剖しようとした時や、虫の怪人をぶつけた時とは違う。彼は今油断していて、まさか自分の身に付けている物に盗聴器を仕掛けられているとは思っていないだろうし」
「……何の話ぃ?」
「メインの話。貴方達はついで。狂信者が私の駒になれば便利だけれど……ま、そう上手くはいかないわよね」
そう言いながらトランプを片付ける。
ケースに収めてポケットにしまうと、彼女は立ち上がった。
「さ、出ましょ。貴方が思っていたより厄介な女だとわかっただけでも、十分収穫だわ」
「……うーん…………いい」
「え?」
瓢夏は目を見開いた。
彼女は初めからアルフレッドの策略に気付いてわざと隙を見せていただけだ。
当然ブラックボックスに本気でレイたちを閉じ込める気はない。
ただ、『ケルベロスの写真機』が自分の持っている物しかないことと、翔が自分のようにアルフレッドから写真機を渡されていない事には気付いていなかったが。
「何言ってるの? 言っておくけど、私はここを出た後暫く戻れないわ。そもそも……私が戻ってくるとも限らないでしょ?」
「大丈夫。きっと……来てくれるから」
「? 誰が?」
レイはニッコリと笑った。
「誰かが!」
バァァァァァン
その時、豪快な音と共に扉が開いた。
「そら来た」
レイはまるで初めからわかっていたかのように鼻を鳴らす。
扉を開けたのは――――ジェイソン・ステップだった。
「レイ! ホント……心配かけさせるなよぉ……」
レイは笑っているというのに、メンタルの弱いジェイソンは涙を浮かべていた。
一応ブラックボックスの部屋内には入らないようにしているが、今すぐにでも近付きたいと全身で叫んでいた。
「……ワンダー・セブン……成程ね」
瓢夏は納得したようにして息を吐く。
結局彼女はアルフレッドが嘘を吐いたケルベロスの写真機の件には気付かなかったが、兄斗が同じようにしてここを出ることになるだろうと確信した。
*
一号館 地下 旧資材室C
「ここか君口!」
「……誰?」
上柴が開けた扉の部屋は、残念ながら兄斗のいる部屋ではなかった。
そこにいるのは初対面の知らない女子。
「……出る?」
「出るけど……誰?」
貞香は困惑しつつも出られることに安堵していた。
一方、上柴は小さく息を吐く。
「……どうやらお前は運命にも愛されてるみたいだぜ。花良木」
そして彼は、すぐ近くで喜ぶ四葉の姿を確認する。
中から出てきた兄斗に、勢いよく抱き着いている姿を。
ウッカリそのまま中に入ってしまうのではないかという勢いだったが、兄斗は『リフレクション』で背中を押してバランスを取っている。
逆側ではジェイソンに向かって中から飛び掛かるレイの姿も見える。
どうやらブラックボックスは攻略されたらしい。
あとの問題は、あの嫌われ者の男だけだ――。




