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『呪われた日常』②

寺子スタジアム


「ルゥゥゥゥゥル説ッ! 明ッ!」


 ダイダーはバットを掲げて叫ぶ。

 レイゼンとアンナは静かに立っているだけだ。


「良いか? クケッ! 簡単なルールだ! そう……百球。百球お前が投げるとして、俺が一球でもホームランを打ったら……俺の勝ちだ! 簡単だろうが! あぁ!?」


 とても興奮しているのか、モノクルが少しずれることも気にしていない。


「……あら? そんなルールじゃ……彼は倒せないわよ?」


 アンナはまるで何も知らないといった様子で首を傾ける。

 レイゼンが戦意を失くしているとは気付いていない。

 いや…………気付いていない振りをしている。


「良いのさ。なぁレイゼン・ルース。勝つのは俺だ。負けるのはお前。化け物が……人間に勝てるわけねぇもんなぁ! クケッ!」

「……」


 レイゼンは球技大会のことを思い出していた。

 兄斗に自分の力の制御に関して看破された時のことを。

 そして、球技大会のことを思い出しているのはレイゼンだけではなかった。


「……あの時の借りを返さねぇとなぁ」

「何?」

「…………だよな」


 興奮気味だったダイダーは落ち着きを取り戻す。

 一瞬目を逸らしたかと思うと、またすぐにレイゼンの方を向いた。


「ほら覚えてんだろ? 球技大会で、俺ら生徒会を倒してくれたじゃねぇか」

「……記憶に無いな」

「会長はマジでやる気満々だったんだぜ? けど……あの日は俺も盲腸で出られなかった……。おかげで俺は会長に大目玉よ。せめててめぇが加減してくれたらなぁ!」

「……いや、加減と言われても……」

「クケッ! 良いさ、気にすんな。俺が勝手に因縁付けてるだけよ。……さあ、とっとと始めるぜ!」


 ダイダーはゆっくりと、後ろにネットが置かれたバッターボックスに入る。

 対戦のルールに追加は無い。

 そして、アンナはどこからか取り出したボールをレイゼンに向かって投げ渡した。


「アンナ……」

「プレイボール……ってね」


 アンナの微笑みを見て、レイゼンは少しだけ昔のことを思い出す。

 この学園に来て、アンナ・トゥレンコという少女と出会って、そして、呪われた日のことを――。


     *


 レイゼン・ルースは本来、この学園に来るはずがなかった。

 彼は祖国で野球に取り組むことが許されず、本来日本に行くはずだった。

 しかし、行き違いで日本の球団ではなく属国の球団・『寺子プロフェッサーズ』との育成契約をすることになった。

 彼は学園に通う義務を押し付けられ、加えて『寺子プロフェッサーズ』の育成契約は将来の保証が無い。

 彼は絶望と不安を抱き、途方に暮れる毎日を送っていた。


 ――「浮かない顔をしているのね。将来のエース候補って聞いたのに」


 自分以上に暗く冷たい目をした少女だった。

 そして彼女は、球団の応援歌の作曲を任されている人物。

 アンナ・トゥレンコ。

 自分の前に突如現れた彼女が一体何を企んでいるのか、レイゼンはそれがずっと気掛かりだった。


 ――「それ、よく言われるの」

 ――「何?」

 ――「私のことが……『暗い』、『冷たい』、『怖い』……って。本当に……よく言われるの」


 表情こそ虚無だったが、レイゼンは彼女がそこにコンプレックスを抱いているのだと感じた。

 だから拙い言葉でフォローをした記憶がある。

 それを覚えていないのは、余程気恥ずかしかったのだろう。


 ――「……ありがとう。なんだ、暗い人だと思ったけど……私と同じってことかしら」


 彼女の微笑みは覚えている。

 それだけは熱く記憶に焼き付けられている。

 レイゼンはその後少しして、彼女に対し、何故自分に話しかけに来てくれたのかを質問した。


 ――「……寂しそうな顔をしていたから。違ったらごめんなさい」

 ――「……いや……ありがとう」



 彼女と出会ってからまた少しして、レイゼンは自身の身体の異常に気付くことになる。

 『疲労が溜まらない』のだ。

 毎日いくら練習しても、身体が全く疲れない。

 決定的だったのは、投球練習の時だった。


 ――「『170km/h』……!?」


 その場にアンナもいた。

 誰もが彼の球を見て驚愕していたが、レイゼン本人だけは少しだけ違った。

 彼だけは、『やっぱりか……』と、自分の『カース』の力を理解していた。


 レイゼンは自分の『カース』・『再現性の付与』を、ある程度制御できる。

 発動するのは全て彼の意志。

 ただ、彼の意図しない形で突如として発動後に力が途切れることもある。

 しかし彼のその球を見ていた周囲の人間たちは都合よく捉えた。

 彼の『カース』は意図せず発動するものであり、それを理由に試合に出られないようにすることは許されないなどという言い分でもって、球団は彼との本契約を捻じ込んだ。

 彼を実戦で使うため、皆が労を執って場を整える。

 元々雇ってもらえた側のレイゼンには拒絶することが出来ない。

 いつしか彼は、ずっと嘘を吐かなければならなくなった。


     *


「ハァ……ハァ……ハァ……」


 レイゼンは愕然とする。

 息を荒げているのは――――彼ではなかった。


「どういう……ことだ……?」


 レイゼンは目を丸くしてバッターボックスに目を向ける。


「ハァ……ハァ……な……何がだ……?」


 モノクルに汗が垂れる。

 ダイダー・ベルチは、バッターボックスの中で膝を付いていた。


「……どういうことかしら? てっきり……何か手があるのかと思っていたのだけど」


 アンナもベンチの屋根の上で困惑して眺めていた。

 彼女の問いはダイダーに聞こえている。


「ハァ……ハァ……何だぁ……? 俺が……勝つのは……決まってるわけだが……?」

「お前……俺は……」

「あぁ!? 使いたきゃ使えばいいだろ!? てめぇの『カース』をよぉっ!」

「……ッ!」


 ダイダーは笑っている。

 バッドを支えにして立ち上がった。


「どうした……? もう野球……止めたかったんじゃねぇのか……?」

「!? お前……どうして……何で……?」

「ハァ……今三十球だったか……? あと七十か……。一球くらい……ホームラン……打ちてぇよなぁ……!」


 そして、ダイダーはバットを構えた。

 その姿を見て、そのフォームを見て、レイゼンはようやく思い出した。

 ずっと忘れていた、ダイダー・ベルチという男のことを。


     *


 なんてことはない。

 ただ、昔レイゼンが対戦したことのある野球人というだけの話だ。

 ダイダー・ベルチとレイゼン・ルースは同じ国の人間だった。

 会ったのは一度だけ。

 対戦したのも一度だけ。

 野球は遊戯でしか出来ない国で、子どもの二人は確かに一度だけ対戦していた。

 勝ったのはレイゼンだ。

 負けたのはダイダーだ。

 その時のダイダーの言葉を、レイゼンは思い出す。


 ――「クケッ! やるじゃねぇか! あぁ!?」


 忘れていた、忘れたくなかったはずのその言葉を、レイゼンは思い出す。


 ――「……てめぇは強ぇよ。俺だって……みんなから『化け物』だとか言われてたのになぁ! クケッ! まあ……お前はアレだ。センスとかだけじゃなくて、仲間にも恵まれてる。信じられてる。俺と違って……。クケッ! 人間らしいなぁ! 結構じゃねぇか! 人間が、化け物に負けるわけねぇもんなぁ!」


 ダイダーは一匹狼だった。

 彼のチームはレイゼンのチームの様にチームワークが良くなく、それが原因で勝負は着いた。

 ワンマンチームで自分しか信じられなかったダイダーは、自分の敗因を瞬時に理解した。

 そして、この一度の遊びの試合の後、彼らがまた試合をすることはなかった。


     *


 カキィィィン


 ヒット性の当たりはある。

 しかしダイダーにホームランが打てるなどとは、レイゼンもアンナも全く思えなかった。


 ――レイゼン君は『カース』を使ってない。球も甘い。でも……この様子で彼にホームランが打てるとは……到底思えない……。


 アンナは心配しつつどこか期待していた。

 この対決は、確実にレイゼンにとって意味のあるものになるだろうと。


「……ッ!」


 レイゼンは無言で球を投げ続ける。

 ダイダーは真逆で、叫びながらバットを振り続ける。


「ハァ……俺はなぁ! てめぇと対決するためだけに! 久々にバット握ったんだぜ!? なのに……盲腸だぁ!? マジでふざけんなよ! みんなに必死に頼み込んだのに! 本人が来れないのかって……会長にどやされたじゃあねぇかよ! あぁ!?」


 彼が語るのは、球技大会に生徒会が参加した理由。

 彼らが何としてでも本選に上がろうとしたその理由。

 しかし、言い出しっぺは現場にいなかったのだ。


 ダイダーはもう何年も野球から離れている。

 昔の感覚を『再現』しようとしても、レイゼンのようにはいかない。

 彼の今の実力では、たとえレイゼンが『カース』を使わなくても、その上に手加減しても、この寺子スタジアムの柵越えまで打球を飛ばすことは出来ない。

 しかし、それでもダイダーの目的は達成できていた。

 彼にとって生徒会の目的は、そのついで。

 何なら彼は生徒会の目的を反故にする気だった。

 それで生徒会を辞めさせられることになっても、構わないとすら考えていたのだ。


「ハァ……ハァ……ハァ……どうしたよ……クケケケケケ……」

「……もう止めよう。こんなの……何の意味が……」


 ダイダーはそれを聞いて憤激する。


「あぁ!? ふざけんな! 勝つのは……いや、人間が……化け物に負けるわけねぇだろ!」

「俺は……化け物ですらない……半端な嘘吐きだ。『カース』のおかげで生きられるだけの……偽物なんだ……」

「……じゃあせめて……最後まで戦え! 半端なとこで止めんじゃねぇよ! あと十球だろぉが!」


 ダイダーは再び笑みを向けた。

 最早レイゼンはどうしたらよいのかわからない。

 彼は自然とアンナの方に目を向けた。


「……呪ってあげる」

「……!?」

「私は貴方が勝つところを見たい。だから……勝って」


 レイゼンは目を伏せるしかなくなった。

 期待という名の呪いを背負い、勝負に向かう。


 ――……負けたら野球を辞められると思った……。

 ――もう嘘を吐かなくていいと……そう思ったのに……。


 この勝負は、始まる前からレイゼンの勝利が決まっていた。

 全てはただ、ダイダーが自己満足で己の因縁を断ちにきただけのことだった。


「来いよ……クケッ」

「ああ……」


 残り十球を投げる。

 カースは使わないが、全力投球だ。

 それでも決してダイダーにはホームランを打てない。

 勝負は――――呆気なく終わった。


「ストライク。バッターアウト」


 アンナはそう言ってベンチの屋根から降りた。

 表情は柔らかい。


「ハァ……ハァ……クケッ……」


 ダイダーはゆっくりとレイゼンに近付いていった。


「ダイダー・ベルチ……俺は……」

「だから……言ったろぉが……」


 ダイダーは疲労を抱えつつ、拳をレイゼンの胸に押し当てた。

 頭は垂れ、レイゼンと目を合わせる気はない。

 彼の激しい呼吸音は、振動のようにレイゼンに伝っている。


「勝つのは……人間だ。化け物に負けるわけねぇだろ。自信を持てよ馬鹿野郎。お前の球は……『呪い』が無くても、良い球だったぜ」

「………………ありがとう」


 ダイダーは気絶する様に倒れ掛かる。

 レイゼンは彼を優しく受け止めた。

 不思議と体重は感じない。

 何もかもが、今は軽く感じていた。


「レイゼン君」

「……何だ?」


 アンナは静かに、そして冷たく話しかける。

 その冷たさが内心から来るものではないことくらい、レイゼンは初めからわかっている。

 彼女はいつだって優しく穏やかな人物だ。


「どっちでも同じだったと思うけど、どうして『カース』は使わなかったの?」

「……使えなかった。いや……使えなくなったんだ。本当だ。だからもう……『170km/h』は出せない」

「……そっか」


 アンナは少しだけ目線を下ろし、内心から来る微笑みを見せた。

 レイゼンの言葉の真意を、彼女は汲むつもりでいる。


「……また『呪ってやる』とでも言うか?」

「ううん」


 だから当然、答えは決まっている。


「『祝ってやる』……なんてね」


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