『呪われた日常』
狭い部屋
君口兄斗は拘束されていた。
「…………何でだ?」
コンクリート打ちっぱなしの部屋に、椅子が一つ。
兄斗はその椅子に座らされ、縄で体を椅子に固定されていた。
「……どうしてこうなった?」
兄斗は自分の身に起きたことを思い出す。
いや、その途中で止めてしまった。
それよりも今の状況にワクワクし始めていた。
「ま、いいか」
不敵な笑みを見せる一方で、脱出方法は見つからない。
それでも彼は劇的な『何か』への期待に胸を膨らませていた。
*
ある飛行機内
『皆様、間もなく着陸致します。シートベルトの着用を今一度ご確認ください』
学園国家サイバイガル行きの飛行機は既に領空に入っている。
客席に座る一人の男――チャールズ・ドレーク・K・韓信は、呼んでいた本を片手で閉じた。
「……さて。メリックの嬢ちゃんは元気でやってんのかな……」
窓の外から見えるサイバイガルの街並みに目を向ける。
東キャンパス内にある空港はもうすぐそこだ。
格闘技の大会に参加していた彼は、四月ぶりにこの学園に戻ってきた。
*
中央キャンパス 駐輪場
上柴は自分の所有するネイキッドバイクの尾灯を確認していた。
真面目な彼は常に運転の前の動作確認を怠らない。
「上柴さん」
すると、後ろから知った声が聞こえてくる。
花良木四葉だ。
「どうした? 君口は?」
「それを聞きに来たつもりだったんですが……」
どうやら今日も彼女は兄斗と約束していたらしい。
しかし、兄斗が彼女との約束をすっぽかすはずがない。
「寝てんじゃねぇの?」
「先輩の家知りません」
「電話は?」
「応答がありません」
「…………成程。わかったぜ」
上柴は作業を止めて彼女の前に立つ。
「サプライズだな」
「はい?」
「アイツがお前との約束を忘れたりしないだろ? 遅刻もあり得ない。何かサプライズがある時以外は……な」
「私誕生日もまだですけど」
「出会って丁度百日記念とか?」
「四ヶ月以上過ぎてますけど」
「じゃあサプライズは無いな」
「ですよね」
「……」
「……」
上柴は目を細める。
「……何かあったのか?」
「そうとしか思えないですよね」
上柴は大きく息を吐いて後頭部を掻いた。
「……ところで花良木四葉さん。アイツとはどうなの? 上手くいってる?」
歩き始めながら尋ねる。
どこへ向かう気かはともかく、四葉は彼が一緒に兄斗を探すつもりだと瞬時に理解した。
「べ、別に……上手くいくというかそんな感じじゃないわけですし私はその……」
「……『ケルベロス』って知ってるか?」
「え? 何ですかいきなり」
「三つ首の番犬。地獄の門番。底なし沼の亡霊。まあ……要するにバケモンだな」
「だからそれが何ですか?」
四葉は既に彼の後ろを追いかけている。
上柴は歩幅を合わせようとはしない。
「何で『三つ』頭があると思う?」
「番犬ですからね。二つの頭が眠っていても一つが起きていればいい。交代制でずっと見張ることが出来ます」
「……コイツの頭はそれぞれ『保存』、『再生』、『霊化』を表している。死後の魂が辿る順序だ。昔の西洋の人々は、三位一体を始め何事につけても『三』という数字に拘っていたらしい」
四葉は彼の言いたいことが全くわからないので、ただ黙って聞くしか出来ない。
「お前は『三』って数字が好きなんだってな。君口から聞いたよ」
「ああ……そういう……」
「アイツはよくお前の話をする。お前のことについてだんだん詳しくなってる。それで……お前の方はどうなんだ?」
「何が言いたいんですか?」
彼女はわかり始めてきたところで逆に質問した。
「いや、別に変なこと言いたいわけじゃないんだが……お前はアイツのことどれくらい知ってんのかなってさ……」
「……!」
ハッキリ言って、四葉は兄斗の性格は大体理解できている。
しかし、彼のバックボーンはどうかと言われたら、押し黙るしか出来ない。
「……お前、どうするつもりなんだ? わかってて誤魔化せるのはアイツがそれを言葉にしてないからだろ? ずっと黙ってたら今のまま永遠に続く……なんて思ってねぇよな?」
「それは……」
「アイツは刹那的な人間だ。お前もどちらかといえばアイツに似てる。お前は――」
「うるさぁぁぁぁぁぁい!」
上柴は突然の彼女の大声に思わず体をビクつかせた。
「……上柴さん、私のこと好きなんですか?」
「へ? なわけなくね?」
「じゃあ先輩のこと好きなんですか?」
「もっとなくね?」
「だったら! 私達の問題に口出さないでください! ムカつくんですよ! 私のこと……何も知らない癖に……」
「…………」
四葉は自分のことを他人に推し量られるのが嫌いだ。
彼女が二人の関係について停滞を望むのは、彼女が兄斗を好きであると同時にその気持ちを信用できないからだ。
当然兄斗の自分に対する想いについても同様だ。
いつか消えて失せる気持ちなら初めから無かったことにしたいと考え、そしてそう考える自分に嫌気が差しているのは、もう今に始まったことではないのだ。
彼女はずっとずっと答えを探して足掻いている。
「……あー……確かにそうだ。悪い。野暮過ぎた。お前もお前なりに考えてるもんな」
「……違います。私は……私はただ臆病なだけで……ずるいだけで……」
上柴はそれ以上四葉を支えるような言葉を吐きはしなかった。
その役目は自分ではなく親友の役目だと、彼はそう理解していたのだ。
そして時は、昨晩に戻る。
*
昨夜 寺子スタジアム
「よおぉぉぉやく来たなぁっ! えぇっ!? クケケケケケケケ!」
その男は、スタジアムの最前列の客席からマウンドに向かって叫んでいた。
モノクルを掛けた、スラリとした体型の男だ。
彼の見つめる先にいるのは――。
「……何だお前は……」
筋肉質でジャージ姿の彼は、見ただけでスポーツマンだとすぐにわかる。
「クケッ! 『何だ』とはご機嫌じゃねぇか! なぁ! 『無敵のエース』……レイゼン・ルース様よぉ!」
レイゼンは彼のことを睨みつける。
試合の無い日とはいえ、急な呼び出しに少々困っているのだ。
「俺ァ生徒会会計……ダイダー・ベルチだ! 知ってんだろ? まあ知らなくても別にいいが……」
モノクルは照明の光を強く反射している。
ダイダーは、客席から勢いよくグラウンドへと飛び降りた。
「はっ!」
「!? お前……」
着地の衝撃は相当のはずだが、ダイダーは笑みを見せている。
レイゼンはそれだけで彼がただ物ではないことに気が付いた。
「レイゼン・ルース、お前何で今夜呼び出されたか理解してんのかぁ!?」
「いや……全く……」
「じゃあ教えてやろう! 感謝しろよてめぇ! クケッ!」
「……」
レイゼンは何も言えなくなった。
目の前の男の圧に逆らうことが出来ない。
すると、ダイダーは急に静かになって語りだす。
「……生徒会はてめぇら『狂信者』を『飼う』ことに決めたのさ。つまり! お前は野球を辞めて一生俺らの言いなりになるってぇことだ!」
「……どういうことだ……」
まるで理解できていない。
出来るはずもない。
ダイダーの言い分は恐ろしいほどに身勝手だった。
「まだわからねぇか? お前を含めた七人……いや、六人の狂信者は、危険な存在なんだ。危険な存在を管理するのは当然だろ?」
「……それは枢機院の仕事だ。監視は受けてる」
「だぁかぁらぁ! それじゃ駄目だって言ってんだ! 実際どいつもこいつも割かし自由に力使ってるしよぉ! それに……『番犬』を率いてる日南貞香も問題だ。ツァリィ・メリックもまたいつ問題行動するかわからねぇ。君口の奴なんか去年まで隠してたんだぜ!? どいつもこいつも……しっかり首輪付けてやんねぇと駄目なんだよ!」
「……だから、それは枢機院の仕事で……」
「それが信用出来ねぇから生徒会が動くんだろぉがよぉ!」
レイゼンはもうどうしたらいいのかわからない。
一刻も早くこの場を立ち去りたいが、ダイダーが何を企んでいるのかまだ理解できていない。
「……それで俺に野球を辞めろと? お前にそんな権利があるのか?」
「いや、辞めるのはお前の意志だ。お前は辞めたがってるはずだもんなぁ!」
「……ッ!」
一気に目を見開く。
以前君口兄斗が気付いたことに、目の前の男も気付いているのだ。
「……顔色が変わったな。よし、じゃあこうしよう。俺とお前で勝負する。そして、もしお前が俺に負けたら……お前は野球を辞めて俺らに従う。簡単だろう?」
「……お前は……」
言い訳を用意してくれていることは明白だった。
生徒会の手で無理やり辞めさせられただけならば、非難の的になるのは生徒会。
レイゼンには同情が寄せられることだろう。
「俺は卑怯な手を使う。勝つのは俺だ。お前は生徒会の命令で『辞めさせられる』。文句ねぇよなぁ!? クケッ!」
「……それは……」
迷っている自分が情けない。
レイゼンはこの状況を好機と捉え始めている。
そのことが、彼自身を苦しめていた。
「楽しそうな話をしてるのね」
どこからか、声が聞こえた。
コツコツコツと、足音も聞こえてくる。
「お前……」
三塁側ベンチから、彼女は現れた。
「私も混ぜて」
冷たい空気を纏いながら、アンナ・トゥレンコは現れた。
勝負はまだ始まらない。
*
同刻 生徒会執行本部 庶務室
兄斗は意外な人物に呼び出された。
素直に応じるのは、常に『何か』が起きることを期待しているから。
ただそれだけだ。
「よっ! 元気か? 君口」
気さくな挨拶だが、真っ白な仮面では表情が読めない。
生徒会庶務・天久翔は常に仮面を付けている。
兄斗はその理由を聞いたことがない。
「……翔君、何でいつもお面付けてるの?」
「ああ……外すか?」
「え?」
彼は自然に仮面を外す。
すると、彼の顔が露わになった。
「……なんか、言っちゃ悪いけど普通の顔だね。不細工じゃないし、驚くほど美形でもない。何の為の仮面?」
「うーん……会長に頼まれたからな。『仮面付けて』って」
「アンタまさか会長に頼まれたら死ぬの?」
「ンなわけねぇだろ。別に顔隠して困ることねぇしな」
小声で『あるだろ……』と呟くが、兄斗はもうその話を止めた。
「……で? 僕に何か用? 面白そうなら聞くよ」
「お前……この前アルフレッドさんに騙されたばかりなのに良い度胸だよなぁ」
兄斗は彼に出された緑茶に手を付ける。
それをグイっと飲んでから話に戻った。
「折角の一度きりの人生。それにサイバイガルにだっていつまでもいられるわけじゃない。楽しまないと損だよ」
「何言ってんだ。お前はその『呪い』が解けない限りこの国から出られない……だろ?」
「まあね」
「……というか、何で呪われたんだ? お前はそういう奴には見えないんだが……」
「どういう奴だよ」
翔は以前瓢夏に聞いた狂信者の成り立ちを思い出す。
――「彼らはもうその呪いから抜けられない。彼ら自身がそれを望んでいるから。要するに……彼らは彼らの呪いを狂信しているのよ。それが自分の力だと、それのおかげで自分は生きているのだと、あるいはそれを信じなければ前を見れないと…………そう信じている」
それはあくまで彼女や先代の生徒会の推測だ。
しかし、確かに信憑性は高かった。
――「心の弱さが生んだ、歪んだ力……。そう思うと、やっぱりあんなもの、無い方が良いと思うでしょ? ねぇ、翔君?」
翔は気だるげに伸びをする。
「……俺はそう思わねぇが……まあなるようになるか」
「? 何の話?」
「お前が騙されやすいって話」
「え」
兄斗の視界が、突如としてぼやけ始めた。
「これ……おま……」
「何だ眠いのか? 七時だぞまだ。まったく………………悪いな」
兄斗はそれ以上彼の声を聞くことが出来なかった。
そして、翔は彼が眠りに就くと同時に仮面を付け直す。
やはり表情は、もう見えない。
*
数刻後 一号館 地下
「戻ったぜ」
翔は暗い部屋に入る。
そこには机と椅子、そして液晶画面が複数あるだけで、部屋はほぼ機械で埋め尽くされている。
翔が声を掛けた相手は瓢夏。
ただ、彼女は立っているだけで、唯一の椅子に座っているのは別の人物。
「ですって。アルフレッドさん」
「はい。レイゼン・ルースはベルチ会計に任せるとして……あとの問題はツァリィ・メリックでしょう。彼女はテーラー書記に任せて良かったので?」
「ええ。どうせキングもいないことだし、何とでもなるわ」
翔は彼女の楽観的な言葉に違和感を持つ。
――……珍しいな。会長の割に……徹底さが薄い。
しかし、何も言わず目の前の画面を見つめた。
そこには自分が連れてきた君口兄斗も拘束されて映っている。
「……アルフレッドさん。どうやって『この二人』を騙したんで?」
「フフ……人聞きが悪いな、天久庶務。狂信者達には共通の弱点がある。敵意の無い相手には……誰も攻撃できない」
「……ずるい大人だ」
その時、画面の奥から一人がこちらの方を、すなわちカメラの方を見てきた。
*
画面の奥にいる少女――日南貞香は、拘束されずに狭い部屋に閉じ込められていた。
正確には、彼女は案内されてここにいた。
だからこそ、冷静に自分を案内した人物に話しかける。
「アルフレッド・アーリー、それで私は何をすればいいの?」
彼女はカメラに向かってそう尋ねた。
すると、スピーカーから彼の声が聞こえてくる。
「ああ、大丈夫。君は何もしなくていい。『番犬』は……警備によって全員捕縛される」
「……何の話? 貴方は、私達に協力してくれると言った。やっぱりそれは嘘だったの?」
「いや、嘘は吐いてない。そもそもこれまで私は、君達にいじめの加害者だった者のリストを提供して、『制裁』活動にも協力してきたじゃないか」
*
それを聞いて、スピーカーの向こう側にいる瓢夏と翔は呆れていた。
「初耳だけど?」
「アンタそんなことしてたのか……」
瓢夏はアルフレッドに対して細い目を向けるが、アルフレッドは気にしていない。
彼は貞香との会話を続ける。
*
「……貴方のおかげで、『制裁』はほぼ完遂するところだった。警備の邪魔が入らなければ……あと少しで」
「言っておくが、私の差し金ではないよ。警備は枢機院の手駒だ。この国の警察組織である彼らが、道端で起こる狼藉を放っておける筈がない。君らの活動は……節目を迎えたのだよ」
「節目?」
「我々生徒会に委ねるといい。今更後戻りしろなどとは言わない。この国から全ての灰汁を抜き取ろうじゃないか。警備に捕まるだろう『番犬』たちのような、『使えない』駒は捨ててしまえばいい」
貞香は眉間に皺を寄せる。
彼の誘いなど、到底受け入れられるものではない。
いじめの制裁活動を行うのはこれまで虐められていた者たち。
彼女にとっては同類の仲間なのだ。
「……論外。警備が動いているのなら、私が警備の『認識』を操作する」
「残念だがそれは出来ない」
「どういうこと?」
「君はそこから出られない。『番犬』が解体するその時まで……君は何も出来ないのだよ」
「何を馬鹿な……」
貞香は周囲を見渡す。
確かに閉じ込められているが、それは彼女が内側から鍵を掛けたからだ。
出られないわけではないはずだ。
「今後の話し合いをする場に、ここを選んだのはおかしいと思わなかったのか?」
「……もちろん。それでも、狭い部屋に呼び出して、大人複数で私をどうこうしようなんて考えは無駄。私はどんな人間の『認識』も変えられる。私を私と認識できなくすれば……」
「敵などはいない。君は、単純にそこから出られないのだよ」
「……? 何を言って……」
スピーカー越しにアルフレッドの笑い声が聞こえてくる。
彼女はまだ気付いていなかった。
「知らないようなら教えておこう。君が今いる部屋の名は、『ブラックボックス』。去年まで禁止区域に設定されていた……『カース』の発現場所だ」
「!?」
初めて貞香の目が見開く。
どんなことにも対応できるつもりだった彼女にとって、想定外の出来事は既に起きていた。
「さて。いくつか疑問に思うだろうが、一つだけ教えておこう。何故この一号館の地下にある『ブラックボックス』が、去年まで禁止区域に設定されていたというのに、今年から急にその制限が解かれてしまったのか……」
「まさか……!」
「私が枢機院に嘘を教えておいた。『ブラックボックス』の『カース』は消失した、と。つまり……『ブラックボックス』は今もなお、『呪われている』のだよ」




