『七不思議』③
中央キャンパス 枢機院本部 学園長室
ようやく学園長と対面する時間が来た。
学園長の名は二ノ宮巖鉄。
学園国家サイバイガルを治める政治組織・枢機院のトップでもある彼は、意外にも多忙ではない。
それはこの国自体が小規模で、基本的に枢機院は宗主国である日本の傀儡でしかないからだ。
つまり、枢機院議長としての彼はあくまで象徴的役割しかなく、学園長としての職務が主になっているということ。
「……どうも君口兄斗君。それに花良木四葉さんも一緒か」
巖鉄は白髪と白髭を蓄えた老人だ。
机の上に肘をつき、手を組みながら細い目を二人に向けている。
口を開くのは面識のある四葉だ。
「ど、どうも。時間を取らせてしまい申し訳ありません。実はたいした用ではないんですけど」
「……三十年前」
「?」
「三十年前、この国は誕生した」
巖鉄は突如として語りだす。
四葉は驚き黙って、彼の話を聞くしかなかった。
「浅い歴史だ。僕が四十だった頃かな。『ワンダー・セブン』はその時の学園長……つまり僕の上司が考案した」
初めから二人の目的を知っていたかのような語り口。
いや、知っているからこそこの話をしているのだ。
「当時出来たばかりの学園に、彼は刺激を欲しがっていた。『ワンダー・セブン』は……元は彼が見つけた、実際に学園内で起きていた不思議な現象のことなんだ」
「……え?」
「それは、後に『カース』と呼ばれるようになる。彼は当時から一人その現象に気付いていた。彼が見つけた現象は今ではもう見受けられないが、言ってしまえばつまり、元々は『カース』、あるいはそれを身に受けた『狂信者』のことをそのまま『ワンダー』と呼称していたんだよ」
二人は驚き目を合わせる。
四葉は思わず尋ねた。
「そ、そうだったんですか……。でも、その名がどうして逆に狂信者の監視役の呼び名になったんですか?」
「それは特に理由は無い。狂信者が一人もいない年もあった。元は狂信者達のことを確かに表していたのだが……いない年が重なれば言葉だけが残り、意味は後から付け加えられる。僕が学園長になり、当時出現した狂信者への『監視役』を任命し出したところ、彼らが皆に『ワンダー』と呼ばれるようになった。最初は『ワンダー・スリー』だったかな」
二人はそれを聞いて納得し、深く頷いた。
「成程! 納得しました! ありがとうございます! 二ノ宮学園長!」
「僕からも感謝します。これで『僕らの』共同研究も捗りそうです」
「え?」
四葉はバッと兄斗の方に顔を向ける。
彼は手刀を出して謝罪する。
――ああ……もっともらしい理由で時間を空けてもらったんですね……。
たったこれだけの話を聞くのに学園長の時間を奪うのは簡単ではない。
兄斗は予め、学園長に夏季フィールドワークの研究調査を言い訳にして時間を貰ったのだ。
生徒の研究活動のためならば時間を空けるのもやぶさかではない。
それ故巖鉄は初めから二人に対して協力的だったのだ。
「……そうか。力になれたなら良かった。僕からも楽しみにしているよ。君達の共同研究を」
「……はい?」
「はい!」
四葉はハッとした。
これでは最早、二人の共同研究は公然の事実。
学園長に期待などされては、逃れる術が無くなってしまう。
兄斗は小声で『ごめん』と、まるでその場限りの嘘で終わらせるつもりでいたかのように謝っているが、絶対にそれは無い。
――先輩……ッ!
四葉は彼に嵌められていたのだ。
初めから全部、彼は四葉と共同研究するためだけに『七不思議』の話題を出したのだ。
しかし、そこまで嫌な気をしていないことに、彼女自身まだ気付いていなかった。
*
二人が出ていくと、暫くして入れ替わるように学園長室に入ってくる者が現れる。
しかし彼が入ってきた理由は、先程の二人と違って呼び出されたためだ。
それも、学園長・二ノ宮巖鉄から直々に。
「こんにちは。ご機嫌いかがでしょう? 二ノ宮巖鉄学園長兼枢機院議長閣下殿」
皮肉めいた挨拶を受け、巖鉄は露骨に憮然とした表情を見せる。
「……アルフレッド・アーリー君。呼び出された理由はわかっているのかな?」
「もちろん。先日のダグディブ自然公園で出現した『カース』……その存在を去年から知っておきながら黙秘していたことと、それに君口兄斗ら狂信者をぶつけたことに関して……でしょう?」
わざとらしく笑みを見せている。
彼には全く反省の色が見えない。
巖鉄は呆れて溜息を吐いた。
「何故そんなことを?」
「私の研究のためです」
「しかし君の研究のために彼らは危険を被った。そのことについてはどう考えている?」
「何とも」
「……話にならないな。生徒会は『カース』について調べない方針だったはずだろう?」
「ええ。ですが……《《使える立場》》ではありましたよ。禁忌に触れたがらないのは、禁忌の正体を掴んでいるからです。実に有用な情報が手に入りました。私を生徒会に推薦していただいた学園長には頭が上がりません」
話が通じないというよりは、認識にズレが生じていた。
アルフレッドは自身の研究こそが何よりも優先されるべきだと考えているのだ。
「……生徒会は君にどういった処分を?」
「何も」
「何?」
「滑川瓢夏会長はとても話のよくわかる人物です。私の研究も、彼女の目的を果たすために利用したいと仰っていましたよ」
「……何の話かな?」
巖鉄は既に嫌な予感を抱いていた。
自身の及ばぬ場所で、既に何かが起きている感覚。
どういった判断を下すべきか、今はまだわかりようがない。
「……『狂信者』である自分自身を監視するため、『ワンダー・セブン』の一人に自ら成った二ノ宮学園長殿。貴方には未来が見えていますか?」
「何を……」
「貴方を始め、六条公彦名誉教授に、チャールズ・ドレーク・〝キング〟・韓信、アンナ・トゥレンコに、ジェイソン・ステップ、そして……花良木四葉。ワンダー・セブンは七人のはず。しかし、公にはこの六人しか知られていない。あと一人は何故隠されているのでしょう」
「……それは枢機院における最重要秘匿事項で――」
「貴方はご存知ですか?」
「…………」
巖鉄は何も言えない。
彼は世界最高の教育機関のトップ。
当然『無知』な事柄に口を挟むほど愚かではない。
「フフ……監視役の数はその時の『狂信者』の数で決まる。しかし、『ワンダー・セブン』と同様に七人目の狂信者も明らかになっていない。こちらは理解できる、危険な人物ならば隠されても仕方がない。しかし……それが『三十年』もとなると話は変わる」
「……!」
「……こんな怪談話をご存知ですか? 当代は偶然七人狂信者が現れ、監視役も七人となりましたが……日本の学校ではよく『七不思議』と呼ばれる怪談が存在します。そして、その七つの怪談話の中でよくあるのが、『七つ目の七不思議』です」
アルフレッドはいたく嬉しそうに語る。
本来何の為に呼ばれたのか、やはり彼は理解できていない。
「どういった怪談かというと、実に単純です。『七不思議』の内、六つまでは怪談が明確に存在する。しかし、誰も七つ目の怪談を知らない。七つ目の怪談は……知ること自体が恐れられている怪談なのだ……という話です」
巖鉄は黙って目を細めているだけだが、アルフレッドの調子は変わらない。
「では、七つ目の怪談を知ったらどうなるのでしょう? こちらも単純。そう……『呪われる』んですよ」
愉しそうに、愉しそうに、彼は続ける。
「フフフ……果たして七人目の狂信者などいるのでしょうか? もしいるとしたら……その監視者も存在するのか……? 真実を知ったらどうなるのでしょう? 一体枢機院は……いや、『この学園を真に支配している者』は、三十年もの間、一体誰を隠しているのでしょう?」
「…………それを知って、君はどうする?」
「知ることが目的です。『カース』の調査は、この学園の調査に繋がる。私は既に、どんな犠牲を払ってでも知ることが重要だと考えていますので」
見下ろすようにして微笑む。
その視線の先は確かに巖鉄のはずだが、別のものを見ているのだと理解できた。
「…………君は優秀だ。だが、君が望む真実が得られるとは限らない」
「私が望む真実など初めからありませんよ。下らない真実が明らかになるのならばそれでもいい。私自身が呪われることになっても構わない。見えない未来を目指して思考を続けられるのなら、それだけで良いのです。思考を止めた時、人間はその矜持を損なう。ですが私の思考は…………決して人外の力で止められたりはしない」
それは、狂信者である巖鉄に対して向けられる宣誓のようでもあった。
巖鉄は目を伏せて何も言えなくなる。
己が人間であるのかそうでないのか、どうしてもハッキリと言葉にすることができなかった。




