『七不思議』
生徒会執行本部 会長室
君口兄斗は学園国家サイバイガルの学生主導の最高機関・『生徒会』の根城に赴いていた。
会長室は会長机の他に大きなソファが二つあり、それらが低い机を囲んでいる。
兄斗は頭を掻きながら気だるげに入り込んだ。
「……で? アーリーのオジサンは?」
兄斗は目を細めて睨むように会長机の方を向いた。
答えるのは、まさしく可憐と言うべき一人の少女だ。
「あの人はいないわ。私からも呼び出しているのだけれど……本ッ当に勝手な人! いつもいつも『研究中』だのなんだので呼び出しに応じないし、わけのわからないことをしてみんなを困らせるし……」
「……それはアンタもだろ」
「何か言ったかしら?」
「いえ。何も」
この少女こそがこの学園国家サイバイガルの生徒会会長・滑川瓢夏だ。
兄斗より二つほど上だが、顔はかなり幼い。
一方で態度は傲岸不遜。
彼女は兄斗が自分らに文句を言いに来たと理解していながら、まるで悪びれた様子を見せていない。
「……でも、あのオジサンを放置してるのはアンタの監督不行き届きじゃないのか?」
「何故?」
「いや、だってあの人生徒会の人間じゃん」
「それで?」
「いや……だから会長のアンタにも責任はあるじゃん?」
「何で?」
「えぇ……」
兄斗は呆れて何も言えなくなる。
「止めときな」
すると、ソファに座っていた一人のフードに仮面を付けた少年が会話に入ってくる。
仮面はデザインが無く真っ白で、まるでのっぺらぼうのような姿だ。
「会長は倫理観を持ってないんだ。アルフレッドさんほどじゃないが……まともに話し合えると思わない方が良いぜ」
兄斗は呆れて溜息を吐く。
「翔君……。あのさぁ、アルフレッド・アーリーは生徒会の企画広報だろうが! 僕はあの人に頼まれて自然公園で草刈りをした! すると化け物に襲われた! あんな化け物が現れる『現象』が起きるって、あのオッサンは知っていたはずだ! 僕はあのオッサンの実験体にされたんだよ! 同じ生徒会の人間なら知らない振りすんな!」
「翔君のこと悪く言わないで」
「!?」
殺気が向けられる。
視線だけで呪い殺すかのような、冷たい殺気だ。
「……いや、悪く言われてんの俺じゃなくお前だろ。会長」
「あら? そうだった? ならいいわ。許してあげる」
兄斗は冷や汗を垂らす。
目の前にいる少女は自分と違い何の能力も無いただの人間だ。
だというのに、底知れない『何か』があるように見えていた。
「……アンタはあのオッサンが『また』僕に面倒なこと仕掛けてきたって知ってたのか?」
「いいえ。知るはずないでしょう? まあ、貴方が無事でよかったじゃない。流石は狂信者。私達にも隠してきた力は、大層使えるみたいね」
「……」
兄斗は生徒会の人間と元々関わりがあった。
ただ、彼の『リフレクション』が公になったのは今年の四月。
生徒会の人間も兄斗が狂信者だとは知らなかったのだ。
「私は貴方の呪いには興味ないし、そもそも興味を持ってはいけない。だからちゃんとアルフレッドさんにはそれなりの処分をするつもりよ?」
「『興味を持ってはいけない』……ね」
「そう。それは代々生徒会が受け継いできた『生徒会会則』の序文。『カースには関わるな』。これは必ず守らなければならない方針であり、だからこそ私達は『カース』を存在ごと失くしたいと考えているのよ」
「……僕ら狂信者のことはどう考えてるの?」
彼女はニヤリと笑みを見せる。
「あらあら? 私達が何かいかがわしいことを考えているとでも思って?」
「…………」
兄斗は眉をひそめてさらに強く睨む。
「何にせよ気を付けろよ君口。俺は会長の味方だけど、お前もそれなりに気に入ってんだ」
「……たかだか一日生徒会の仕事を体験しただなのに、僕を気に入る理由ある? 翔君、言っておくけど僕は翔君がそう呼べと言ったから名前で呼んでるだけで、親しくなった覚えはないよ」
翔は仮面の奥でクククと笑う。
「寂しいこと言うなぁ。寂しい奴だよ、まったく」
「……もういいです。失礼します」
最後に敬語で回れ右をするのは、ちょっとした皮肉のつもりだ。
兄斗は会長室を出ようとする。
「お待ちください」
すると、その扉の横に立っていた老紳士が兄斗を呼び止めた。
老紳士は室内だというのに帽子を被っていて、左目には眼帯を付けている。
「……何ですか? 山本副会長」
「お嬢様は既に『決定』しています。貴方は――」
「山本っ!」
瓢夏が途中で遮る。
それを受けて老紳士・山本五郎は引き下がった。
「……申し訳ありません。お嬢様」
彼が何を言おうとしたのか兄斗にはわからなかったが、恐らくそれを自分が聞けば彼女にとって不利になることなのだろう。
ただ、兄斗はもう面倒になって退屈な目を向ける。
「……何を考えてるのか知らないけど、『無駄』だと思うよ? 君らはただの人間。僕は呪いを受けた人間。確かに僕らは危険な存在かもしれないけど……その度合いは君らの想像以上だ」
瓢夏は闇を孕んだ視線を兄斗の視線と合わせる。
二人とも、見えているものは噛み合っていなかった。
二人が見ていた景色は――。
「余計なことをして、厄介を被るのは君らだよ。だから精々――」
兄斗は扉を開けてもう室内から足を出す。
目線はもうどこか遠くだった。
「呪われないよう祈るんだね」
*
兄斗が出ていくと、瓢夏は背もたれにゆっくりと寄り掛かった。
「あーあ。何かもう気付かれちゃったんじゃない?」
「申し訳ありません」
翔は謝罪する山本を手で制す。
「いや、副会長の所為じゃないでしょう。そもそも俺は反対なんだ。『狂信者の撲滅』なんて」
「あらあら、そんな酷いことしないわよ? ただ単純に……彼らの弱みを生徒会が握ろうって話。ねぇ山本」
「はい。お嬢様」
山本は表情を変えない。
翔も仮面をしているために内面が外からわかりにくいが、瓢夏も瓢夏で張り付いたような笑みを続けている。
誰も心の内を兄斗の前では明らかにしなかった。
「可哀想だなぁ……狂信者のみんな」
「ねぇ翔君。ところで『狂信者』の由来は知ってるかしら? 何故彼らがそう呼ばれているのか」
「知らん」
「良い? 彼らはね……『呪いに救われた』のよ」
「? どういうことだ?」
「『呪い《カース》』……それは、人の想いの具現化……と言われているわ。ま、私は興味ないけど。彼らはもうその呪いから抜けられない。彼ら自身がそれを望んでいるから。要するに……彼らは彼らの呪いを狂信しているのよ。それが自分の力だと、それのおかげで自分は生きているのだと、あるいはそれを信じなければ前を見れないと…………そう信じている。自然発生によって『呪われた』なんて枢機院が言うのは、彼らの自尊心を守るため」
翔はそこまで聞いて伸びをした。
退屈に思っているのではなく、どちらかと言えば彼があまり認めたくない事実だからだ。
「……その根拠は?」
「生徒会は代々カースをそう捉えてきているの。この学園国家が誕生した頃からずっとね」
「根拠無いんじゃねぇか」
「けれど、信憑性はある。だから私達だけじゃなく枢機院も同じ呼び方をしているの。ま、学生の多くはたいして考えずそう呼んでいるんだろけど」
瓢夏はまるで兄斗たちを馬鹿にするように鼻を高く上げる。
「心の弱さが生んだ、歪んだ力……。そう思うと、やっぱりあんなもの、無い方が良いと思うでしょ? ねぇ、翔君?」
*
中央キャンパス 喫茶レストレード
バイオリンの演奏曲が流れている。
兄斗にはその曲のタイトルがわからないし、興味も無い。
ただ、不思議と思考が捗るような気がする曲だ。
店の雰囲気も中世チックで悪くない。
そんな場所に想い人である四葉と共にいられるのは、彼にとって幸運としか言えない。
「……ッ」
四葉がキョロキョロしている。
何故か周りを気にしているらしい。
「どうした?」
「べ、別に何も……」
顔が赤みがかっている。
自分の気持ちを知られているとは知らず、兄斗は上機嫌にコーヒーを飲む。
「いやぁ……花良木が暇みたいで良かった。夏休みのフィールドワーク、テーマは決まったの?」
「『休み』ですか……。夏季講義もあるにはあるんですけどね。それにフィールドワークという重要課題があるわけですし……。まあ、私はテーマも決まってないから苦しんでますよ」
「お。じゃあ一緒に共同研究する?」
「えうぇ!? い、いや……それは……その……遠慮します……」
四葉は兄斗のことを意識し過ぎて、何故か兄斗よりも緊張していた。
最早兄斗と四葉のどちらが片思いの状態か判別不可能だろう。
「そっか……ま、まあ冗談さ」
――嘘吐け……。
なまじ彼の気持ちを知っていると罪悪感で押し潰されそうになる。
そのため、本来四葉はあまり兄斗と二人きりになりたくなかった。
「そ、それで……何の用ですか? いきなり『明日空いてる?』なんて言ってきて」
「え……会いたかっただけなんだけど……」
「……」
「……」
二人して目を逸らしてしまった。
「……あ、あの、私大事な用があると思って来たんですけど……。『カース』に関して……」
「何で?」
「この間のことです。あの化け物と戦って……何か問題でも発生していたのかと」
「ああ、それなら無問題。アーリーのオジサンは問題だらけだけど。それとあの化け物だけど、どうやら一年に一回、あの日に限り姿を現すらしい。しかも高々数分だけで、これまで目撃情報も無かった『カース』なんだと。それをあのオッサン……生徒会企画応報アルフレッド・アーリーが、調査するために僕ら狂信者を利用したんだ」
「……何でそんなこと……許されるんですか?」
「許されないだろ。ま、あのオッサンはまたのらりくらりとやり過ごすんだろうけど」
四葉は目を伏せる。
兄斗が危険に晒されたことに、監視役として責任を感じているのだ。
兄斗はそれを察して話を変えようとする。
「……ところで花良木、『七不思議』ってあるじゃん?」
「はい? 何ですかそれ」
「いや、『七不思議』は『七不思議』だよ」
「……?」
「もしかして知らない?」
四葉はコクリと頷く。
つぶらな瞳で眉を細めていた。
「えっと…………マジ? 学校の七不思議とか知らない? そういう怪談話とかさ」
「……ごめんなさい。私ここに来る前は自宅で就業前教育を受ける日常を送っていただけでしたから。まあ、それが自国での義務教育なんですけども」
四葉の家庭の事情を鑑みて、兄斗はまたしても言い紛らすしかなくなってしまう。
「……あ、ああ、そう。えっと……怪談はわかるでしょ? どんな学校でも不思議な怪談話があったりなかったりするだろ? 日本じゃそういうのをまとめて学校の七不思議と呼んだり呼ばなかったりする」
「学校って……ここも?」
「ああそうさ。というか、僕がしたかった話はまさにそれ。『ワンダー・セブン』についてさ」
「…………?」
また四葉はわからないといった様子だ。
兄斗はようやく気付いた。
彼女の出身国が日本ではないということに。
「……花良木、お前の国って……」
「先輩と同じです。国籍は日本。出身は別」
「そうだったのか。英語は?」
「? わかりませんけど?」
兄斗の知る限り、今の日本では英語が義務教育ではない。
二〇三四年現在、世界の公用語は日本語であり、英語はあまり使われなくなっていた。
「成程。良いか? 『ワンダー』ってのは『不思議』って意味だ。だからお前らは訳して『七不思議』ってこと」
「……あ! そういえば……いや! 私だってそれくらいの単語は知ってますよ!? 知ってましたからね!?」
「そっかそっか。で、僕はどうしてお前らが『七不思議』と呼ばれてるのか気になってさ。花良木は知ってる?」
四葉は軽くあしらわれて少し口をへの字にする。
彼女の色々な反応が見られて、兄斗は既に今日という日に満足していた。
「うーん……知りません。今度学園長に聞いてみましょうか?」
「いやいや、今日一緒に聞きにいこうよ。学園長だってどうせ暇だろ?」
「えぇ……それはどうでしょう……」
「それじゃあ折角だしさ、他の『ワンダー・セブン』の人にも聞きにいこうよ。学園長に時間取れるか聞いても、会えるまで間が出来るなら……」
「どうせ学園長に聞くのに?」
「良いじゃん。……駄目かな?」
四葉にはわかっていた。
兄斗はただ自分との時間を過ごしたいだけだということを。
――うぐぅ……ずるい……。
――そんな直球で好意の視線を向けられて……断る方が無理……。
彼女はまだ自分のコーヒーには手を付けていなかった。
一方で兄斗は自分のコーヒーを飲み干す。
そんな姿を自ら比較して、四葉は言い知れぬ不安を抱き始めていた。




