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『飛んで火にいる夏の虫』②

ダグディブ自然公園


 奇妙な音がした。

 川のせせらぎでも、風のそよぐ音でもない。

 確かに生き物の鳴き声。

 一瞬機械音にも聞こえたが、チリチリと微かに呼吸と唾液を飛ばす音も含まれていた。

 ずっと耳にしていたら不快さで耳を塞ぎたくような、そんな高く裂くような音。


「……今何か……」


 四葉は音のした方に振り向いた。

 思わず目を疑った。



「ぎゅぎぎゅぎぎゅぎ」



 『何か』がいる。

 甲殻で身を包み、明らかに昆虫の顔面をしている『それ』は、木の後ろに二本足で立っていた。


「え……何……?」


 腕は四本。

 それだけでも四葉には不快なのだが、何よりその腕は人間のそれとはまるで違う気味の悪い形状をしていた。

 枝の如く細いその腕には毛が生えていて、ダウジングマシンの如く九十度に曲がっている。

 それを気味悪く感じるのは、まるで昆虫がそのまま人間サイズに大きくなったように見えるからだろう。

 足は腕と違って肉が付いているために太く、実にアンバランスだ。

 言ってしまえばそう…………『怪人』と言うべき化け物がそこにいた。


「…………ッ」


 突如として怪人は四葉に向かってきた。


「!?」


もう振り返って逃げるしかない。

 化け物を前にして普通の人間は本能的に生存を目指す。

 四葉は何も考えず走っていた。

 しかし――。


「いだっ……!」


 四葉は雑草に足を絡めとられて転んでしまった。

 怪人はすぐそこに来ている。

 不気味な顔面が向かってくる。

 四葉は必死に絡まった雑草を解こうとするが、間に合わない。



 ガンッ



「…………?」


 怪人に石が当てられた。

 怪人はどうやら感情を持っているようで、石を当てられて首を傾げている。


「花良木さん! 今です!」


 四葉はその声に言われる前にもう立ち上がっていた。

 彼女は声のした方向に向けて走り出す。

 進行方向にはツァリィがいた。


「何ですか!? アレ!」

「わ……わかりません!」


 共に走る。

 一瞬キョトンとしていた怪人は逃げる二人を見てまた追ってきている。


「誰かのカース……? それとも自然発生のカース……?」

「後者です! 私の知る限りあんなものを出す狂信者ファナティクスはいません!」


 四葉は判明している狂信者六人のカースを把握している。

 今自分達を追っている化け物は、間違いなくカースの影響で誕生した化け物だろう。

 ただ、大抵の自然発生するカースは既にワンダー・セブンに知られているはずだ。

 四葉が知らないということは、学園が知らない新しく発生したカースということになる。

 つまり、全く対処のしようが無いということだ。


「ぐ……!」


 突如ツァリィは立ち止まった。


「ツァリィさん!?」

「……わたくしたちに敵意を向けるのなら……その敵意を消しちまえばいい……!」


 ツァリィはフレミングの左手の如くに三本指を怪人に向けると、それを九十度曲げた。


操作オペレーション


 ちなみに今のモーションに意味は無い。

 台詞すら彼女が漫画のキャラみたく発しただけに過ぎない。

 しかし、彼女のカースは彼女の意志で発動する。

 …………はずだった。


「ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ」


 変わらず怪人は二人に向かってくる。


「え……」

「くっ」


 四葉はツァリィの腕を引っ張って再び走り出す。

 ツァリィは困惑しつつも逃げることに意識を戻した。


「何で……」

「恐らく『アレ』は『敵意』を持っていないんですよ。だからツァリィさんのカースが効かない。『敵意』ではなく『殺意』、あるいは……『破壊衝動』で向かってきてるのかも……」

「そんな……」


 怪人はなおも向かってきている。

 知能はそこまで無いように見えるので、撒くことは出来るかもしれない。

 二人は何も考えずただ走る。

 しかし――。



 シュンッ



「「!?」」


 まるで瞬間移動したかのように、突如高速で目の前に回り込んだ。

 二人は足を止めざるを得ない。


「そんな……」


 怪人は獲物を前に口元から涎を垂らしている。

 果たしてどのような目的で自分達を追っていたのか、想像せずにはいられない。

 怪人は、細腕を大きく振り上げる。



 ガンッ



 しかし、その腕は二人には当たらなかった。

 当たったのは六角形の結晶体。

 当然それは――。


「何してんだ? 僕に許可も取らずにさ」


 兄斗は息を切らして怪人の背後から現れた。


「先輩!」

「旦那様!」


 兄斗は怒りで眉間に皺を寄せていた。

 二人がどれだけ彼に熱い眼差しを向けているのか、残念ながら彼本人は気付かなかった。


「ぎぎぎ……?」

「何だ言葉が通じないのか? 知能の無い生物が人間様に逆らうなよ」

「ぎぎぎぎぎ……」


 兄斗は強く怪人を睨みつける。

 化け物を前にしても兄斗は全く動じていない。


「先輩! この化け物は一体……」

「わからない。ただ……これはちょっとどうかと思うな。あのオッサン……」


 兄斗は歯をギリギリと噛み締める。

 自分だけならともかく、四葉に危険が迫るのは許容できない。

 彼は今までになく頭に血が上っていた。


「旦那様! わたくしはどう致しましょう!?」

「逃げろ」

「えぇ!? そんな……」

「花良木、ここは僕に任せてくれ」


 四葉は化け物を相手に出来るような力など持っていない。

 当然兄斗が暴走した時に彼女がそれを力で防ぐことだってできない。

 彼女が兄斗の監視役に選ばれたのは、彼女の存在そのものが兄斗の抑止力になると考えられたからだ。

 それ以外に彼女の役目は何も無い。

 つまり、兄斗が今まさに力を使おうとしているのに、それを放っておくのは役目の放棄に他ならない。

 兄斗に任せて、彼が力を暴走させたりするかどうかはわからない。

 しかし、彼女の決断は意外なものだった。


「わかりました! 行きますよツァリィさん!」

「え!? 花良木さん!?」


 四葉はツァリィを連れて逃げていく。

 兄斗は怪人と目を合わせた。

 怪人も二人を追うそぶりは見せなかった。


「……追わないのか? それとも僕の方が美味しそうに見えたか?」

「ぎぎぎぎぎぎ」

「うるさいな。そら来いよ。『リフレクション』、反射してくれ」


 彼の声に応じてバリアは彼の下に向かう。

 そして、怪人もまた彼に向かっていく。



 カンカンカンカンカンカンカンカン



 怪人は四本の腕をまばらに振って兄斗に攻撃するが、全て彼のバリアによって防がれる。

 兄斗はただポケットに手を突っ込んで立つだけだ。

 しかし、これではただ守ることしかできない。

 兄斗は自ら攻撃を仕掛けようとする。


「どうした? そんなもんかっ!?」


 兄斗は自身のバリアを蹴って怪人にぶつけた。


「ぎぎぃっ!?」

「そらそらそらそら!」


 兄斗はバリアを壁打ちするように蹴って怪人にぶつけ、跳ね返ってきたところをまた蹴る。

 最早本来バリアで防ぐべき攻撃を、バリアの攻撃の所為で怪人は繰り出せなくなっていた。

 怪人は、兄斗に手も足も出なかったのだ。


「人の女に手ぇ出そうとした罰だ! 死ね! 激しく死ね!」

「ぎぎぎぎぎぎぎぎぎ!」

「ハハハハハハハハハ!」


     *


 兄斗たちから幾分か離れると、四葉に腕を握られて走らされていたツァリィは、彼女の腕を振り払って立ち止まる。


「!?」

「……何で逃げんだ?」


 ツァリィは四葉を睨みながらそう言った。

 彼女の口調の豹変に触れることはない。


「先輩にそうするように言われたじゃないですか」

「……うち……わたくしが貴方なら、それでも旦那様のところに残ろうとします」

「貴方は私じゃないです。そんなに先輩の邪魔をしたかったらどうぞ戻って下さい」

「……」


 四葉はツァリィの前では毅然としていた。

 もっとも、それが元々の四葉の性格ではある。

 ただ、彼女は確かにツァリィに対して対抗心のような物を燃やしていた。


「………………フッ。良いですね。そうこなくては。旦那様の邪魔をせずに引き下がるその姿勢、妻となるに相応しいものだと思います」

「はい?」

「……わたくしには確かに旦那様の横にいられるほどの能力は無い。そして貴方にはある。だというのに……貴方はそれがわかっていない。……たまんねぇほどムカつくな……」

「……意味がわかりません……」


 そう言いつつも、四葉は何となくツァリィの言いたいことがわかっていた。

 彼女は初めから、それも好きになったその瞬間から、兄斗のことを諦めていた。

 彼女は自分に自信が無かったのだ。

 そして、その点で言えば四葉はツァリィと何も変わらない。

 二人は互いを同族嫌悪する。

 どちらかが自信を取り戻すその時まで、恐らく二人が真の意味で理解し合うことはないだろう。


     *


 攻勢優位の兄斗は退屈な目で怪人を見つめた。

 最早怪人は虫の息。

 倒れ込んだ怪人の上に、兄斗は一切油断せずバリアを浮かべていた。


「君口!」

「ん? 上柴か」


 上柴とジェイソン、レイは遅ればせながらやって来た。


「……な、何ですかこの化け物……」

「さあ? 生徒会の実験動物かな?」

「え!? 生徒会ってそんなこともするんですか!?」

「いやわかんない」


 確かに倒したは良いものの、怪人の正体はわからないままだ。


「ぎぎぎぎぎぎぎぎぎ!」

「うおっ! まだ立てんのか!?」



 バシュンッ



 輪ゴムのような形の光の物体が、立とうとした怪人を沈める。

 もう怪人は完全に意識を失くしてしまった。


「今の……」

「何ぃ―? お兄ちゃん倒しきれてないじゃーん。だっさー」


 レイはプププと笑っている。

 彼女がやったということだ。


「何だ今の?」

「内緒ー」


 レイは人差し指で口を塞ぐ仕草をする。


「レイのカースです。今のを当てられたらそれだけでその当たった『部位』は機能を停止します」

「うおっ!? マジ!? 怖っ!」


 上柴は思わず後退った。

 先程の光は彼のすぐ横を通り過ぎていった。

 もし自分に当たっていたらと思わざるを得ない。


「もー何で言っちゃうの? ジェイ君ホント空気読めない。本ばっか読んでっから」

「関係ないだろ! まったく……」


 呆れるジェイソンを他所に、兄斗はレイのカースに少しだけ興味を寄せていた。


 ――機能の停止……恐ろしい力だな。

 ――でもやっぱり……。


 その一方で、上柴は意識を失くした怪人に近寄る。


「するってぇと……さっきはコイツの『頭』の機能を停止したのか?」

「あれー? お兄ちゃん頭良いんじゃなかったけぇ? わかんないのぉ? ホントは頭良くないのぉ?」

「……ジェイソン、教えてくれ」

「はい! さっき言った『部位』は、レイ自身が細かい対象を決めるんです。多分さっきは大脳の機能を停止させたんじゃないかな?」

「はいざんねーん」


 レイはチッチッチッと指を振る。


「答えは『頭』で正解でしたー。そんな細かい設定するの、面倒だから基本やらないもん。ジェイ君は駄目駄目だぁ」

「このガキ……!」


 ジェイソンはわなわなと握った拳を震わせる。

 上柴は温かく二人の子どもを見守ることにした。



 シュゥゥゥゥゥゥ



「!? 何だ!?」


 突然、兄斗の目の前にあった怪人が蒸発を始める。


「私何もやってないよー?」

「わかってるよ。君口さん、これは……」


 兄斗は消えていく怪人を見つめながら息を吐いた。


「……制限時間か何かか?」


 答えはわからない。

 ただ、確かに目の前にあった筈の怪人は消えてなくなった。

 その目的が何だったのか、何故この場所にいたのか、最早知りようがない。


「上柴、どう思う?」

「……超常現象の類は苦手だ。けど……」


 彼は合理的に物事を考えようとしすぎるきらいがあったが、最近はもう少し頭を柔らかくするように努めている。

 友人の兄斗が超常現象を操る以上、そうなるのも仕方がない。


「……これもカースの一例なら……ここで『何か』があったと見るべきだろ。原因は、時間帯などの条件か……それともコイツを呼び寄せる存在が俺らの中にいたのか……あるいはその両方か……」

「あり得る」

「それか……原因なんて何も無いか」


 上柴は眉間に皺を寄せた。

 その言葉を聞いてジェイソンは首を傾げる。


「何も無かったら『呪い』は生まれないんじゃないですか?」

「さあ……俺にはわからない。わからないものが発生する原因を決めつける気にはなれない。どんな研究でも、仮説を立てるのは『わからない』ものに対してだけだ。何事も『わからない』からスタートする。まずは自分の無知を忘れないことが大事だな」

「お、おお……! 流石上柴さん! 尊敬します!」

「え? あ、ありがとう」


 実はジェイソンは、自分より前に六年になっていた上柴などの学生を大変に尊敬していた。

 この年で謙虚さも向上心も底無しにあるところが、彼の天才児たる所以だ。

 レイはそんな彼に対して微笑みを向けつつ、兄斗の傍に寄った。


「……ねぇバリアのお兄ちゃん」

「何だ?」

「これ、誰の差し金?」

「……!? あ、ああ……それは……」


 ――こっちのガキンチョも天才児か……ったく、自信無くすなぁ。


 兄斗は知らないが、レイはジェイソンの最年少入学の記録を塗り替えた天才少女だ。

 彼女は初めからジェイソンと同様に彼のことを意識していて、問題を起こすと彼に叱られることが多く、意外にも素直に従っていた。

 それ故に彼女にはジェイソンが監視役として付くことになったのだ。

 彼女は頗る賢く、普段は悪戯好きだが、カースをむやみやたらに使わないし洞察力もある。

 ジェイソン以上に冷静な彼女は、もう今回の事件の裏に勘付いていた。


「生徒会の仕業?」

「!? それは……無いと思う。だって連中は狂信者ファナティクスじゃないし。間違いなく今の怪人は、自然発生で起きたカースだよ」

「でも、ここでその『現象』が起きることを知っていたら?」

「なっ!?」

「あの化け物と私たちのどっちが強ーいのか、力試ししたかったとかだったり! ……なんて。流石に無いかー」

「……いや、あり得る」

「ふぇ?」


 兄斗は知っていた。

 それくらいのことをする人間が、確かに生徒会に存在しているということを。


     *


暗い部屋


 部屋の明かりは、相変わらず兄斗たちの映った画面だけ。

 その明かりを頼りに、アルフレッド・アーリーは書記を取っていた。


「ふむ……ツァリィ・メリックに報告以上の力は無い。君口兄斗は感情が高ぶっても力を制御できている。レイチェル・A・サイバイガルは……こちらの意図に気付いたのか、あまり力を使わなかったな」


 彼の書記の隣には、先程まで描いていた絵があった。

 それは先刻兄斗が戦っていた怪人。

 触覚が付け加えられ、臀部は白く描いてある。

 その白い臀部は発光部分を表すためのもの。

 アルフレッドは怪人を人ではなく虫、それも蛍のように書き直したのだ。


「……蛍の成り損ないの怪虫。車胤になれなかった『彼』を表しているのか? フフ……面白い。確かに彼の死した日時にしか出現しなかった。去年と今年の二回の観測しかないが……十分だ。もうこの『現象』はだいぶ理解できた」


 アルフレッドは愉しそうに紅茶を飲む。

 画面の奥では兄斗たちが四葉と合流している。

 彼女は兄斗の無事に安堵を見せていたが、アルフレッドはそんなことに関心を持っていない。


「ああ……まだ物理的な証明は何もできていないというのに、私は根本的に理系ではないのだろうな。論理的な一定の『物語』を解明できれば……それで満足してしまう。だが、別に私に限った話じゃないだろう? 呪いの原因を『彼』に結び付けただけで満足する者は多いはずだ。だが、私は限界までその『物語』を追い求める。彼のどういった想いが呪いに変わったのか……まだまだ調べる価値はある。カースは素晴らしい。私の知的欲求をこうも刺激する。『蛍もどきの化け物』も、『影の世界の住人』も、『ナルキッソスの鏡』も、みな、みな、私の尊い研究対象だ、そして『狂信者ファナティクス』……君達もだ」


 アルフレッド・アーリーは、嫌われている。

 その理由は…………もう言わなくてもわかるだろう。


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