『飛んで火にいる夏の虫』
ダグディブ自然公園
兄斗と四葉、それに上柴は、東キャンパスに存在する広大なダグディブ自然公園に足を運んでいた。
時節は夏。通常授業は一度休止し、夏季フィールドワーク期間が始まっていた。
「こんなところに来て何をするつもりですか? 悪事?」
「違うよ。というかもしそうだったら花良木はどうするの?」
「枢機院からは力尽くで止めるように頼まれています。私の身体能力を見込まれているのかもしれません。こう見えて、私結構鍛えてるんですよ?」
四葉はフフンと肘を曲げ、服の上からだが力こぶを見せるかのような仕草を取る。
兄斗は一瞬袖の隙間から彼女の肌が見えそうになって目を逸らす。
「そ、そう。まあそうならないから安心しなよ。僕はただバイトに来ただけ。雑草を刈るバイト」
「? そうなんですか? 上柴さんも?」
上柴はコクリと頷いた。
「ま、バイトっつーか半分ボランティアだな。俺は君口に協力することで君口からの借りを返す」
「『借り』? 何ですかそれ」
「財布忘れた時の飯代」
「成程。上柴さんも意外と抜けたところあるんですね」
四葉は、上柴のことを頭の良さから何をするにも優秀な人間なのだと考えていた。
未だに彼がどういった内面を持つ人間なのか全く把握していない。
「コイツは案外お茶目なんだ。だから人気もあるしモテる。ちなみに僕は隣にいるだけで自分も優越感を抱けるから友達やってる」
「お前の嘘は下手糞な上につまんねぇよな」
「嘘は苦手なんだ。冗談も。だから僕はモテない」
「俺が嘘吐きみてぇに言うな!」
四葉は二人の会話からその仲の良さに気付いた。
どこか自分が置いてけぼりにされているような感覚を抱く。
「……私は冗談の言えない先輩も、十分人気があると思いますよ?」
「え? だ、誰に? 誰に?」
四葉は彼の背後を指差す。
それを受けて兄斗はバッと振り向く。
「旦那様! ああ……こんなところでお会いするなんて、奇遇ですねぇ!」
「ツァリィ……!?」
金髪の美少女がそこにいた。
「ああ、球技大会の時の」
上柴はまだ彼女が何者なのかよく知らない。
そもそも兄斗にすら彼女が何学部の人間なのか、何年生なのか、情報は入っていなかった。
「何故貴方がここに?」
以前までとは違い、四葉は若干彼女の態度に眉をひそめていた。
「花良木さんまで! それにそちらは……………………」
「ん? 電源切れたか?」
上柴は覚えられていなくてもそこまで気にしていない。
「……ヤベェ……思い出せねぇ……」
「ちょいちょい。口調が乱暴になってるぜ」
「……そう! わたくしはしぶとく生繁って人の邪魔をする草葉を処理にしに来たのです!」
「俺達と同じだな」
話を逸らされても相槌を打つ余裕がある。
兄斗は彼の器量を心中で称えつつ、ツァリィに呆れた視線を送る。
「何でお前も? そんなに広いのか、この川辺は」
「ええ、流石の理解力です旦那様。明日に控えた『蛍祭り』の開催場所はここなのです。だから私たちは駆り出されたというわけです」
「その『旦那様』という呼び方は何なんですか?」
四葉は今更な質問をする。
それもこれも彼女が兄斗のことを意識し始めたから。
明らかに不快そうな四葉の視線に、ツァリィはもう気付いていた。
「旦那様はこの世界を統一すべき太陽のような存在なのです。この世界の父を前に一女性のわたくしが『旦那様』という呼び方以外に何とお呼びすればよろしいでしょうか? 『神様』? 『仏様』? いいえ違います! わたくしたちを幸福にするのは『人』である『旦那様』に他ならないのです! 『王』などという形式に縛られた呼び方はいらない。『父』と呼ぶのは彼の御孫の役目。かしずくべき我々一女性は、『旦那様』とお呼びするのが最も相応しいのです!」
「……つえぇな。この女」
上柴は何故か敗北した気分を味わった。
四葉は全く彼女の言葉を理解できていない。
「……先輩、この人実は先輩の許嫁だったり?」
「だから違うって! 他人だよ他人! 何なんだコイツ? 僕はいつの間に新興宗教を立ち上げたんだ!?」
「……お付き合いしてない割に、随分と妄執してますね。ツァリィ・メリックさん」
四葉は睨みを利かせる。
もちろん彼女はまだ、自分が兄斗を好きになるような資格を持っていないと考えてしまっている。
だが、単純に彼女は兄斗に鬱陶しく思われていそうだったので牽制したくなったのだ。
「あら? 花良木さん、もしかして貴方……」
「何ですか?」
二人は何も言わず目を合わせる。
兄斗と上柴はもうツァリィを置いてサッサと現場に向かおうとしている。
丁度聞こえない距離に離れただろうという段階で、ツァリィは小声で口を開いた。
「……良いことです。わたくしは旦那様のお気持ちを優先しますので」
「……」
「でもお気を付けください。旦那様の気持ちが変わる様なら……その隙を逃しはしません。わたくしは、貴方の味方ではありませんので」
「……何の話かわかりませんね」
兄斗の気持ちを知ってて黙っている四葉を見て、ツァリィは一体どう感じたのか。
四葉はそう考えるだけで胸が苦しくなった。
「……ハッ! 煮え切らねぇ女が……。あ、待って下さい旦那様ー」
ツァリィはまたすぐ丁寧な口調に戻して兄斗の後ろを追う。
一瞬彼女が本気で自分を見下しているように見え、四葉は目を伏せてしまう。
だが、それでも彼女は同じように兄斗の後ろを追っていた。
*
草刈りは単調だった。
足の長さ程に伸びている雑草を切り、人が不快に思わないようにするだけの仕事。
監督する人間もおらず、彼らは自由気ままに川辺の近くを行き来する。
四人は散り散りになっていたが、ふと上柴は疑問に思ったことを兄斗に尋ねに向かった。
「なあ、今思ったんだが……」
「何?」
「蛍ってこの八月に出るのか? 日中とはいえ出るなら少しは見かけてると思うんだが……全く見かけないし。普通もうちょっと前の時期だよな?」
「そうなの? よくわかんないけど、生物研が育ててるって聞いたし、時期は祭りに合わせてるんじゃない?」
「あー、成程。じゃあお前はその生物研に頼まれたってことか?」
「いや、違うよ」
「ん? 何でだよ。蛍の観賞会は生物研が主導だろ? 連中に頼まれたんじゃないのか?」
このダグディブ自然公園は生物研究会の管理する場所だ。
祭りはこの自然公園で行われるのだが、蛍は当日の夜に養育施設から解き放たれる。
祭りの運営の一部でしかない生物研は、基本的に場所の提供と蛍の準備しかせず、加えて自然公園を弄るような真似は率先して行わない。
結論を言うと、蛍の観賞が行われるこの川辺の雑草処理は、また別の運営が生物研に黙って執り行う以外ないのだ。
「生徒会さ」
「……お前、まだ連中と関わってたのか」
「関わってないよ。生物研の中に蛍を楽しみにしている人がいるんだ。その人が生徒会を通じて間接的に雑草処理を頼んだって話」
「回りくどいなおい。もしかして、生物研的には勝手に自然公園の中の雑草刈るのNGだったりしないよな?」
「NGじゃなきゃ回りくどい真似しないよ」
「……生物研に見つかる前に終わらせよう」
そう言って上柴は作業に戻る。
「聞ーいちゃった。聞いちゃった」
すると、二人の傍に突如として小さな少女が現れる。
「ん? 子ども?」
「ははははん! 聞いちゃったもんねー、エヘヘへへ。生物研の人に言っちゃおー」
クルクルとした茶髪の髪に、子ども用の学生服。
背丈は兄斗の足の長さ程。
見上げてぶつける視線には、純粋さというよりは何かを孕んでいるような艶が見えた。
「ま、待ってよ。それ言われると僕困っちゃうからさ」
「困らせたいのですがー?」
「何で……?」
少女はニヤニヤと笑みを見せている。
すると、背後からもう一人子どもが現れる。
「こらレイ。先輩を困らせるな」
そちらの少年は、兄斗も一度会ったことがある人物。
「ジェイソン?」
「はい! 僕です!」
ジェイソンはニッコリと笑みを見せる。
上柴も彼を見て頷いた。
「ああ、最年少で六年に上がった天才児君か。こりゃ珍しい」
「か、かかか上柴さん!? どうしてここに……いや、確か君口さんと球技大会でも一緒だったな……。そっか! ご学友なんですね!」
「違うよ」
「えぇ!? そ、そんな……やっぱり僕は……勉強しか取り柄が無いチビ……」
項垂れ始めるジェイソンを見て、上柴は兄斗を窘める。
「だからお前は嘘が下手なんだよ」
「嘘じゃないさ。僕ら一緒に何かを『学んだ』ことある? 学年も違うし、授業も被らないし、『学友』って言い方は違うじゃん?」
「『広域解析』は一緒だったろうが」
「あ」
「はいお前の負け」
兄斗はスンとしてジェイソンの方を向く。
「ごめんねジェイソン。……って、泣くことないだろ!?」
「いや……すみません。僕、頭しか取り柄がないんです。そうですよね……僕の予想間違ってませんよね?」
「間違ってない。間違ってない。悪かったよ」
言葉の割に兄斗はそこまで慌てていない。
ただ、とにかくこのジェイソンという少年は子どもながらに大きな劣等感を持っているのだと理解した。
今後は気を付ける必要がある。
「キャハッ! 受けるー。ジェイ君泣いてやんの。そらパシャリ」
そう言いながら『レイ』と呼ばれた少女はスマホで写真を連射撮りする。
「ちょ、や、止めろよ! レイ! 君って奴は……!」
「かーわいいー。はい、バババババ」
彼女の声の通りに連射音が響く。
ジェイソンは慌てふためくだけで防げなかった。
*
ジェイソンは落ち着くと二人にレイのことを紹介し始めた。
「……で、こちらは僕が監視してる狂信者のレイです。ムカつく奴ですけど、カースで悪さはしないと思います」
「えー? そう言われたらしたくなっちゃう。悪さしよっかなー? ジェイ君困らせちゃおっかなー」
「コイツ……!」
ジェイソンは拳を震わせつつ、兄斗の方に向き直す。
「……ところで君口さんはここで何を?」
「うん? ああ……じゃあ内緒で」
「生物研に黙って雑草刈りしてるんだよねー?」
「く……ッ!」
レイは完璧に先程の会話を記憶していた。
十歳にも見えないような少女だが、恐るべき記憶力だ。
「ああ、じゃあ僕らと同じですね」
「へ?」
「僕らも生徒会の人に頼まれて来たんです」
「な……!」
兄斗はレイに視線をぶつける。
彼女はしてやったりといった表情だ。
「……妙じゃないか?」
そう言ったのは上柴だ。
三人とも訝しげに彼を見る。
「確かに雑草は多いが……こんなに人がいるとは思えない。それに、どうして狂信者ばかりに頼むんだ? ホントに生徒会は仲介でお前らに頼んだのか?」
兄斗はまた上柴の考えすぎかと思い否定から入ろうとする。
「上柴、あのなぁ――」
「仲介? 何のことですか?」
ジェイソンは兄斗の否定を遮った。
「何のことって……お前らは生徒会からの仲介で生物研のある人物から頼まれたんだろ? ……違うのか?」
「はい。ねぇレイ」
レイはニヤニヤしながら頷いた。
「ありゃりゃ? おかしいねぇ。生物研の人が生物研のみんなにバレたくないから生徒会に仲介を頼んだはずなのにねぇ? これは一体何故だぁ? わかりますかぁ? お兄さん」
レイはどこか煽るように聞くが、上柴は冷静に考えた。
「……雑草刈りを頼んだのは生徒会の意志? 直接頼んでも兄斗が断るかもしれないから……嘘を吐いた?」
兄斗はそれを聞いてハッとした。
「な……アイツら……! 僕の善意を利用したな! 僕が頗る良い奴だからって……なんて酷いんだ! 純粋な僕を騙すとは!」
「君口さん……ホントに嘘が下手なんですね」
兄斗はそれらしく騙された演技をしてみせた。
ただ、もちろん騙されたのは本当だ。
演技の演技をするのは意に介していないからだが、一方上柴は若干苛立ちを見せる。
「……嫌な予感がする。ここはあまり良い場所じゃないのかもしれない。なあジェイソン、二人は生徒会の誰に頼まれてここに来たんだ?」
「えっと……普通に祭りの責任者でもあるアルフレッド・アーリーさんですけど……」
上柴は目を閉じ、大きく溜息を吐いた。
「溜息吐くと幸せ逃げるよー?」
「……あのオッサンか……」
上柴はその人物のことを思い出し、兄斗の方を向く。
「帰ろうぜ君口。だから生徒会には関わらない方が良いって言ったんだ」
「まあまあ。まだ何か起きたわけでもないし、心配ないよ」
「……花良木たちは大丈夫かな?」
「!?」
兄斗はそこで初めて危機感を覚える。
彼は自分と自分の周囲の人間のことは何かあってもすぐ『リフレクション』で守れるつもりでいるが、自分の近くにいない人間は別だ。
彼はもう走り出した。
「え? ど、どうしたんですか君口さん。というか……何か起きるんですか? え? もしかしてわかってない僕はおかしい? 僕は無能ってことですか……? まさか……僕の頭が付いていけていないだけ……?」
「いや、頭の良し悪しじゃなくて知識の問題だな。『生徒会には関わるな』。これ、サイバイガルの金言」
それを聞いてジェイソンはそっと胸を撫で下ろす。
レイは彼が安堵するさまを見て少しだけガッカリした様子だ。
「どうしてですかー? 生徒会って良い人じゃないのー?」
「『組織』はな。問題は……個々にある。特に重役は面倒だ。二人も球技大会での連中の出来レース見たろ?」
上柴は本選で野球部に成す術無く敗北した生徒会の予選成績を思い出す。
サイバイガル・タイムズを発刊している『情報屋』の予想では、もっぱら生徒会が八百長で予選を勝ち上がったと言われている。
「え? でもアレって情報屋の連中の憶測だって聞きましたけど?」
「ああ、それは生徒会が流した情報だな。それに関しては裏も取れてる」
「えぇ!? 生徒会って情報操作するんですか!?」
「……稀によくある」
ジェイソンはこの学園に来て六年目だ。
今まで生徒会とは関わらない生活をしていたが、今初めてその正体の片鱗に触れた。
タイムズではたびたびまるで悪の枢軸であるかのように記載されていたが、それは単に情報屋と仲が悪いからだと考えていた。
どうやらそれだけではなかったらしい。
「……じゃ、じゃあ……その生徒会の人が一体どうして僕らに嘘を?」
「……さあな。けど、碌なことは考えないだろうよ。君口も前に結構……いや、随分酷い目に遭わされてる」
上柴は既に走り去った兄斗の方を見つめていた。
兄斗は上柴と違ってもう気にしていない様子だったが、一度起きた事実は無くならない。
兄斗自身も『生徒会』の重役がどういった人員で構成されているかよく知っていた。
ただ、彼が願うのは四葉の安否のみ。
彼女さえ無事ならば、そう考えて彼は彼女の下に向かうだけだった。
*
暗い部屋
アルフレッド・アーリーは、嫌われている。
自身が所属する生徒会からも、籍を置く生物研究会からも、嫌われている。
友人もいなければ恋人もいない。
嫌われているし、避けられている。
それでも彼は愉しそうに笑みを浮かべて一つの画面を見つめていた。
真っ暗で画面の光しかない部屋で。
彼はある映像を見ていた。
それは、ダグディブ自然公園に彼が自ら仕掛けたカメラが捉える映像だ。
「ふむ……時間にして午後一時……。そろそろだろう」
愉しそうに、愉しそうに時間を確認する。
もうすぐ『それ』は現れる。
その時『彼ら』はどうするだろう。
そんなことを考えると、彼はとても愉しくなるのだ。
「君口兄斗……ツァリィ・メリック……それにレイチェル・A・サイバイガル。君らは『アレ』にどう対応するだろうか。それとも対応できずに死ぬか? それも良い。面白い。私に『現象』を見せてくれ。必ず私が解読する。この国に巣食う『呪い』の正体は……この私の手で解き明かしてみせよう」
愉しそうに、愉しそうに子どもの命を危険に晒す。
どうでもいいと思っているからではなく、強く関心を持っているからだ。
だからこそ『狂信者』の生態を詳しく知りたいのだ。
だからこそむしろ彼らが死ぬところは自らの力でその目に入れておきたいのだ。
「私にとっての『蛍雪』は……今まさに目の前にいる、君ら自身だ」




