『平均点』③
翌日 五号館
兄斗と四葉は追試を終えて教室から出た。
「どうだった?」
すると、何故か目の前に本試験で既に合格したはずの上柴がいた。
「あれ? 何でいんの?」
「ま、ちょっとな」
「えー。もしかして狙ってます? 私のこと」
四葉は冗談っぽく言うのだが、ビクリと動くのは兄斗だ。
恐ろしく速い反応を見せる兄斗に、四葉自身が一瞬怯えてしまう。
一方の上柴は受け流すことすらしない。
「それで? どうだった?」
「ああ、もちろん完璧さ。いや、ホントに。ね? 花良木」
「はい! まず間違いなく単位は私たちの手中に収まることでしょう!」
「それもこれも一緒に勉強したおかげだな」
「え、ええ。そ、そうですね」
嬉しそうな兄斗と照れている四葉を見て上柴は次の質問をする。
「他の連中はどうだったと思う?」
「は?」
兄斗が四葉以外を見ているはずがない。
当然のように彼は四葉の返事を待った。
「さあどうでしょう。私も先輩も、そこまで他人のことは見ていないので……」
「そこまでお似合いとは……」
「おにっ!? い、いや……でも、多分大体は受かってるんじゃないですかね。来てない人以外は」
「『来てない人』?」
「掲示板に書いてあった人数よりは少なかったんですよ。だから、多分……単位を諦めたとかじゃないかなぁって思います」
「……成程」
上柴は納得するようにして息を吐いた。
「じゃ、飯でも行くか」
「いや、俺ぁいい。若い二人でどうぞごゆっくり」
「お前も同い年だろ」
ハハハと笑いながら上柴は去っていった。
彼が向かう先は、同じ五号館にある事務室。
当然その目的は王神明教授に話をすることだ。
*
事務室に向かったものの、教授はそこにいなかった。
仕方なく上柴は彼の研究室へと足を運ぶ。
本来アポイントメント無しで会いにいくのは迷惑極まりないが、上柴は遠慮していなかった。
手には何かの資料を数枚持ち、ノックを数回して了解を得る。
「どうもです。王神明教授」
「お前か……。突然何の用だ?」
六年は数が少なく、このサイバイガルで知れ渡っている。
兄斗もそうだが、上柴もかなりの有名人だ。
「単刀直入に聞きます。学籍番号43170008という人物は……一体誰ですか?」
「……!?」
王神明はわかりやすく目を見開いた。
上柴は手に持った資料を見ながら淡々と進める。
「試験の際には学籍番号ごとに席が割り当てられる。ただ……妙だと思ったのは、あまりに他の学生とこの人物は番号に差異がありすぎるということ。上四桁が『4』からなるのは、今より十年以上前に入学した学生になる。まあそれだけなら別に他の授業でも何人かいるだろう。ただ、教授の試験で十年来の生徒はこの人物だけだった。不審に感じた俺は、『去年の試験』を調べることにした。ここにあるのは、直近五年間分の試験における座席表だ」
上柴はスッと五枚分の資料を王神明に見せる。
彼は何も言わない。
「……学籍番号43170008は、毎年のように貴方の試験を受けている。毎年だ。そして、さっき追試会場の教室扉に貼られた座席表を見てきました。学生番号43170008……面倒なので学生Xと呼びますが、Xは確かに追試を受けるはずだった。しかし……教室に姿は現さなかった。『単位を取るのを諦めた』から? いや違う。だったら毎年貴方の授業を受ける理由は無い。毎年貴方の授業を受け、本試験に望み、追試は受けない。そんな意味不明な行動に理由があるとしたらそれは……もうこう考えるのが自然でしょう」
上柴は笑みを見せない。
推理ショーでもするかのような振る舞いだが、彼自身は楽しんではいなかった。
「……学生Xの目的は、本試験で毎年零点を取ることだ。そうして試験の平均点を下げている」
実に下らない推論。
上柴は眉間に皺を寄せていた。
王神明は黙って彼の話を聞き続ける。追い払おうとすらしない。
「もちろんそんなことをしても意味は無い。だから教授に聞きたいんです。貴方は……この学生のことをどれくらい知っていますか?」
王神明は深く息を吐いた。
少し頭を掻くと、真っ直ぐに上柴を見つめる。
「……流石だな。私の怠慢も隠し切れないか……」
「怠慢?」
「……ハッキリ言おう。私はその学生のことを何も知らない」
「……何も?」
「そもそも問題視もしていなかった。今回は……少し考え事だが」
上柴はすぐに彼の言いたいことを理解する。
「……貴方の講義を受けている人数は約三十人だった。一人零点を取れば全体の平均点は二点くらい下がるでしょう。もしかして……」
「ああ。今回の試験、零点の解答用紙は五つ以上あった」
「……学生Xと同じことをしている生徒が複数いると?」
「しかし理由がわからない。私もそれで得をするわけではない。彼らが無駄に損をしているだけだ」
「……教授。果たしてその学生は本当に実在しているんですか?」
「……実際に試験の際に目撃されている。学生証もな。だが……それだけとも言える」
「それだけ?」
「その他一切のことはわからない。私の試験以外の場で確認もしていない。学園のデータには確かに存在しているが……私はそれ以上の、『データの正確性』などは詳しく調べていない。理由はただの怠慢だ。私自身に損が無いのだから、調べる気にもなれなかった」
上柴はフゥと息を吐いた。
「……そうっすか。まあいいですよ。それで十分。俺の聞きたいことはもう聞けました」
「……私に責を問わないのか?」
「何の? 別にいいじゃないすか、放置したままでも」
「では……お前は何の為にその話をしに来た?」
目の前の机の上に資料を雑に捨て置くと、ずっと仏頂面だった上柴は笑みを見せた。
「俺はただ、理解できないことを理解したいだけっすよ」
*
その後、上柴は一人追試が行われた教室にやって来た。
次の講義が無い為か、中には誰一人として存在しない。
トン
「!?」
肩を叩かれて勢いよく振り向く。
「君口か……」
「何だよ。ビビりすぎだろ」
「……そーだな」
兄斗は彼の様子がいつもと少し違うことに気付いた。
「どうしたんだ? というか何してんの?」
「……お前こそ、飯行ったんじゃねぇのかよ」
「……断られた。用事があるとかで」
「そりゃ仕方ないな。……いや、じゃあ一人で行くだろ普通」
兄斗は手に持ったレジ袋を見せる。
中には弁当が入っていた。
「だからここに来た。今日の僕の昼食はここでする」
「何でだよ」
「? いつも食堂じゃつまらないだろ?」
相変わらずの刹那主義的な考えだった。
上柴はそんないつも通りの彼にどこか安堵し、呆れつつも笑みを浮かべた。
「意味わかんねぇ」
「わからないから面白い。で? お前は何?」
「……どうも、追試をサボった奴らが平均点を下げた犯人らしい。何でそんなことをするのかはわからねぇが」
「またその話か。どうしてそこまで気にするんだ? 別にどうでもよくないか? 全部他人のことだしさぁ」
兄斗はヘラヘラしながら教室内に入る。
上柴は先程とは逆方向に振り向く。
「……いや、他人事じゃないんだ」
「?」
上柴は目を細めながら呟くように話す。
「ここは学園国家サイバイガル。世界各国から『卒業』っていう名誉な称号を得るために何人もが集まる。そして……何人もが挫折してこの国を離れる。俺は今年か来年卒業できなきゃ帰国さ。そしたら……俺を期待してくれた祖国の連中はどうなる? 俺だけじゃない。みんながこの学園を卒業するためだけに一体どれほどの労力を強いているのか……考えることすら億劫だ。みんなが本気なんだ。たとえ授業外でふざけていても、お前みたいに軽口叩こうとも、根っこのとこは真面目に単位を取りにいってるんだ」
上柴が苛立ちを見せていることにはすぐに気付いた。
兄斗は溜息を小さく吐く。
「僕はそんなに真面目じゃないよ。マジで。僕だって適当に暮らしてる。授業料免除を利用してさ」
上柴は首を横に振って否定する。
「お前は違うだろ。お前はむしろここに居ざるを得なくなったんだ。わざと毎年零点を取って、進級せずに授業料だけ払って、下がった平均を基準にするから実力以上の評価を受ける羽目になる他の学生は、奴らに足を引っ張られてるも同然。奴らは明確に他者を欺き、自身に期待を寄せてくれた人間を裏切っているんだ」
「……真面目な奴だな、ホントに。……こんなことお前の前で言いたくないが、実はこの学園に入学することは中流以上の階級の人間には難しくない。ここに居続けられる金があるなら、そういった無駄なことをして遊ぶ人間もいるのかもしれない」
「……俺はそれが許せねぇんだよ」
兄斗は重苦しくなってきた空気を変えたくなった。
「……ま! そんなことよりさ! そろそろ僕にご飯食べさせてよ! 腹減って死んじゃうよ、お前の話を立ち聞きし続けてたらさぁ」
「……そうだな。悪か…………っ!?」
上柴は目を見開いた。
兄斗の背後に、確かに一人の少女がいた。
先程までは誰もいなかったはずのこの教室に、いるはずのない少女がいる。
「ん? 今度はどうした?」
少女は笑っている。
自分達と同じ学生服を着た少女。
前髪が長すぎて目元は見えないが、口元は裂けんばかりに笑っている。
確かに兄斗の背後からこちらを見て、笑っているのだ。
「…………!?」
消えた。
声を掛けようと考える暇すらなかった。
「上柴?」
「……待てよ」
彼はこの学園に来るまで、基本的に非科学的なことを信じていなかった。
だから、発想を持ちえなかったのだ。
「……これは……『現象』なのか……? あの学籍番号の人間は……本当に存在するのか……? ただ姿を見せているだけで……ただ情報をデータに入れているだけで……本当はそんな人間……どこにもいないんじゃ……」
その時、突然兄斗の右目からバリアが飛び出した。
バリアは回転しながら二人の周囲を動き回って、また兄斗の右目に戻る。
上柴は思わず後退った。
「な、何だ!?」
「ん? ああ……何かあったんだな。たまに勝手に出るんだ。アレだな。近くにいる霊とかを弾いてるんだろうな」
「……霊……」
「はは。もしかしたら僕のことを呪おうとしたのかな? 既に呪われてるってのにさ」
「…………」
兄斗は何事も無かったかのように適当な椅子に座る。
それに続いて上柴も通路を挟んだ隣の席に座った。
「……なあ君口。聞きたいんだが……その『霊』ってのは、どれくらい現実に干渉出来るんだ?」
「え? さあ……わからないな。でも、霊にしろ化け物にしろ、『カース』は理解不能の超常現象だ。『何でも出来る』って思っとけば……ま、覚悟くらいは出来るんじゃないかな」
「……そうか」
――もしかしたら……学園のデータをハッキングしたりも出来るのか?
――だとしたら……一連の出来事は理解不能な超常現象でしかない?
王神明教授は詳しくデータの正確性を調べていないと言っていた。
もしかしたら、学園にあるその学生らの情報は作り物で、彼自身が確認した姿すら幻でしかない可能性は、この学園の中に限ってはあり得る。
上柴は何故か怒りが静まっていくのを感じた。
「……不思議な話だ。『人間』の所為じゃなくて『現象』の所為だと考えたら……『仕方ない』って思っちまう。一体何がちげぇんだろうな」
「何の話? わからないけど、『人間の敵は人間だ』なんて発想は古いよ。人間は常に進歩している。今はそう……カースのような超常現象とだって戦わなくちゃいけない時代さ。まあ、勝てるかどうかは別として」
上柴は折角座ったというのにまた立ち上がった。
自分も飯を買いにいこうと考えたのだ。
疲れていたわけでもなく、意味もなく座るという合理的でないことをした自分が、未熟なようにも不思議なようにも感じた。
超常現象は、もう無視できない身近な存在だと考えを改めた。
「……俺もその発想が無かった。超常現象が理由なら、俺はそれに怒りをぶつけないといけねぇはずなのに……どうもまだそうはなれないみてぇだ。どこかで合理的な人間の仕業だと考えたくなってる」
「だから何の話だよ」
「……合理性によってがんじがらめになってる、頭の悪い学生の話さ」
上柴は自嘲しつつ教室を後にした。
兄斗は眉をひそめながら弁当を食べる。
「……お前が馬鹿なら僕は何だよ。まったく……」
呆れながら一人きりの教室を満喫する。
もしかしたら何かがあったのかもしれないこの場所で、兄斗はただそこにいるだけでもう解決させてしまった。
「ま、何にでも理由があると思うのは、お前の悪い所でもあり良い所でもある。僕はどっちでもいいけど」
独り言を恥ずかしげもなく言えるのは、この場を彼だけが支配しているから。
―――――これから先、王神明教授の『広域解析』の定期試験で、『学籍番号43170008』が現れることは一度もなかった。




