『平均点』②
翌日 セントラル・ストリート
兄斗と上柴は自販機で飲み物を買っていた。
「やっぱり低すぎる」
突然独り言のように上柴は口を開く。
「何が?」
兄斗は自販機の取り出し口から缶コーヒーを手に取った。
「平均点の話」
「? 何のことだっけ?」
「『広域解析』の試験だよ。昨日話したろ」
「ああ……そうだっけ? いや……思い出した。そうそう追試頑張んないとなんだよ」
「……お前自分の試験の点数聞いたか?」
「いや、結局聞いてない」
「俺はあれから五人くらいに点数を聞いたんだ。でだ。五人の点数の平均を計算したところ……なんと平均六十二点だったんだ」
缶を開けようとする兄斗の手が少し止まる。
「……たまたまだろ? お前の聞いた奴が頭良かっただけ。第一……何でそこまで気になってるんだよ。たかが平均点でさ」
「いや、教授が平均点を偽ってたらヤバいだろ」
「どうヤバいの?」
「あのなぁ……追試の合格基準は何点だったよ?」
兄斗は缶を開けてから思い出す。
少しだけだが、彼も興味が湧いてきた。
「……平均点以上だな」
「ああ。だから、教授が意図して平均点を低く公表していたら、合格基準の下がった追試での合格者も増えるってことになる」
「いやいや。仮に本当の平均点が六十点くらいだとしても、十点くらいの差じゃさして変わらないだろ?」
兄斗は呆れながらコーヒーを飲みだした。
「いや、大きく変わる。元々六割で合格のテストなら、当然当落線上の七割未満五割以上の点数に学生が集中しているはず。六十から五十に下げるだけで、追試の合格者数は格段に上がるだろうよ」
「……そうかな。というか、そもそも合格者数を増やす理由は何だよ。意味あるのか?」
「もちろんあるさ。花良木も言ってたろ? この授業は『簡単に単位が取れる』って」
もちろん四葉の言葉は覚えている。
ただ、兄斗はまだ関心が無い。
「……で?」
「簡単に単位が取れるって噂が広まれば、その講義は学生からの人気も増える。それと……合格者が増えるのは目的達成の副産物である可能性もある。例えば教授が懇意にしている学生が本試験で落ちたとしても、平均点を下げることで追試に合格しやすくさせる……とかさ」
兄斗はすぐに缶コーヒーを飲み干した。
そして、目も向けずにその缶をゴミ箱に投げ捨てる。
「……またまた。人気取りのために嘘なんて吐かないだろうけど……学生のためにそんなことする可能性はもっとあり得ない」
「そうか? もしかしたら……誰か一人の学生のために追試を簡単にしたのかもしれない」
「ないない。ここは天下の学園国家サイバイガルだぞ? 卒業した人間は例外なく全世界で活躍する人材として名を残してる。本試験からそこまで大幅に難易度を落とすような真似をする先生はいないよ」
「……いや、違うんだよ。俺が言いてぇのはさ――」
「上柴さん!」
上柴を遮ったのは、一人の女子学生だった。
「何だ?」
「助けて下さい! レポートが……レポートが終わらないんです!」
「またかよ……」
上柴は定期的に他の学生に頼られる。
六年である彼はそれだけ人望があったのだ。
「あー……悪いな。じゃあまた後で」
「いや、もういいって。アレだよ。杞憂って奴」
「……」
上柴は目を細めながら立ち去った。
二人とも気付いていなかったが、彼は結局自販機で何も買わなかった。
ただ兄斗が目の前でコーヒーを買って飲み干すのを見届けただけ。
それだけ彼は、自身の抱いた疑問を殊更重要に感じていたのだ。
*
五号館
五号館には理・数学部の事務室があり、そこには学部の講師が時間帯によってはたむろしていることがある。
兄斗は研究室を留守にしていた『広域解析』の講師・王神明を探してここに来ていた。
その理由は、追試を前に参考として本試験での自身の点数を聞くことを四葉に勧められたからだ。
「……すみません。もう一度聞いていいですか? 僕の点数」
兄斗は眉間に皺を寄せていた。
そして、王神明はとても低い声で繰り返した。
「……五十九点。惜しかったな。あと一点で合格ラインだったが……追試で挽回し給え」
兄斗は目を細めた。
「……まさか。そんなに高いはずがないですよ。本当に?」
「ああ。この分ならば追試は突破できるだろう」
「……はあ」
「……どうした?」
王神明は鋭い目をしていた。
兄斗は彼と目を合わせるだけで、何故か睨まれているような気分になった。
「えっと……追試は平均点以上取ればいいんですよね?」
「そうだが?」
「で、その平均点は……何でしたっけ?」
「五十一点だ」
「本当に?」
「………………どういう意味だ?」
果たして彼から受ける威圧感は彼が生来から自然と放っている物なのか。
それとも、今意図的に発しているのか。
「その……いや、僕そんなに頭の出来良くないので……。まさか平均を超えているとは思っていなかったんです」
「……謙遜は良いが、己を見誤らないことだ。足元を踏み外すことになるかもしれないからな」
「……そうですかね。教授がそう言うのなら……まあ僕も自信を持つことにします。ところで一つ良いですか?」
「何だ?」
「僕以外の学生の点数は……流石に聞いても教えてもらえないですよね?」
「……当然だ。どうしてそんなことを聞く?」
兄斗はフッと笑って目を伏せた。
「いやぁ……友人が満点の自信があるとか言ってたので、ホントかどうか確かめたかったんですよ」
「……そうか。……恐らくそれは本当だ」
「え?」
どうやら誰のことを言っているのかわかったらしい。
王神明は上柴のことを把握していた。
「彼は優秀な男だ。君口兄斗……お前と友人だとは知らなかったがな」
「え、ええ。上柴は頭良いけど物好きで。僕みたいな異端児でも普通に接してくれるんです」
「……異端児……」
「……そういえばアイツ言ってましたよ。本試験の平均点が低すぎるんじゃないか……って。アイツは頭良いから、きっと試験が簡単に感じたのかもしれません。教授も……そう思いますよね?」
兄斗は少しだけ笑みを見せながら尋ねる。
腹の内に何かを隠している振りをしただけだが、果たして王神明はどう感じたか。
「……そうだな」
*
数日後 中央食堂
上柴は一人、広い食堂の真ん中辺りの席で夕飯を食べていた。
学生全員がこの食堂で三食を取るわけではないが、上柴は自炊をしないタイプだった。
「……ん?」
ふと視線の先に知った人物が見えた。挨拶をしてもよさそうな相手。
その人物は――。
「おーい。お久しぶりでーす」
「!?」
上柴の呼びかけを受け、彼――レイゼン・ルースは目を丸くして固まってしまった。
上柴が屈託の無い笑顔を向けるので、無視することは出来ない。
レイゼンは仕方なく上柴の下に向かった。
*
「……君口兄斗は?」
そう言いながら上柴の正面の席で夕飯を取る。
唐揚げにマヨネーズをかけて食べている上柴とは逆に、レイゼンはアスリートらしくバランスの良い健康的な献立だ。
「別にいつも一緒ってわけじゃねぇですよ。そっちこそ、ここで飯食うことあるんすね」
「……たまにはな」
レイゼンは居心地悪そうにしていた。
ただ、黙るわけにはいかない。
まず言わなければならないことがあるからだ。
「……悪かったな」
「? ああ……デッドボールのことすか? 別に気にすることないっすよ。そういうスポーツなんだし」
「……いや。そういうわけじゃないんだ」
「?」
上柴は一瞬考えた後、すぐに気付く。
「……ひょっとして……『本当は防げたこと』だから?」
「…………」
レイゼンは目を伏せる。
「ハッ! どっちにしろ同じだ。俺もアンタも仕方なくあの場にいて、仕方なくああいう結果になったんだ。アンタが期待を裏切れないように……俺もアイツの力になりたかった。それだけの話じゃねぇですか」
「……君口のことか?」
「アイツは俺と違って刹那主義なんだ。大局を見ない分、自分がやると決めたことには自制が効かなくなる。頑迷なところは花良木とお似合いだが……アイツは周りが恐ろしく見えていない」
「……何が言いたい?」
「俺がどんだけ親友想いかってことすよ。アイツはそこをわかってない。まるで俺が仕方なく仲良くしてやってると思ってやがる」
「……」
「ああ、いや、愚痴言ってもしゃあないか」
共通の話題が無い為か、自身のことを多く語ってしまった。
もっとも、別に隠したいほどのことでもないので、上柴はただケラケラと笑った。
「……俺は本来、みんなに期待される程の実力は持ってないんだ」
「は?」
「本当は……プロとしては平凡くらいで……そもそもカースだって制御が効かないというよりは――」
「おいおいおいおい! それ言っていいのか?」
レイゼンはハッとした。
彼もまた話し過ぎた。
「……悪い。聞かなかったことにしてくれ」
「あとさ、初速170km/hの球投げる奴がプロの中で平凡なわけねぇでしょう。謙遜が過ぎるぜ」
「……170km/hは一瞬しか出ない。普通のスピードガンでも測れないほど一瞬だ。もしカースを使わない場合は……最高でも165km/h出るかどうかってところだ」
「いや十分ヤベェだろ……」
「……それもカースで最高のコンディションを『再現』しないと出せない。平均球速は……152km/hくらいだろうな……」
上柴は彼の言葉の一部に反応する。
「……『平均』……ねぇ」
「ああ。初速が速くても、球はだんだん遅くなる。一瞬だけ飛び抜けて速かろうが……終速の遅さに引っ張られる」
「……ん?」
上柴の手が止まる。
「待てよ……」
「? 何だ?」
レイゼンの方にはもう集中していない。
上柴は少しだけ手を顎のあたりに付けて思案する。
「……そうだ。何も平均点が低くなるのは全体の点数が低い場合だけじゃない。誰か一人飛び抜けて低ければ……それに応じて下がらざるを得ないじゃないか」
「? 何の話だ?」
「あ、ああすんません。ちょっと気になることがあったもんで……」
「……ところで、もう腕は大丈夫か?」
「え? そりゃもちろん。球技大会からもう二ヶ月近くたってるんすよ?」
「……悪い。謝罪も遅かったな」
「いやいやいやいや! アンタプロでしょうが! 忙しい癖に何言ってんだ。まったく……エースピッチャーならもう少し堂々としやしょうよ」
レイゼンは小さく微笑んだ。
少しだけ肩が軽くなった気がしたのだ。
「……ああ。そうだな」
彼の微笑みを見て上柴もどこか安堵を得た。
狂信者の友人を持つ身として、レイゼンの悩みも少しは理解できている。
彼の力に付いて追及する気はなく、むしろ今は別のことに意識を向けていた。
もちろんそれは、平均点の秘密についてだ。




