『敵影』②
オチミズ研究室 周辺
昼飯を食べ終わった兄斗は、セントラル。・ストリートを歩いていた。
通りを進んでいると、ふと近くの研究施設に目がいく。
「……そういえば、今朝のサイバイガル・タイムズに書いてあったのって……ここか?」
サイバイガル・タイムズ。
それはこの学園国家サイバイガルで学生が制作し、発刊している新聞だ。
週に一回校内の掲示板に掲載されるのだが、兄斗は毎回欠かさず読んでいる。
「……あの影の中に……『もう一つの世界』があるのか……?」
今朝のタイムズに記されていたのは、このオチミズ研究室の建物が作る影は別の世界と通じている……という、意味不明な内容だった。
ただ、ここに住む人間はそれを疑わない。
不思議で理解不能な現象が起こることを、最早『日常』だと考えていたのだ。
「あー! 出れた出れた!」
「!?」
その時、影の中から『何か』が出てくる。
それは二人の人間だ。
まるでプールから上がるかのように自然と現れる。
「いやぁ面白かったねぇ。『食べ坊』マジであったじゃんねぇ」
「駄菓子も食い放題。いや、減った分は増えないからちょっとちげぇか。クケッ」
二人の人物は駄菓子をいくつか抱えながら悠々とその場を去っていく。
兄斗は二人が横を通り過ぎるのを見て確信を持った。
「……マジで影の中に入れるのか」
恐らく今の二人もタイムズを見てやって来たのだろう。
影の中の世界には、目の前にある研究施設が建てられる前にあった駄菓子屋が存在しているという。
その駄菓子屋は学生にも好評だったようで、研究施設が建つことが決まった時には反対の声も多かったらしい。
「……『食べ坊』。このオチミズ研究室のあった場所に建っていた駄菓子屋だっけか。影の中の世界には無くなったはずのそれがある。……一体何で? まあ、『害』は無いみたいだけど……」
兄斗は一息吐いて研究施設の壁に寄り掛かる。
それとほぼ同時に施設の扉が開く。
「ん?」
「ん?」
中から出てきたのは、先程フロントエリアで騒動を起こしていた金髪の少女だ。
「……あ? 何見てんだよこのスットコドッコイ」
「え? いや、別に……」
「ぶっ飛ばすぞ!」
「えぇ……」
兄斗は思わず後退る。
しかし彼女は気が立っているのか、こちらに詰め寄ってきた。
「どいつもこいつも……うちのことをそんな目で見るんじゃねぇよ!」
「どんな目ですか?」
「てめぇうちの事馬鹿にしてんだろ! あぁ!?」
勝手に因縁をつけ、兄斗の胸倉を掴んでくる。
完全にチンピラと同じだ。
「……やれやれ」
兄斗は面倒臭そうに影の方を見つめた。
今気になるのは彼女よりも、この影の中にあるだろう『別の世界』のことだ。
「おい! 無視してんなよゴラァ!」
「……試しに入ってみるか」
兄斗はスッと彼女の腕を振り解いた。
そして、逃げるように日陰の空間に向かう。
「待てコラ! 逃げんな!」
兄斗が影の上を進むと、だんだん足が沈み始める。
まるで沼に引き込まれるような感覚。
足掻けば出られる気はしたが、今は中に入ることが目的だった。
兄斗は、影の中に全身を浸した。
*
駄菓子屋『食べ坊』
「……ここは……」
気が付くと目の前には、地味な様相の店が一つ。
人気は無い。
ただ、古めかしい駄菓子がいくつも並んでいる小さな店だ。
「……何これ……」
「ん?」
ふと横を見ると先程の少女がいる。
どうやら兄斗を追いかけて一緒に影の中に入ったらしい。
辺りの空はひたすらオレンジ色に染まっていて、黄昏時だというのがわかる。
しかし、人もいなければ動物も虫もいない。
環境音は何も無く、光は夕陽だけ。
明らかに異様な世界だった。
「ちょっと! どういうことだよコレ!」
「……今日のサイバイガル・タイムズ見てないの?」
「はぁ? 何でうちがあんな低俗なモン見なきゃいけないんだよ!?」
「いや、『見ろ』とは言ってないよ。どうやらこれも『カース』の影響らしい」
「……!?」
兄斗は落ち着きつつ立ち上がった。
「……さて。まあ『害』は無さそうだし放っておこうか」
「……何でアンタそんなに落ち着いてんの?」
「慌てるようなことが起きてないからだよ。これで誰かに襲われるのなら話は別だけど……」
そこまで言って、兄斗は彼女のことをどう呼ぶべきか悩みだした。
「ああそうだ。僕、二年……じゃないや、今年から三年の君口兄斗。君は?」
「……何で名乗らなきゃなんねぇんだよ。馬鹿が」
「……ああ、成程。わかったよ。じゃあ好きな呼び方で良いってことだよね? よろしく金髪ちゃん」
「……ツァリィ・メリック」
兄斗はその名を聞いて納得した。
「ああ……『メリック』って言えば確か、メリックコーポレーションの――」
「うるせぇ! ぶっ飛ばすぞ!」
メリックコーポレーション。
それは世界的にも高名な企業であり、兄斗は一瞬で彼女がいわゆる『お嬢様』なのだと気付いた。
「……凄いな。久しぶりに見た。この音が出るラムネ」
兄斗は彼女を無視して駄菓子屋に入っていく。
扉などは無く、店に置かれている駄菓子は誰も見張っていない。
既にいくつか持ち出された形跡がある。
「何無視してんだよ」
「お。くじあるじゃん」
「おい!」
「何?」
兄斗は面倒臭そうに振り向く。
ハッキリ言って彼女には興味が無い。
「……苛つくんだよ。そういう我関せずな態度取る奴ぁ」
「え? 何に対して我関せずだった?」
「……」
ツァリィは強く睨みつける。
兄斗には何が何だか全くわからない。
彼女のことを何も知らないのだから仕方ない。
かといって、知る気もないしどうでもいい。
兄斗には、全く持ってどうでもいいことなのだ。
彼女の抱える『悩み』など――。
*
ツァリィ・メリックは『呪い』に苛まれていた。
自身の抱える、『カース』の呪い。
それともう一つ。
彼女が育った『家柄』という呪い。
――「わかりましたお母様。わたくしは必ずあの学園を卒業してみせます」
そう言って、両親の期待を背負ってやって来た彼女。
しかし、入学してすぐ彼女は『カース』に呪われた。
事情を隠された両親は彼女が『特待枠』となったことに喜んでいたが、それはただ彼女が『狂信者』となっただけのこと。
実際、入学後の彼女はこの学園を卒業するだけの能力が自身に伴っているとは思っていなかった。
中途半端な成績である一方で授業料免除の待遇は、周囲の学生からの妬みを生む。
元々金持ちのお嬢様ということもあって、目の上のタンコブ扱いして彼女をないがしろにする者は後を絶たない。
一年目は特に酷い有様だった。
ただ、彼女へのいじめはある理由で次第に落ち着きを見せる。
しかし、もう遅い。
――「どうして誰も彼もわたくしにこんな酷い仕打ちをするのですか……? みんな……みんな……どいつも……こいつも……」
そうして彼女は、キレてしまったのだ。
*
「……何が『カース』だ。下らねぇ。うちは……好きでこんな力手に入れたわけでもねぇのによぉ」
その口調は、好きだった漫画のキャラを真似ただけ。
それとカースの力で周囲を威圧し攻撃する。
彼女は自分のことを悪く言う人間も、そんな自分に対するいじめを無視してきた無関心な人間も、皆嫌っていた。
「……狂信者なのか?」
初めて兄斗は彼女に関心を持った。
傍から見ていた彼はまだ彼女が狂信者だと気付いていなかったのだ。
「ああ? だったら何だよ……いだっ!」
突然、ツァリィは頭痛に襲われた。
「え? どうした急に」
「う……これ……まずいかも……しれません……」
「え? 何で急に敬語?」
まさかこちらが素だとは思わない。
ツァリィは自分を取り繕う余裕を失いつつあった。
その時――。
ザァァァァァァ
「!?」
黒い人型の『何か』が、店の周囲を囲んでいる。
「何だ……? こいつら……タイムズに載ってた『こっちの世界』の住人か?」
タイムズによれば、この人型の『何か』は影の中の世界に潜んでいるようだが、こちらに襲ってきたりはしないとこのことだ。
兄斗はそんな連中のことより頭痛で苦しんでいるツァリィに目を向ける。
「おい、どうしたんだよ」
「……力を使いすぎると……たまに……こう……なるんです……」
「おいおい大丈夫か? まあ僕もたまにそういうことあるけど」
「……え?」
ツァリィは伏せかけた頭を上げる。
彼女はまさか兄斗が自分と同じ『狂信者』だとは気付いていない。
「あっ……ぐぅ……!」
「まあちょっと休みなよ。ここならひと気も無い。安静は取れるだろ?」
「ぐ……や……そういう問題じゃ……」
「ん?」
店の周囲を囲んでいる『何か』が、ジリジリとこちらに近付いてくる。
数もいつの間にか増えている。
「な……何だ……?」
感情がある様には見えないが、不思議と連中からは『敵意』のようなものがある気がした。
「わた……うちの……『カース』は、『敵意の操作』……」
「何?」
「今のわた……うちは、カースを抑えられない。周りに誰かがいたら……全員が全員……ランダムな『人』に対して……『敵意』を……向ける……」
「……ランダムな……『人』……?」
ツァリィは苦しみながら頷く。
兄斗は察しがよく、既に理解していた。
「……こいつらは『人』じゃない。少なくとも、僕らの世界の『人』じゃあない。だったらその『敵意』とやらは……否応なしに僕らにだけ向けられるんじゃ……」
ツァリィはもう頷くことも出来ないが、その予想は正しかった。
「……マジか」
ズォォォォォォォォ
黒い『何か』は、群を成して二人に襲い掛かる。
ツァリィは頭を抑えながら目を瞑った。
――駄目だ……どうしようも……。
ガァァァァァン
「………………え?」
次に彼女が目を開けると、驚くべき状況に変わっていた。
二人に襲い掛かった影の集団は、全員その場で力尽きて倒れていたのだ。
そして、空中には空色に光る六角形の結晶体が舞う。
それはやがて兄斗の傍で停止した。
「それは……」
「……本当は使いたくなかったんだけど、仕方ないか。これは『リフレクション』。どんなものでも跳ね返す、僕の『カース』だよ」
「……カース……? どういうことですか? 貴方は一体……」
「そっちこそ何なんだアンタは。口調が変わってるけどさ」
「……何だてめぇは」
「いや! 戻さなくていいから!」
ザァァァァァァァ
そんなことを言っているうちに、地面からまた新手の影の集団が生えてくる。
少しゆらゆらと揺れて行き場を探ったのち、ツァリィのカースの影響を受けたのか、二人に敵意を向け始める。
「……マジか。これって無限? 無限湧き?」
「たまんねぇな……」
「だから口調! 折角丁寧だったのに!」
「うっ……!」
「ってオイ。まだ痛いなら無茶すんなよ。あとは僕が何とかするからさ」
ツァリィは頭を抑えつつ兄斗を睨んだ。
兄斗は気にせずバリアで向かってきた影の集団を跳ね返し続ける。
「……どうして……逃げねぇんだ?」
「は?」
バリアを操作しながら彼女の方を向く。
ツァリィは無理をしながら口調を作る。
「てめぇ一人ならサッサと逃げられんだろぉが。わた……うちに構う理由あんのかよ」
「……無いな」
あっさりと認める。
「……けど、さっき出来た。ほら、僕も狂信者だからさ。類は友。守ってやろうかなって思ったんだよ」
「……今更……」
「ん?」
ツァリィは、目に熱いものを浮かべていた。
「今更何なんですか! キングも! 貴方も! わたくしがいじめられている時……何もしてくれなかったくせに……」
「? そりゃそうだろ。まあ、狂信者は授業料免除とかの待遇あるから、周りに疎まれるのはわかるよ? だから僕も今の今までコレを隠していたわけだし。でも、今言ったように助ける理由も無かったし、そもそも君のこと知らなかったしさ。それで僕にキレるのはいいけど、だからって今僕に助けられるのを拒めるわけじゃないよね?」
「…………ッ!?」
兄斗の余りにも興味無さげな言い分が、ツァリィにとっては理解の外だった。
彼はただ合理的に、彼女が抱く憤りの感情を『無駄だ』と切って捨てた。
「そうら何も出来ない。頭痛くてしょうがないもんね? ハハハ! やっぱりあの子は凄いんだなぁ。彼女だったら全身が痛くても僕に対して殴りかかってただろうな。それがどんなに無意味でも……」
改めて兄斗は四葉への想いを募らせる。
そして、自分も彼女のように自分の意志を貫くことにしようと考えた。
「貴方は……」
「僕はあの子みたいに無意味に君を守るとするよ。だからお前は……」
兄斗の二人称は安定しない。
口調だってそうだ。
ツァリィ程ではないが、彼の情緒というのは『青春』と同じくらい慌ただしく劇的に、それでいて独特に変化する。
下らないことに全力を尽くせるのは、彼が『粋』を重んじるからだ。
女を守って戦うというシチュエーションに、彼が盛り上がらないはずがない。
彼はツァリィに笑みを見せるが、それは彼女を安心させるためではなく、むしろ獲物を前に威嚇をするのと同義だった。
「――黙って僕に助けられろ」
*
ツァリィは、生まれて初めて見る人種に目を奪われていた。
彼は最早、ただ自分の一度抱いた意志を貫くためだけにツァリィを守りながら戦っていた。
バリアで次々に湧いてくる影の集団を跳ね返し続ける。
何度も。何度も。何度も。何度も。
その姿が、ツァリィにとってどれほど――。
「……ハァ、ハァ、ハァ……」
兄斗は体力を減らしていた。
彼のバリアには限界があった。
普通はその限界が一日の内に訪れることなど無い。
彼はなんと三時間もの間、影の集団と戦い続けていたのだ。
バリアを三時間以上連続で使い続けた経験はこの時が初めて。
体力そのものが直接消費されるというよりは、別のエネルギーが消費された結果体力が補填されたのだが、いずれにしろ兄斗はふらつき、膝を付いてしまった。
「ど、どうして……どうしてそんなに……」
恵まれた環境で育ったツァリィは、この学園に来るまで他人から直接悪意を向けられることがなかった。
生まれて初めて受けた他人からの誹りは、彼女の他人への認識を歪ませる。
そして、兄斗という存在はさらに歪んだ彼女の認識を九十度ブチ曲げるのだ。
「……ハァ、ハァ……。やべ……疲れてきたかも……」
その時、油断した彼に影の一体が襲い掛かる。
兄斗は重い打撃を受けて吹き飛ばされた。
「あっ!」
そして今度はツァリィが狙われる。
彼女を数体が襲おうとしたその時――。
カァァァァン
「……守るって言ったろ」
兄斗はまだ意識を失っていなかった。
バリアはツァリィに向かっていった者どもを払いのける。
だが、バリアを彼女の守護に回した結果、傍を離れた兄斗は無防備だ。
「危ない!」
言っても意味が無い。
兄斗は無数の影に襲われる。
それでも、彼のバリアはツァリィの元を離れなかった。
宣言通りに彼女のことを、彼女のことだけを守り続ける。
果たしてそれに意味があるのかどうかは……もう言うまでもないだろう。
――どうして……どうして貴方は……どうして……。




